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第四十六話・定例取締役会2
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「よって、退任の可否を問われるような後ろ暗いことがあるのは、あなたの方ではないですか?」
盗撮した写真を第三者にばら撒く行為もどうかと思いますよ、と冷静に窘められると常務は慌ててコピー用紙を回収するよう指示を出す。ただ、早々とファイルに入れて鞄にしまい込んだ母と、頑なに首を振って抵抗した父の分は目を瞑り、残りは全て会議室に設置されたシュレッダーにかけさせる。
しんと静まり返ってしまった会議室で、シュレッダーが粉砕する音だけが響いていた。
「で、どうしますか? 可否確認を続けますか?」
「い、いや……」
伸也からの問いかけに、神崎は気まずそうに目を逸らした。他派閥の役員達からも冷ややかな視線を向けられて、黙って俯くしか出来ない。伸也の渡米の経緯を知らなかった者からは批難の声も出始めて、会議室内が一気に騒めき立つ。
呆れて笑いをかみ殺しながら、伸也は司会を務める営業部長に合図をおくり、会の終結を宣言させる。
結果的に、常務の弱みを握った形となったので、今後は常務派から仕掛けられることはないだろう。咄嗟に話を合わせてくれた百合子の機転に感謝だ。
「本日はもうお帰りになられますか?」
社長室へ向かう途中、秘書に聞かれて腕時計を見る。18時を過ぎたところで、帰るにはまだ少し早いが、電車を使えばちょうどいい時間になるかもしれない。
「そうですね。何かお勧めの手土産ってありませんか?」
「もし、甘いものがお嫌いでなければ――」
眼鏡の位置を片手で直しつつ、鴨井は笑いながらとっておきの店の名を口にする。本社ビルからほど近い百貨店に入るその店は、地下街ではなくレストラン街の中にあった。テイクアウトも出来るというその店のモンブランが、娘からこれまでの土産で一番絶賛されたらしい。
ケーキを買ってから瑞希達の住むマンションの最寄りの駅に着くと、駅前にある花屋が目に入って前で立ち止まる。夏の花を中心に色とりどりに咲きほこった店先で、店員がアレンジメントにする花を選んでいた。
――たまには、実用的じゃない物もいいかな。
向日葵を中心にした元気な色の花束を作って貰うと、片手で抱える。きっと、花瓶なんて無いよと言われてしまうんだろう。そうしたら、一緒に買いにいけばいい。これからは人目を気にする必要はないのだし、三人で買い物するのもいい。
マンションに着くと、キーケースを取り出してオートロックを解除する。エントランスホールを抜けてエレベーターに乗っている時、少しだけ緊張している自分に気付く。ふぅっと息を吐いてから心を落ち着けて、605号室の前で花束を持ち直した。上下2つある鍵を開けると、開錠する音に気付いたのか中からバタバタと走ってくる音が聞こえて来た。
「おかえりー」
玄関ドアを開くと、案の定に瑞希が出迎えてくれていて、その後ろには遅れて廊下を走ってくる拓也の姿も。賑やかなお出迎えに、玄関を開けて早々で吹き出しかける。
「ただいま」
抱えていた花束とケーキの入った箱を瑞希の前に差し出す。いきなりの花のプレゼントに驚いた顔で固まっている瑞希は、照れたようにはにかんだ。
「花束なんて、貰ったの初めてかも」
「そうなんだ。花瓶ある?」
「ないよ。でも、嬉しい」
何に活けようかな、と上機嫌でキッチンに戻って、鍋やボールなんかを候補に挙げていたが、結局は拓也の砂遊び用のミニバケツがちょうど良かったらしい。キッチンカウンターの上に置かれた青いバケツに活けられた花は、優しい甘い香りを部屋中に振りまいていた。
「お花、きれいだねー」
拓也を抱っこして一緒に花を眺めている瑞希に、伸也はそっと近づくと後ろから抱き締める。
「ご飯食べてからでいいから、一緒に市役所に行ってくれない?」
「え?」
「会社のことは上手くいったから。これからはずっと一緒にいて欲しい。もう離したくない。離さない」
黙って頷く瑞希が首まで赤くなっていることに気付き、うなじへ口付ける。しばらく抱き締めていると、抱っこされるのに飽きてきたのか拓也が瑞希の腕の中で暴れ始めた。
「あ、そうだ、伸也」
瑞希が何かを思い出して振り返り、逃げ出した拓也を捕まえて来て伸也の前に立たせる。子供の目線に合わせて伸也にもしゃがむよう指示すると、拓也に何かを耳打ちしている。
「ぱーぱ」
舌足らずだが、はっきりした声で拓也が伸也のことを呼んでみせる。
「ベビーシッターさんに教わったのかもしれないけど、パパって言えるようになったんだよ」
「すごい、拓也。もう一回呼んで」
得意げな顔をしたまま走って逃げる拓也を、伸也は中腰で追いかける。リビングで始まった追いかけっこを瑞希は声を出して笑いながら見守った。
離れていた分、これからはたくさんの時間を一緒に過ごそう。きっと誰よりも幸せになれるはずだ。
― 本編完結 ―
※次話より追加エピソードになります
盗撮した写真を第三者にばら撒く行為もどうかと思いますよ、と冷静に窘められると常務は慌ててコピー用紙を回収するよう指示を出す。ただ、早々とファイルに入れて鞄にしまい込んだ母と、頑なに首を振って抵抗した父の分は目を瞑り、残りは全て会議室に設置されたシュレッダーにかけさせる。
しんと静まり返ってしまった会議室で、シュレッダーが粉砕する音だけが響いていた。
「で、どうしますか? 可否確認を続けますか?」
「い、いや……」
伸也からの問いかけに、神崎は気まずそうに目を逸らした。他派閥の役員達からも冷ややかな視線を向けられて、黙って俯くしか出来ない。伸也の渡米の経緯を知らなかった者からは批難の声も出始めて、会議室内が一気に騒めき立つ。
呆れて笑いをかみ殺しながら、伸也は司会を務める営業部長に合図をおくり、会の終結を宣言させる。
結果的に、常務の弱みを握った形となったので、今後は常務派から仕掛けられることはないだろう。咄嗟に話を合わせてくれた百合子の機転に感謝だ。
「本日はもうお帰りになられますか?」
社長室へ向かう途中、秘書に聞かれて腕時計を見る。18時を過ぎたところで、帰るにはまだ少し早いが、電車を使えばちょうどいい時間になるかもしれない。
「そうですね。何かお勧めの手土産ってありませんか?」
「もし、甘いものがお嫌いでなければ――」
眼鏡の位置を片手で直しつつ、鴨井は笑いながらとっておきの店の名を口にする。本社ビルからほど近い百貨店に入るその店は、地下街ではなくレストラン街の中にあった。テイクアウトも出来るというその店のモンブランが、娘からこれまでの土産で一番絶賛されたらしい。
ケーキを買ってから瑞希達の住むマンションの最寄りの駅に着くと、駅前にある花屋が目に入って前で立ち止まる。夏の花を中心に色とりどりに咲きほこった店先で、店員がアレンジメントにする花を選んでいた。
――たまには、実用的じゃない物もいいかな。
向日葵を中心にした元気な色の花束を作って貰うと、片手で抱える。きっと、花瓶なんて無いよと言われてしまうんだろう。そうしたら、一緒に買いにいけばいい。これからは人目を気にする必要はないのだし、三人で買い物するのもいい。
マンションに着くと、キーケースを取り出してオートロックを解除する。エントランスホールを抜けてエレベーターに乗っている時、少しだけ緊張している自分に気付く。ふぅっと息を吐いてから心を落ち着けて、605号室の前で花束を持ち直した。上下2つある鍵を開けると、開錠する音に気付いたのか中からバタバタと走ってくる音が聞こえて来た。
「おかえりー」
玄関ドアを開くと、案の定に瑞希が出迎えてくれていて、その後ろには遅れて廊下を走ってくる拓也の姿も。賑やかなお出迎えに、玄関を開けて早々で吹き出しかける。
「ただいま」
抱えていた花束とケーキの入った箱を瑞希の前に差し出す。いきなりの花のプレゼントに驚いた顔で固まっている瑞希は、照れたようにはにかんだ。
「花束なんて、貰ったの初めてかも」
「そうなんだ。花瓶ある?」
「ないよ。でも、嬉しい」
何に活けようかな、と上機嫌でキッチンに戻って、鍋やボールなんかを候補に挙げていたが、結局は拓也の砂遊び用のミニバケツがちょうど良かったらしい。キッチンカウンターの上に置かれた青いバケツに活けられた花は、優しい甘い香りを部屋中に振りまいていた。
「お花、きれいだねー」
拓也を抱っこして一緒に花を眺めている瑞希に、伸也はそっと近づくと後ろから抱き締める。
「ご飯食べてからでいいから、一緒に市役所に行ってくれない?」
「え?」
「会社のことは上手くいったから。これからはずっと一緒にいて欲しい。もう離したくない。離さない」
黙って頷く瑞希が首まで赤くなっていることに気付き、うなじへ口付ける。しばらく抱き締めていると、抱っこされるのに飽きてきたのか拓也が瑞希の腕の中で暴れ始めた。
「あ、そうだ、伸也」
瑞希が何かを思い出して振り返り、逃げ出した拓也を捕まえて来て伸也の前に立たせる。子供の目線に合わせて伸也にもしゃがむよう指示すると、拓也に何かを耳打ちしている。
「ぱーぱ」
舌足らずだが、はっきりした声で拓也が伸也のことを呼んでみせる。
「ベビーシッターさんに教わったのかもしれないけど、パパって言えるようになったんだよ」
「すごい、拓也。もう一回呼んで」
得意げな顔をしたまま走って逃げる拓也を、伸也は中腰で追いかける。リビングで始まった追いかけっこを瑞希は声を出して笑いながら見守った。
離れていた分、これからはたくさんの時間を一緒に過ごそう。きっと誰よりも幸せになれるはずだ。
― 本編完結 ―
※次話より追加エピソードになります
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