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追加エピソード・悪夢
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クタクタに疲れ切った身体を気力だけで起こし、隣で眠っている拓也に気付かれないよう、そっと布団を出る。木造アパートの古くて狭い洗面所で身支度を整えてから、台所の一口コンロで湯を沸かしながら、ふとした瞬間には意識が飛んでしまう。疲労感と睡眠不足が日増しに精神を削り取っていくような気がした。仕事と子育て、何もかもを一人で背負う、この生活に終わりは来るのだろうか。
本音を言えば、たまには休みたい。仕事の無い平日に、子供を保育園に連れて行った後、一人でゆっくり過ごそうかという考えも横切るが、それはダメだと自分自身で否定する。拓也だって瑞希の公休日しか保育園を休むことができないのだ。子供だって通園しない日がないと辛いはず。
絶対に、子供のせいにはしない。拓也の存在を負担だとは思わない。一人で産むと決心した時に、自分の中でそう決めていた。
大丈夫、まだ限界じゃない。心の中で呪文のように繰り返す。
と、目覚めたばかりの拓也が、不安げに瑞希のことを呼ぶ声が耳に届く。
「マ、マぁ……」
すぐ真横からの現実的な声に、瑞希はハッと目を開いた。遮光カーテンで朝日が遮られた薄暗い室内。シミ一つ無い真っ白な天井が目に入って、ホッと胸を撫で下ろした。年季の入った木造の古アパートじゃなく、ここは伸也が用意してくれたマンションの寝室だ。畳に敷いた薄い布団じゃなく、スプリングの効いた柔らかなベッドに身体を横たえている。
とても懐かしい夢を見てしまった。再現度の高い光景に、あの頃のギリギリの心情まで蘇ってきて震えが止まらない。寝ぼけながらもしがみついてきた小さな息子の身体を、腕を伸ばしてぎゅっと抱きしめる。伝わってくる子供の体温が、不安感でいっぱいだった気持ちを和らげてくれるようだった。
「どうかした?」
「あ、おはよう。ちょっと寝ぼけてるみたい」
拓也の寝言に起きてしまったらしい伸也が、隣のベッドから首を上げて覗き込んでくる。寝室に元から用意されていたシングルベッド2台を引っ付けて、三人で川の字で眠るようになって久しいが、拓也の寝言や寝返りで伸也までも睡眠不足になっていないかが心配だ。
月ごとに催されるお誕生日会があったせいか、保育園から帰って来た後、拓也は夕飯を食べてる途中で眠り始めてしまった。拓也の誕生日月には瑞希も招待されて参観したが、お遊戯室に作られたステージの上で、他の学年の子達と一緒に並んでいた拓也は、頭に王冠を被せて貰って得意そうに笑っていた。
「安達拓也君は、二歳になりましたー。おめでとー」
手作りのマイクを片手に司会役の先生から紹介されると、両手をパチパチ叩いて自分自身をお祝いしていた。先生が「おめでとう」と言う度に周りが拍手しているのを見て覚えたのだろう。他の子が紹介された時も、満面の笑みで手を叩く。
きっと今日も、誰かの誕生日を全力の拍手でお祝いしてあげたのだろう。パジャマに着替えさせている間も、一向に起きる気配がない。
「お風呂は明日の朝かな」
「仕方ないね」
拓也と一緒に入るつもりでいた伸也は、残念そうに苦笑いしている。休日なら問題ないが、仕事のある朝に子供と風呂に入る余裕なんてない。早く帰宅できた日の楽しみが一つ減ったと肩を落とす。
子供を寝室のベッドへ寝かしつけて、瑞希が翌日の準備を終えた頃には、先に一人でシャワーを浴びた伸也がリビングに戻ってきて、首に掛けたタオルで髪を拭いていた。ソファーでテレビのニュースを観ていたが、消音にして字幕を目で追っている。
「明日も早く帰って来れるといいんだけどなぁ。来週は帰って来れない日も多いし」
「出張だっけ?」
「そう、九州支社に。まだ顔出してない支社がいくつかあるし、しばらくは出張が続くと思う」
そっか、と瑞希はソファーで夫の隣に深く腰掛ける。以前のアパートでの夢を見ることはあるが、伸也が傍にいてくれる状態がもう当たり前になっている。だから、数日でも会えない日が出来るのは、不安で仕方ない。
隣に来た妻の頭をくしゃっと撫でてから、伸也はキッチンへと向かった。点けっぱなしになっているテレビは、天気予報の映像に変わっている。一週間先までの天気を何とはなしに眺めていると、瑞希の目の前に湯気の立つマグカップが差し出された。
「ありがとう。ホットミルク?」
ふぅっと息を吹きかけてから一口だけ飲んでみる。温められたミルクは、少し甘い。
「あ、蜂蜜が入ってる」
「うん、少しだけ入れてみた」
「美味しい……」
カップに触れている指先からじんわりと熱を感じ、ミルクを飲むにつれ身体中がポカポカと温められていく。冬の気配を感じる肌寒くなった夜には、甘いホットミルクはとても幸せな飲み物だ。
飲み切って空になったカップをローテーブルに置いて、伸也は隣でカップを両手で支えている瑞希の顔を首を傾げて下から覗き込む。
「ちゃんとお土産は買ってくるから」
「うん、楽しみにしてる」
「でも、何でもデパートの物産展とかで大概は買えてしまうんだよなぁ」
「じゃあ、物産展では売ってなさそうなのを」
「……お土産のハードル、めちゃくちゃ高くない?!」
互いに視線を合わせ、笑い合う。こんな詰まらないやり取りでさえ、ただただ幸せだと思えた。
本音を言えば、たまには休みたい。仕事の無い平日に、子供を保育園に連れて行った後、一人でゆっくり過ごそうかという考えも横切るが、それはダメだと自分自身で否定する。拓也だって瑞希の公休日しか保育園を休むことができないのだ。子供だって通園しない日がないと辛いはず。
絶対に、子供のせいにはしない。拓也の存在を負担だとは思わない。一人で産むと決心した時に、自分の中でそう決めていた。
大丈夫、まだ限界じゃない。心の中で呪文のように繰り返す。
と、目覚めたばかりの拓也が、不安げに瑞希のことを呼ぶ声が耳に届く。
「マ、マぁ……」
すぐ真横からの現実的な声に、瑞希はハッと目を開いた。遮光カーテンで朝日が遮られた薄暗い室内。シミ一つ無い真っ白な天井が目に入って、ホッと胸を撫で下ろした。年季の入った木造の古アパートじゃなく、ここは伸也が用意してくれたマンションの寝室だ。畳に敷いた薄い布団じゃなく、スプリングの効いた柔らかなベッドに身体を横たえている。
とても懐かしい夢を見てしまった。再現度の高い光景に、あの頃のギリギリの心情まで蘇ってきて震えが止まらない。寝ぼけながらもしがみついてきた小さな息子の身体を、腕を伸ばしてぎゅっと抱きしめる。伝わってくる子供の体温が、不安感でいっぱいだった気持ちを和らげてくれるようだった。
「どうかした?」
「あ、おはよう。ちょっと寝ぼけてるみたい」
拓也の寝言に起きてしまったらしい伸也が、隣のベッドから首を上げて覗き込んでくる。寝室に元から用意されていたシングルベッド2台を引っ付けて、三人で川の字で眠るようになって久しいが、拓也の寝言や寝返りで伸也までも睡眠不足になっていないかが心配だ。
月ごとに催されるお誕生日会があったせいか、保育園から帰って来た後、拓也は夕飯を食べてる途中で眠り始めてしまった。拓也の誕生日月には瑞希も招待されて参観したが、お遊戯室に作られたステージの上で、他の学年の子達と一緒に並んでいた拓也は、頭に王冠を被せて貰って得意そうに笑っていた。
「安達拓也君は、二歳になりましたー。おめでとー」
手作りのマイクを片手に司会役の先生から紹介されると、両手をパチパチ叩いて自分自身をお祝いしていた。先生が「おめでとう」と言う度に周りが拍手しているのを見て覚えたのだろう。他の子が紹介された時も、満面の笑みで手を叩く。
きっと今日も、誰かの誕生日を全力の拍手でお祝いしてあげたのだろう。パジャマに着替えさせている間も、一向に起きる気配がない。
「お風呂は明日の朝かな」
「仕方ないね」
拓也と一緒に入るつもりでいた伸也は、残念そうに苦笑いしている。休日なら問題ないが、仕事のある朝に子供と風呂に入る余裕なんてない。早く帰宅できた日の楽しみが一つ減ったと肩を落とす。
子供を寝室のベッドへ寝かしつけて、瑞希が翌日の準備を終えた頃には、先に一人でシャワーを浴びた伸也がリビングに戻ってきて、首に掛けたタオルで髪を拭いていた。ソファーでテレビのニュースを観ていたが、消音にして字幕を目で追っている。
「明日も早く帰って来れるといいんだけどなぁ。来週は帰って来れない日も多いし」
「出張だっけ?」
「そう、九州支社に。まだ顔出してない支社がいくつかあるし、しばらくは出張が続くと思う」
そっか、と瑞希はソファーで夫の隣に深く腰掛ける。以前のアパートでの夢を見ることはあるが、伸也が傍にいてくれる状態がもう当たり前になっている。だから、数日でも会えない日が出来るのは、不安で仕方ない。
隣に来た妻の頭をくしゃっと撫でてから、伸也はキッチンへと向かった。点けっぱなしになっているテレビは、天気予報の映像に変わっている。一週間先までの天気を何とはなしに眺めていると、瑞希の目の前に湯気の立つマグカップが差し出された。
「ありがとう。ホットミルク?」
ふぅっと息を吹きかけてから一口だけ飲んでみる。温められたミルクは、少し甘い。
「あ、蜂蜜が入ってる」
「うん、少しだけ入れてみた」
「美味しい……」
カップに触れている指先からじんわりと熱を感じ、ミルクを飲むにつれ身体中がポカポカと温められていく。冬の気配を感じる肌寒くなった夜には、甘いホットミルクはとても幸せな飲み物だ。
飲み切って空になったカップをローテーブルに置いて、伸也は隣でカップを両手で支えている瑞希の顔を首を傾げて下から覗き込む。
「ちゃんとお土産は買ってくるから」
「うん、楽しみにしてる」
「でも、何でもデパートの物産展とかで大概は買えてしまうんだよなぁ」
「じゃあ、物産展では売ってなさそうなのを」
「……お土産のハードル、めちゃくちゃ高くない?!」
互いに視線を合わせ、笑い合う。こんな詰まらないやり取りでさえ、ただただ幸せだと思えた。
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