夜勤の白井さんは妖狐です 〜夜のネットカフェにはあやかしが集結〜

瀬崎由美

文字の大きさ
上 下
5 / 45

第五話・ずっと感じていた違和感

しおりを挟む
 最寄り駅の終電時刻を過ぎると、電車を逃した客が宿泊施設代わりにやってくる。駅前にはビジネスホテルもあるが、朝まで過ごすのにネットカフェの方が財布に優しいのだろう。
 アルコールの匂いをぷんぷんと漂わせ、覚束ない足取りの客がドリンク入りグラスをひっくり返すことも珍しくはない。エナジー系ドリンクでベタベタになった床を、千咲は汗だくになりながらモップ掛けしていた。

 利用客の半数は就寝中なのだろうか、トイレやドリンクバーに立ち寄る人影はまばらだったが、ネットやコミックス目的で来店している人は一晩中起きていて、夜中だろうが何かしら内線電話が鳴ることがあり、一向に気が抜けない。

 初めての夜勤で気が張っていることもあり、日付が変わった後も千咲は普段以上に店内を動き回っていた。昼間とは違って夜勤にはオーダーストップ後のメンテナンス作業がある。ドリンクバーの機械の分解洗浄やフライヤーの油交換など、深夜にしかできない業務は意外と多い。

 一連の作業を白井と分担してこなしながら、千咲は先ほど目撃した現象を頭の中で整理しようとしていた。さっき事務スペースにいた大きな狐は間違いなく先輩社員の白井で、彼はあやかしの白狐だと言っていた。さらにはあの中森店長のことを化け狸だとも。
 彼らが人ではないというのは勿論驚いたが、それと同じくらい様々なことが一気に腑に落ちていく。

 ――いつも感じていた違和感や視線は、気のせいじゃなかったんだ。

 特別何かが視えるという訳でもないのに、妙に何かを感じることがある。何故か他とは違う気がする、何か違和感がある、変に気になる。その程度の軽いものだったが。これまでその微妙な感覚を、誰かに共感してもらえたことは一度もなかった。でも、その何かにはちゃんと理由があったのだ。

「いつ会っても、お前は何かを引き連れて歩いてるな」

 だからと言って、呆れ顔でそう言い放たれてショックを受けない人間はいないだろう。自分の傍にいつも何かがいたのかと想像すると、背筋が急に冷えてくる。

「ま、大した奴らじゃないから、追っ払うのは簡単だ」
「白井さんが、いつも私のことを睨んでくるのって――」
「ああ、妖力を込めて睨むだけで、大概の雑魚は逃げていく」

 白井から嫌われていてキツイ態度を取られていた訳でなかったとホッとしたものの、彼に追い払って貰えない時は無防備に何かに憑かれているのかと思うと、もう一生外に出ない方が良い気すらしてくる。いっそのこと、ネカフェ難民みたいにここに住んでしまえばいいのだろうか。知ってしまった以上、これまでと同じ生活は怖くてできない……。

 千咲の反応に、真実を伝えたことは軽率だったかもと白井は前髪をワシャワシャ掻いた。連れてるモノのほとんどが無害で、せいぜい肩が重く感じるとかその程度だと言いたかったのだが、安心させるどころか逆効果だったようだ。

「……仕方ないな。これでも持ってろ」

 フロント脇の壁、天井近くに目立たないように張られていた小さな紙をペリっと剥がして、それを千咲に手渡す。3センチ四方の白色の和紙、赤墨で文字と文様のようなものが描かれている。同じものを店内の他のところでも見かけたことがあり、何だろうと思っていつも見上げていたやつだ。

「稲荷神の護符だ。肌身離さず持ち歩いてろ」
「護符、ですか……」
「スマホケースにでも入れときゃいい」

 白井の雑な言い草に、千咲は思わず吹き出してしまう。神様の護符の扱いがあまりにも酷すぎる。
 稲荷神の力がこもっているという小さな護符はちょっとした魔除けなのだという。彼の言葉を素直に信じた千咲は、両掌で護符を挟んでから瞼を閉じ「どうか御守り下さい」と心の中で呟いた。

 そしてその後、ゆっくりと目を開いてから見えた光景に、絶句する。

 エントランスの自動ドアの上部。天井に近いところに、張り付くようにいる大きな蜘蛛。脚の長さを入れれば二メートル以上はあるかというサイズは勿論だが、その丸い身体の先にあるのは長い黒髪の女の顔だった。髪を垂らしながら、蜘蛛女がその大きな目でじっとこちらの方を見ているのだ。

「あっ、あれって、な、なん、何ですかっ?!」

 千咲が怯えながら指さす方向に視線を送ると、白井は意外だという風に蜘蛛女と千咲を交互に見比べていた。そして、納得したようにハンと鼻で笑う。

「護符の力で視えるようになったか。――あれは女郎蜘蛛だ」
「お、追い払わないんですか?」
「あいつはいつもあそこにいるだけだ。気にすんな」

 無害だ、と一言で片づけてから、白井は事務仕事の為にフロントの奥へと消えていく。無情にも、千咲はエントランスで大蜘蛛と二人きりにされてしまった。
 ちらっと蜘蛛の様子を覗ってみるが、女の頭部は今は全く別の方を向いていて、何かを食べているのか口元をもごもごと動かしているようだった。

 ――無害って、本当ですかぁ……?!

 女が食べているものが何なのか、これっぽっちも知りたいとは思わない。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

鬼の御宿の嫁入り狐

梅野小吹
キャラ文芸
▼2025.2月 書籍 第2巻発売中! 【第6回キャラ文芸大賞/あやかし賞 受賞作】  鬼の一族が棲まう隠れ里には、三つの尾を持つ妖狐の少女が暮らしている。  彼女──縁(より)は、腹部に火傷を負った状態で倒れているところを旅籠屋の次男・琥珀(こはく)によって助けられ、彼が縁を「自分の嫁にする」と宣言したことがきっかけで、羅刹と呼ばれる鬼の一家と共に暮らすようになった。  優しい一家に愛されてすくすくと大きくなった彼女は、天真爛漫な愛らしい乙女へと成長したものの、年頃になるにつれて共に育った琥珀や家族との種族差に疎外感を覚えるようになっていく。 「私だけ、どうして、鬼じゃないんだろう……」  劣等感を抱き、自分が鬼の家族にとって本当に必要な存在なのかと不安を覚える縁。  そんな憂いを抱える中、彼女の元に現れたのは、縁を〝花嫁〟と呼ぶ美しい妖狐の青年で……?  育ててくれた鬼の家族。  自分と同じ妖狐の一族。  腹部に残る火傷痕。  人々が語る『狐の嫁入り』──。  空の隙間から雨が降る時、小さな体に傷を宿して、鬼に嫁入りした少女の話。

おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜

瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。 大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。 そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。

あまりさんののっぴきならない事情

菱沼あゆ
キャラ文芸
 強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。  充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。 「何故、こんなところに居る? 南条あまり」 「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」 「それ、俺だろ」  そーですね……。  カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

【完結】神々の薬師

かのん
キャラ文芸
 神々の薬師は、人に顔を見せてはいけない。  何故ならば、薬師は人であって人ではない存在だから。  選ばれたものらは、自らの願いを叶えた対価として、薬師へと姿を変える。  家族や親しい人ら、そして愛しい人からも自分の記憶は消えるというのに、それでも叶えたい願いとは何だったのか。それすらも、もう遠い記憶。  これは一人の神々の薬師の少女が織りなす物語。

キャンプに行ったら異世界転移しましたが、最速で保護されました。

新条 カイ
恋愛
週末の休みを利用してキャンプ場に来た。一歩振り返ったら、周りの環境がガラッと変わって山の中に。車もキャンプ場の施設もないってなに!?クマ出現するし!?と、どうなることかと思いきや、最速でイケメンに保護されました、

【完結】出戻り妃は紅を刷く

瀬里
キャラ文芸
 一年前、変わり種の妃として後宮に入った気の弱い宇春(ユーチェン)は、皇帝の関心を引くことができず、実家に帰された。  しかし、後宮のイベントである「詩吟の会」のため、再び女官として後宮に赴くことになる。妃としては落第点だった宇春だが、女官たちからは、頼りにされていたのだ。というのも、宇春は、紅を引くと、別人のような能力を発揮するからだ。  そして、気の弱い宇春が勇気を出して後宮に戻ったのには、実はもう一つ理由があった。それは、心を寄せていた、近衛武官の劉(リュウ)に告白し、きちんと振られることだった──。  これは、出戻り妃の宇春(ユーチェン)が、再び後宮に戻り、女官としての恋とお仕事に翻弄される物語。  全十一話の短編です。  表紙は「桜ゆゆの。」ちゃんです。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

処理中です...