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しおりを挟む私の生きる世界は、すべてが色褪せて、色彩に乏しい。
天井と壁は白。それも純白じゃなくて、日焼けしてくすんだ白。
ベッドの柵、シーツ、掛け布団も白。
出入りする人々もまた、白衣。
枕元におかれた花瓶も白で、しかも今は何も差していない。
窓の外に視線を移しても、窓枠に切り取られた世界は、すべての葉を落としたイチョウの木が1本あるだけの寒々しい駐車場。
日に焼けて色褪せた緑地に白く抜き取られた「第一総合病院」の看板。
あとは人通りの少ない道路を挟んで向こう側に病院より少しは新しい薬局。
それで、全部。
(……あ、来た)
その乏しい色彩の中で、墨汁を半紙に落としたみたいにくっきりと際立つ学ランの男子学生がひとり歩いてきた。
あれはわたしが在籍している高校の制服だ。今年4月の入学式の後、1週間で体調を崩し、入院と自宅療養を繰り返しているから在籍しているだけで通学は数えるほどだけど。
だから見舞いに来るような友人もいなければ、多分わたしの顔を覚えているクラスメイトももういないんじゃないかと思う。
中学がそうだった。
卒業式の日、先生が自宅に卒業証書と一緒にクラスメイトの寄せ書きを届けてくれたが、書いてあるのは一様に「頑張って」だの「病気に負けないで」だの、当たり障りのないことばかりで空しいだけだった。
当たり前だよね。わたしだって遊んだこともない子に寄せ書き書けって言われても困るし。
そんなことを思いながら即ゴミ箱に放り込んで――と、そんなことはどうでもいいか。
要は、同じ学校だったとしてもわたしはあの男子を知らないし、知る術もないということ。
最初に彼の姿に気づいたのは、秋口の頃だった。
月水金の週3日は必ず同じ時間、いつも制服であの道路を歩いてこの病院にやってくる。あとは日曜日。日曜だけは私服で時間が不特定だけど。
どんな雨の日も強風の日も遅めの台風が来た日だって、彼は同じように歩いてきた。
本人は見たところ悪いところはなさそうだし、大きなナイロンバッグをいつも下げている。ほんの時々だけど花を持ってきたりもするから、多分見舞いなんだろうと思う。
制服だけなら整形外科に通ってくる部活生は見かけるけれど、彼はあまり運動が得意そうには見えない。ふざけて歩いて通りかかった車にクラクションを鳴らされたりするそういう部活生と、どこか影のある彼の雰囲気とは全く異質で、だから目を引いたのだと思う。
最初は、あんなにマメに見舞いに来てくれるなんて、よほど大事な人が入院してるんだろうなと思っていたくらいだった。でも、ある日曜日の夕方にふとぼんやりと今日はあの人見逃しちゃったなと思って、彼が通る時間になると必ず道路を見下ろして彼の姿を探すようになっていたことに気づいてしまった。
これが恋なのかな?って考えてみたけれど、正直よくわからなかった。
でも、本を読んでいても彼が通る時間が近づくとそわそわしてしまう。
諦めずにちゃんと友達を作る努力をしておくべきだったと後悔もした。
(名前、なんていうんだろう?)
(趣味は?)
(好きな食べ物とか、テレビ番組はなんだろう)
(本は読むかな? 雰囲気からすると読みそうなんだけどな)
(映画は? 私、DVDなら結構見てるんだけど)
(男の子だしもしかしてゲームのほうが好きかな?ゲームはあんまりしないけど、暇ならいっぱいあるからやってみてもいい――)
なんてね、そんなとりとめのないことばっかり考える時間が楽しかった。
だけど、その後必ず空しさと怖さが襲ってくる。
(――いつまで、続くのかな?)
既に2月近くも経っている。
お見舞いの相手がいつ退院しても不思議じゃない。
そう思ったらいてもたってもいられなくて、結局一昨日、心を決めて、ついに玄関からすぐの待合室の長椅子に座って彼の行き先をこっそりと確認してしまった。
正面玄関の床には赤や緑などの長い矢印が張られていて、それぞれが示す診療科へと伸びていく。彼はその矢印を見ることなく、慣れた足取りで青い矢印が伸びる病棟へと足を運んで行った。
(青――……精神科……)
誰にだったか、精神科の治療は最低半年とか数年に渡ると聞いたことがある。
ずっと入院してないかもしれないけど、再入院だって珍しくないとも。
彼はきっとその間、見舞いに来続ける。
ふ、とほのかな安堵の息をついてしまったことに気付き、胸の中に苦いものが沸き上がる。
(わたし、最低だ……なんてこと考えてるんだろう)
胸が締め付けられるように痛くて、息が苦しくて、涙がこぼれた。
痛みを堪えて胸を押さえると、通りかかった看護師が驚いて駆け寄ってきた。
痛みが、いつまでも止まらなかった。
「花音ちゃん! どうしたの? 発作?」
痛いのは、心臓だろうか。
それとも、心だろうか。
病室に運び込まれながら、そんなことを考えていた。
それでも今日もまた彼の姿を探して窓の外を見て、見つけると胸がとくんと不正な鼓動を刻んだ。
(心が心臓にあるなら、心臓が欠陥品の私は、心まで欠陥があるのかも)
病院の中に消えていく姿を息苦しく見つめていたら、そんな苦い考えが、ふっと湧いた。
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