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第二十四話・マンションでのひと時
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脱衣所で拓也をバスタオルで包み込むように拭き終えると、用意していたパジャマを着せる。浴室からは伸也がまだシャワーを浴びている音が聞こえ、不思議な気分だった。
誰かに子供をお風呂に入れて貰うなんて、産院以来だ。ずっと一人でやってきて、代わってくれる人なんていなかった。真冬でも自分は濡れた身体のまま拓也を先に拭いて着替えさせたりと、風呂上がりはいつでもバタバタだった。ボロアパートの脱衣所は狭くて、隙間風の吹く冬は寒くて辛かった。
ドライヤーでさっと髪を乾かし、リビングのソファーテーブルで遅い夕食を食べさせる。子供椅子を用意するまでは、高さのあるダイニングテーブルは拓也には使えそうもない。
早炊きでセットしておいたご飯が炊けたので、一口大のおにぎりを皿に並べてあげると、手掴みで勢いよく口に入れていく。いつもより遅くなったせいで、お腹が空いていたみたいだ。
「いつ泣かれるかと、ドキドキしながら洗ってたよ」
まだ濡れたままの髪をタオルで拭きながら、伸也がリビングに戻って来た。コンビニで買った無地のTシャツに、さっきも着ていたパンツを合わせている。
「あ、洗面所にあるドライヤーを使って。お風呂から楽しそうな声が聞こえてたね」
「いや、それが結構微妙な顔してる時があってさ……泣かれなくて良かったよ」
まだ慣れない相手とのいきなりの裸の付き合い、さすがに1歳児でも戸惑うのだろう。けれど、グズったりしなかったということは、それなりに伸也に慣れ始めているのだろうか。
「俺が食べさせとくから、瑞希もお風呂に入ってきたら?」
「えっ、私一人で?」
「瑞希も洗って欲しい? 一緒に入ろうか?」
違う違うと焦って首を横に振る。伸也は揶揄うよう笑っていた。
一人でお風呂に入るなんて、いつぶりだろう。拓也がまだ赤ちゃんの時に、眠っている隙に入ろうとしても、出たら必ず起きて大泣きされていたから、一人でまともに入浴した記憶はほとんどない。
スプーンを握りしめつつ、反対の手で手掴みという自由奔放な食事スタイルだが、自分でもそこそこは食べるはずだしと、残りの食事の世話を伸也にお任せることにする。
押し入れから部屋着を取り出して浴室へ向かう際、すれ違った伸也からは自分のと同じシャンプーの香りがした。瑞希が用意しておいたのだから、当たり前なのだけれど。
久しぶりに入るファミリータイプのお風呂は、とても広く感じた。浴室そのものもアパートの物とは段違いだが、一人きりで入ったから余計に。
熱めのお湯でシャワーを浴びているのに、何だかずっとフワフワした気分だった。現実的ではなく、一時の夢を見ているのような。始まったばかりの新しい生活には、すぐに終わってしまいそうな脆さを感じる。
浴室の壁に設置された給湯器のコントロールパネルに目をやると、時計表示はすでに23時になろうとしていた。
瑞希がお風呂から出たら、伸也は自分の家に帰ってしまう。彼も次の日の仕事があるし、仕方ないことなのだが。寂しく、とても切ない気持ちが胸を襲う。海を挟んだ遠い海外ではなく、すぐに会える距離だけれど、離れ離れになるのはもう嫌だ。また会えなくなるんじゃないかという不安が付きまとって消えない。
着替えて髪を乾かし終えた瑞希がリビングに戻った時、お腹がいっぱいになった拓也は食事後にまた眠ってしまったらしく、和室の布団で横になっていた。
キッチンで洗い物をしてくれていた伸也に近寄ると、瑞希は彼の背に後ろから腕を回す。広い背中に顔を埋め、その体温を感じる。息子以外の温もりをこうやって感じるのはいつぶりだろうか。
「ん、どうした?」
再会して以降、瑞希の方から甘えてくるなんて、これが初めてだ。伸也は洗い物を終わらせてから、瑞希の腕を解いて振り返ると、そのまま正面を向いて身体を抱き締め直した。
少し照れたように見上げてくる顔には見覚えがある。二人で出掛けた後、いつも別れ際で見せてくれたのと同じ顔だ。
「帰らないで欲しい、とか?」
「ん」
短い返事に、困ったように苦笑する。子供を産んで母親になっても、瑞希は瑞希のままだ。何年経っても変わらないことはちゃんとある。
「明日も仕事あるんだけどなぁ」
「私もある」
「俺の布団、ある?」
「寝室のベッド、空いてるよ」
「あ、別々なんですね……」
まさかの家庭内別居の提案に、思わず噴き出した。「てっきり誘われたのかと思ったんだけど」の一言に、瑞希は伸也の胸に埋めて顔を隠している。
「離れ離れは、もう嫌だから……」
消え入りそうな声の呟きに、伸也は瑞希の背に回している腕に力を込める。それは自分だって同じだと、言葉にせず伝える。
「これまでも散々待たせてるけど、あともう少しだけ待ってくれる?」
顔を上げて頷き返す瑞希の前髪をそっと除け、その額に唇を添わせる。
やってもいないお見合いをまるで既成事実のように噂で流しているのが常務派だとの報告を、ついさっき秘書からメールで受け取った。秘書課に所属する常務の娘を鴨井の補佐に置いて牽制することにしたが、見合いの話が出ているような相手を近くに置くことは、瑞希に言えば嫌がるのは分かっている。
社内での基盤を固め、瑞希と子供の存在を公にするには、まだ力が弱い。今の伸也では、些細なスキャンダルでも失脚へと繋がりかねない。今はまだ、足りないものが多い。
「必ず、ずっと一緒に居られるようにするから」
自分自身にも言い聞かせるよう、強く囁く。
誰かに子供をお風呂に入れて貰うなんて、産院以来だ。ずっと一人でやってきて、代わってくれる人なんていなかった。真冬でも自分は濡れた身体のまま拓也を先に拭いて着替えさせたりと、風呂上がりはいつでもバタバタだった。ボロアパートの脱衣所は狭くて、隙間風の吹く冬は寒くて辛かった。
ドライヤーでさっと髪を乾かし、リビングのソファーテーブルで遅い夕食を食べさせる。子供椅子を用意するまでは、高さのあるダイニングテーブルは拓也には使えそうもない。
早炊きでセットしておいたご飯が炊けたので、一口大のおにぎりを皿に並べてあげると、手掴みで勢いよく口に入れていく。いつもより遅くなったせいで、お腹が空いていたみたいだ。
「いつ泣かれるかと、ドキドキしながら洗ってたよ」
まだ濡れたままの髪をタオルで拭きながら、伸也がリビングに戻って来た。コンビニで買った無地のTシャツに、さっきも着ていたパンツを合わせている。
「あ、洗面所にあるドライヤーを使って。お風呂から楽しそうな声が聞こえてたね」
「いや、それが結構微妙な顔してる時があってさ……泣かれなくて良かったよ」
まだ慣れない相手とのいきなりの裸の付き合い、さすがに1歳児でも戸惑うのだろう。けれど、グズったりしなかったということは、それなりに伸也に慣れ始めているのだろうか。
「俺が食べさせとくから、瑞希もお風呂に入ってきたら?」
「えっ、私一人で?」
「瑞希も洗って欲しい? 一緒に入ろうか?」
違う違うと焦って首を横に振る。伸也は揶揄うよう笑っていた。
一人でお風呂に入るなんて、いつぶりだろう。拓也がまだ赤ちゃんの時に、眠っている隙に入ろうとしても、出たら必ず起きて大泣きされていたから、一人でまともに入浴した記憶はほとんどない。
スプーンを握りしめつつ、反対の手で手掴みという自由奔放な食事スタイルだが、自分でもそこそこは食べるはずだしと、残りの食事の世話を伸也にお任せることにする。
押し入れから部屋着を取り出して浴室へ向かう際、すれ違った伸也からは自分のと同じシャンプーの香りがした。瑞希が用意しておいたのだから、当たり前なのだけれど。
久しぶりに入るファミリータイプのお風呂は、とても広く感じた。浴室そのものもアパートの物とは段違いだが、一人きりで入ったから余計に。
熱めのお湯でシャワーを浴びているのに、何だかずっとフワフワした気分だった。現実的ではなく、一時の夢を見ているのような。始まったばかりの新しい生活には、すぐに終わってしまいそうな脆さを感じる。
浴室の壁に設置された給湯器のコントロールパネルに目をやると、時計表示はすでに23時になろうとしていた。
瑞希がお風呂から出たら、伸也は自分の家に帰ってしまう。彼も次の日の仕事があるし、仕方ないことなのだが。寂しく、とても切ない気持ちが胸を襲う。海を挟んだ遠い海外ではなく、すぐに会える距離だけれど、離れ離れになるのはもう嫌だ。また会えなくなるんじゃないかという不安が付きまとって消えない。
着替えて髪を乾かし終えた瑞希がリビングに戻った時、お腹がいっぱいになった拓也は食事後にまた眠ってしまったらしく、和室の布団で横になっていた。
キッチンで洗い物をしてくれていた伸也に近寄ると、瑞希は彼の背に後ろから腕を回す。広い背中に顔を埋め、その体温を感じる。息子以外の温もりをこうやって感じるのはいつぶりだろうか。
「ん、どうした?」
再会して以降、瑞希の方から甘えてくるなんて、これが初めてだ。伸也は洗い物を終わらせてから、瑞希の腕を解いて振り返ると、そのまま正面を向いて身体を抱き締め直した。
少し照れたように見上げてくる顔には見覚えがある。二人で出掛けた後、いつも別れ際で見せてくれたのと同じ顔だ。
「帰らないで欲しい、とか?」
「ん」
短い返事に、困ったように苦笑する。子供を産んで母親になっても、瑞希は瑞希のままだ。何年経っても変わらないことはちゃんとある。
「明日も仕事あるんだけどなぁ」
「私もある」
「俺の布団、ある?」
「寝室のベッド、空いてるよ」
「あ、別々なんですね……」
まさかの家庭内別居の提案に、思わず噴き出した。「てっきり誘われたのかと思ったんだけど」の一言に、瑞希は伸也の胸に埋めて顔を隠している。
「離れ離れは、もう嫌だから……」
消え入りそうな声の呟きに、伸也は瑞希の背に回している腕に力を込める。それは自分だって同じだと、言葉にせず伝える。
「これまでも散々待たせてるけど、あともう少しだけ待ってくれる?」
顔を上げて頷き返す瑞希の前髪をそっと除け、その額に唇を添わせる。
やってもいないお見合いをまるで既成事実のように噂で流しているのが常務派だとの報告を、ついさっき秘書からメールで受け取った。秘書課に所属する常務の娘を鴨井の補佐に置いて牽制することにしたが、見合いの話が出ているような相手を近くに置くことは、瑞希に言えば嫌がるのは分かっている。
社内での基盤を固め、瑞希と子供の存在を公にするには、まだ力が弱い。今の伸也では、些細なスキャンダルでも失脚へと繋がりかねない。今はまだ、足りないものが多い。
「必ず、ずっと一緒に居られるようにするから」
自分自身にも言い聞かせるよう、強く囁く。
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