今更だけど、もう離さない〜再会した元カレは大会社のCEO〜

瀬崎由美

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第八話・休日にアパートで

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 昼食を終え、お昼寝の為に拓也を寝かしつけていると、アパートの前に車が停まってドアを開け閉めする音が聞こえてきた。ようやく眠りについた息子がチャイムで起こされては堪らないと、瑞希はキッチンの窓から外を確認し、先回りして玄関のドアを開ける。

「ごめん、拓也が今寝たとこだから」

 唇の前に人差し指を当てて、伸也へ静かに入るようにお願いする。ドアを閉める前に、こないだ見たのと同じ白い車がアパート前の道路を走り去って行くのが目に入った。社用車だと伸也が言っていた、運転手付きのセダンだ。

 仕事を途中で抜け出したのか濃いグレーのスリーピース姿の伸也は、部屋に上がると真っ先に子供布団に歩み寄る。そして、眠っている拓也の顔を覗き込んでニコニコと微笑んでいた。「可愛いなぁ」と呟きながら、子供の寝顔を食い入るように見ている。

「伸也って、子供好きだったんだね」
「そうでもない。拓也だけは特別」

 父性が芽生えるほど会った訳でもないのにと不思議がって、瑞希も隣で一緒に拓也を見始める。こうしてじっくりと息子の寝姿を見守るのは、久しぶりかもしれない。普段なら子供が眠っている時は、溜まっている家事を処理する貴重な時間だから逆にバタバタしている。
 そうしてしばらく二人で拓也に見入っていたら、突如横を向いた伸也から、無言で抱き締められる。急なことに驚きはしたが、身体自体が覚えている伸也の体温と、力の強さに抗う気は起こらない。

「きっと、瑞希が生んだ子だからだよ。拓也を大事だと思うのは」

 不意打ちの言葉に涙が滲み出そうになり、慌てて伸也から離れる。照れくさいのもあるが、高そうなスーツに変なシミを付けたら大変だ。俯いて顔を隠す瑞希の頭を、伸也はポンポンと優しく叩いた。

「入籍は瑞希の気持ちが固まってからでいいけど、二人の生活を支えたいから認知は急いだ方がいいと思う」
「伸也の方は、問題ないの?」

 大丈夫といいつつ、伸也が少し考えている風だったのが気になる。CEOの隠し子発覚となれば社内外でスキャンダル扱いになるだろう。

「拓也はまだ小さいから、私は別に急がなくてもいいよ」
「いや、仕事は大丈夫。そもそも、俺たちが連絡付かない状態になったのは、会社の連中のせいだから、文句は言わせない」

 言われてみれば、そうだった。無理矢理に渡米させられていなければ、二人は普通に授かり婚をしていただろうから。後ろめたく思うことは何もない。

「瑞希が見つからなかったり、他の男に取られてたらって気が気じゃなかった」
「まあ、私はすでに新しい男と暮らしてたけどね」
「うん。なかなか手強そうなライバルが出現してて焦るよ」

 寝返りを打って捲れた拓也の布団を掛け直しながら、二人は目を合わせ声を出さずに笑った。
 実際のところ、新しい恋愛なんてしようと思う余裕すら無かった。仕事をして子供を育てるだけで毎日が必死だった。

「拓也が目を覚ましたら、ちょっと出れないかな」
「え。これからってこと?」
「そ、急で悪いけど……」

 お昼寝が済んだ後ならグズりも少ないだろうと承諾すると、伸也はスマホで誰かに連絡を取っていた。

 拓也が目を覚ましたらすぐ出掛けられるように、瑞希は子供の着替えや玩具、お茶、オヤツなどをマザーズバッグに詰め込んでいく。その荷物の量に伸也は驚いているようだったが、オムツの取れていない乳幼児連れなら、これが標準装備だ。
 荷物と抱っこのコンボで二の腕は逞しくなったし、子供を追い掛けて常に走り回るからヒラヒラした洋服やヒールのある靴はすっかりお蔵入りになった。好きな服を何も気にせずに着られた、あの頃とは違うのだ。

 声を潜めながら二人で話していると、拓也がモソモソと小さく動き出し、そのまま目を開いた。昼寝から起きたら家に知らない人がいる状況に、寝ぼけながらも戸惑っているようだった。真っ先に瑞希の姿を探し、ひしっと脚にしがみ付いて離れようとしない。

「前にも会ったんだけど、覚えてないかぁ。あ、拓也はこないだもほとんど寝てただけだもんなぁ」

 いきなりの人見知りに、伸也は寂しそうに笑う。大泣きされないだけマシなのだが……。

 子供の警戒心が落ち着いてきたのを見計らって三人揃って外に出ると、白色のセダンがアパートの前でハザードランプを点けて停車していた。運転席からは濃いグレーのスーツを着た50代くらいの男性がすっと降りてきて、後部座席のドアを開いてくれる。

「秘書の鴨井さん。爺さんに引き継いで、俺に付いてくれてる」
「鴨井と申します。本日は運転手をさせていただきます」

 伸也に紹介され、鴨井は深々と頭を下げる。その所作のスマートさに釣られて瑞希もペコリとお辞儀したが、名乗る前に伸也に促されて後部座席のドアを潜った。社用車と聞いていたから、運転席の後ろに設置されている真新しいチャイルドシートには違和感しかない。
 子供を慣れない手付きでシートに乗せながら、ガチガチに緊張した顔でいる瑞希に、伸也は小さく笑いながら説明する。

「彼には全て話してあるから。興信所の手配とかで瑞希を探すのも手伝って貰ったし。あと、二人へのプレゼントの相談とかも乗って貰ったかな」
「そうなんだ――ありがとうございます」

 少しだけホッした表情に変わった瑞希は、運転席に乗り込んでシートベルトを装着している鴨井に礼を伝えた。

「いえいえ、社長と再会されて良かったです。歳の近い娘と孫がおりますので、贈り物は意外と得意なんですよ」
「あ、納得です。子育てしたことがある人じゃないと分からないようなセレクトだったので、絶対に伸也が選んでないなとは思ってました」

 そう言っていただけると嬉しいですね、と鴨井は目を細めて笑って、車を発進させた。きっと、孫へのプレゼントで高評価を貰えた物を勧めてくれたのだろう。見た目に派手さはないが自然素材で作られた玩具だったり、オーガニックの洋服だったりと、何でもすぐに口に入れてしまう乳幼児のことをよく分かっている贈り物ばかりだったから。

 そういえば行き先を聞いてないなと伸也に聞いてみるが、「着いてからのお楽しみ」と悪戯っぽく笑って返されるだけだった。
 これまで車に乗る機会がほとんど無かった為、拓也は初めて座ったチャイルドシートからの景色に奇声を上げて喜んでいた。
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