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第三十話・終業後の一時2
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夕食を食べ終わると、伸也は率先して子供をお風呂に入れようとしてくれる。今の彼に出来る最大限の拓也とのコミュニケーションだと言い張るので、瑞希は笑いを堪えながら任せて、着替えの用意をして二人が出てくるのを待っていた。
昼の休憩時にショッピングモール内のファストファッション店を覗いて、伸也が着れそうなスウェットパンツを買っておいたので、先日に洗濯しておいた下着とシャツと一緒に脱衣所に準備しておいた。
さすがに風呂上りにまたスーツを着るのは嫌だろうし、この家にいる時くらいはリラックスして欲しい。
何よりも、この家に伸也の物が増えていくことが嬉しかった。親子三人が揃って生活できるようになるのは、まだ先のことかもしれないが、一緒に居れる時はちゃんと家族らしく過ごしていたい。いきなり現れた父親の存在に、少しずつだけれど拓也も慣れ始めている気がする。
「着替え、用意してくれたんだ、ありがとう」
「安物だけどね、サイズは大丈夫そう?」
バスタオルに包んだまま抱っこされた息子を伸也から受け取って、改めて髪を拭き直してからパジャマを着せる。寝冷えしないようにパジャマの上もきっちりとズボンの中に入れた着こなしは子供だからこそ可愛い。
「今日も微妙な顔してる時あったけど、前よりはマシだったかなぁ」
お風呂に入った瞬間に「え、お前と?」みたいな顔をされたと寂しそうに語る伸也に、瑞希は吹き出すのをギリギリで堪えた。1歳児の小さな頭でいろいろ感じ、考えているのだろう。それでも、浴室から聞こえて来た笑い声は以前よりも随分と増えた。
顔立ちが似ていることを抜きにしても、傍から見ればちゃんと二人は父子らしくなっていると思う。
「ベビーシッターはどうだった? 上手くやっていけそう?」
「うん、出る時は泣いてたけど、一日ですっかり小澤さんに懐いたみたい。公園にも連れて行って貰ったらしいよ」
「へー、思ってたより手厚そうだね」
湯上りで喉が渇いたらしく、ストローマグで麦茶を勢いよく飲んでいる拓也の横に、伸也も並んで座る。ソファーに慣れていない拓也なら分かるが、伸也までフローリングに直に座っていることが、堪らなくおかしい。
瑞希の知っている伸也らしいと言えばらしいのだけれど、どう考えても大会社のCEOの姿には見えない。昔と変わらない、ちっとも気取らない彼の姿にホッとする。
ソファーテーブルに置きかけた麦茶のグラスを、胡坐をかいて座ったままの伸也に直接に手渡す。それを半分一気に飲み切って喉を潤すと、伸也は瑞希と拓也を見比べてから少し真剣な顔をした。
「瑞希達に会えなかったら、俺はどうしてたんだろうって考えることがある」
――流されて常務の娘と結婚させられて、何の目的もないままがむしゃらに毎日仕事するだけの日々。あるいは功績のないまま、簡単に足元を掬われた挙句に失脚させられている未来。
「昨日発表された施策の、病児保育のは上手く行きそうなの?」
ネットニュースで見たよと伝えると、伸也は少し嬉しそうだった。あれこそ、二人に会えてなかったら思い付きもしなかった。病児保育なんて、それまでの伸也は存在すら知らなかったのだから。瑞希の話をきっかけに、自分でもいろいろ調べて辿り着いたのがあの施策だった。
「父の会社がチームを組んで取り組んでくれることになったんだけど、専務側からは好評、常務側は微妙って感じかな」
「まともに子育てしたことないと、必要性は分かんないだろうね」
「うん、独身だったり奥さんが専業主婦の人からは興味持たれてない感じだった」
ただ、本来の標的でもあった専務派からは思った以上に好感を得ることができた。実際の設置まではどう転ぶかは分からないが、今のところは成功と言っていいだろう。
「伸也、すごい頑張ってるんだね」
「じゃあ、ご褒美に来て」
そう言うと、伸也は胡坐をかいた膝をポンポンと叩く。瑞希が慰められる番ではないのにと思いながら、言われるまま伸也の膝の上に座ると、「拓也もおいで」と瑞希の膝に拓也も座らせる。二人をまとめて後ろからぎゅっと抱きしめた伸也は、はぁっと大きな溜め息をついた。
「帰りたくない……」
誰も居ない、段ボールだらけの部屋に寝に戻るだけの煩わしさ。一番くつろげる場所はここなのに、まだここは自分の居場所ではない。
「うん、でも今は我慢する」
しばらく頑張る為のパワーを頂戴と、後ろから瑞希の肩に頭を乗せる。拘束されている状態を嫌がった拓也は、早々に降りて玩具で遊び始める。
腰に回されている腕に自分の腕を重ねて擦ると、瑞希は耳元に聞こえてくる伸也の息遣いを黙って感じていた。
スーツに着替え直して玄関を出た伸也は、見送りに付いてきた瑞希を玄関先で名残惜しげにもう一度抱き締める。前髪に触れてから額に口付けると、上目遣いで不満を表す瑞希の視線に気付く。
ふっとおかしそうに鼻で笑ってから、瑞希の唇へ自分の唇を重ねる。
「自制してるのに、そんな顔をされたら困るよ」
ポンと頭に手を乗せ、わしゃわしゃと瑞希の髪を撫でてから、後ろ手を振りながらエレベーターホールへと向かう。これからまた、あの部屋で一人きりかと思うとウンザリするが、仕方ない。
そんな伸也の後ろ姿が柱の陰に見えなくなると、瑞希はそっと玄関ドアを閉める。
6階に着いたエレベーターに乗り込むと、上の階から先に乗っていた住人と鉢合わせた。指定ゴミ袋を両手で持っているところを見ると、これからゴミ出しに行くのだろう。30代半ばといった風な男性は同乗したことを恐縮していたが、別に匂いは気にならなかった。階数を表示している液晶ボードを黙って見上げる。
1階に着き、会釈して先にエレベーターを降りると、伸也は駅に向かって歩き出す。その後ろ姿を男は首を捻りながら見ていた。
「……安達社長?」
昼の休憩時にショッピングモール内のファストファッション店を覗いて、伸也が着れそうなスウェットパンツを買っておいたので、先日に洗濯しておいた下着とシャツと一緒に脱衣所に準備しておいた。
さすがに風呂上りにまたスーツを着るのは嫌だろうし、この家にいる時くらいはリラックスして欲しい。
何よりも、この家に伸也の物が増えていくことが嬉しかった。親子三人が揃って生活できるようになるのは、まだ先のことかもしれないが、一緒に居れる時はちゃんと家族らしく過ごしていたい。いきなり現れた父親の存在に、少しずつだけれど拓也も慣れ始めている気がする。
「着替え、用意してくれたんだ、ありがとう」
「安物だけどね、サイズは大丈夫そう?」
バスタオルに包んだまま抱っこされた息子を伸也から受け取って、改めて髪を拭き直してからパジャマを着せる。寝冷えしないようにパジャマの上もきっちりとズボンの中に入れた着こなしは子供だからこそ可愛い。
「今日も微妙な顔してる時あったけど、前よりはマシだったかなぁ」
お風呂に入った瞬間に「え、お前と?」みたいな顔をされたと寂しそうに語る伸也に、瑞希は吹き出すのをギリギリで堪えた。1歳児の小さな頭でいろいろ感じ、考えているのだろう。それでも、浴室から聞こえて来た笑い声は以前よりも随分と増えた。
顔立ちが似ていることを抜きにしても、傍から見ればちゃんと二人は父子らしくなっていると思う。
「ベビーシッターはどうだった? 上手くやっていけそう?」
「うん、出る時は泣いてたけど、一日ですっかり小澤さんに懐いたみたい。公園にも連れて行って貰ったらしいよ」
「へー、思ってたより手厚そうだね」
湯上りで喉が渇いたらしく、ストローマグで麦茶を勢いよく飲んでいる拓也の横に、伸也も並んで座る。ソファーに慣れていない拓也なら分かるが、伸也までフローリングに直に座っていることが、堪らなくおかしい。
瑞希の知っている伸也らしいと言えばらしいのだけれど、どう考えても大会社のCEOの姿には見えない。昔と変わらない、ちっとも気取らない彼の姿にホッとする。
ソファーテーブルに置きかけた麦茶のグラスを、胡坐をかいて座ったままの伸也に直接に手渡す。それを半分一気に飲み切って喉を潤すと、伸也は瑞希と拓也を見比べてから少し真剣な顔をした。
「瑞希達に会えなかったら、俺はどうしてたんだろうって考えることがある」
――流されて常務の娘と結婚させられて、何の目的もないままがむしゃらに毎日仕事するだけの日々。あるいは功績のないまま、簡単に足元を掬われた挙句に失脚させられている未来。
「昨日発表された施策の、病児保育のは上手く行きそうなの?」
ネットニュースで見たよと伝えると、伸也は少し嬉しそうだった。あれこそ、二人に会えてなかったら思い付きもしなかった。病児保育なんて、それまでの伸也は存在すら知らなかったのだから。瑞希の話をきっかけに、自分でもいろいろ調べて辿り着いたのがあの施策だった。
「父の会社がチームを組んで取り組んでくれることになったんだけど、専務側からは好評、常務側は微妙って感じかな」
「まともに子育てしたことないと、必要性は分かんないだろうね」
「うん、独身だったり奥さんが専業主婦の人からは興味持たれてない感じだった」
ただ、本来の標的でもあった専務派からは思った以上に好感を得ることができた。実際の設置まではどう転ぶかは分からないが、今のところは成功と言っていいだろう。
「伸也、すごい頑張ってるんだね」
「じゃあ、ご褒美に来て」
そう言うと、伸也は胡坐をかいた膝をポンポンと叩く。瑞希が慰められる番ではないのにと思いながら、言われるまま伸也の膝の上に座ると、「拓也もおいで」と瑞希の膝に拓也も座らせる。二人をまとめて後ろからぎゅっと抱きしめた伸也は、はぁっと大きな溜め息をついた。
「帰りたくない……」
誰も居ない、段ボールだらけの部屋に寝に戻るだけの煩わしさ。一番くつろげる場所はここなのに、まだここは自分の居場所ではない。
「うん、でも今は我慢する」
しばらく頑張る為のパワーを頂戴と、後ろから瑞希の肩に頭を乗せる。拘束されている状態を嫌がった拓也は、早々に降りて玩具で遊び始める。
腰に回されている腕に自分の腕を重ねて擦ると、瑞希は耳元に聞こえてくる伸也の息遣いを黙って感じていた。
スーツに着替え直して玄関を出た伸也は、見送りに付いてきた瑞希を玄関先で名残惜しげにもう一度抱き締める。前髪に触れてから額に口付けると、上目遣いで不満を表す瑞希の視線に気付く。
ふっとおかしそうに鼻で笑ってから、瑞希の唇へ自分の唇を重ねる。
「自制してるのに、そんな顔をされたら困るよ」
ポンと頭に手を乗せ、わしゃわしゃと瑞希の髪を撫でてから、後ろ手を振りながらエレベーターホールへと向かう。これからまた、あの部屋で一人きりかと思うとウンザリするが、仕方ない。
そんな伸也の後ろ姿が柱の陰に見えなくなると、瑞希はそっと玄関ドアを閉める。
6階に着いたエレベーターに乗り込むと、上の階から先に乗っていた住人と鉢合わせた。指定ゴミ袋を両手で持っているところを見ると、これからゴミ出しに行くのだろう。30代半ばといった風な男性は同乗したことを恐縮していたが、別に匂いは気にならなかった。階数を表示している液晶ボードを黙って見上げる。
1階に着き、会釈して先にエレベーターを降りると、伸也は駅に向かって歩き出す。その後ろ姿を男は首を捻りながら見ていた。
「……安達社長?」
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