夜勤の白井さんは妖狐です 〜夜のネットカフェにはあやかしが集結〜

瀬崎由美

文字の大きさ
上 下
8 / 45

第八話・百目婆

しおりを挟む
 特に眠くはないが、何だか身体はフワフワしている。世界全体が眩しく感じるからだろうか。夜勤を終えた完全な徹夜明けは、いつもの景色もどこか違って見えてくる。
 これから出勤していく会社員風の人達が、まだ眠そうに欠伸をこらえた顔でバス停に並んでいるのを横目に、千咲は自販機で買ったコーンスープで指先を温めながら歩いていた。足早に駅に向かう周囲の様子を他人事のように眺めながら、ゆっくりと改札への階段を昇っていく。

 これまでとは真逆の生活時間。今から帰ってシャワーを浴びて、それから寝るとなれば目が覚めるのは何時だろう。世の中の流れとは逆行しているみたいで、ちょっと気分がいい。徹夜明けのおかしなテンションのまま、千咲は自宅の最寄り駅まで帰ってきた。

 通っていた短大からはたった二駅の距離。進学を機に一人暮らしを始めてから二年半、駅から続く大通りにはまだ一度も入ったことが無い店もたくさんある。そういった面ではまだまだ遊び足りないなと思うことがある。

 学生向けのワンルームマンションが多いこのエリアからは、無事に試用期間が終わった後にでも引っ越すつもりでいた。マンションの一階にコンビニが入っていて、周辺が深夜でも騒がしいのが嫌だった。でも、千咲自身が夜中に家に居ないのなら、別にそれももうどうでも良くなってきた。

 ――んー、でも、近くに大きいスーパーが無いんだよね、この辺。

 駅前にある小綺麗なスーパーは総菜やアルコールの品揃えはいいが、普段使いにはちょっと割高だ。もう学生じゃないんだからと実家から仕送りを打ち切られて以降、どうも敷居が高くて入り辛い。社員になったといっても時給で働く契約社員。そんな贅沢をする余裕はない。

 ――日用品は店の近くのドラッグストアで何とかなってるけど、肝心の食料品が……。あ、わざわざ引っ越さなくても、他のスーパーに行けるように自転車があればいいんだ。あれ、自転車って、いくらくらいするんだろ?

 ちょうどすれ違った自転車を羨まし気に横目で眺める。朝の澄み切った空気の中を颯爽と走るのは気持ちが良さそうだ。そんなことを考えている内に、見慣れたコンビニの看板が視界に入ってくる。

 マンションの建物の脇にある玄関アーチを潜りかけた時、コンビニの置き看板の横で、背を丸めて立っていた和装の小柄な老女と目が合った。背筋に冷たい物が走ったように、身体中がゾクッと震える。明らかに異様な雰囲気を漂わせた老女は、薄汚れた古い着物の裾を引きずりながら、千咲の元へと近付いて来る。

 コンビニの前で煙草を吸っている客もいたが、彼には老婆の姿は視えていないみたいだ。歩道を通る人も気にする様子はない。その異形が視えているのは千咲ただ一人。

 裸足で歩くペタペタという足音が、千咲の後ろに迫り寄る。ちらりと振り返り見れば、艶の無い髪を振り乱した老婆が恨めし気なじっとりとした視線で、千咲を捕まえようと黒ずんだ腕を伸ばしていた。そのこちらに向かって伸ばされている腕には、生気のない無数の眼。まるで鱗のように、腕の表皮にびっしりと並んでいる。明らかに人外だ。その老女の全ての眼が千咲の方を見ているのだ。

 恐怖で声が出ない。たとえ助けを求めたところで、これが視えているのはおそらく自分だけ。脚がもつれそうになりながら、千咲は必死で駆けだした。睡眠不足のせいか、思う通りに足に力が入らない……。

 だが不思議なことに、身体中に眼を持つ老婆が三歩離れた距離以上を近付いてくる気配はなかった。千咲との間に、何か視えない壁でもあるかのように。これは白井から手渡された護符の魔除けの効果なんだろうか。

 急いで階段を駆け上がり、三階にある自宅に飛び込んだ後、そっとドアスコープから外の様子を覗いてみる。そして、ドアの向こうに誰もいないことを確認すると、千咲はふぅっと肩で息を吐いて深呼吸した。まだ心臓がバクバクと早鳴っている。

 白井が言っていたタチの悪い物というのは、さっきのみたいなのだろうか。視えなかったとはいえ、いつもあんなものを連れて歩いていたのかと思うと、ゾッと背筋が凍りつく。昨日までの自分の能天気さに呆れてしまう。

 驚きと恐怖と睡眠不足が重なったせいだろうか、シャワーも浴びずに千咲はベッドへと倒れこんだ。いろんなことが一度に起こり過ぎて、今は何をする気力も出ない。疲れ切った頭も身体も、ただただ休めたい。
 護符を入れたスマホケースをぎゅっと握りしめながら、千咲は深い眠りについた。


 枕の横で転がっていたスマホがLINEの通知を知らせる音で、千咲はビクっと全身を震わせて飛び起きる。耳のすぐ真横で鳴り続けている通知は、どうせグループLINE内でスタンプ合戦にでもなっているんだろう。煩わしいとマナーモードに切り替えてから枕の下に突っ込む。

「……もうちょっとだけ、寝かせてよぉ」

 カーテンの隙間からは少しオレンジがかった夕日が差し込んでいる。思ったよりも長く寝てしまったと、ベッドの中で両腕を伸ばした。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

鬼の御宿の嫁入り狐

梅野小吹
キャラ文芸
▼2025.2月 書籍 第2巻発売中! 【第6回キャラ文芸大賞/あやかし賞 受賞作】  鬼の一族が棲まう隠れ里には、三つの尾を持つ妖狐の少女が暮らしている。  彼女──縁(より)は、腹部に火傷を負った状態で倒れているところを旅籠屋の次男・琥珀(こはく)によって助けられ、彼が縁を「自分の嫁にする」と宣言したことがきっかけで、羅刹と呼ばれる鬼の一家と共に暮らすようになった。  優しい一家に愛されてすくすくと大きくなった彼女は、天真爛漫な愛らしい乙女へと成長したものの、年頃になるにつれて共に育った琥珀や家族との種族差に疎外感を覚えるようになっていく。 「私だけ、どうして、鬼じゃないんだろう……」  劣等感を抱き、自分が鬼の家族にとって本当に必要な存在なのかと不安を覚える縁。  そんな憂いを抱える中、彼女の元に現れたのは、縁を〝花嫁〟と呼ぶ美しい妖狐の青年で……?  育ててくれた鬼の家族。  自分と同じ妖狐の一族。  腹部に残る火傷痕。  人々が語る『狐の嫁入り』──。  空の隙間から雨が降る時、小さな体に傷を宿して、鬼に嫁入りした少女の話。

おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜

瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。 大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。 そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。

毒小町、宮中にめぐり逢ふ

鈴木しぐれ
キャラ文芸
🌸完結しました🌸生まれつき体に毒を持つ、藤原氏の娘、菫子(すみこ)。毒に詳しいという理由で、宮中に出仕することとなり、帝の命を狙う毒の特定と、その首謀者を突き止めよ、と命じられる。 生まれつき毒が効かない体質の橘(たちばなの)俊元(としもと)と共に解決に挑む。 しかし、その調査の最中にも毒を巡る事件が次々と起こる。それは菫子自身の秘密にも関係していて、ある真実を知ることに……。

あまりさんののっぴきならない事情

菱沼あゆ
キャラ文芸
 強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。  充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。 「何故、こんなところに居る? 南条あまり」 「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」 「それ、俺だろ」  そーですね……。  カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

【完結】神々の薬師

かのん
キャラ文芸
 神々の薬師は、人に顔を見せてはいけない。  何故ならば、薬師は人であって人ではない存在だから。  選ばれたものらは、自らの願いを叶えた対価として、薬師へと姿を変える。  家族や親しい人ら、そして愛しい人からも自分の記憶は消えるというのに、それでも叶えたい願いとは何だったのか。それすらも、もう遠い記憶。  これは一人の神々の薬師の少女が織りなす物語。

キャンプに行ったら異世界転移しましたが、最速で保護されました。

新条 カイ
恋愛
週末の休みを利用してキャンプ場に来た。一歩振り返ったら、周りの環境がガラッと変わって山の中に。車もキャンプ場の施設もないってなに!?クマ出現するし!?と、どうなることかと思いきや、最速でイケメンに保護されました、

【完結】出戻り妃は紅を刷く

瀬里
キャラ文芸
 一年前、変わり種の妃として後宮に入った気の弱い宇春(ユーチェン)は、皇帝の関心を引くことができず、実家に帰された。  しかし、後宮のイベントである「詩吟の会」のため、再び女官として後宮に赴くことになる。妃としては落第点だった宇春だが、女官たちからは、頼りにされていたのだ。というのも、宇春は、紅を引くと、別人のような能力を発揮するからだ。  そして、気の弱い宇春が勇気を出して後宮に戻ったのには、実はもう一つ理由があった。それは、心を寄せていた、近衛武官の劉(リュウ)に告白し、きちんと振られることだった──。  これは、出戻り妃の宇春(ユーチェン)が、再び後宮に戻り、女官としての恋とお仕事に翻弄される物語。  全十一話の短編です。  表紙は「桜ゆゆの。」ちゃんです。

処理中です...