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第十四話・魔導師ケイン
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年の離れた同僚から送られて来た魔法紙を、しばらくは興味深く眺めていたマリス。それを目の前のソファーテーブルの上に広げると、紙に描かれた魔法陣を端から順に指でなぞっていく。緻密な紋様のようにも見える古代文字。その一文字一文字へと漏らさず魔力を注ぎ込む。
黒色のインクで記されているように見えた文字列は、魔女の魔力に反応して青色へと変わり、紙からジワジワと浮かび上がっていく。全ての文字をなぞり終えて魔法陣が青一色になったのを確認してから、マリスは魔法紙全体を覆うように魔力をもう一度重ねた。指先から取り込んだ魔法構造を己の身体に覚え込ませた次の瞬間、マリスの耳がキーンという耳鳴りのような高い音を拾った。
「やあ、無事に繋がったみたいだね。ごきげんよう、マリス」
まるで目前の席から語りかけられているかのような、はっきりとした男の声がホール内に響く。姿こそ見えないが、確かに彼の声はすぐ近くから聞こえている。声の主は分かっていた。北の辺境領にいる魔導師ケインだ。手紙に同封されていた魔法陣をマリスが起動したことで、遥か遠く離れた地にいる彼と繋がり、この東の辺境地にある屋敷へ声が届いているのだ。
マリスの傍らに控えていたリンダや侍女達が、何事かとキョロキョロと周りを見回している。声は聞こえるのに、誰もいない。しばらくはざわついていた使用人達も、マリスが平然と誰かに向かって話し掛けているのを見て、またお嬢様の仕業かとすぐに気にするのを止めたようだ。
この屋敷で怪奇現象的なことが起こる時は決まってマリスの魔法が関係しているのだ。それが分かっているから、屋敷勤めが長くなればなるほど、多少のことには動じなくなっていく。全ての不可思議はマリスに通じていると思っていれば間違いない。
「大成功ね、ケイン。ごきげんよう」
「まだ試作段階だから、いろいろと問題点はありそうだけどね。――ああ、さすがに魔力の消費量は半端ないな……」
姿が見えない男の、ふぅっという溜め息が聞こえてくる。複数の魔法を幾重にも重ねて繰り出し続けているから、この瞬間にも魔導師二人の魔力は大量に削られているのだ。
「そうね、省いても問題なさそうな箇所がいくつかあったから、それを試してみるとマシじゃないかしら。あと、互いに聞こえれば十分だから声の出力を最小にして――」
起動中の魔法陣を覗き込みながら、マリスは思いついた修正箇所をケインに伝えていく。会話しながら指で魔法陣をなぞって修正を加えていき、それによって得た反応を報告し合う。
「さすがだね、随分とマシになった気がするよ。けど、それでもまだ魔力はかなり消費されてしまうな」
魔法構造を手直しされたことで、ケインの声は受信者の耳にしか届かなくなる。そのまま話し続けていたマリスのことは、傍からは独り言を言っているように見えたことだろう。
「魔力が有り余ってる私達でないと、まともに使えないわね。それでももって10分かしら」
「いや、僕は10分も無理だよ。兎付きの限界は5分だ……」
そう言っているケインの声は、既に息が少し荒い。繋いでいる時間が長くなればなるほど、魔力は削られていき、身体は脱力感に襲われ、さらには意識が遠のいていく。所謂、魔力疲労状態になってしまう。
「そろそろ限界だ。また修正点があれば、次にお願いするよ」
「ええ、回復したら、また連絡して」
ごきげんよう、と再び声を掛け合うと、魔法陣から魔力を切り離す。青色に浮かび上がっていた古代文字の羅列は元の黒色へと戻っていった。
同僚魔導師との通信が切れた後も、マリスは魔法陣の書き換えを続けていた。後日にケインにも報告できるよう、構築し直した箇所のメモを取りながら、魔法紙を隅々まで確認していく。その様子はまるで新しい玩具を与えてもらった幼子のようだと、魔法陣に熱中している主に向かって、元乳母は呆れたように大きな溜め息を吐いていた。
――マリス様に普通の令嬢らしい幸せが訪れるのは、いつになることやら……。
守護獣付きの国家魔導師で、辺境領の結界管理という同じ任務に就いていることもあり、一回りも歳は違うがケインはマリスにとっては一番気の許せる同僚だった。
国家魔導師になったばかりでまだ任務先が決まっていなかったマリスは、王城の研究塔で既存魔法の複合を研究しているケインと出会った。
研究熱心で常に何かの書籍を抱えている彼の足元では、真っ白な兎がいつもピョンピョンと飛び跳ねていた。雪のように白い毛に火の魔石のような赤い目を持つ兎が彼の守護獣だった。
「君の守護獣は黒猫か。黒い毛ならローブに付いても目立たないからいいね」
国家魔導師の制服でもある黒ローブの裾に付いた白兎の毛を風魔法で払いながら、ケインはウンザリ顔で嘆いていた。
王都に来てから、猫付きのマリスのことを魔力量以外の理由で羨ましがる人に出会ったのは初めてだった。魔力の強さが物をいう場所で、猫を伴っている若い魔女は妬みの対象でしかなかったから。
研究塔でケインが構築する魔法は緻密でありながら大きく、発動には多くの魔力を必要とした。けれど、どれもがとても斬新で、マリスにとっては面白い物ばかりだった。王城の外周を馬のいない馬車を爆走させた時は、さすがに上官から叱られていたようだったが。
とにかく彼の閃きはいつも退屈しない。暇さえあればケインの研究を覗きに行き、一緒にあれやこれやと論議している内に、気付けばマリスもどっぷりと嵌められていた――魔法構築の沼へと。
互いに地元に戻って結界管理者となってからも、新しく考えた魔法を披露し合う関係はずっと続いている。試しに構築した魔法を自分と同じレベルで確実に再現してくれる相手はとても貴重な存在だ。
間違いなく、先程の通信魔法は並みの魔法使いでは発動することさえ難しいはずだ。
黒色のインクで記されているように見えた文字列は、魔女の魔力に反応して青色へと変わり、紙からジワジワと浮かび上がっていく。全ての文字をなぞり終えて魔法陣が青一色になったのを確認してから、マリスは魔法紙全体を覆うように魔力をもう一度重ねた。指先から取り込んだ魔法構造を己の身体に覚え込ませた次の瞬間、マリスの耳がキーンという耳鳴りのような高い音を拾った。
「やあ、無事に繋がったみたいだね。ごきげんよう、マリス」
まるで目前の席から語りかけられているかのような、はっきりとした男の声がホール内に響く。姿こそ見えないが、確かに彼の声はすぐ近くから聞こえている。声の主は分かっていた。北の辺境領にいる魔導師ケインだ。手紙に同封されていた魔法陣をマリスが起動したことで、遥か遠く離れた地にいる彼と繋がり、この東の辺境地にある屋敷へ声が届いているのだ。
マリスの傍らに控えていたリンダや侍女達が、何事かとキョロキョロと周りを見回している。声は聞こえるのに、誰もいない。しばらくはざわついていた使用人達も、マリスが平然と誰かに向かって話し掛けているのを見て、またお嬢様の仕業かとすぐに気にするのを止めたようだ。
この屋敷で怪奇現象的なことが起こる時は決まってマリスの魔法が関係しているのだ。それが分かっているから、屋敷勤めが長くなればなるほど、多少のことには動じなくなっていく。全ての不可思議はマリスに通じていると思っていれば間違いない。
「大成功ね、ケイン。ごきげんよう」
「まだ試作段階だから、いろいろと問題点はありそうだけどね。――ああ、さすがに魔力の消費量は半端ないな……」
姿が見えない男の、ふぅっという溜め息が聞こえてくる。複数の魔法を幾重にも重ねて繰り出し続けているから、この瞬間にも魔導師二人の魔力は大量に削られているのだ。
「そうね、省いても問題なさそうな箇所がいくつかあったから、それを試してみるとマシじゃないかしら。あと、互いに聞こえれば十分だから声の出力を最小にして――」
起動中の魔法陣を覗き込みながら、マリスは思いついた修正箇所をケインに伝えていく。会話しながら指で魔法陣をなぞって修正を加えていき、それによって得た反応を報告し合う。
「さすがだね、随分とマシになった気がするよ。けど、それでもまだ魔力はかなり消費されてしまうな」
魔法構造を手直しされたことで、ケインの声は受信者の耳にしか届かなくなる。そのまま話し続けていたマリスのことは、傍からは独り言を言っているように見えたことだろう。
「魔力が有り余ってる私達でないと、まともに使えないわね。それでももって10分かしら」
「いや、僕は10分も無理だよ。兎付きの限界は5分だ……」
そう言っているケインの声は、既に息が少し荒い。繋いでいる時間が長くなればなるほど、魔力は削られていき、身体は脱力感に襲われ、さらには意識が遠のいていく。所謂、魔力疲労状態になってしまう。
「そろそろ限界だ。また修正点があれば、次にお願いするよ」
「ええ、回復したら、また連絡して」
ごきげんよう、と再び声を掛け合うと、魔法陣から魔力を切り離す。青色に浮かび上がっていた古代文字の羅列は元の黒色へと戻っていった。
同僚魔導師との通信が切れた後も、マリスは魔法陣の書き換えを続けていた。後日にケインにも報告できるよう、構築し直した箇所のメモを取りながら、魔法紙を隅々まで確認していく。その様子はまるで新しい玩具を与えてもらった幼子のようだと、魔法陣に熱中している主に向かって、元乳母は呆れたように大きな溜め息を吐いていた。
――マリス様に普通の令嬢らしい幸せが訪れるのは、いつになることやら……。
守護獣付きの国家魔導師で、辺境領の結界管理という同じ任務に就いていることもあり、一回りも歳は違うがケインはマリスにとっては一番気の許せる同僚だった。
国家魔導師になったばかりでまだ任務先が決まっていなかったマリスは、王城の研究塔で既存魔法の複合を研究しているケインと出会った。
研究熱心で常に何かの書籍を抱えている彼の足元では、真っ白な兎がいつもピョンピョンと飛び跳ねていた。雪のように白い毛に火の魔石のような赤い目を持つ兎が彼の守護獣だった。
「君の守護獣は黒猫か。黒い毛ならローブに付いても目立たないからいいね」
国家魔導師の制服でもある黒ローブの裾に付いた白兎の毛を風魔法で払いながら、ケインはウンザリ顔で嘆いていた。
王都に来てから、猫付きのマリスのことを魔力量以外の理由で羨ましがる人に出会ったのは初めてだった。魔力の強さが物をいう場所で、猫を伴っている若い魔女は妬みの対象でしかなかったから。
研究塔でケインが構築する魔法は緻密でありながら大きく、発動には多くの魔力を必要とした。けれど、どれもがとても斬新で、マリスにとっては面白い物ばかりだった。王城の外周を馬のいない馬車を爆走させた時は、さすがに上官から叱られていたようだったが。
とにかく彼の閃きはいつも退屈しない。暇さえあればケインの研究を覗きに行き、一緒にあれやこれやと論議している内に、気付けばマリスもどっぷりと嵌められていた――魔法構築の沼へと。
互いに地元に戻って結界管理者となってからも、新しく考えた魔法を披露し合う関係はずっと続いている。試しに構築した魔法を自分と同じレベルで確実に再現してくれる相手はとても貴重な存在だ。
間違いなく、先程の通信魔法は並みの魔法使いでは発動することさえ難しいはずだ。
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