今更だけど、もう離さない〜再会した元カレは大会社のCEO〜

瀬崎由美

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追加エピソード・発熱2

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 いつの間に眠ってしまったのだろう。瑞希は畳の上に直に横たわっていた半身を起こした。エアコンを点けていたとは言え、何も被らずに寝ていたせいで身体が冷えて強張っている。

「さむっ」

 両手で二の腕を擦りながら、自分の隣でまだ寝息を立てている拓也の様子をそっと伺った。小さな額に手を触れ、熱がかなり下がっていることに安堵する。一気に発熱した割に、下がるのは意外と早かったみたいだ。この調子なら明後日にはまた元気に保育園へ行けるかもしれない。

 時計を確認すると、もう夕方になっている。まだ身体中に寒気を感じながら、夕ご飯の支度をしようとキッチンへと向かった。今の拓也が食べられそうなのは麺類くらいだろうが、自分達の夕飯は何にしようかと冷蔵庫のドアに手を掛けかけた。

 と、目の前が一瞬だけ、ぐらりと揺れるような感覚。瑞希は冷蔵庫のドアへ咄嗟に両手をついて、倒れそうになる身体を支えた。ゾクゾクと背筋から冷えを感じるのに、顔だけが無性に熱い。喉の奥にも違和感を感じて、油断して寝落ちしてしまったことを全力で後悔した。気を張っていたつもりだったけれど、気力だけでは防ぎきれなかったみたいだ。

 回復の兆しが見えてきたと言っても、拓也がまた夜中にうなされる可能性はまだ残っている。今、母親である瑞希まで寝込んで、伸也にもうつしてしまうことになったら……。何としてでも、家族総倒れだけは避けたい。

 イガイガする喉で控えめに咳払いして、薬箱から見つけた風邪薬を服用する。飲み終わると、通勤用バッグから喉飴を袋ごと出してきて、その一個を口に含んだ。喉にくる風邪は接客業だとかなり辛い。出にくい声を絞り出して一日中喋り続けているから、治るものもなかなか治らない。この季節は喉飴が欠かせない。

 薬用の癖のある味で喉の違和感を誤魔化すが、キッチンカウンターに手をついて身体を支えた状態から、次の動きがままならなかった。ふらつきながらも何とか洗米して炊飯器に入れるのがやっとだ。

 夕飯の用意ができていないことを夫へ伝えようと、ソファーテーブルの上のスマホに手を伸ばした後、そのままソファーへと倒れ込んだ。


 カチャカチャと鳴る調理具と、ゴーっという換気扇の音に気付き、瑞希はぼんやりと目を開いた。身体を少し休めるつもりでソファーへダイブしたまでは覚えている。でも今、真上に見えているのは木目をあしらった和室用の照明器具。畳に敷かれた布団の上で、しっかりと掛け布団を被って横たわっていることに首を傾げる。
 押し入れから布団を出す気力なんて、残っていなかったはずなのに……。

「あ、ママが起きたみたいだから、拓也、ちょっと見てきてくれる?」

 ひそひそと小声で話す伸也の声。「あい」という元気いっぱいの返事をして、拓也がトタトタと駆け寄ってくる足音がする。
 よく見れば、拓也がお昼寝に使っていた子供布団は部屋の隅に畳んで積まれていた。熟睡していたのか、合間の記憶が全くない。

「マーマ」

 母が目を覚ましているのがよっぽど嬉しかったのか、瑞希の掛布団の上に拓也がごろんと寝転がってくる。顔色もすっかり良くなっていて、完全復活したみたいだ。

「コラ。ママはお熱なんだから、そっとしておいてあげなさい。――どう? 少しは良くなった?」

 拓也の後ろから様子を見に来た伸也は、とっくに私服へ着替えて、洗い物をしていたのか袖を腕まくりしていた。彼がいつ帰って来たのかさえ、瑞希にはさっぱり分からない。

「ビックリしたよ。帰ってきたら電気が点いてない真っ暗な中で拓也は遊んでるし、瑞希はソファーで青い顔して倒れてるし……」
「あ、この布団は伸也が敷いてくれたんだ?」
「うん。最初はベッドへ連れて行こうと思ったんだけど、さすがに寝室まで運ぶ自信がなかったから、そこで勘弁してもらった」
「運ぶ、って……え?」

 まさか肩にひょいと担がれた訳じゃないだろうだから、必然的にお姫様抱っこかと想像して、瑞希はカーっと頬を赤くする。赤面しているのを隠すように布団を目元まで引っ張り上げ、ちらりと伸也の方を盗み見た。

 「俺ももうちょっと鍛えないとなー」と肩に手を当てて腕をブンブン回している。伸也は休みの日の早朝に一人でジョギングすることもあり、室内でも簡単な筋トレをしている時もある。吉崎店長とは違って、ヒョロヒョロという訳ではない。それでもさすがにお姫様抱っこには苦戦したらしい。実際のところ、一般人にはお姫様だっこは難易度が高く、誰でもできるものじゃない。

「家のことも拓也の面倒も全部俺がやるし、明日は一日中寝てればいいよ。午前中にリモートでの打ち合わせが一件あるだけだし」
「ごめんね……ありがと」

 帰宅後の家の様子に急ぎでスケジュールを調整してくれたらしく、ダイニングテーブルの上にはノートパソコンが開いたままだ。朝に干しておいた洗濯物はリビングの隅に畳まれている。その少しいびつな畳み方に、瑞希は小さく笑みを漏らした。そこまで家事が得意ではない夫が、一生懸命にやってくれたことが何よりも嬉しい。

 一人で頑張らなくていいんだと思ったら安心したのか、瑞希は静かに目を閉じる。ぐっすり眠れば、風邪なんてすぐに良くなるはずだ。
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