猫だけに吐く弱音 ~余命3か月を宣告された家族の軌跡~

瀬崎由美

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第一話・余命宣告

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 父の様子がおかしいことに有希達家族が気付いたのは、親戚が集まる法事の時だった。曾祖父か曾祖母かの何回忌だったかも忘れてしまったが、とにかく有希が生まれる前に亡くなった先祖の年忌。

 喪主を務める父が、お経が終わった後の仏壇の作法を忘れて、俯いたままぼーっとしていたのだ。周りの親戚から名前を呼ばれて、父が慌てて蝋燭の付け替えに立ち上がったのを、家族は参列席の一番後ろから見ていた。
 父の信一は親戚の集まりを大切にする人で、法事なんかは全力で仕切る人だった。そんな人が喪主の挨拶でしどろもどろになっているのを見たのは、初めてだと思う。

「信ちゃん、体調でも悪いんか?」

 法事後の会食で、本家のおじさんが心配そうに声を掛けてきていた。父は「ちょっと頭が痛いだけや」と半笑いで答えていた。すぐに母が用意した頭痛薬を飲んで少しマシになったらしいが、父が薬を飲み続ける日はその後何日も続いた。

「頭が痛くて、眩暈もする」

 病院嫌いの父は二週間近くもその症状を誰にも伝えず、黙って耐えていた。市販の頭痛薬では何ともならないとようやく気付いたらしく、母に病院に連れてくよう頼んだ。
 一月末の、空が厚い雲に覆われた、どんよりとした朝だった。

 ただ、病院で知り合いに会うのが嫌だというので、近所の病院や親戚の勤めているところを避け、隣のY市にある総合病院へ行くことにする。以前に有希が診て貰った時に、大きな病院なのに割と待ち時間も少なくて良かったからと勧めたのだ。

 当時、フリーでウェブデザインの仕事を在宅でしていた有希は、いつものように自室でパソコンを触っていた。サイトトップで使う画像をPhotoshopで加工している時、両親が病院から帰ってきたのに気付き、1階へと降りて行く。
 20畳のLDKに置かれたダイニングテーブルで、父と母は向かい合ってお茶を飲んでいるところだった。淹れたての爽やかな緑茶の香りが漂っている。

「おかえり、病院空いてた?」
「それがさ、次に順番回ってくるって時に、救急が入ったらしくて、それから2時間も待たされたわ」
「あー、あそこ救急もやってるからね……」

 診て貰った先生は救急の担当医でもあり、待合室はガラガラなのに長時間の待機を強いられたらしい。あまりの待ち時間の長さに、二人揃って疲れた表情を浮かべる。

「お父さん、よく頭打ってるでしょ? 頭に血の塊が出来ちゃってるらしいのよ」
「えーっ、そんなのが原因? めっちゃ心配したのに」

 父の頭痛の理由を聞いて、有希はバカバカしいと笑い飛ばした。父も恥ずかしそうに笑っていたし、その時は母も笑っていた。
 食卓で緑茶を啜る両親の様子は、至っていつも通りにしか見えない。

 でも、安心した有希が二階にある自分の部屋へと戻ると、母はその後を追いかけてきて言った。何の前置きもなく、少しだけ声を潜めて。

「……お父さん、肺ガンだって。後2、3か月だって」
「へ?」

 母が言っている意味が分からず、有希はさっきと同じように笑った。いきなり言われて、冗談だとしか思えなかったから。ただ笑うしか出来なかった。それが現実の話だと、脳内ではすぐに認識も理解もできなかった。
 家族がもうすぐ死ぬと宣告されると、なぜか笑いがこみ上げてしまうものだと初めて知った。

「先生が話をしてくれるらしいから、後でお姉ちゃんと一緒に病院に行って欲しいんやけど」
「あ、うん、分かった」

 母が戻って行った後、有希は整理できてない頭のままスマホを手に取り、彼氏の雅人にメールする。付き合って4年、まだ親には正式に紹介はしていないけど、両親には交際している人がいることは伝えてあるし、毎週末には雅人が一人暮らししているマンションに通う週末婚状態だった。

『お父さん、肺ガンで余命3か月だって。話を聞きに病院に行ってくる』
『そうなんだ。詳しい事が分かったら、また連絡して』

 仕事中に送られてきたにも関わらず、雅人の返信はとても冷静だった。メールを送り終えた頃、遅れてじわじわと現実が襲ってきた。改めて文章にしたことで、混乱していた頭がようやく追いついてきたのかもしれない。

 ――お父さんが? 後3か月って?

 ボロボロと涙が溢れ出す。一気に鼓動が早くなり、信じられないという心理的な衝撃で息が詰まりそうになる。
 膝の上で眠っていた白黒猫のクロが、有希の顔を不思議そうに見上げていた。

 その後、病院から指定された時間まで、どう過ごしたかの記憶はない。ただひたすら部屋で泣いていたのかもしれない。

 母からの連絡で子供達を引き連れて姉がやって来たのは、それから1時間ほど後のことだった。結婚後も同じ市内に住んでいた姉は、上の子を幼稚園へ迎えに行ってから慌ててやって来た。下の子はまだ1才半で、車に設置されたチャイルドシートでスヤスヤと眠っていた。

「どういうこと? お母さんの言ってる意味、分かんないんだけど」
「肺ガンらしい。詳しいことは私も聞いてないけど、これから病院で説明してくれるみたい」

 姉の運転する車の中は、5歳の姪っ子の歌う童謡だけが響いていた。
 母は自分ではちゃんと説明できる自信がないから、娘達にも先生から説明してあげてくださいと頼んだらしい。それを聞きに、有希達姉妹は父を診てくれた病院へ向かっているところだ。

 診療時間外だったらしく、総合病院の待合スペースはしんとしていた。午後の面会時間前ということもあって、すれ違うのは看護師などの病院関係者だけだった。
 脳神経外科の受付窓口に父の名を伝えると、すぐに診察室に入るように指示される。

 姉と姪っ子達と一緒に入った室内は、よくある診察室。丸眼鏡を掛けた小柄な医師は、人懐っこい笑顔で有希達を迎えてくれた。木下というネームプレートを付けた先生の前には、胸と頭を映し出した2枚のレントゲン写真が準備されていた。

「広瀬さんみたいに頭が痛いって来られて、念の為に胸の写真を撮らせて貰ったら肺ガンだったていうのは、結構よくあるんです」

 父の頭痛の原因は、肺ガンからの転移による脳腫瘍だった。右側だけが真っ白になった肺のレントゲン写真と並んでいた頭部の写真には、白い丸が20個ほど写っている。小さな物から3センチ近い物まであった。

「お母さんには3か月って言いましたが、このサイズの物になるといつ破裂してもおかしくは無いので、それは2週間後かもしれないし、もしかしたら明日かもしれない。例え3か月もったとしても、まともに会話が出来るのはその内の半分だと思っておいた方がいいです」

 母から聞いていたのより、余命が一気に短縮された。つまり、父はいつ亡くなってもおかしくない状況なのだという。
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