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第三十九話・白井とコロポックル
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レトルトカレーのパックを湯煎式フードウォーマーに放り込むと、白井はトッピング用の卵を取り出す為に業務用冷蔵庫の扉を開いた。
『INARI』で提供している中辛のカレーにはトンカツとハンバーグ、目玉焼きを有料で追加することができる。一番人気はトンカツで、いわゆるカツカレーとして注文されることが多い。しかし、今回は珍しく目玉焼きのオーダーだ。
分厚い扉を開いてすぐ、白井は中の異変に気付いてハァと大きな溜め息を吐いた。さすがに、口からは呆れを含む言葉しか出てこない。
「……何やってんだ、お前ら?」
庫内の最下段、卵が入った段ボールの横で、コロポックル達が身体を寄せ合って震えていた。小さな身体をブルブルと震わせ、弱り切った顔で白井のことを見上げている。真っ暗な中でどれだけ過ごしていたのか、突然届いた厨房の蛍光灯の眩しさに目を細めているモノもいる。普段なら白井のことを恐れて避けているようだったが、今日はそれどころじゃないらしい。
「北国生まれだろうが、さすがに無理あるだろ……」
いくら故郷の寒さが恋しくなったにせよ、冷蔵庫内に入り込んでしまうのは無謀だ。白井の背丈以上もある業務用の大きく重い扉は、小さな妖精の腕では押し開けることはできない。隙を見て入り込み、結果的に閉じ込められてしまったというところか。
付け合わせの福神漬けと目玉焼き用の卵を取り出し、もう誰も残っていないかと中を念入りに確認する。
すっかり冷え切ってしまった身体を互いにさすり合っているコロポックル達を横目に、白井はフライパンの上に卵を割り落とし、半熟で透明感が残るギリギリまで火を通す。ライスを乗せた皿へ温められたカレーと福神漬けと一緒に盛り付けて、伝票を添えたトレーでブースへと運んでいく。
戻って来る途中、ドリンクバーでホットココアをマグカップに注ぎ入れ、「冷めない内に飲め」と調理台の隅っこに置いていった。すっかり厨房に居座り続けている奴らのこと、必要なカトラリーは勝手に自分達で探してくるだろう。さすがにそこまでは面倒みきれない。
夜勤の定時を半時間ほど過ぎた頃、千咲は販促品が詰め込まれた紙袋を抱えて出勤して来た。
いつも通りに自宅マンションで出勤準備をしていると、充電中のスマホが鳴った。店長の中森からだった。
「お疲れーっす。鮎川さん、今日は店に行く前に玉川君から荷物を受け取ってきてくれないかな? 駅までは来てくれるって言ってるから、着いたら店に電話してあげて。あ、白井君には伝えておくから、多少は遅れても大丈夫だから」
テンション高めに一方的に要件だけを話して切られるという、中森らしい電話。玉川が勤務している系列店では余っている販促品が大量にあるらしく、それを引き取って来て欲しいという指示だった。
「ほら、向こうはビルのテナントだから、販促品が送られてきても使えないヤツが結構あるらしくてね。それをうちでありがたーく使わせて貰おうと思うんだ」
言われて、千咲は駐車場の色褪せたノボリを頭に思い浮かべてから納得する。一日中、外で風雨に晒されたせいで角がボロボロにほつれたり、日焼けしてプリントが薄くなるのが思った以上に早い。あらかじめ余分に送って貰っていても、全然足りない。
そうして駅まで出て来てくれた玉川から受け取ってきた紙袋は、見た目以上に重くて、千咲へと平然と丸投げしてきた化け狸のことを恨まずにはいられなかった。入店してカウンターの上にドスッと置かれた袋に、白井もそれなりに驚き顔を見せた。
「結構な量だな」
「そうなんですよっ、玉川さんは全然平気そうにしてたから油断してしまって、渡された時に一回落っことしそうになりました……」
「そりゃ重いはずだ、底にコミックスまで入ってる」
「え?!」
着替えに行くつもりでスタッフルームへ向かいかけた千咲だったが、白井の言葉に信じられないと声を張り上げる。紙袋にギチギチに詰め込まれているから、ノボリやPOPだけでも結構な重量になるのかと諦めて運んで来たのだ。なのに上層の販促品を全て取り出した後、分厚いコミックスが奥から10冊近くも出てきた。重いのも当然だ。
「廃棄予定のを貰ったみたいだな。うちには置いて無かったヤツだ」
既に廃刊になっている古いコミックス。絵柄が個性的で、好みの別れそうな漫画だ。向こうの店は要らないと判断したが、中森はマニア受けすると見たのだろう。新刊入荷は本部の一括管理だが、在庫の調整は店ごとに任されている。コミック棚が満杯になれば、店判断で古い物や不人気本が処分されることがある。
と、パラパラとページを捲っていた白井の手が、不意に止まる。眉を寄せて、カラコンの入った眼を吊り上がらせる。
「な、何かあるんですか?」
白井が黙って差し出して来たページを覗いて、千咲は後退った。コミックスの5巻の前半3分の1くらいのページだろうか、赤黒い染みが見る見るうちに浮き上がってきていた。それは人の手のような形をしていて、千咲は見た瞬間に背筋が冷たくなるのを感じた。
「これ、店に置くんですか……?」
猫又である玉川が、このことに気付いていない訳がない。過去の所有者の怨念のこもったコミックス。今にして思えば、あの時の玉川が妙に楽しそうに笑っていたのは、そういうことだったのか。つくづく性格が悪い。
「うちでも要らないな。中森に持って帰らせればいい」
そう言って、白井はコミックスだけを紙袋の中に詰め込み直し、袋の全面に黒色の油性ペンで大きく『中森の私物』と書き記した。
『INARI』で提供している中辛のカレーにはトンカツとハンバーグ、目玉焼きを有料で追加することができる。一番人気はトンカツで、いわゆるカツカレーとして注文されることが多い。しかし、今回は珍しく目玉焼きのオーダーだ。
分厚い扉を開いてすぐ、白井は中の異変に気付いてハァと大きな溜め息を吐いた。さすがに、口からは呆れを含む言葉しか出てこない。
「……何やってんだ、お前ら?」
庫内の最下段、卵が入った段ボールの横で、コロポックル達が身体を寄せ合って震えていた。小さな身体をブルブルと震わせ、弱り切った顔で白井のことを見上げている。真っ暗な中でどれだけ過ごしていたのか、突然届いた厨房の蛍光灯の眩しさに目を細めているモノもいる。普段なら白井のことを恐れて避けているようだったが、今日はそれどころじゃないらしい。
「北国生まれだろうが、さすがに無理あるだろ……」
いくら故郷の寒さが恋しくなったにせよ、冷蔵庫内に入り込んでしまうのは無謀だ。白井の背丈以上もある業務用の大きく重い扉は、小さな妖精の腕では押し開けることはできない。隙を見て入り込み、結果的に閉じ込められてしまったというところか。
付け合わせの福神漬けと目玉焼き用の卵を取り出し、もう誰も残っていないかと中を念入りに確認する。
すっかり冷え切ってしまった身体を互いにさすり合っているコロポックル達を横目に、白井はフライパンの上に卵を割り落とし、半熟で透明感が残るギリギリまで火を通す。ライスを乗せた皿へ温められたカレーと福神漬けと一緒に盛り付けて、伝票を添えたトレーでブースへと運んでいく。
戻って来る途中、ドリンクバーでホットココアをマグカップに注ぎ入れ、「冷めない内に飲め」と調理台の隅っこに置いていった。すっかり厨房に居座り続けている奴らのこと、必要なカトラリーは勝手に自分達で探してくるだろう。さすがにそこまでは面倒みきれない。
夜勤の定時を半時間ほど過ぎた頃、千咲は販促品が詰め込まれた紙袋を抱えて出勤して来た。
いつも通りに自宅マンションで出勤準備をしていると、充電中のスマホが鳴った。店長の中森からだった。
「お疲れーっす。鮎川さん、今日は店に行く前に玉川君から荷物を受け取ってきてくれないかな? 駅までは来てくれるって言ってるから、着いたら店に電話してあげて。あ、白井君には伝えておくから、多少は遅れても大丈夫だから」
テンション高めに一方的に要件だけを話して切られるという、中森らしい電話。玉川が勤務している系列店では余っている販促品が大量にあるらしく、それを引き取って来て欲しいという指示だった。
「ほら、向こうはビルのテナントだから、販促品が送られてきても使えないヤツが結構あるらしくてね。それをうちでありがたーく使わせて貰おうと思うんだ」
言われて、千咲は駐車場の色褪せたノボリを頭に思い浮かべてから納得する。一日中、外で風雨に晒されたせいで角がボロボロにほつれたり、日焼けしてプリントが薄くなるのが思った以上に早い。あらかじめ余分に送って貰っていても、全然足りない。
そうして駅まで出て来てくれた玉川から受け取ってきた紙袋は、見た目以上に重くて、千咲へと平然と丸投げしてきた化け狸のことを恨まずにはいられなかった。入店してカウンターの上にドスッと置かれた袋に、白井もそれなりに驚き顔を見せた。
「結構な量だな」
「そうなんですよっ、玉川さんは全然平気そうにしてたから油断してしまって、渡された時に一回落っことしそうになりました……」
「そりゃ重いはずだ、底にコミックスまで入ってる」
「え?!」
着替えに行くつもりでスタッフルームへ向かいかけた千咲だったが、白井の言葉に信じられないと声を張り上げる。紙袋にギチギチに詰め込まれているから、ノボリやPOPだけでも結構な重量になるのかと諦めて運んで来たのだ。なのに上層の販促品を全て取り出した後、分厚いコミックスが奥から10冊近くも出てきた。重いのも当然だ。
「廃棄予定のを貰ったみたいだな。うちには置いて無かったヤツだ」
既に廃刊になっている古いコミックス。絵柄が個性的で、好みの別れそうな漫画だ。向こうの店は要らないと判断したが、中森はマニア受けすると見たのだろう。新刊入荷は本部の一括管理だが、在庫の調整は店ごとに任されている。コミック棚が満杯になれば、店判断で古い物や不人気本が処分されることがある。
と、パラパラとページを捲っていた白井の手が、不意に止まる。眉を寄せて、カラコンの入った眼を吊り上がらせる。
「な、何かあるんですか?」
白井が黙って差し出して来たページを覗いて、千咲は後退った。コミックスの5巻の前半3分の1くらいのページだろうか、赤黒い染みが見る見るうちに浮き上がってきていた。それは人の手のような形をしていて、千咲は見た瞬間に背筋が冷たくなるのを感じた。
「これ、店に置くんですか……?」
猫又である玉川が、このことに気付いていない訳がない。過去の所有者の怨念のこもったコミックス。今にして思えば、あの時の玉川が妙に楽しそうに笑っていたのは、そういうことだったのか。つくづく性格が悪い。
「うちでも要らないな。中森に持って帰らせればいい」
そう言って、白井はコミックスだけを紙袋の中に詰め込み直し、袋の全面に黒色の油性ペンで大きく『中森の私物』と書き記した。
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