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第四十話・店長の転勤
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ショッピングモールの片隅にあるショップは、館の開店を告げる爽やかな音楽が流れだした後も、しばらくは客足なんて無い。スマホが故障したとか、紛失したとかで慌てて駆け込んでくる客でもいなければ、特に平日は閑古鳥の鳴き声を聞いてから始まるのが常。
毎朝の恒例。ただ達成率と目標値を読み上げるだけの朝礼は、前日遅くまで大学のレポートを書いていた学生バイトには辛そうだ。彼が何度も生欠伸を堪えているのを、周囲の大人達は見て見ないフリを通してあげていた。
「えー、昨日、本社からの指示がありまして、私は来月から北町店に戻ることになりました。代わりに配属されてくる店長はまだ決まっていないそうですが、それはまた分かり次第――」
いつも通りの退屈で無意味な朝礼が、イケメン店長の台詞で一気に騒めき立つ。北町店は元々、彼が入社以降に配属されていた店。吉崎店長にとっては所謂古巣だ。彼の教育係でもあったこれまでの店長が繁華街に出来る新店を任されることになり、空いた席に呼び戻されることになったのだという。
「こちらの店での実績が認められたらしく、どうしてもと頼まれたら、私も戻らない訳にはいかないので」
「目標の連続達成中ですからね、本社も店長の実力に期待されてるんでしょう」
「ちゃんと期待に沿えるかは、分かりませんけど。やれるだけはやってみますよ」
開店の準備もお構いなく喫煙室へと向かう店長と取り巻き達の後ろ姿を、西川恵美は呆れ顔で見送っていた。言いたいことは山ほどあるが、実際に言ったところで治る訳もない。
店自体の客数は伸び悩んだままだが、KAJIコーポレーションの案件で法人台数が稼げ、売上実績が安定していることを評価されたのは明らか。
「誰のおかげで法人の数字が取れてるか、全く分かってないみたいね」
「次はちゃんと仕事してくれる店長がいいですよねぇー。移動してきそうな人、誰かいます?」
カウンターの上をダスターで拭いて回りながら、木下七海が顔を上げて聞いてくる。他店の店長が配属替えしてくるか、或いはサブや副店長クラスが昇級してやってくるのか。誰が来ても今よりはマシには違いないと、かなり楽しそうだ。
毒づいた二人の会話を、瑞希は修理機の発送準備をしながら苦笑いで聞いていた。以前の自分なら、二人と一緒になって店長の悪口を言っていたかもしれないが、今は不思議とそういう気は起らない。
通勤に時間が掛からなくなったし、曜日を気にせず子供を預けることができる。無茶ぶりに近いシフトを振られても何とかこなせる余裕ができ、伸也のサポートのおかげで同じ職場なのに随分と働き易くなった。
「どっかの店に、他の代理店で店長やってた人が入ったって言ってたじゃないですか? その人とか来そうじゃないですか?」
「あー、居たねぇ、そういう人。速攻でやめたらしいけどね、前の会社とやり方が全然違うって言って」
「ええーっ、もう居ないんですか?!」
恵美達は好き勝手に、次の店長候補となりそうな人の名を順にあげていくが、なかなかこれといった者が見つからないでいるようだった。「ま、その内に意外なところから発掘されてくるんじゃない?」というぶっきら棒な恵美の台詞は、その日の午後にブーメランとして返ってきた。
「田上さんに移動の話が出てるんだけど、吉崎君からは聞いてるかな?」
前任の店長でもあった古賀マネージャーからの電話を受けたのは、瑞希が昼休憩を終えて店へと戻ってきてすぐだった。子育てにも理解のあった元上司は、今は数店舗を統括するエリアマネージャーとして本社で勤務している。おそらく、この会社に入ってから一番信頼できる上司だろうか。
「いえ、聞いてないです。移動って、どこにですか?」
「北町店になんだけど――」
「え、吉崎店長と一緒にってことですか?」
「そう。サブとして。もし通い辛いのなら、断ってくれても別にいいんだよ」
折角近くなった瑞希の勤務先が、さらに遠くなってしまうことは古賀もちゃんと把握しているようだった。管理職以外の遠距離通勤は強要しないのがこの会社の唯一の長所だ。
吉崎が瑞希のことを指名したのは、KAJIコーポレーションから回ってくる法人契約をそのまま転勤先に引っ張っていきたいからというのがバレバレだ。
「そうですね、子供の保育園もありますし、私は今の店のままがいいです」
「だよね、了解」
あっさりと瑞希の希望を承諾すると、古賀は「じゃあ、西川さんに代わってくれる?」と恵美への電話の取次ぎを指示する。
――私が断ったから、代わりに恵美が移動になる?
瑞希とは違って強い法人のコネがある訳ではないが、恵美は今の店でもサブの一人として仕事をこなしている。他店へ引き抜かれる理由は十分にあった。
今の代理店に入ってからずっと一緒にやってきた親友が離れてしまう可能性に、瑞希は寂しさを覚える。瑞希の複雑な身の内にも動じず、普通に接してくれる友人は何物にも代えがたい。
「あ、お久しぶりです。え、えっ、……はい?!」
バックヤードにある電話を恵美に取次いで、先に店頭へ戻ろうとした瑞希だったが、背後で素っ頓狂な声を上げる同僚を振り返った。目をぱちくりさせながら、狼狽えた表情を見せていた恵美は、去りかける瑞希の制服のベストの腰の辺りを掴んで引っ張った。「ここに居て」ということだろうか。
「いや、無理ですって! 他に居ないんですか?!」
受話器を握り締めながら、首をブンブンと横に振っている恵美は、瑞希が足を止めた後もずっと掴んだまま制服から手を離そうとしない。
「……いや、そうかもしれないですが。本当、無理です」
瑞希の制服を掴んでいた手を離すと、恵美は手近にあったメモ用の裏紙にボールペンで走り書きする。
『私が店長やれ、って』
何度も首を振って拒絶の言葉を繰り返している同僚へ、瑞希は満面の笑みで大きく頷いて見せた。彼女が店長をするのなら、今まで以上に仕事を頑張れること間違いなしだ。
『恵美なら余裕!』
裏紙に書き足されたメッセージに、西川恵美は諦めたように大きく溜息をついた。
「せめて、店長代理とかにしてください……」
毎朝の恒例。ただ達成率と目標値を読み上げるだけの朝礼は、前日遅くまで大学のレポートを書いていた学生バイトには辛そうだ。彼が何度も生欠伸を堪えているのを、周囲の大人達は見て見ないフリを通してあげていた。
「えー、昨日、本社からの指示がありまして、私は来月から北町店に戻ることになりました。代わりに配属されてくる店長はまだ決まっていないそうですが、それはまた分かり次第――」
いつも通りの退屈で無意味な朝礼が、イケメン店長の台詞で一気に騒めき立つ。北町店は元々、彼が入社以降に配属されていた店。吉崎店長にとっては所謂古巣だ。彼の教育係でもあったこれまでの店長が繁華街に出来る新店を任されることになり、空いた席に呼び戻されることになったのだという。
「こちらの店での実績が認められたらしく、どうしてもと頼まれたら、私も戻らない訳にはいかないので」
「目標の連続達成中ですからね、本社も店長の実力に期待されてるんでしょう」
「ちゃんと期待に沿えるかは、分かりませんけど。やれるだけはやってみますよ」
開店の準備もお構いなく喫煙室へと向かう店長と取り巻き達の後ろ姿を、西川恵美は呆れ顔で見送っていた。言いたいことは山ほどあるが、実際に言ったところで治る訳もない。
店自体の客数は伸び悩んだままだが、KAJIコーポレーションの案件で法人台数が稼げ、売上実績が安定していることを評価されたのは明らか。
「誰のおかげで法人の数字が取れてるか、全く分かってないみたいね」
「次はちゃんと仕事してくれる店長がいいですよねぇー。移動してきそうな人、誰かいます?」
カウンターの上をダスターで拭いて回りながら、木下七海が顔を上げて聞いてくる。他店の店長が配属替えしてくるか、或いはサブや副店長クラスが昇級してやってくるのか。誰が来ても今よりはマシには違いないと、かなり楽しそうだ。
毒づいた二人の会話を、瑞希は修理機の発送準備をしながら苦笑いで聞いていた。以前の自分なら、二人と一緒になって店長の悪口を言っていたかもしれないが、今は不思議とそういう気は起らない。
通勤に時間が掛からなくなったし、曜日を気にせず子供を預けることができる。無茶ぶりに近いシフトを振られても何とかこなせる余裕ができ、伸也のサポートのおかげで同じ職場なのに随分と働き易くなった。
「どっかの店に、他の代理店で店長やってた人が入ったって言ってたじゃないですか? その人とか来そうじゃないですか?」
「あー、居たねぇ、そういう人。速攻でやめたらしいけどね、前の会社とやり方が全然違うって言って」
「ええーっ、もう居ないんですか?!」
恵美達は好き勝手に、次の店長候補となりそうな人の名を順にあげていくが、なかなかこれといった者が見つからないでいるようだった。「ま、その内に意外なところから発掘されてくるんじゃない?」というぶっきら棒な恵美の台詞は、その日の午後にブーメランとして返ってきた。
「田上さんに移動の話が出てるんだけど、吉崎君からは聞いてるかな?」
前任の店長でもあった古賀マネージャーからの電話を受けたのは、瑞希が昼休憩を終えて店へと戻ってきてすぐだった。子育てにも理解のあった元上司は、今は数店舗を統括するエリアマネージャーとして本社で勤務している。おそらく、この会社に入ってから一番信頼できる上司だろうか。
「いえ、聞いてないです。移動って、どこにですか?」
「北町店になんだけど――」
「え、吉崎店長と一緒にってことですか?」
「そう。サブとして。もし通い辛いのなら、断ってくれても別にいいんだよ」
折角近くなった瑞希の勤務先が、さらに遠くなってしまうことは古賀もちゃんと把握しているようだった。管理職以外の遠距離通勤は強要しないのがこの会社の唯一の長所だ。
吉崎が瑞希のことを指名したのは、KAJIコーポレーションから回ってくる法人契約をそのまま転勤先に引っ張っていきたいからというのがバレバレだ。
「そうですね、子供の保育園もありますし、私は今の店のままがいいです」
「だよね、了解」
あっさりと瑞希の希望を承諾すると、古賀は「じゃあ、西川さんに代わってくれる?」と恵美への電話の取次ぎを指示する。
――私が断ったから、代わりに恵美が移動になる?
瑞希とは違って強い法人のコネがある訳ではないが、恵美は今の店でもサブの一人として仕事をこなしている。他店へ引き抜かれる理由は十分にあった。
今の代理店に入ってからずっと一緒にやってきた親友が離れてしまう可能性に、瑞希は寂しさを覚える。瑞希の複雑な身の内にも動じず、普通に接してくれる友人は何物にも代えがたい。
「あ、お久しぶりです。え、えっ、……はい?!」
バックヤードにある電話を恵美に取次いで、先に店頭へ戻ろうとした瑞希だったが、背後で素っ頓狂な声を上げる同僚を振り返った。目をぱちくりさせながら、狼狽えた表情を見せていた恵美は、去りかける瑞希の制服のベストの腰の辺りを掴んで引っ張った。「ここに居て」ということだろうか。
「いや、無理ですって! 他に居ないんですか?!」
受話器を握り締めながら、首をブンブンと横に振っている恵美は、瑞希が足を止めた後もずっと掴んだまま制服から手を離そうとしない。
「……いや、そうかもしれないですが。本当、無理です」
瑞希の制服を掴んでいた手を離すと、恵美は手近にあったメモ用の裏紙にボールペンで走り書きする。
『私が店長やれ、って』
何度も首を振って拒絶の言葉を繰り返している同僚へ、瑞希は満面の笑みで大きく頷いて見せた。彼女が店長をするのなら、今まで以上に仕事を頑張れること間違いなしだ。
『恵美なら余裕!』
裏紙に書き足されたメッセージに、西川恵美は諦めたように大きく溜息をついた。
「せめて、店長代理とかにしてください……」
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