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第二十七話・初めてのベビーシッター
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朝8時半ちょうどにインターフォンが鳴ると、リビングの壁に設置されているモニターには、昨晩に顔合わせしたばかりの小澤祥子の姿が映し出された。先日の面談時とは違い、スーツ姿ではなくて動き易そうなラフな装いだ。瑞希は慌ててエントランスの自動ドアを開錠する。
「拓也、ベビーシッターさんが来てくれたから、一緒にお迎えしよう」
祥子がエレベーターで上がって来る前に、拓也と手を繋いで玄関ドアの前で待機する。玄関前のチャイムが鳴ると同時にドアを開けると、少しビックリして目を丸くしているベビーシッターの顔があった。
「まぁ、拓也君も一緒にお出迎えしてくれたのね。ありがとう。おはようございます」
「おはようございます。お世話になります」
人見知りしつつも、ちらちらと気にしているところをみると、祥子のことを怖がっている様子はない。さすがは保育のプロだと感心しながら、瑞希は昨晩に慌てて書いたお世話メモを見せつつ、着替えやオムツの収納場所を説明していく。
手早く鞄からエプロンを取り出して身に付けた祥子は、どこからどう見ても保育園の先生で、拓也はエプロンに縫い付けられたクマとウサギのアップリケに興味津々の視線を送っていた。
「私の携帯と店の直通番号がこちらで、携帯が繋がらない時はショップに掛けていただければ、大抵は出られると思います」
「お帰りは20時頃でしたね? 拓也君の夕ご飯はいつもその後に?」
乳幼児の夕食には遅過ぎると怒られるのかと、瑞希はびくりと構える。保育のプロからすれば、子供中心の生活をするのが理想だと言われてもおかしくはない。一人で手探り状態の子育てだったから、きっと間違っていることも多いのだろう。
「はい。帰宅後に出来るだけ早く用意するようにはしてるんですけど……」
「いえ、大丈夫ですよ。どんなに遅くなっても、親と一緒に食卓を囲むことが大事なんですよ」
問題ありませんと言われて、ほっとする。拓也の月齢にしては夜に寝入る時間は遅いが、瑞希の勤務時間の関係で朝はそれほど早くはないし、睡眠時間はちゃんと取れていると合格点を貰えた。
「お天気が良い日はお外で遊んでも構いませんか? この辺りは公園も多いようですし」
「あ、お願いします。砂遊び用の玩具は玄関に置いておくようにしますね」
ブランコや滑り台などの遊具はまだ危なっかしいが、ひたすらに砂を掘り返したり、ダンゴ虫を探すのは好きだと伝えると、祥子はおかしそうに笑っていた。
大人達が打ち合わせしている最中、最初は瑞希の脚にしがみ付いていた拓也も、祥子が居ることに慣れたのか、玩具を入れたカゴからお気に入りの車を出して遊び始めていた。
「あ、今の内に出た方が良さそうですね。じゃあ、お願いします」
「はい、行ってらっしゃい」
瑞希がそうっと出掛けて行くのには気付いていないのかと思いきや、バッグを肩に掛けた途端に、必死の形相で拓也が駆け寄ってくる。見ていないようでも、子供はちゃんと見ているものだ。油断がならない。
「マーマ」
「今日は小澤さんと一緒にお家で待っててね。ママ、お仕事行ってくるから」
「マーマ、マーマ……」
「拓也君、おばちゃんと遊ぼうよ。後でお外へお散歩に行こう!」
置いていかれるのが分かっているのか、涙を溜めた目で瑞希を見上げる。離すものかと精一杯にしがみ付いていた脚から引き剝がされて祥子に抱っこされた拓也は、お散歩の一言には少し反応していた。
「気にせず行ってください」の言葉に従って玄関を出ると、閉めたドアの向こうからは子供の泣き声が漏れ聞こえていた。
「拓也、ごめんね……」
昨日引っ越してきたばかりで、まだ家自体にも慣れていない。馴染のないものだらけの中で置いていかれるのは不安だらけだろう。少し可哀そうなことをしたなとは思うが、子供はすぐに慣れますよという祥子の言葉を信じるしかない。実際、瑞希が帰って来た時の拓也は朝の大泣きなんて無かったかのようにケロリとしていたのだから、子供の適応力は侮れない。
瑞希がKAJIコーポレーションの打ち出した社内向け施策のことを知ったのは、昼休憩中にスマホを弄っていてネットニュースを見た時だった。
――だからあの時、いろいろ聞いて来たんだ。
拓也を病児保育に預けた時、一時保育とはどう違うか、どこの病院かなど、伸也からやたら詳しく質問されたことを思い出す。彼らしい優しい施策だなと思いつつ、上手くいくことを願う。
ネット上には『子供が熱出しても休ませて貰えないのか』『休みが取れやすい職場環境を作るのが先だろ』なんていう批判的なコメントもあったが、実際に会社勤めしてみれば分かる。簡単に急に休める職場なんて、そうそう無い。特に瑞希のようにシフト制で勤務していると、急な欠勤時は自分で代わりの人を探せと言われることもある。
反対に、子供を理由に時短勤務に変更させられた人や、仕事を変えた人などからは『みんながみんな、すぐ実家に頼れる訳じゃないんだよ』『病児保育は受け入れ枠が少な過ぎて、風邪が流行る季節は全く予約が取れない』などといった悲痛のコメントもあり、KAJIコーポレーションを羨ましがる人が多かった。
ニュースを見た後、伸也にメールしようとして、何て送ったらいいのか迷う。経営の素人が下手に口出しても迷惑だろうと悩みに悩んだ末に、今朝の拓也の寝起き画像を添付するだけにした。
「拓也、ベビーシッターさんが来てくれたから、一緒にお迎えしよう」
祥子がエレベーターで上がって来る前に、拓也と手を繋いで玄関ドアの前で待機する。玄関前のチャイムが鳴ると同時にドアを開けると、少しビックリして目を丸くしているベビーシッターの顔があった。
「まぁ、拓也君も一緒にお出迎えしてくれたのね。ありがとう。おはようございます」
「おはようございます。お世話になります」
人見知りしつつも、ちらちらと気にしているところをみると、祥子のことを怖がっている様子はない。さすがは保育のプロだと感心しながら、瑞希は昨晩に慌てて書いたお世話メモを見せつつ、着替えやオムツの収納場所を説明していく。
手早く鞄からエプロンを取り出して身に付けた祥子は、どこからどう見ても保育園の先生で、拓也はエプロンに縫い付けられたクマとウサギのアップリケに興味津々の視線を送っていた。
「私の携帯と店の直通番号がこちらで、携帯が繋がらない時はショップに掛けていただければ、大抵は出られると思います」
「お帰りは20時頃でしたね? 拓也君の夕ご飯はいつもその後に?」
乳幼児の夕食には遅過ぎると怒られるのかと、瑞希はびくりと構える。保育のプロからすれば、子供中心の生活をするのが理想だと言われてもおかしくはない。一人で手探り状態の子育てだったから、きっと間違っていることも多いのだろう。
「はい。帰宅後に出来るだけ早く用意するようにはしてるんですけど……」
「いえ、大丈夫ですよ。どんなに遅くなっても、親と一緒に食卓を囲むことが大事なんですよ」
問題ありませんと言われて、ほっとする。拓也の月齢にしては夜に寝入る時間は遅いが、瑞希の勤務時間の関係で朝はそれほど早くはないし、睡眠時間はちゃんと取れていると合格点を貰えた。
「お天気が良い日はお外で遊んでも構いませんか? この辺りは公園も多いようですし」
「あ、お願いします。砂遊び用の玩具は玄関に置いておくようにしますね」
ブランコや滑り台などの遊具はまだ危なっかしいが、ひたすらに砂を掘り返したり、ダンゴ虫を探すのは好きだと伝えると、祥子はおかしそうに笑っていた。
大人達が打ち合わせしている最中、最初は瑞希の脚にしがみ付いていた拓也も、祥子が居ることに慣れたのか、玩具を入れたカゴからお気に入りの車を出して遊び始めていた。
「あ、今の内に出た方が良さそうですね。じゃあ、お願いします」
「はい、行ってらっしゃい」
瑞希がそうっと出掛けて行くのには気付いていないのかと思いきや、バッグを肩に掛けた途端に、必死の形相で拓也が駆け寄ってくる。見ていないようでも、子供はちゃんと見ているものだ。油断がならない。
「マーマ」
「今日は小澤さんと一緒にお家で待っててね。ママ、お仕事行ってくるから」
「マーマ、マーマ……」
「拓也君、おばちゃんと遊ぼうよ。後でお外へお散歩に行こう!」
置いていかれるのが分かっているのか、涙を溜めた目で瑞希を見上げる。離すものかと精一杯にしがみ付いていた脚から引き剝がされて祥子に抱っこされた拓也は、お散歩の一言には少し反応していた。
「気にせず行ってください」の言葉に従って玄関を出ると、閉めたドアの向こうからは子供の泣き声が漏れ聞こえていた。
「拓也、ごめんね……」
昨日引っ越してきたばかりで、まだ家自体にも慣れていない。馴染のないものだらけの中で置いていかれるのは不安だらけだろう。少し可哀そうなことをしたなとは思うが、子供はすぐに慣れますよという祥子の言葉を信じるしかない。実際、瑞希が帰って来た時の拓也は朝の大泣きなんて無かったかのようにケロリとしていたのだから、子供の適応力は侮れない。
瑞希がKAJIコーポレーションの打ち出した社内向け施策のことを知ったのは、昼休憩中にスマホを弄っていてネットニュースを見た時だった。
――だからあの時、いろいろ聞いて来たんだ。
拓也を病児保育に預けた時、一時保育とはどう違うか、どこの病院かなど、伸也からやたら詳しく質問されたことを思い出す。彼らしい優しい施策だなと思いつつ、上手くいくことを願う。
ネット上には『子供が熱出しても休ませて貰えないのか』『休みが取れやすい職場環境を作るのが先だろ』なんていう批判的なコメントもあったが、実際に会社勤めしてみれば分かる。簡単に急に休める職場なんて、そうそう無い。特に瑞希のようにシフト制で勤務していると、急な欠勤時は自分で代わりの人を探せと言われることもある。
反対に、子供を理由に時短勤務に変更させられた人や、仕事を変えた人などからは『みんながみんな、すぐ実家に頼れる訳じゃないんだよ』『病児保育は受け入れ枠が少な過ぎて、風邪が流行る季節は全く予約が取れない』などといった悲痛のコメントもあり、KAJIコーポレーションを羨ましがる人が多かった。
ニュースを見た後、伸也にメールしようとして、何て送ったらいいのか迷う。経営の素人が下手に口出しても迷惑だろうと悩みに悩んだ末に、今朝の拓也の寝起き画像を添付するだけにした。
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