夜勤の白井さんは妖狐です 〜夜のネットカフェにはあやかしが集結〜

瀬崎由美

文字の大きさ
上 下
42 / 45

第四十二話・百鬼夜行3

しおりを挟む
 昨夜あれほど怖い思いをしたにもかかわらず、千咲の足はネットカフェ『INARI』の敷地を自然と跨いでいた。正直言って、人では無いモノは怖い。視えるようになってから、さらに怖くなった。
 なのに、どうして怖い思いをしながらも、ここで働き続けようと思うのか。千咲自身もまだよくは分かっていない。

 また職安に通い直せば、どこか別の会社に就職できるかもしれないし、もっと条件の良いところなんて沢山あるはずだ。変なモノがウヨウヨいて、胡散臭い客も多いここに固執する必要なんて、どこにもない。

 ――でも……。

 怖い思いをすることは多いけれど、視えるようになって良かったとも思っている。視えないのに感じていた違和感、それが無くなったことで少し自信が持てるようになったから。原因が分からないのになぜか無性に怯えている自分はもういない。今ならちゃんと理由を説明できるし、自分自身を理解できる。

 ――勿論、怖いモノは怖いままなんだけど。

 店の入り口脇の駐輪スペースでは、三匹の狸が首を長く伸ばして駐車場の奥を眺めていた。昨日の今日のことだし、中森はまだ残っているみたいだ。狸達が興味津々と視線を送っている先には、この店の正社員でもある二人の姿。敷地の一番奥、方角で言えば北東の隅に植わっている桜の古木の前で、神妙な顔つきで何かを確認しているようだった。

 今の季節にはもう完全に落葉して枝だけになっている桜の木には、根元に小さな社祠が建てられていた。中には狐の御神体が奉られているので、商売繫盛を願った企業神社みたいだが、ここに家電量販店があった時よりももっと前からあるらしい。

 普段はテンション高く無駄に声の大きな中森だったが、今は珍しく声を潜めている。そのせいで彼らが何を話しているのかは分からない。だが、張り上げた狸耳と、足にぴたりと付けた尻尾で、彼が今かなり警戒していると同時に、とても怯えているのは明らか。

「じゃ、じゃあ僕はこれで――」

 用は済んだと振り返った中森は、出勤してきたばかりの千咲の姿を自動ドアの前に見つけ、「あ、鮎川さん、おはよーっす!」と声を掛ける。いつものテンションを装ってはいたが、その顔は遠目から見ても分かるくらいにかなり青褪めていた。

 着替えを済ませた千咲がタイムカードを通す頃には、中森の姿はもう店内にも店外にも無かった。また化け狸の勘というやつが働いたのだろうか、逃げるように帰って行ったと白井が呆れ笑いを漏らしていた。

「鮎川、今は護符は持ってるか?」
「昨日から勤務中も持ち歩くようにしてます」

 フロントにいた白井から聞かれて、千咲はエプロンの前ポケットから出して見せる。「そうか」と小さく頷き返すと、白井は窓の外に視線を送ったまま、それ以上は何も言わず黙り込んでしまう。
 ただ考え事をしているというよりは、何かの気配を必死で探っているようで、普段以上に表情が読めない。

 しばらくは微動だにしなかった白井の眉が、ぴくりと動く。その後、国道から勢いよく駐車場へと入ってきた一台の乗用車が、スピードはそのままに自動ドアの前を通過していったのが見えた。

 ドーン! という激しい衝突音が、駐車場の奥から響く。速度を落とすことなく、車が何かにぶつかった音だ。

 チッ、と舌打ちした後、白井はカウンターを出て、店外へと飛び出した。千咲も後を追いかけようとするが、鳴り始めた内線の呼び出し音に足止めされる。

「はい、フロントでございます――かしこまりました、すぐにお伺いいたします」

 ブースでドリンクグラスを割ってしまったという連絡に、ほうきと塵取り、モップを抱えて駆けつける。なんでこんな時に、とは思ったが、申告せずに黙って帰ってしまう客も多い中、すぐに報告してもらえるのは心底ありがたい。

 椅子までドリンクを被ってしまっていた為、連絡をくれた客にはすぐに別のブースへ移動してもらうことになった。完全に乾くまで、あの席はメンテナンス中扱いだ。
 濡れた床から回収してきたグラス片を分別し終えた後も、白井が外から戻ってくる気配はなく、千咲は自動ドアから少し出て外の様子を覗ってみる。

 駐車場の奥、小さな社祠のある場所に黒色の乗用車が突っ込んでいるのが見えた。点灯したままのヘッドライトが照らしている先には、破壊されて完全に倒壊してしまった社祠と、衝突によって木皮の一部がえぐられた桜。木が盾になったおかげで隣の民家との境になっていたフェンスは無傷なようだ。被害が『INARI』の敷地内だけで留まっているのは幸いか。

「おい、しっかりしろっ!」
「……え、えっ?! どういうことだ……?」

 まだエンジン音のする運転席のドアを開けて、白井は運転手を車外へと引っ張り出していた。初めは意識が朦朧としていた老齢の男性は、徐々に状況を把握し出すと、さらに混乱をきたし始める。

「なんで、こんなところに……?」

 運転していた時の記憶が、途中でぷつりと途絶えている。駅まで娘を送り届けた帰りで、ネットカフェになんて立ち寄る予定はなかったはずだ。

「チッ、操られたか。クソみたいなことをしやがって……」

 舌打ちし、白井は悔し気に吐き捨てた。運転していた男の中に微かに残っている妖気には、かなり覚えがある。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

鬼の御宿の嫁入り狐

梅野小吹
キャラ文芸
▼2025.2月 書籍 第2巻発売中! 【第6回キャラ文芸大賞/あやかし賞 受賞作】  鬼の一族が棲まう隠れ里には、三つの尾を持つ妖狐の少女が暮らしている。  彼女──縁(より)は、腹部に火傷を負った状態で倒れているところを旅籠屋の次男・琥珀(こはく)によって助けられ、彼が縁を「自分の嫁にする」と宣言したことがきっかけで、羅刹と呼ばれる鬼の一家と共に暮らすようになった。  優しい一家に愛されてすくすくと大きくなった彼女は、天真爛漫な愛らしい乙女へと成長したものの、年頃になるにつれて共に育った琥珀や家族との種族差に疎外感を覚えるようになっていく。 「私だけ、どうして、鬼じゃないんだろう……」  劣等感を抱き、自分が鬼の家族にとって本当に必要な存在なのかと不安を覚える縁。  そんな憂いを抱える中、彼女の元に現れたのは、縁を〝花嫁〟と呼ぶ美しい妖狐の青年で……?  育ててくれた鬼の家族。  自分と同じ妖狐の一族。  腹部に残る火傷痕。  人々が語る『狐の嫁入り』──。  空の隙間から雨が降る時、小さな体に傷を宿して、鬼に嫁入りした少女の話。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

真夜中の仕出し屋さん~料理上手な狛犬様と暮らすことになりました~

椿蛍
キャラ文芸
「結婚するか、化け物屋敷を管理するか」 仕事を辞めた私に、父は二つの選択肢を迫った。 料亭『吉浪』に働いて六年。 挫折し、料理を作れなくなってしまった―― 結婚を断り、私が選んだのは、化け物屋敷と父が呼ぶ、亡くなった祖父の家へ行くことだった。 祖父が亡くなって、店は閉まっているはずだったけれど、なぜか店は開いていて―― 初出:2024.5.10~ ※他サイト様に投稿したものを大幅改稿しております。

おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜

瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。 大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。 そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。 第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。

偏屈な辺境伯爵のメイドに転生しましたが、前世が秋葉原ナンバーワンメイドなので問題ありません

八星 こはく
恋愛
【愛されスキルで溺愛されてみせる!伯爵×ぽんこつメイドの身分差ラブ!】 「私の可愛さで、絶対ご主人様に溺愛させてみせるんだから!」 メイドカフェ激戦区・秋葉原で人気ナンバー1を誇っていた天才メイド・長谷川 咲 しかし、ある日目が覚めると、異世界で別人になっていた! しかも、貧乏な平民の少女・アリスに生まれ変わった咲は、『使用人も怯えて逃げ出す』と噂の伯爵・ランスロットへの奉公が決まっていたのだ。 使用人としてのスキルなんて咲にはない。 でも、メイドカフェで鍛え上げた『愛され力』ならある。 そう決意し、ランスロットへ仕え始めるのだった。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...