上 下
73 / 87

73.空の旅

しおりを挟む
 その日は川沿いを下流に向かって歩いているようだった。川の最下流は隣領シュコールの街中を流れていたはずだが、それは随分と先のこと。長い川のどこまでを辿るつもりなのかは先頭を歩く愛猫にしか分からない。

 枝をくぐり草を掻き分けて歩く森の中と、岩や砂利だらけの川縁と、どちらが楽かと聞かれても、おそらくは答えられない。どちらも歩き辛いのは同じだった。気を抜くとすぐにバランスを崩したり足を取られてしまう。

 出発したばかりのあの散策気分はどこへ消えてしまったのかと、葉月は肩で息をしていた。薬草と回復薬のおかげで身体の疲れはほとんど無い。けれど、身体を奮い立たせてくれていた物が日ごとに減っていく。目的地の分からない探索は精神的な疲労感を生み出していた。

 でも、この先にはくーが抱えている理由がある。ここの世界に来なければならなかった理由が。
 何も無いなんてことは、決して無いはずだ。

 二人を先導しながら歩く猫の後ろ姿に、気合いを入れ直す。この先の何かを見つけたところで、元の世界に帰れるとは限らない。けれど、何もしないよりはマシだ。

 俯きがちだった顔を上げ、前を向き直す少女の横顔に、ベルは眉を寄せて上空のオオワシに片手を上げて合図した。ブリッドはバサバサを羽音を立てて、どこかへ向かって飛んで行った。

「一旦、帰りましょう」
「みゃーん」

 魔女の言葉に猫も同意するように返事すると、驚いた表情の飼い主の足下に寄り添った。せっかく気合いを入れ直したのにと拍子抜けしている葉月だったが、無理して進む必要はないとベルは帰還を決意した。楽しめなくなった時点で帰ろうと最初から決めていた。
 その場でしばらく休んでいると、聞き慣れた羽音。見上げると、大きな鳥の影。どこかへ消えたブリッドが戻って来たようだ。

「え?」

 オオワシは二本の脚でしっかりとロープを握りしめていた。そのロープで支えているのは見覚えのある大きな木箱。そう、街との物品のやり取りに使っていた運搬用の箱で間違いない。

 彼女らの傍にそっとそれを降ろすと、ブリッドはベルに向かって一鳴きする。ご苦労様と頬を撫でて褒めて貰うと、ご機嫌で首を上下していた。

「さあ、乗って」
「え⁈」

 木箱の中に入るようにと背中を押され、葉月は目をぱちくりさせた。館を出たばかりの時に言っていたのは、冗談じゃなかったの? と。

「大丈夫よ。ブリッドは静かに飛ぶのは得意だもの」

 薬瓶を割らずに運べるくらいだ、安全飛行には違いない。でも……。戸惑う葉月の背中をぐいぐいと押すベル。くーも先に箱に乗り込んで、彼女が来るのを待っている。
 ってか、くーちゃんは自分で飛べるでしょ⁈

「べ、ベルさんは?」
「私も後で迎えに来てもらうから、心配ないわ」

 さすがに二人は乗れないわ、と楽しそうに笑っている。無理矢理に葉月を押し込むと、オオワシに出発を命じた。箱の淵に必死でしがみついている少女に手を振って見送る笑顔は、悪巧みした時のそれに近かった。

 オオワシに引っ張り上げられる木箱の中で、葉月は箱の淵を両手で掴んだ体勢のまま座り込んでいた。立って景色を眺める余裕なんてこれっぽっちも無い。くーは特に何も気にならない様子で、木箱の底で丸まっていた。

 さすがにブリッドの飛行にはブレが無く、たくさんの薬瓶を一つも割らずに運搬していただけはあった。あえて下を見なければ、それほど怖くはないと葉月が気づいた時にはすでに館の庭に着地した後だったが。
 丸二日掛けて歩いた距離も、ブリッドにかかればほんの十数分でしかなかった。

「ありがとう、ブリッド」
「ギギィ」

 庭で待ち受けていたマーサの手を借りて箱から出る。くーもぴょんと一飛びで庭に降りると、挨拶するようにマーサの足下に擦り寄った。箱に入って帰って来た葉月達へ特に驚いた様子もなかったので、マーサには慣れたことなのだろう。
 ブリッドはベルを迎えにすぐに元の場所へと飛び立っていった。

「おかえりなさいませ、葉月様。くーちゃん」
「ただいま。マーサさん」

 ブリッドが木箱を取りに戻って来てから、急いで食事の用意をしていたマーサだったが、葉月の様子を見る限り、食事よりも先にお風呂かしらと苦笑した。
 ほどなくして戻ったブリッドに運ばれて来たベルは、木箱の中で余裕の笑顔だった。契約獣と一緒に空を飛んだのは子供の頃以来だと、とても楽しそうだった。

「ただいま。マーサ!」

 この世界の魔女は箒には乗らないが、木箱で空を飛ぶ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

料理を作って異世界改革

高坂ナツキ
ファンタジー
「ふむ名前は狭間真人か。喜べ、お前は神に選ばれた」 目が覚めると謎の白い空間で人型の発行体にそう語りかけられた。 「まあ、お前にやってもらいたいのは簡単だ。異世界で料理の技術をばらまいてほしいのさ」 記憶のない俺に神を名乗る謎の発行体はそう続ける。 いやいや、記憶もないのにどうやって料理の技術を広めるのか? まあ、でもやることもないし、困ってる人がいるならやってみてもいいか。 そう決めたものの、ゼロから料理の技術を広めるのは大変で……。 善人でも悪人でもないという理由で神様に転生させられてしまった主人公。 神様からいろいろとチートをもらったものの、転生した世界は料理という概念自体が存在しない世界。 しかも、神様からもらったチートは調味料はいくらでも手に入るが食材が無限に手に入るわけではなく……。 現地で出会った少年少女と協力して様々な料理を作っていくが、果たして神様に依頼されたようにこの世界に料理の知識を広げることは可能なのか。

料理スキルで完璧な料理が作れるようになったから、異世界を満喫します

黒木 楓
恋愛
 隣の部屋の住人というだけで、女子高生2人が行った異世界転移の儀式に私、アカネは巻き込まれてしまう。  どうやら儀式は成功したみたいで、女子高生2人は聖女や賢者といったスキルを手に入れたらしい。  巻き込まれた私のスキルは「料理」スキルだけど、それは手順を省略して完璧な料理が作れる凄いスキルだった。  転生者で1人だけ立場が悪かった私は、こき使われることを恐れてスキルの力を隠しながら過ごしていた。  そうしていたら「お前は不要だ」と言われて城から追い出されたけど――こうなったらもう、異世界を満喫するしかないでしょう。

異世界でのんびり暮らしてみることにしました

松石 愛弓
ファンタジー
アラサーの社畜OL 湊 瑠香(みなと るか)は、過労で倒れている時に、露店で買った怪しげな花に導かれ異世界に。忙しく辛かった過去を忘れ、異世界でのんびり楽しく暮らしてみることに。優しい人々や可愛い生物との出会い、不思議な植物、コメディ風に突っ込んだり突っ込まれたり。徐々にコメディ路線になっていく予定です。お話の展開など納得のいかないところがあるかもしれませんが、書くことが未熟者の作者ゆえ見逃していただけると助かります。他サイトにも投稿しています。

【完結】転生少女は異世界でお店を始めたい

梅丸
ファンタジー
せっかく40代目前にして夢だった喫茶店オープンに漕ぎ着けたと言うのに事故に遭い呆気なく命を落としてしまった私。女神様が管理する異世界に転生させてもらい夢を実現するために奮闘するのだが、この世界には無いものが多すぎる! 創造魔法と言う女神様から授かった恩寵と前世の料理レシピを駆使して色々作りながら頑張る私だった。

異世界転生雑学無双譚 〜転生したのにスキルとか貰えなかったのですが〜

芍薬甘草湯
ファンタジー
エドガーはマルディア王国王都の五爵家の三男坊。幼い頃から神童天才と評されていたが七歳で前世の知識に目覚め、図書館に引き篭もる事に。 そして時は流れて十二歳になったエドガー。祝福の儀にてスキルを得られなかったエドガーは流刑者の村へ追放となるのだった。 【カクヨムにも投稿してます】

元ゲーマーのオタクが悪役令嬢? ごめん、そのゲーム全然知らない。とりま異世界ライフは普通に楽しめそうなので、設定無視して自分らしく生きます

みなみ抄花
ファンタジー
前世で死んだ自分は、どうやらやったこともないゲームの悪役令嬢に転生させられたようです。 女子力皆無の私が令嬢なんてそもそもが無理だから、設定無視して自分らしく生きますね。 勝手に転生させたどっかの神さま、ヒロインいじめとか勇者とか物語の盛り上げ役とかほんっと心底どうでも良いんで、そんなことよりチート能力もっとよこしてください。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。

BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。 辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん?? 私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?

処理中です...