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第四十四話・あの時のこと(伸也 ver.)2
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事前に知らされていた住所を頼りにタクシーで乗り付けた自宅マンションは、KAJIコーポレーションの本社ビルからたった二駅のエリアにあった。駅前には大きな公園もあるせいか駅近の割には静かで、単身者向けよりはファミリー層向けの背の高いマンションが立ち並んでいる。所謂ベッドタウンなのだろう。
エントランスに横付けにされたタクシーからスーツケースを下ろすと、伸也はポケットから鍵を取り出す。帰国前に必要書類と共に本社から送られてきたそれは、不動産屋が管理の為に付けていた安っぽいタグがぶら下がっている。
エレベーターを使って辿り着いた新居は、5階の角部屋の2LDK。渡米前に住んでいたワンルームとは比べ物にならないほど広く、築浅なのか小綺麗だ。引っ越し業者によって事前に運び込まれていた荷物は、以前に使っていた物がほとんど。ワンルームを引き払った後に一旦は実家に戻された物をそのまま持って来たのだろう。見覚えのある物ばかりだ。
家具や家電の一部は勝手に設置されていたが、それ以外は段ボールのまま部屋の隅に積み上げられている。箱の側面に記載された内容物のメモの字には見覚えはない。知らない内に、知らない人達によって勝手に居場所を変えられてしまった荷物達。自分自身とまるっきり同じ扱いだと思ったら、笑いすらこみあげてくる。
引っ越しの段ボールどころか、持って帰って来たスーツケースすら、中を開ける気にもならない。全てがどうでもいい。
「そろそろ、一度休憩されてはいかがですか?」
視察や会議でぎっしりと詰め込まれたスケジュールの中、鴨井が両手に持っていたカップの一つを伸也のデスクの上に置いた。「ありがとうございます」と礼を言ってから手を伸ばした伸也は、湯気の立つその温かさを手の平で感じるも、すぐには口を付けようとしない。ただ、カップの中で揺れる珈琲を眺めている。
社長室の応接ソファーの隅に静かに腰を下ろしながら、鴨井はどうしたものかと首を捻った。いつも自分が一息つくタイミングで伸也にも休むよう促してみるが、あまり効果が見えない。いくら若いと言っても、その内に身体を壊してしまうのは目に見えていた。彼の仕事への打ち込み様は、まるで何か……。
「何か、大きな心配事でも?」
そう、仕事をすることで何かを考えないようにしているかのようだった。
親ほど歳の離れた秘書の不意の問いかけに、伸也はえっと驚き顔を上げる。祖父の屋敷で子供の頃にも何度か顔を合わせたことのあるベテラン秘書には、自分のような若造のことなどお見通しということなのだろうか。
「どうしても、探し出したい人がいるんです」
「それはどういった……?」
「大切な人なんですが、渡米してからずっと連絡が取れなくなってて。自分でもいろいろ探してはみたんですが、どうにもならなくて……」
伸也はこれまでの経緯を説明しながら、自分の考えの浅さを嘆いた。帰ってきたら全てが元通りになると、どこか能天気に考えていたことが情けない。
「なるほど。そんなことが……」
デスクの上で頭を抱えて項垂れているのは、米国での経営者修行を終えて帰ってきた期待の若き経営者、なんかじゃない。会社に巣くった古狸達の自分勝手な都合に振り回され、人生を狂わされた哀れな青年なのだ。
「分かりました。ではすぐに手配しましょう。先代も使っておられた興信所なので、信用はできるはずです」
「興信所、ですか?」
「ええ、こういうことはプロに任せるのが一番ですよ。大胆な施策は入念な下調べがあってこそ、と先代社長はちょっとした人事でも使っておられましたが、今の時代は個人情報がどうのと難しくはなりましたけれどね」
カップに残った珈琲を一気に飲み干すと、鴨井はソファーから立ち上がる。上司の不安材料を取り除く手助けも、優秀な秘書にはわけもないことだ。
そうして数週間でまとめ上げられた調査報告書を前にして、伸也はその表紙を捲る手が微かに震えているのに気付く。二年も連絡が取れなかった男のことなんて、今の瑞希にはどうでもいい存在になっているかもしれない。見つけ出しても、ただそれだけで終わる可能性だって、ない訳じゃない。それくらい、二年という期間は長過ぎたはずだ。
調査員と鴨井が見守る中、一枚目のページを捲って現れたのは、少しだけ雰囲気が変わった瑞希の写真。隠し撮りのせいで視線は合っていないが、間違いなく探し求めていた彼女の姿。
「今は祖父母の田上という姓を名乗っておられますが、ご結婚はされていません」
田上瑞希(旧姓:相沢)と記載された名前欄で目を止めた伸也へ、調査員が口頭で説明する。苗字が変わった経緯も詳しく説明書きされてはいるが、いつまでも1ページ目から進まない依頼主の様子に、直接言った方が手っ取り早いとでも思ったのだろう。
「息子さんと二人暮らしで――」
「こ、子供がいるんですか?!」
「はい。次のページに写真もありますが、拓也君という1歳半の男の子です」
「……1歳半、ですか」
急いで捲ったページに張り付けられた写真には、保育園の園庭らしきところで砂遊びする小さな男の子。まるで自分の子供の頃のアルバムを見ているような、不思議な感覚を覚えた。月齢からして、間違いないだろう。
「父親は俺、ですよね……」
「ええ、おそらく。DNA鑑定が必要とは思えないくらい、よく似ておられると思います」
自分の子を一人で産み育てていた瑞希に対して、伸也には表せる言葉が無い。感謝、懺悔、謝罪。彼女に会った時に、まず何から伝えるのが正解なんだろうか。
エントランスに横付けにされたタクシーからスーツケースを下ろすと、伸也はポケットから鍵を取り出す。帰国前に必要書類と共に本社から送られてきたそれは、不動産屋が管理の為に付けていた安っぽいタグがぶら下がっている。
エレベーターを使って辿り着いた新居は、5階の角部屋の2LDK。渡米前に住んでいたワンルームとは比べ物にならないほど広く、築浅なのか小綺麗だ。引っ越し業者によって事前に運び込まれていた荷物は、以前に使っていた物がほとんど。ワンルームを引き払った後に一旦は実家に戻された物をそのまま持って来たのだろう。見覚えのある物ばかりだ。
家具や家電の一部は勝手に設置されていたが、それ以外は段ボールのまま部屋の隅に積み上げられている。箱の側面に記載された内容物のメモの字には見覚えはない。知らない内に、知らない人達によって勝手に居場所を変えられてしまった荷物達。自分自身とまるっきり同じ扱いだと思ったら、笑いすらこみあげてくる。
引っ越しの段ボールどころか、持って帰って来たスーツケースすら、中を開ける気にもならない。全てがどうでもいい。
「そろそろ、一度休憩されてはいかがですか?」
視察や会議でぎっしりと詰め込まれたスケジュールの中、鴨井が両手に持っていたカップの一つを伸也のデスクの上に置いた。「ありがとうございます」と礼を言ってから手を伸ばした伸也は、湯気の立つその温かさを手の平で感じるも、すぐには口を付けようとしない。ただ、カップの中で揺れる珈琲を眺めている。
社長室の応接ソファーの隅に静かに腰を下ろしながら、鴨井はどうしたものかと首を捻った。いつも自分が一息つくタイミングで伸也にも休むよう促してみるが、あまり効果が見えない。いくら若いと言っても、その内に身体を壊してしまうのは目に見えていた。彼の仕事への打ち込み様は、まるで何か……。
「何か、大きな心配事でも?」
そう、仕事をすることで何かを考えないようにしているかのようだった。
親ほど歳の離れた秘書の不意の問いかけに、伸也はえっと驚き顔を上げる。祖父の屋敷で子供の頃にも何度か顔を合わせたことのあるベテラン秘書には、自分のような若造のことなどお見通しということなのだろうか。
「どうしても、探し出したい人がいるんです」
「それはどういった……?」
「大切な人なんですが、渡米してからずっと連絡が取れなくなってて。自分でもいろいろ探してはみたんですが、どうにもならなくて……」
伸也はこれまでの経緯を説明しながら、自分の考えの浅さを嘆いた。帰ってきたら全てが元通りになると、どこか能天気に考えていたことが情けない。
「なるほど。そんなことが……」
デスクの上で頭を抱えて項垂れているのは、米国での経営者修行を終えて帰ってきた期待の若き経営者、なんかじゃない。会社に巣くった古狸達の自分勝手な都合に振り回され、人生を狂わされた哀れな青年なのだ。
「分かりました。ではすぐに手配しましょう。先代も使っておられた興信所なので、信用はできるはずです」
「興信所、ですか?」
「ええ、こういうことはプロに任せるのが一番ですよ。大胆な施策は入念な下調べがあってこそ、と先代社長はちょっとした人事でも使っておられましたが、今の時代は個人情報がどうのと難しくはなりましたけれどね」
カップに残った珈琲を一気に飲み干すと、鴨井はソファーから立ち上がる。上司の不安材料を取り除く手助けも、優秀な秘書にはわけもないことだ。
そうして数週間でまとめ上げられた調査報告書を前にして、伸也はその表紙を捲る手が微かに震えているのに気付く。二年も連絡が取れなかった男のことなんて、今の瑞希にはどうでもいい存在になっているかもしれない。見つけ出しても、ただそれだけで終わる可能性だって、ない訳じゃない。それくらい、二年という期間は長過ぎたはずだ。
調査員と鴨井が見守る中、一枚目のページを捲って現れたのは、少しだけ雰囲気が変わった瑞希の写真。隠し撮りのせいで視線は合っていないが、間違いなく探し求めていた彼女の姿。
「今は祖父母の田上という姓を名乗っておられますが、ご結婚はされていません」
田上瑞希(旧姓:相沢)と記載された名前欄で目を止めた伸也へ、調査員が口頭で説明する。苗字が変わった経緯も詳しく説明書きされてはいるが、いつまでも1ページ目から進まない依頼主の様子に、直接言った方が手っ取り早いとでも思ったのだろう。
「息子さんと二人暮らしで――」
「こ、子供がいるんですか?!」
「はい。次のページに写真もありますが、拓也君という1歳半の男の子です」
「……1歳半、ですか」
急いで捲ったページに張り付けられた写真には、保育園の園庭らしきところで砂遊びする小さな男の子。まるで自分の子供の頃のアルバムを見ているような、不思議な感覚を覚えた。月齢からして、間違いないだろう。
「父親は俺、ですよね……」
「ええ、おそらく。DNA鑑定が必要とは思えないくらい、よく似ておられると思います」
自分の子を一人で産み育てていた瑞希に対して、伸也には表せる言葉が無い。感謝、懺悔、謝罪。彼女に会った時に、まず何から伝えるのが正解なんだろうか。
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