上 下
29 / 45

第二十九話・輪入道

しおりを挟む
 時刻は22時を少し回った頃。化け狸の野生の勘が的中したというべきか、エントランスに張り込んでいた中森が店を出てすぐ、シャワー室近くの天井裏から轟音が響き渡る。まだ大半の客が起きているようだったが、その異音に気付いたのはごく一部。禁煙席で翌日の施工予定表を見直していた大天狗は、怪訝な顔でブースの天井を見上げた。

「ふんっ。勝手なことをしおってからに……」

 天狗が守る神山に、一度ならず二度も人を運び入れるとは、本来なら許すまじ所業。隠り世ならば大天狗の力をもって処罰を行うところだろう。だがここは常世、神からその権限を与えられしものの裁きに従うが道理。

 頭上で移動を続ける物音から意識を離し、その両目を閉じる。自分には関係ないと、狭いフラットシートに身体を横たえた現場監督はブランケットを被り直した。

 まるで挑発しているかのように天井裏で騒ぎ始めたあやかしの気配に、白井は頭の狐耳をぴんとそば立てていた。尻から生えている白銀の長い尻尾は苛立ちから落ち着きなく揺れている。建物中に張り巡らせた妖気で、かのあやかしの動きを見張っていた。不本意だったが、変幻の一部を解かないことにはこの規模の妖術を駆使できない。

「俺がいいと言うまで厨房からは出るな。いいか、河童がちゃんと見張ってろ」

 頭上から聞こえてくる轟音と、白狐が発する妖力の大きさに河童は怯えているのか、千咲の脚にがっしりとしがみついていた。白井からの命令には、首を激しく上下して頷き返している。

 ひっきりなしに聞こえてくる、ガラガラと車輪を走らせるような騒々しい音。初めは遠くに聞こえていた音は、すぐ真上まで来たかと思うと、また離れていく。建物の天井全てを自在に走り回って、何かを探っているようだった。

「出口を探してるんでしょうか?」
「おそらくな」

 千咲も河童と同様に怯えているべきなのだろうが、どうにも白井のモフ耳と尻尾が余計な緊張感を消し去ってしまい、意外と冷静でいられた。フワフワの尻尾が揺れる度、触りたい衝動に駆られてしまうが、さすがにそれは白井の逆鱗に触れるのは分かっている。半端な変幻姿を恥じているのか、あまり目を合わせようとしない白井のぎこちない表情もまた新鮮だ。普段は化け狸のケモ耳姿をあざ笑っている側だから、同じ半端な姿を晒すのはプライドが許さないのだろうか。

 毛並みとボリューム感は圧倒的に白井の方がモフモフレベルが高い。たまにしかお目にかかれないのは残念でならない、なんてことは恐ろし過ぎて本人には言える訳がないが。

「暴れているのは、何のあやかしなんですか?」

 随分前から白井はその正体に気付いているようだった。分かっていたからこそ、日中には動きがないと踏んでいたのだろう。

「輪入道という、火炎系のあやかしだ」
「輪入道……火のついた車輪に顔がある妖怪でしたっけ?」

 「そうだ」と無言で頷き返すと、白井は厨房を出てエントランスへと向かう。そろそろ出口がここだけだと気付いたらしく、頭上で動く音が徐々に近付いてきていた。
 千咲は脚にしがみついたままの河童を促して、厨房の入り口からその様子を覗った。

 フロント前の天井裏で何周か走り回る音が続いた後、ドスンという重い物が落ちてくる音と共に、そのあやかしは姿を現した。
 大きさはダンプトラックのタイヤくらいだろうか、太い大型の車輪が炎に包まれている。煌々と燃えるその中央には彫りが深く荒々しい老爺の顔。その表情は苛立ちと怒りに満ちていて、まさに鬼の形相だった。

 燃え盛る炎に囲まれた輪入道の顔を、白井はキッと睨みつける。

「ここで好き勝手ばかりしやがって、許されると思うな」
「人の子を、ちょっと驚かせただけの何が悪いんじゃ」

 輪入道の低く枯れた声がエントランスに響き渡る。轟々と燃える車輪の炎は見た目ほど熱くはない。実際の炎ではなく妖気が具現化したものだろうか。

「ちょっと、だとぉ?」

 白井のムッとした声。ほんの悪戯心で、寝ていた人間を何キロもの距離を移動させたというのか。今回は運よく二人ともすぐに車道に出れたから良かったものの、山中で迷い戻って来れなくなったかもしれないのだ。

「あやかしが人を脅かすことで、人々の神仏への信仰心が保たれるんじゃ。ワシはその手伝いをしたまでのこと。狐ごときに怒られる筋合いはないわい」

 威嚇するかのごとく、輪入道の炎が一段高く燃え上がる。

「ワシらの姿が見えんやつばかりのこの常世は間違っておる。人の信仰心を呼び戻そうとして何が悪い」

 自らの信念に乗っ取っての行動だと、輪入道は一歩も引かない。それに対し、白井はハァと呆れた溜め息を吐いた。

「ここは人の世だ。人のことわりは人が作ればいい。あやかしの理を通したければ、あやかしの世に戻ればいいだけだ」
「隠り世へ帰れとな? 帰らんぞ、絶対に帰らん! ワシはここに残って、人の間違いを正すんじゃ」

 轟々と燃え盛る炎に、輪入道の顔が完全に隠れ切ってしまう。話していても埒が明かないと考えたのだろう、白井に向かって体当たりしようとその車輪を回転させて突進してくる。広くはないカウンター前で、白井はギリギリのところで避けると、白銀の尻尾をふわりと揺らした。

 厨房から覗き見ていた千咲には、軽やかに飛び避けた白井の尻尾が、蕾から花が開くかのように四方へ何本も広がるのが見えた。全部で九本に増えた尻尾がゆらゆらと揺れている。――九尾の狐だ。

「稲荷神はお前がここに残ることを望んではおられん。失せろ!」

 九尾となった白井は、何度も突進してくる車輪を軽い身のこなしで避け続ける。まるで相手にもならないといいたげに、顔には薄い笑みを浮かべながら。

 「おのれぇ」と低い唸り声を上げて、炎の車輪はさらに一段と火力を増加させる。けれど、次の瞬間に己の目の前に現れ出た光景にたじろぐ。九尾を持つ男が、その両の手の上で操っているものに気がついたのだ。

「お、鬼火……」

 左右の手の上に掲げた青白い炎の塊。火炎に包まれた己の身でも瞬時に焼き尽くしてしまうと言われている、妖狐の炎。それを操る狐の噂は耳にした覚えがあった。まさか目の前のこいつが――。
 勝てる相手ではないと悟ったのか、輪入道はその炎を最小まで抑え、「もう好きなようにせい」と呟くと車輪の動きを止めた。

 白井はチッと不満げに舌打ちしてから鬼火を消すと、二本の指で空を切って境界線を開く。「いけ」と短く命じて顎で促し、輪入道をその境界の向こうにある世――隠り世へと送り返した。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

百合系サキュバス達に一目惚れされた

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

イケメン政治家・山下泉はコメントを控えたい

どっぐす
キャラ文芸
「コメントは控えさせていただきます」を言ってみたいがために政治家になった男・山下泉。 記者に追われ満を持してコメントを控えるも、事態は収拾がつかなくなっていく。 ◆登場人物 ・山下泉 若手イケメン政治家。コメントを控えるために政治家になった。 ・佐藤亀男 山下の部活の後輩。無職だし暇でしょ?と山下に言われ第一秘書に任命される。 ・女性記者 地元紙の若い記者。先頭に立って山下にコメントを求める。

鬼と私の約束~あやかしバーでバーメイド、はじめました~

さっぱろこ
キャラ文芸
本文の修正が終わりましたので、執筆を再開します。 第6回キャラ文芸大賞 奨励賞頂きました。 * * * 家族に疎まれ、友達もいない甘祢(あまね)は、明日から無職になる。 そんな夜に足を踏み入れた京都の路地で謎の男に襲われかけたところを不思議な少年、伊吹(いぶき)に助けられた。 人間とは少し違う不思議な匂いがすると言われ連れて行かれた先は、あやかしなどが住まう時空の京都租界を統べるアジトとなるバー「OROCHI」。伊吹は京都租界のボスだった。 OROCHIで女性バーテン、つまりバーメイドとして働くことになった甘祢は、人間界でモデルとしても働くバーテンの夜都賀(やつが)に仕事を教わることになる。 そうするうちになぜか徐々に敵対勢力との抗争に巻き込まれていき―― 初めての投稿です。色々と手探りですが楽しく書いていこうと思います。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

降りしきる雪をすべて玻璃に~大正乙女あやかし譚~

遠野まさみ
キャラ文芸
時は大正時代。 人ならざるものが視える子爵家の長女・華乃子は、その視える『目』により幼い頃から家族や級友たちに忌み嫌われてきた 実家に居場所もなく独り立ちして出版社に勤めていた華乃子は、雪月という作家の担当になる。 雪月と過ごすうちに彼に淡い想いを抱くようになるが、雪月からは驚愕の事実を知らされて・・・!? 自らの不幸を乗り越えて、自分の居場所を探して懸命に生きるヒロインのお話。 第5回キャラ文芸大賞にエントリー中です。よろしくお願い致します。 表紙イラスト:ひいろさま タイトル文字:れっこさま お二方、ありがとうございます!

化想操術師の日常

茶野森かのこ
キャラ文芸
たった一つの線で、世界が変わる。 化想操術師という仕事がある。 一般的には知られていないが、化想は誰にでも起きる可能性のある現象で、悲しみや苦しみが心に抱えきれなくなった時、人は無意識の内に化想と呼ばれるものを体の外に生み出してしまう。それは、空間や物や生き物と、その人の心を占めるものである為、様々だ。 化想操術師とは、頭の中に思い描いたものを、その指先を通して、現実に生み出す事が出来る力を持つ人達の事。本来なら無意識でしか出せない化想を、意識的に操る事が出来た。 クズミ化想社は、そんな化想に苦しむ人々に寄り添い、救う仕事をしている。 社長である九頭見志乃歩は、自身も化想を扱いながら、化想患者限定でカウンセラーをしている。 社員は自身を含めて四名。 九頭見野雪という少年は、化想を生み出す能力に長けていた。志乃歩の養子に入っている。 常に無表情であるが、それは感情を失わせるような過去があったからだ。それでも、志乃歩との出会いによって、その心はいつも誰かに寄り添おうとしている、優しい少年だ。 他に、志乃歩の秘書でもある黒兎、口は悪いが料理の腕前はピカイチの姫子、野雪が生み出した巨大な犬の化想のシロ。彼らは、山の中にある洋館で、賑やかに共同生活を送っていた。 その洋館に、新たな住人が加わった。 記憶を失った少女、たま子。化想が扱える彼女は、記憶が戻るまでの間、野雪達と共に過ごす事となった。 だが、記憶を失くしたたま子には、ある目的があった。 たま子はクズミ化想社の一人として、志乃歩や野雪と共に、化想を出してしまった人々の様々な思いに触れていく。 壊れた友情で海に閉じこもる少年、自分への後悔に復讐に走る女性、絵を描く度に化想を出してしまう少年。 化想操術の古い歴史を持つ、阿木之亥という家の人々、重ねた野雪の過去、初めて出来た好きなもの、焦がれた自由、犠牲にしても守らなきゃいけないもの。 野雪とたま子、化想を取り巻く彼らのお話です。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

ようこそ猫カフェ『ネコまっしぐランド』〜我々はネコ娘である〜

根上真気
キャラ文芸
日常系ドタバタ☆ネコ娘コメディ!!猫好きの大学二年生=猫実好和は、ひょんなことから猫カフェでバイトすることに。しかしそこは...ネコ娘達が働く猫カフェだった!猫カフェを舞台に可愛いネコ娘達が大活躍する?プロットなし!一体物語はどうなるのか?作者もわからない!!

処理中です...