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第九話・オーダーラッシュ
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スタッフルームで制服に着替えると、千咲は狭い部屋の片隅に設置された洗濯機から、乾燥し終わったばかりの中身を取り出した。ダスターやタオル、ブランケットなどがごちゃ混ぜになった物を両腕に抱えて、フロントへと持ち運んでいく。
「あ、洗濯してたの、忘れてたー。鮎川さん、ごめーん」
「いいよ。ついでだったし」
夕勤の女子大生、佐倉美里がまだホカホカと暖かい洗濯物を慌てて受け取ると、カウンターの上で畳み始める。几帳面に端と端をきっちり揃えてタオルを積み上げている佐倉は、学生バイトの中では一番愛想はいいが、ちょっと抜けているところがある。
彼女がバッシングした後を覗けば、必ずと言っていいほどブース内に何かの用具を落としているし、料理を運ぶ際は箸やスプーンを添え忘れていたりする。調理も付け合わせのパセリをトッピングし忘れているくらいならクレームにはならないが、定食の味噌汁が無ければさすがに速攻で内線が鳴り響く。それでも長くバイトを続けていられるのは、客の大半が若い男性だからだろうか。「すみませーん」と上目遣いに謝られたら、誰でもすぐに許してしまうのだ。ぽやんとした癒し系こそ最強なのかもしれない。
事務スペースでタイムカードを押してから連絡ノートに目を通していると、いつの間に来ていたのか、白井が怪訝な顔で千咲のことを見下ろしていた。
「……あやかしの匂いがする」
会って早々、千咲の首筋に鼻を近付けてクンクンと嗅いでくる。不意打ちの急接近に、驚いて後ずさりするが、狭小空間だから逃げ場がない。無遠慮に髪の匂いも嗅ごうとする白井の横腹を、千咲はどんと力いっぱい押し退けた。
「白井さん、それはセクハラです!」
「ち、違う! 鮎川からあやかし婆の匂いがするからだ」
「匂い?! そういうこと言うのも、デリカシー無いです!」
顔を見るなり睨まれるのも嫌だが、いきなり匂いを嗅がれるのはもっと勘弁して欲しい。至近距離で直視できるほど、千咲に異性への免疫はなかった。正体は狐だろうが何だろうが、仮にも今は成人男性の姿をしているのだから、同意なき接触はセクハラでしかない。その上、女子に向かって匂いだなんて失礼極まりない……。
――匂いが気になって嗅ぎまわるなんて、まるで犬みたい。あ、狐もイヌ科だったっけ?
冷静を保てる距離を取りつつ、千咲は先日に遭遇した異形のことを白井に話した。
「そう言えば、マンションの下でお婆さんに追いかけられました。腕に目がいっぱいあって、めちゃくちゃ怖かったです」
「ああ、百目婆か。良かったな、食われなくて」
「く、食わ……?!」
目を剥いて驚く千咲のことを、白井は意地悪そうに笑ってみている。これはセクハラ扱いを受けた仕返しだろうか。意外と大人げない。
「あいつらが人に近付く目的なんて、食うか憑りつくかのどっちかだ」
もし昨日、護符を持っていなかったら、今頃どうなっていたかと考えるとゾッとする。食べられるのも、憑りつかれるのもどっちも勘弁だ。そんな二択はいらない。
料理のオーダーだろうか、内線電話が鳴り出したので、話しの途中で白井は対応の為にとフロントへ出ていってしまう。
いつの間にか私服姿に戻った佐倉達、夕勤メンバーが「お疲れ様でーす」と三人で固まってエントランスを出ていく。これから皆でカラオケに行くんだとはしゃいでいるのを、千咲はぎこちない笑顔を張り付けながら見送った。
大学3回生の佐倉は、短大を卒業したばかりの千咲とは同じ歳だ。顔を合わせる度、いつも自分の余裕のなさを痛感してしまう。短大卒業後もいつまで経っても就職先が決まらないでいた千咲に対して、これからようやく就活を始めようかという佐倉。明るい髪色がまだ許される時期なのだ。大卒という肩書が羨ましくないと言ったらウソになる。
さらに、いろいろ妥協の上で何とか就職が決まったものの、正社員ではなくて時給で働く契約社員なのだからつい負い目を感じてしまう。愛嬌のある佐倉のことだ、あっという間に就職先を決めてしまうのだろう。
「背中を丸めるな。変なのに憑りつかれるぞ」
受けたばかりの注文伝票を、白井が千咲の顔の前に突き出してくる。これは作れということなのだろうと、素直に受け取ってから厨房へと移動する。後ろ向きな気分も、仕事して動き回っていれば、すぐにどうでもよくなるはずだ。
伝票を確認して、少しばかりギョッとする。ライス大盛りのカツカレーとラーメン、ベーコンエッグサンド、ポテト&ナゲット。一人で食べる夜食にしてはかなり多い。一緒に来た人の分もまとめて注文したとかだろうか?
業務用の冷凍食品とレトルトでの調理が基本だから、これくらいの量なら千咲一人でも大丈夫だ。一年も働いていれば、マニュアルを見なくても大概のレシピは頭に入っていた。フライヤーでカツとポテトとナゲットを同時に揚げている間、ホットサンド用のパンをトーストしつつ、小鍋でラーメンを茹でる。一番手間がかかるベーコンエッグを焼いていると、完成した料理から順に白井がブースへ運んでいってくれ、どの料理も出来立てで提供することができたはずだ。
焼きあがったばかりの卵を香ばしい焼き色のついた厚切りパンに乗せて、からしマヨネーズとケチャップをかけて挟む。それを斜めに三等分してから皿に盛りつけ、付け合わせにポテトチップスを添える。おしぼりと一緒にトレーに乗せた物を戻って来た白井に預け、千咲は使ったばかりの調理器具を片づけていた。
と、食洗機の蓋を閉めたタイミングで、フロントの内線が再び鳴り出した。
「はい、フロントでございます」
駆け寄って電話に出た際、電話脇のメモ用紙に内線番号を記入する。35番、禁煙席のリクライニングシートの番号だ。
「――かしこまりました、ご注文を繰り返させていただきますね。エビピラフ、オム焼きそば、ミートスパゲティですね。――はい、お作りさせていただきますので、少々お待ちください」
受話器を置いて、千咲はメモを見ながら受付端末を使って伝票を打ち出していく。そして、きょとんとしながら首を傾げた。
「あれ? さっきのも35番じゃなかったっけ?」
「あ、洗濯してたの、忘れてたー。鮎川さん、ごめーん」
「いいよ。ついでだったし」
夕勤の女子大生、佐倉美里がまだホカホカと暖かい洗濯物を慌てて受け取ると、カウンターの上で畳み始める。几帳面に端と端をきっちり揃えてタオルを積み上げている佐倉は、学生バイトの中では一番愛想はいいが、ちょっと抜けているところがある。
彼女がバッシングした後を覗けば、必ずと言っていいほどブース内に何かの用具を落としているし、料理を運ぶ際は箸やスプーンを添え忘れていたりする。調理も付け合わせのパセリをトッピングし忘れているくらいならクレームにはならないが、定食の味噌汁が無ければさすがに速攻で内線が鳴り響く。それでも長くバイトを続けていられるのは、客の大半が若い男性だからだろうか。「すみませーん」と上目遣いに謝られたら、誰でもすぐに許してしまうのだ。ぽやんとした癒し系こそ最強なのかもしれない。
事務スペースでタイムカードを押してから連絡ノートに目を通していると、いつの間に来ていたのか、白井が怪訝な顔で千咲のことを見下ろしていた。
「……あやかしの匂いがする」
会って早々、千咲の首筋に鼻を近付けてクンクンと嗅いでくる。不意打ちの急接近に、驚いて後ずさりするが、狭小空間だから逃げ場がない。無遠慮に髪の匂いも嗅ごうとする白井の横腹を、千咲はどんと力いっぱい押し退けた。
「白井さん、それはセクハラです!」
「ち、違う! 鮎川からあやかし婆の匂いがするからだ」
「匂い?! そういうこと言うのも、デリカシー無いです!」
顔を見るなり睨まれるのも嫌だが、いきなり匂いを嗅がれるのはもっと勘弁して欲しい。至近距離で直視できるほど、千咲に異性への免疫はなかった。正体は狐だろうが何だろうが、仮にも今は成人男性の姿をしているのだから、同意なき接触はセクハラでしかない。その上、女子に向かって匂いだなんて失礼極まりない……。
――匂いが気になって嗅ぎまわるなんて、まるで犬みたい。あ、狐もイヌ科だったっけ?
冷静を保てる距離を取りつつ、千咲は先日に遭遇した異形のことを白井に話した。
「そう言えば、マンションの下でお婆さんに追いかけられました。腕に目がいっぱいあって、めちゃくちゃ怖かったです」
「ああ、百目婆か。良かったな、食われなくて」
「く、食わ……?!」
目を剥いて驚く千咲のことを、白井は意地悪そうに笑ってみている。これはセクハラ扱いを受けた仕返しだろうか。意外と大人げない。
「あいつらが人に近付く目的なんて、食うか憑りつくかのどっちかだ」
もし昨日、護符を持っていなかったら、今頃どうなっていたかと考えるとゾッとする。食べられるのも、憑りつかれるのもどっちも勘弁だ。そんな二択はいらない。
料理のオーダーだろうか、内線電話が鳴り出したので、話しの途中で白井は対応の為にとフロントへ出ていってしまう。
いつの間にか私服姿に戻った佐倉達、夕勤メンバーが「お疲れ様でーす」と三人で固まってエントランスを出ていく。これから皆でカラオケに行くんだとはしゃいでいるのを、千咲はぎこちない笑顔を張り付けながら見送った。
大学3回生の佐倉は、短大を卒業したばかりの千咲とは同じ歳だ。顔を合わせる度、いつも自分の余裕のなさを痛感してしまう。短大卒業後もいつまで経っても就職先が決まらないでいた千咲に対して、これからようやく就活を始めようかという佐倉。明るい髪色がまだ許される時期なのだ。大卒という肩書が羨ましくないと言ったらウソになる。
さらに、いろいろ妥協の上で何とか就職が決まったものの、正社員ではなくて時給で働く契約社員なのだからつい負い目を感じてしまう。愛嬌のある佐倉のことだ、あっという間に就職先を決めてしまうのだろう。
「背中を丸めるな。変なのに憑りつかれるぞ」
受けたばかりの注文伝票を、白井が千咲の顔の前に突き出してくる。これは作れということなのだろうと、素直に受け取ってから厨房へと移動する。後ろ向きな気分も、仕事して動き回っていれば、すぐにどうでもよくなるはずだ。
伝票を確認して、少しばかりギョッとする。ライス大盛りのカツカレーとラーメン、ベーコンエッグサンド、ポテト&ナゲット。一人で食べる夜食にしてはかなり多い。一緒に来た人の分もまとめて注文したとかだろうか?
業務用の冷凍食品とレトルトでの調理が基本だから、これくらいの量なら千咲一人でも大丈夫だ。一年も働いていれば、マニュアルを見なくても大概のレシピは頭に入っていた。フライヤーでカツとポテトとナゲットを同時に揚げている間、ホットサンド用のパンをトーストしつつ、小鍋でラーメンを茹でる。一番手間がかかるベーコンエッグを焼いていると、完成した料理から順に白井がブースへ運んでいってくれ、どの料理も出来立てで提供することができたはずだ。
焼きあがったばかりの卵を香ばしい焼き色のついた厚切りパンに乗せて、からしマヨネーズとケチャップをかけて挟む。それを斜めに三等分してから皿に盛りつけ、付け合わせにポテトチップスを添える。おしぼりと一緒にトレーに乗せた物を戻って来た白井に預け、千咲は使ったばかりの調理器具を片づけていた。
と、食洗機の蓋を閉めたタイミングで、フロントの内線が再び鳴り出した。
「はい、フロントでございます」
駆け寄って電話に出た際、電話脇のメモ用紙に内線番号を記入する。35番、禁煙席のリクライニングシートの番号だ。
「――かしこまりました、ご注文を繰り返させていただきますね。エビピラフ、オム焼きそば、ミートスパゲティですね。――はい、お作りさせていただきますので、少々お待ちください」
受話器を置いて、千咲はメモを見ながら受付端末を使って伝票を打ち出していく。そして、きょとんとしながら首を傾げた。
「あれ? さっきのも35番じゃなかったっけ?」
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