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第三十七話・猫又の玉川2
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「夜勤ばっかしてたら、飲み会とか行きにくくない? 鮎川さんって、休みの日は何してるの? 夜遊びとかしないの?」
「あー、元々、そういうのはあんまり……」
「昼に入ってた時も、そんな感じ?」
「……そうですね」
分解してパーツを取り外した食洗機の中に頭を突っ込んだまま、千咲は素っ気なく答えていく。若いというだけで夜遊びすると決めつけられるのは、正直あまり良い気分じゃない。
まだ余裕で熱さが残る機械の中は、むわっとした湿気を帯びていて、あまり長く顔を入れていたいものではない。一瞬で顔面がベタついてくる。腕を伸ばして隅々まで丁寧にスポンジでこすり終えると、水を掛けて洗剤をざっと洗い流す。
白井が出勤してきたら交代して良いはずの玉川が、なぜかいつまでも店内に居座り続けていることに、千咲は困惑していた。あやかし同士だ、積る話を白井とする為に居残っているとかならまだ分かる。だが業務用冷蔵庫に凭れながら、退屈だと言わんばかりに黒く細長い二本の尻尾をゆらゆら揺らして、千咲の作業を眺めているだけだ。
――てか、なんで私の方に絡みに来るの?
喉元まで上がる「まだ帰らないんですか?」という言葉を何度も飲み込んで、真意の読み取れない質問を適当にかわし続ける。普段は見かけない存在がいるからだろうか、馴染みのあやかし達も厨房へは姿を見せにこない。
「ねえ、鮎川さんって、視えてるの?」
組み立て直した食洗機の電源を入れ、その重い蓋を両手で引き下ろす。ごーっという勢いのある水音が、同時に発せられた玉川の声を掻き消してしまう。
何か言いました? と首を傾げながら振り返った千咲に、猫又は「ん、何でもないよ?」と作り笑いを張り付けて首を傾げ返してくる。
「でも不思議だよねぇ。夜勤に女の子が入るのを嫌がってた白井君が、君には社員への推薦までしたって聞いたら驚いちゃうよ」
「それは、私がもう就活しなくて済むように――」
「ああ、中森君もそう言ってたねぇ。でも、本当にそれだけなのかなぁ?」
探るような意味深な物言いだが、ピンと伸びた黒色の尻尾を見る限り、千咲のことを揶揄って楽しんでいるだけのようだ。淡々と作業する千咲の様子を、鼻歌交じりにご機嫌で眺めている。
「邪魔してないで、もう帰れ」
ドリンクバーの機械のメンテナンスへと出ていった千咲の背後で、入れ替わるように厨房に顔を見せた白井が、玉川に向けて吐き捨てるよう言い放った。そもそも、この店の夜勤バイトがシフトをドタキャンしたのが原因だった訳で、その穴埋めで来てくれた相手に対しては酷い言い草だ。――彼自身もまた、休日返上で出勤させられた立場ではあるが。
「ふーん。しばらく来ない間に、店の雰囲気が随分と変わったなとは思ったけど」
「……何が言いたい?」
「ううん、別にぃ。夜勤に女の子がいると、やっぱり違うもんだなって思っただけ」
必要以上に他者に関心を持たないはずの白狐が、少しばかり長く居座っただけで牽制に出てきた。これほど驚くことはないと、猫又は尻尾をさらに伸ばし、丸い目をさらに丸くさせて輝かせた。
「で、さっきの鬼の祠の話だけど。荒らした奴の見当は?」
「大体は――」
「まあ、あちらを狙った時点で、小物でしかないだろうけどね」
「……それはどうだろうな」
且つて、稲荷の神自らが葬り去った、隠り世で最強のあやかし――黒の鬼姫。それを祀ったとされる祠はこの現世に存在する。疑心暗鬼の象徴でもある黒鬼の頂点、鬼姫。かの鬼の首は小さな集落の氏神神社の社の裏手、何の碑もなくひっそりと埋められているとされていた。
しかし、それは表向きのこと。真実を知る得る者はそれほど多くは無い。
「で、本物って今もあそこに?」
猫又はちらりと視線だけを動かして北東の方角を指し示す。それに対して白井は何も反応を返しては来ないが、否定しないということはそういうことなのだろう。
「なるほどね。なら、面倒事に巻き込まれたくない僕は、おとなしく帰ることにするよ」
じゃあね、と片手を振って出ていく玉川の背に、白井は大きな溜め息を吐いた。厨房の前、ドリンクバーのところからは千咲が「ありがとうございました。お疲れ様です」と今日のヘルプの礼を言っているのが聞こえてくる。「たまにはうちの店にも遊びに来てよね!」という軽々しい社交辞令を玉川の口から聞いたのは、これで何度目になるだろうか。
化ける能力は中森並みでしかないが、玉川は妙に勘が鋭い。今は姿を隠している河童達の存在には気付いていたはずで、おそらく千咲が視える人間だと確信するのも時間の問題だっただろう。本人に直接「視えてるの?」と聞こうとしたのには驚いたが、しつこく聞き直さなかったということはまだ確証が取れていないのだろうか。
「……デリカシーの無い奴だ」
千咲の耳に入っていたら、「お前が言うな」と言われてしまうようなことを、ボソッと呟く。
「あー、元々、そういうのはあんまり……」
「昼に入ってた時も、そんな感じ?」
「……そうですね」
分解してパーツを取り外した食洗機の中に頭を突っ込んだまま、千咲は素っ気なく答えていく。若いというだけで夜遊びすると決めつけられるのは、正直あまり良い気分じゃない。
まだ余裕で熱さが残る機械の中は、むわっとした湿気を帯びていて、あまり長く顔を入れていたいものではない。一瞬で顔面がベタついてくる。腕を伸ばして隅々まで丁寧にスポンジでこすり終えると、水を掛けて洗剤をざっと洗い流す。
白井が出勤してきたら交代して良いはずの玉川が、なぜかいつまでも店内に居座り続けていることに、千咲は困惑していた。あやかし同士だ、積る話を白井とする為に居残っているとかならまだ分かる。だが業務用冷蔵庫に凭れながら、退屈だと言わんばかりに黒く細長い二本の尻尾をゆらゆら揺らして、千咲の作業を眺めているだけだ。
――てか、なんで私の方に絡みに来るの?
喉元まで上がる「まだ帰らないんですか?」という言葉を何度も飲み込んで、真意の読み取れない質問を適当にかわし続ける。普段は見かけない存在がいるからだろうか、馴染みのあやかし達も厨房へは姿を見せにこない。
「ねえ、鮎川さんって、視えてるの?」
組み立て直した食洗機の電源を入れ、その重い蓋を両手で引き下ろす。ごーっという勢いのある水音が、同時に発せられた玉川の声を掻き消してしまう。
何か言いました? と首を傾げながら振り返った千咲に、猫又は「ん、何でもないよ?」と作り笑いを張り付けて首を傾げ返してくる。
「でも不思議だよねぇ。夜勤に女の子が入るのを嫌がってた白井君が、君には社員への推薦までしたって聞いたら驚いちゃうよ」
「それは、私がもう就活しなくて済むように――」
「ああ、中森君もそう言ってたねぇ。でも、本当にそれだけなのかなぁ?」
探るような意味深な物言いだが、ピンと伸びた黒色の尻尾を見る限り、千咲のことを揶揄って楽しんでいるだけのようだ。淡々と作業する千咲の様子を、鼻歌交じりにご機嫌で眺めている。
「邪魔してないで、もう帰れ」
ドリンクバーの機械のメンテナンスへと出ていった千咲の背後で、入れ替わるように厨房に顔を見せた白井が、玉川に向けて吐き捨てるよう言い放った。そもそも、この店の夜勤バイトがシフトをドタキャンしたのが原因だった訳で、その穴埋めで来てくれた相手に対しては酷い言い草だ。――彼自身もまた、休日返上で出勤させられた立場ではあるが。
「ふーん。しばらく来ない間に、店の雰囲気が随分と変わったなとは思ったけど」
「……何が言いたい?」
「ううん、別にぃ。夜勤に女の子がいると、やっぱり違うもんだなって思っただけ」
必要以上に他者に関心を持たないはずの白狐が、少しばかり長く居座っただけで牽制に出てきた。これほど驚くことはないと、猫又は尻尾をさらに伸ばし、丸い目をさらに丸くさせて輝かせた。
「で、さっきの鬼の祠の話だけど。荒らした奴の見当は?」
「大体は――」
「まあ、あちらを狙った時点で、小物でしかないだろうけどね」
「……それはどうだろうな」
且つて、稲荷の神自らが葬り去った、隠り世で最強のあやかし――黒の鬼姫。それを祀ったとされる祠はこの現世に存在する。疑心暗鬼の象徴でもある黒鬼の頂点、鬼姫。かの鬼の首は小さな集落の氏神神社の社の裏手、何の碑もなくひっそりと埋められているとされていた。
しかし、それは表向きのこと。真実を知る得る者はそれほど多くは無い。
「で、本物って今もあそこに?」
猫又はちらりと視線だけを動かして北東の方角を指し示す。それに対して白井は何も反応を返しては来ないが、否定しないということはそういうことなのだろう。
「なるほどね。なら、面倒事に巻き込まれたくない僕は、おとなしく帰ることにするよ」
じゃあね、と片手を振って出ていく玉川の背に、白井は大きな溜め息を吐いた。厨房の前、ドリンクバーのところからは千咲が「ありがとうございました。お疲れ様です」と今日のヘルプの礼を言っているのが聞こえてくる。「たまにはうちの店にも遊びに来てよね!」という軽々しい社交辞令を玉川の口から聞いたのは、これで何度目になるだろうか。
化ける能力は中森並みでしかないが、玉川は妙に勘が鋭い。今は姿を隠している河童達の存在には気付いていたはずで、おそらく千咲が視える人間だと確信するのも時間の問題だっただろう。本人に直接「視えてるの?」と聞こうとしたのには驚いたが、しつこく聞き直さなかったということはまだ確証が取れていないのだろうか。
「……デリカシーの無い奴だ」
千咲の耳に入っていたら、「お前が言うな」と言われてしまうようなことを、ボソッと呟く。
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