心の棲処

葵生りん

文字の大きさ
上 下
2 / 6

しおりを挟む


 私の生きる世界は、すべてが色褪せて、色彩に乏しい。
 天井と壁は白。それも純白じゃなくて、日焼けしてくすんだ白。
 ベッドの柵、シーツ、掛け布団も白。
 出入りする人々もまた、白衣。
 枕元におかれた花瓶も白で、しかも今は何も差していない。
 窓の外に視線を移しても、窓枠に切り取られた世界は、すべての葉を落としたイチョウの木が1本あるだけの寒々しい駐車場。
 日に焼けて色褪せた緑地に白く抜き取られた「第一総合病院」の看板。
 あとは人通りの少ない道路を挟んで向こう側に病院より少しは新しい薬局。
 それで、全部。

(……あ、来た)

 その乏しい色彩の中で、墨汁を半紙に落としたみたいにくっきりと際立つ学ランの男子学生がひとり歩いてきた。
 あれはわたしが在籍している高校の制服だ。今年4月の入学式の後、1週間で体調を崩し、入院と自宅療養を繰り返しているから在籍しているだけで通学は数えるほどだけど。
 だから見舞いに来るような友人もいなければ、多分わたしの顔を覚えているクラスメイトももういないんじゃないかと思う。
 中学がそうだった。
 卒業式の日、先生が自宅に卒業証書と一緒にクラスメイトの寄せ書きを届けてくれたが、書いてあるのは一様に「頑張って」だの「病気に負けないで」だの、当たり障りのないことばかりで空しいだけだった。
 当たり前だよね。わたしだって遊んだこともない子に寄せ書き書けって言われても困るし。
 そんなことを思いながら即ゴミ箱に放り込んで――と、そんなことはどうでもいいか。
 要は、同じ学校だったとしてもわたしはあの男子を知らないし、知る術もないということ。

 最初に彼の姿に気づいたのは、秋口の頃だった。
 月水金の週3日は必ず同じ時間、いつも制服であの道路を歩いてこの病院にやってくる。あとは日曜日。日曜だけは私服で時間が不特定だけど。
 どんな雨の日も強風の日も遅めの台風が来た日だって、彼は同じように歩いてきた。
 本人は見たところ悪いところはなさそうだし、大きなナイロンバッグをいつも下げている。ほんの時々だけど花を持ってきたりもするから、多分見舞いなんだろうと思う。
 制服だけなら整形外科に通ってくる部活生は見かけるけれど、彼はあまり運動が得意そうには見えない。ふざけて歩いて通りかかった車にクラクションを鳴らされたりするそういう部活生と、どこか影のある彼の雰囲気とは全く異質で、だから目を引いたのだと思う。
 最初は、あんなにマメに見舞いに来てくれるなんて、よほど大事な人が入院してるんだろうなと思っていたくらいだった。でも、ある日曜日の夕方にふとぼんやりと今日はあの人見逃しちゃったなと思って、彼が通る時間になると必ず道路を見下ろして彼の姿を探すようになっていたことに気づいてしまった。
 これが恋なのかな?って考えてみたけれど、正直よくわからなかった。
 でも、本を読んでいても彼が通る時間が近づくとそわそわしてしまう。
 諦めずにちゃんと友達を作る努力をしておくべきだったと後悔もした。

(名前、なんていうんだろう?)
(趣味は?)
(好きな食べ物とか、テレビ番組はなんだろう)
(本は読むかな? 雰囲気からすると読みそうなんだけどな)
(映画は? 私、DVDなら結構見てるんだけど)
(男の子だしもしかしてゲームのほうが好きかな?ゲームはあんまりしないけど、暇ならいっぱいあるからやってみてもいい――)

 なんてね、そんなとりとめのないことばっかり考える時間が楽しかった。
 だけど、その後必ず空しさと怖さが襲ってくる。

(――いつまで、続くのかな?)

 既に2月近くも経っている。
 お見舞いの相手がいつ退院しても不思議じゃない。
 そう思ったらいてもたってもいられなくて、結局一昨日、心を決めて、ついに玄関からすぐの待合室の長椅子に座って彼の行き先をこっそりと確認してしまった。
 正面玄関の床には赤や緑などの長い矢印が張られていて、それぞれが示す診療科へと伸びていく。彼はその矢印を見ることなく、慣れた足取りで青い矢印が伸びる病棟へと足を運んで行った。

(青――……精神科……)

 誰にだったか、精神科の治療は最低半年とか数年に渡ると聞いたことがある。
 ずっと入院してないかもしれないけど、再入院だって珍しくないとも。
 彼はきっとその間、見舞いに来続ける。
 ふ、とほのかな安堵の息をついてしまったことに気付き、胸の中に苦いものが沸き上がる。

(わたし、最低だ……なんてこと考えてるんだろう)

 胸が締め付けられるように痛くて、息が苦しくて、涙がこぼれた。
 痛みを堪えて胸を押さえると、通りかかった看護師が驚いて駆け寄ってきた。
 痛みが、いつまでも止まらなかった。

花音かのんちゃん! どうしたの? 発作?」

 痛いのは、心臓だろうか。
 それとも、心だろうか。
 病室に運び込まれながら、そんなことを考えていた。


 それでも今日もまた彼の姿を探して窓の外を見て、見つけると胸がとくんと不正な鼓動を刻んだ。

(心が心臓にあるなら、心臓が欠陥品の私は、心まで欠陥があるのかも)

 病院の中に消えていく姿を息苦しく見つめていたら、そんな苦い考えが、ふっと湧いた。



しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

Husband's secret (夫の秘密)

設樂理沙
ライト文芸
果たして・・ 秘密などあったのだろうか! むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ  10秒~30秒?  何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。 ❦ イラストはAI生成画像 自作

フリー台詞・台本集

小夜時雨
ライト文芸
 フリーの台詞や台本を置いています。ご自由にお使いください。 人称を変えたり、語尾を変えるなどOKです。 題名の横に、構成人数や男女といった表示がありますが、一人二役でも、男二人、女二人、など好きなように組み合わせてもらっても構いません。  また、許可を取らなくても構いませんが、動画にしたり、配信した場合は聴きに行ってみたいので、教えてもらえるとすごく嬉しいです!また、使用する際はリンクを貼ってください。 ※二次配布や自作発言は禁止ですのでお願いします。

やりチンシリーズ

田中葵
ライト文芸
貧富の差に関わりなくアホは生息している。

処理中です...