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第三章
第一節 誕生会
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それからもルマとミシの関係は続き、それがもうすぐ一年になろうかという頃、ルマはとうとう十五歳の誕生日を迎えた。
立派な成人になるという事もあり、商会側はその誕生会の準備にてんやわんやだった。
「会長。これはどちらに置きましょうか?」
場所は帝都にあるヘターム商会本部の本館一階の専用の広場。
一人の職員が見事に飾り付けられた大きな花瓶を持ってそうテルに聞いてきた。
「ああ、そこの卓の中央に置いておいてくれ」
「会長。こちらが本日の誕生会に出席される方々をまとめた名簿になります」
テルが指示を出した直後、名前しか書かれていないにもかかわらず、文字で一面が埋まっている数枚の紙が別の職員から間髪入れずテルに手渡される。
「ああ、ご苦労」
商会は相変わらず忙しそうで、テルをはじめとする職員らは前々から準備していた誕生会の仕上げに奔走していた。
そんな中、ムヌケと共にテルの隣に居たルマは、前々から考えていた事を願い出てみた。
「あのお父様。今日の祝賀会にミシも連れて来てもいいですか?」
それに対しテルはまるで当然のように、間を置かずに返答する。
「ああいいとも! お前の誕生会なんだ。好きにすると良い」
「ありがとうございます! それじゃあムヌケ、後の残りは任せたわね!」
「かしこまりましたお嬢様。どうかお早いお戻りを」
ムヌケは以前テルに誘われた時と同様、今回もルマについていこうとはしなかった。
「うん分かってる! それではお父様、行ってまいります」
「えっ? もしかして今からか? おいルマっ! もうすぐ参加者の方々がいらっしゃるんだぞ! お前自分の準備はどうす……ってもう居ないし……」
テルの制止の声が聞こえたのか疑問な程に、ルマはかろうじてその後ろ姿を捉えられるくらいの凄まじい速さで外へと出て行った。
「あの子の一度決めたことに対しての一辺倒な所、一体誰に似たのかしらね」
ルナはため息を漏らすテルの後ろからそう質問を投げかける。
「私ではないな」
即答する自覚のない夫に対し、ルナはそんな夫を鼻で笑うのだった。
ルマは父から言質を取ると、急いでいつもの場所へと向かった。
もはや恒例ともなっているため、約束はしていないが、そこには既にミシが居た。
「あっ! いたいた!」
ルマの声に気付き、ミシは振り返って片方の手を頭の位置まで挙げる。
「おう。今日は早いんだな。商会の方は休みか?」
「うんうん。実は今日はね、私の誕生日なのっ! だからミシを私の誕生会に招待しようと思って、こうしてわざわざ主役自ら出向いてきたのよ?」
自慢げに両手を腰に置いて胸を張るルマに対し、ミシの反応は色良いものではなかった。
「えっ!? いや……! 俺は、いいよ……」
「ちょっと! 友達の誕生日なのに祝わないつもり?!」
「…………オメデトー」
質問の返答にと、ミシからの指先のみを動かした拍手が送られるが、当のルマ本人は当たり前だが全く嬉しくはなかった。
「もうそういうのはいいから、ほら早く!」
座っているミシの腕をつかんで強引に立ち上がらせるルマ。
「ちょっと待てって!」
制止の声をかけるミシに構うことなく、ルマはその手を引いたまま歩き出す。
「悪いけど時間がないの。私も帰ってすぐ着替えとかで準備しなきゃいけないし」
「時間が無いなら尚更、どうして来たんだよ!」
ミシから強引に手を振りほどかれ、ルマは一旦歩くのをやめて後ろを振り返る。
「だってこうでもしなきゃ、あなた事前に招待状送った所で来ないでしょ?」
ミシはルマから目を逸らし、その問いに対して沈黙で返す。
「ほらやっぱり!」
「……第一お前、今日が誕生日ならどうして前々から言わなかったんだよ」
「え? どうしてって、驚かせようと思ったからよ?」
「逆じゃない!?」
「そんなことはもういいからほら早く! こっちはだいぶと時間が押してるの!」
振りほどかれたミシの手をもう一度握り、ルマは再び歩き出す。
「…………もうどうにでもなれだ」
それからは諦めたのか、手を引かれるミシは最早抵抗することはなく、横で流れる川の水のように、その身を任せるのだった。
――思えば、ルマはミシを家に連れて行くのはこれが初めてであったが、もうルマにはミシを家に連れて行くことに対して何の躊躇もしなくなっていた。
ルマがミシを会場へと連れてきているその一方で、テルの方は何をしているのかというと、晴れて娘が成人となるそんな特別な日ということもあり、自らが会場の入り口付近に立ち、下級貴族から帝国の重鎮たちに至るまで、誕生会に参加する数百にものぼる来客たちを出迎えていた。
「——殿。本日はようこそいらっしゃいました」
「これはこれは。財務大臣殿からの直々のお出迎えとは恐縮ですな。……それで、本日の主役は……?」
数百人の出席者が余裕で入れる会場の奥を覗きながら言う来客に対し、テルが答える。
「ああ、娘でしたら今裏の方に……」
「……ああ! なるほど! 本日は満を持してのお披露目ということですかな?」
「ハハハ! バレてしまいましたか!」
そう見破られたかのように笑うテル。
間違っても『好きな男の子を誘いに行っていて今は居ない』とは言えない。
従属国を含む帝国の領土はヘードリア大陸の五分の二を占め、そんな帝国の四大大臣の一つの財務大臣ともなれば、その力の影響力は他国の国王と比べても遜色のないものであり、その財務大臣の一人娘に想い人が居るなどと知られれば、帝国中の話題をさらうのは必然。
もしそれがミシの耳に直接入ろうものなら、娘との関係がどうなるかは分かったものではない。
しかし幸いにも、テルはそんな野暮なことをする男ではなかった。
その調子で次々と来客を出迎え最後の一人が入場した頃、ルマはまだ戻って来てはいなかったが数百人の出席者たちを待たせるわけにもいかないので、誕生会は主役が不在の中での開始となった。
肝心のルマがまだ帰ってきていないので、テルの秘書であるタレクが司会での口頭で場を伸ばす。
その脇にてムヌケの横に立つテルが焦りだしたその時、遠い入り口の扉が静かに開き、二人にはルマがミシを連れて入ってくるのが見えた。
ギリギリ間に合っただけでなく、初めてミシが家に来た事に、テルは歓喜する。
その一方で、主人に連れてこられた初対面の男に対し、ムヌケはルマやヨルクとはまた違った、不思議な感覚を覚えるのだった。
確かに主人の言ったように、一見して神人かどうかを判断するのは難しく、神人だと言われれば、そうだと思えるが、そうじゃないと言われればそうじゃないとも思える。
ムヌケから見たミシは「なんだアイツ?」と、そんな首をかしげる程の奇怪な感想を抱く存在だったのだ。
そんなムヌケとは違い、テルの方はすぐにでも二人に駆け寄ろうとするが、自分がルマに教えたように、人の印象は最初が肝心だと心を落ち着かせる。
呼吸を整えて自身の落ち着きを感じ取り、主人のため近付こうとしないムヌケをその場に残し、テルはいよいよルマたち二人の元へと向かう。――その結果、こうなった。
「……ルマ。遅かったじゃないか」
「お父様! ……少しばかり遅れてしまい申し訳ありません」
「今はまだ大丈夫だ。タレクが繋いでくれている」
そう言い、テルはできるだけ自然にミシの方へと目を向ける。
「あっ、そうでした! お父様。こちらが以前より話していたミシです」
「……ど、どうも、初めまして。ノルス・ミシと申します。この度はお招きいただきまして誠にありがとうございます」
そうミシが言うと、その言葉を最後に、長い沈黙がその場を包んだ。
「……あ、あの、お父様?」
説明をしよう。この父親、心を落ち着かせて二人の前に出て来たのは良いが、あまりにも気持ちが先走りすぎてしまった結果、落ち着かせることに気を取られすぎてしまい、ミシを目の前にして話題を全く考えていなかったことに気付いたのだ。
無理もない。テルのムヌケを含んだ家族構成には自分以外に男性は一人も居らず、商会でもミシと同じ年代の青年がいないため、テルは急にやってきた年頃の青年であるミシに対して話せる話題を持ち合わせていなかったのだ。
そうした様々な要因が重なり、現状はテルが酷い剣幕でミシを見ている形となっていた。
「あ、あの……やっぱり俺、帰りますね」
「あっ! ちょっと!」
そんなテルの視線に耐えかねたのであろうミシをルマが止めようとしたその時だった。
「何を帰ろうとしている」
「「え?」」
あまりの一貫性のないテルの言動に、疑問をぶつける二人の声が重なる。
「客人を門前払いしたとあっては、家の品格が疑われてしまう。君はうちの品位を下げたいのかね?」
普段から商会に来る者の一部を門前払いしていたということもあったため、テルは自分の家が周りにどう思われるかなど毛ほども気にしておらず、心の中では何であれ、ミシに対しての話題が見つかった事に歓喜していた。
「いえいえ! 決してそんなことは……!」
「今日は娘の誕生日だ。そんな服で出ることは許さん。今代わりの物を持って来させるからそれに着替えなさい。……取り敢えずは、歓迎するよ」
この時のテルの心中は、汚れた服装で出席し、ミシ本人が恥をかくことを心配していた。
「あ、ありがとうございます……」
「うむ」
言いたいことを言い、年上としての保ちたい威厳を保ったテルは颯爽とその場を後にしようとする――はずだった。
「あなた何してるのっ!!」
「あいたぁ!」
その瞬間。ルナがテルの意識外からその後頭部を手ではたいた。
「品格だの品位だのって、それ以前に! そんな態度取ってミシ君のルマに対する心証が悪くなったらどうするのよ! ……ごめんねミシ君。この人こういうところがあるのよぉ~」
不意を食らったテルは体勢を立て直し、不満ありげにルナを見る。
「ルナッ! こういうのは最初が肝心なんだ! これからの付き合いを考えればここでしっかり威厳を見せておかねば……!!」
「はいはい。もういいから早くいくわよ。そろそろタレクだけじゃ場が持たなくなっているわ。……ミシ君。今日は楽しんでいってね!」
「は、はい……ありがとうございます」
ルナは話が長くなりそうな夫の言葉を遮り、ミシに微笑み掛けると同時に、その襟を掴んで引きずる形でテルを連れて行く。
「ほらあなた、早く」
「待てルナ! 話はまだ終わってないぞ!」
「丁度いいわね。ルマの着替えが終わるまで、壇上でたっぷりと話してらっしゃいな!」
離れていく両親をミシと見送り、ルマは身内の恥に対し、顔を両手で隠した。
「……面白いご両親だね」
「うぅ。お父様ったら……」
「……そういえばお前ってさ――」
「ミシ様。お召し物の準備が出来ましたので、こちらへどうぞ。ご案内いたします」
ミシが何か言いかけていた所に、商会で働く使用人の男性が声をかけてきた。
「……あー。はい……」
ミシはそう使用人の方に返事すると、ルマの方を見る。
「お前も早く行った方が良いんじゃないのか? 色々と準備とかあるだろ?」
「え、ええ。そうね……それじゃあまた後でね!」
「おう!」
ミシは使用人の人に連れられて、着替え用の部屋に向かって行く。
ルマはそれを見送ると、自分のお披露目のために急いで準備に取り掛かるのだった。
「――時の流れとは早いもので、ついこの間まで私の両腕に小さく収まっていた子が、本日晴れて……」
その後ルマの着替えが終わるまで、テルによる成人した娘であるルマに関しての、当たり前だが至って真面目な口上が続いてしばらくした頃、いよいよルマの準備が整った。
「っと、長話はこのくらいに。そろそろ我が娘のお披露目とさせて頂きましょうか」
職員による準備完了の合図を受け取ったテルが、ルマの氏名を呼んだことで楽団の演奏が始まり、それを合図として見事に着飾ったルマが奥より登場する。
ルマの登場と共に沸き起こる拍手だったが、すぐにその場は楽団による演奏の音しか聞こえなく状態となった。
「おぉ……なんと……」
「……ゴクリッ」
老若男女問わず誰もが拍手も忘れ感嘆の声を漏らし、中には生唾を飲み込む者もいた。
自分の娘が既に売約済みであることを知っているテルは、そんな彼らが娘に対し値踏みするかのような目を向ける様子に終始ご満悦で、笑いを堪えるのに必死だった。
そんな興奮の冷めやらぬ中で、ルマのお披露目も完璧に終わり、一家による重役たちへの挨拶回りが始まった。
形式としては両親の間にルマが立ち、順番に来客たちと話をする形だ。
招待された帝国の重役たちは文武問わず揃っており、テルとは八年来の付き合いであるゼノンもその例外では無かった。
「テル殿。この度は御息女のご成人、誠におめでとうございます」
「ゼノン殿こそ、本日はよくぞお越し下さった。ささっ、どうぞ楽しんでいって下され」
こういった会話がその他の来客とも繰り返された中で、その内の来客者の一人が、ある一つの話題をテルに向けて持ち出して来た。
「つきましては、ヘターム殿。ご息女ももう既にお年頃ですのに、そういった話は一向に聞かないのですが、どうなっておるのです?」
「……そういった、とは?」
敢えて分からないふりをするテル。
「いやですねぇ~……婚約の事ですよ……」
相手は周りに居る他の者に聞こえないよう、最後の部分を小声でテルに顔を近付けながら言う。
慣習としては、家は子供が成人するよりも前にその婚約者を決めるものであるため、ルマのように成人しても婚約者がいないのは非常に珍しい事だった。
「いやぁ~。ははは」
横で妻子が見ている中、テルはその場での明言を避け、適当な苦笑いで誤魔化す。
先ほど見たルマとミシの距離感から、彼らにとって今が一番繊細な時期だということは父親の目からでも明らかだったため、変に刺激するべきではないと分かっていたのだ。
それを受け相手は、小声で言えば秘密裏に教えてくれるのではという期待も空しく、教えてもらえないことを察すると、鼻から息を出しながら肩を落とすのだった。
その後も誕生会は続き、長い挨拶周りが一通り終了して誕生会も中盤に差し掛かった頃、いよいよ自由参加形式だが、多くの参加者がその広い会場の中央で踊ることとなった。
だがここで、ルマは一つの問題に直面する。
もちろんルマ自身は踊りについての心得はあり、誰かと踊ることに関しての懸念は全くなかった。
そう、誰と踊るのか、それが問題だったのだ。
挨拶回りの際に婚約がどうのこうのと話題になっていた事と、主役がルマという事もあり、周りの者は今日成人したルマが最初に誰と踊るのかに注目している状況だった。
今日の主役が踊らないわけにもいかない。
「おいっ! 急いで彼を呼んで来い! 一体いつまで着替えているんだ!」
「は、はい! ただいま!」
状況の悪さを感じ取ったテルは、急いでミシの居る部屋に使用人を走らせる。
使用人は会場である広場を出ると角を曲がり、ミシが居るであろう部屋に向かって一直線に走り出そうとしたその時、曲がり角で一人の青年にぶつかり尻もちをついてしまった。
幸いにも相手の方は体幹が良いのか、使用人とぶつかっても微動だにしなかった。
「ああすみません! お怪我はありませんか?」
相手はそう言って、尻もちをついている使用人に手を差し伸べてきた。
使用人はそれに捕まり、起き上がりながらも返答する。
「いえ、非は前を見ていなかった私に……その、失礼ですが、先を急いでおりまして……」
「はい。構いませんよ。此方の方は大丈夫ですので」
「ありがとうございます」
そうして使用人は最低限の礼を欠かないように接すると、急いでまた走り出した。
この時の使用人は、あまりにも焦っていたために、礼を欠かずとも冷静さを欠いていた。
普段の使用人なら、今日の誕生会での出席者の顔と名前が全て頭の中に入っているこの使用人なら、先程ぶつかった相手の顔が、本日参加する予定だった出席者の誰にも当てはまっていないことに気付いていただろう。
使用人がミシを呼びに行っている一方で、ルマは多くの子息たちに囲まれていた。
「ルマ様! 私と一曲!」
「いえ私と!」
「いえいえ。ここは是非私と……!」
初めの頃は、ルマに対して恐れ多いと誰も近付いて来なかったのだが、最初の一人が行くとその後ろにもう一人が続いてと言った具合に、次第にルマの周りには人が取り囲むように増え続け、今に至っていた。
「おいっ! 主役が困っているだろう! 離れなさい!!」
そう言い、ルマを気遣った子息たちの親である重役たちは、ルマを取り囲む子息たちをルマから遠ざけようとするが、それはあくまで『自分の子以外を』であった。
もみくちゃな状況の中、各々が自己の利益を優先し、他を押しのけるその光景は、まさに地獄絵図。
ルマの前には親の助けを得た子息たちの手が無数に伸ばされており、困っているルマを見て、ここでようやくテルとムヌケらを始めとする、ヘターム商会職員らが助けに入ろうと子息たちとルマの間に割って入る。
しかし第三者が加わったことで、ただでさえ大変な状況が更に混乱し、ムヌケの加勢を以てしても、いや、ムヌケが居たからこそ、職員らはルマに近付けないように抑えるので精一杯な状況だった。
風習の面から見ても、一緒に踊ったからといって、別にどうということではないのだが、成人した女性の初のお披露目でもある誕生会、更には帝国の重役が揃うこの場において、主役と最初に踊る事は家の肩書だけでなく『あの』ルマと最初に踊った者だと、顔を売ることが出来るという側面があったのだ。
しかし当のルマ本人はと言うと、自分に背を向けながら子息たちを抑えてくれている職員の者たちに感謝はしつつも、それには目もくれず、辺りをキョロキョロと首ごと左右に視線を動かし、未だ見つけられずにいるミシを探していた。
――そんな時だった。
先程使用人とぶつかったその者は、何の前触れもなくムヌケら職員とルマの間にできた隙間、つまりはルマの眼前に突然現れたかと思うと、片手を差し出してこう言った。
「ルマ様。どうか本日主役である貴方と最初に踊る栄誉を、私めに頂けませんでしょうか?」
「――!! いつの間に……!?」
後方からの気配に驚き、素早く反応したムヌケが振り返る頃には、その者が着ている上着の下の方の部分は、まるで今重力を思い出したかのように下へと落ちている所だった。
ルマは驚愕した。
左右を交互に見る自分の目の前に、突然その者が現れたという事もあるが、何も理由はそれだけではない。
目の前にいるその相手は、服装、髪型ともに整っており、そのせいもあって一瞬誰なのかが分からなかった。
しかし次第に耳で聞くその声、そして力によって認識する事で明らかとなったその本質により――その者がミシだという事が判明したのだ。
「あっ…………はい」
ルマは驚きと呆気に囚われ、ミシの顔と手を交互に見ながらも、短くそう返答すると、ミシから差し出されたその手を握った。
「――!!」
ルマがミシの手を握ったその瞬間。
最初、テルは自分の後方に突如として現れたその者が何者であるかは分からなかったが、ルマが手を握ったことで、その者がミシだと直感する。
テルがすぐさま指揮者へ合図を送り、合図を受け取ったことにより楽団の演奏が始まると、ルマたち二人を中心に、一連の騒動に参加していなかった他の夫妻たちによる踊りが始まった。
周りが踊り始めるも、ヘターム夫妻はその中には入らずに少し後ろへと下がると、中心にいる二人が踊る姿を、ムヌケと共に三人で見ていた。
「あらあら、ミシ君ったら、案外化けるのねー! それに何も問題なく踊れているわ」
「……はい」
「……うむ。そうだな……」
少し思う所のあるムヌケを含む三人が悦に浸っていると、当然とも言うべきか、ミシの突然の登場に驚いた一部の者たちが、テルから見てその左右背後より詰め寄って来た。
「ヘターム殿! あの御仁はお知り合いで?!」
「どこの出の者ですか?!」
「ご存じでしたら是非お名前を……!」
男選びの基準が高いと噂されていたルマが選んだ相手。
懇意にしておいて損はない。
ワラワラと寄ってくるその者たちを余所に、テルはそんな下心を嘲笑うかのように気品のある中声で笑い声をあげると、手に持っていた自分の杯に入っているお酒を飲む。
その一口は先程までの数口と違い、これまでテルが飲んだどのお酒よりも美味なものだった。
もはや周りにいる重役たちなどガン無視で数回手で杯の中のお酒を回し、先程と中身が変わっていないことを確認すると、テルは軽い笑みを浮かべ、視線を杯から踊っている二人に移すのだった。
父親が重役たちからの質問攻めに遭っている頃、ルマはミシとの踊りに興じていた。
と言っても、先程は突然の事で呆気に取られながらも手を握ったルマだったが、状況を理解できるようになった今となっては、激しく波打つ胸の鼓動と動揺を抑えられず、もはや踊るどころではなくなっていた。
自分の手を握り、自分の腰に回すミシの手もさることながら、何よりルマの動揺を誘ったのはその密着度だった。
「……おーい。なんで下向いてんだよ。胸張れって」
「う、うん……」
ミシの言葉を受け、胸を張り、顔を上げるルマ。
互いに若干の身長差があるとは言え、ルマが踵の高い靴を履いていることもあり、ルマの間の前には普段のみすぼらしい姿からは想像もできない、髪型等の何から何まで整ったミシの顔があった。
両者の視線が重なり、ルマは得も言われぬ恥ずかしさから、すぐに横を向いてその視線を外す。
その様子を見てかミシが口を開いた。
「……やっぱある程度は踊れるんだな。流石はお嬢様」
「――! ……あなたこそ、普通に踊れるなんてね」
現にミシは標準である男性が先導する形式に則って、問題なくルマを先導していた。
「あれ? 俺『の』を見たんだろ? 分かんなかった?」
そう言われ、改めてミシを見るルマ。
「……――!! …………」
「どうだった?」
「……私より上手い」
「えっ、マジ? いやー参ったなー……おっと」
突如、踊りに変化を持たせるルマだったが、ミシは余裕でそれに合わせて来た。
「……ムッカつくぅ!」
ルマの悪態に対し、ケラケラと笑うミシ。
「……そういえば、さっき着替える前に言い損ねてたんだけど――」
「――?」
「お前自分の親に対して『様』呼びなんだな。人柄変わりすぎて笑っちまったわ!」
そう言い、またも笑うミシ。
「わ、悪かったわね!」
踊りながらも喧嘩をする両者だったが、この時のルマは喧嘩に夢中で、自分がミシに対して面と向かって普通に会話出来ていることに気付いていなかった。
「……さっきは、ありがとね! 困っていた所を助けてくれて」
曲も終盤を迎え、変わらず口喧嘩はしていたものの、別に怒っていたわけでは無かったので忘れないうちにとお礼を言うルマ。
「…………別に、友達が困ってたら、助けるのが当然だろ?」
友達。この誕生会にミシを誘う際に自分が言っていたにもかかわらず、その言葉をミシから聞いて、ルマの口角は上がっていたものの目線は下を向いていた。
「う、うん……でも、それでも感謝してるから……」
「……おう」
そのミシの言葉と同時に曲が終わる。
辺りは静まり返り、次の瞬間には大勢の拍手の音が会場内を埋め尽くし、踊っていた者全員は拍手の返答にとお辞儀をする。
その拍手が終わろうという時、ミシはルマの片手を握りながら片膝を折り、ルマの前にしゃがみ込んだ。
「ルマ様。一曲目にお付き合いくださいましてありがとうございました。しかし大変失礼ながらも、急遽用事を思い出しましたので、私はこれにて失礼致します」
周りにも聞こえるようにそう大声で言うと、ミシはルマの手の甲に軽く口付けをするなり立ち上がり、足早に出口に向かって行った。
「あっ! そこの御仁! 少々お待ちを!」
現実に引き戻された者たちがミシを引き留めようとしたその時、ミシが出て行こうとした扉が両方ともに仰々しく開き、一人の人物が入って来る。
ヘターム商会は帝国を代表する、言わずと知れた帝国一の大商会であり、その代表は帝国の現財務大臣。
そんな男の一人娘であるルマの成人を祝う誕生会に、この者が来ない事の方が不自然だった。
「こ、皇帝陛下!!」
「えっ!? ほ、本物!?」
「静まれ! 今日は祝いに来ただけだ!」
突然の皇帝の登場に混乱する人たちを、皇帝はこれまた見事に制止する。
「陛下! お出迎えもせずに申し訳ございません。てっきり本日は来られないものかと」
テルが入ってきた皇帝の前に、低姿勢にて進み出て謝罪する。
どう考えても遅れてきた皇帝が悪く、テルが謝る必要は全く無いのだが、それを実際に言ってはおしまいだ。
「全くだ。会場を間違えたかと思ったぞ。……しかし、本日成人した其方の娘に免じて不問に伏すとしよう」
「ありがとうございます!」
あたりをキョロキョロと見まわす皇帝。
「それにしても随分と遅れてしまったようだな。なんだ、踊りはもう終わったのか?」
「いえ、まだ一曲目が終わっただけです」
「ほう……ルマっ! ルマはどこだ?」
「はい。ここにおります陛下」
皇帝が今日の主役の名前を呼ぶと、すぐにルマが父と同様、頭を低くしながら皇帝の前に進み出た。
「ルマよ。息災か?」
「はい。陛下の方もお変わりないようで何よりです」
「うむ。……して、ルマよ。一曲が終わったと聞いたが、其方は踊ったのか?」
「はい。踊りました」
「ほぉ! 男選びに厳しいと評判の其方がか! ……して相手は? どこにおる?」
興味津々な皇帝はまたも周辺を見回すが、既にミシは去った後だった。
「急遽用事を思い出したようで、先程帰られました」
さりげなくテルが皇帝の斜め後方にて耳打ちをするようにそう小声で説明する。
「ほぉ? 成人したばかりの者の名誉の一曲目だけを踊るなり去るとは……。ルマよ、その者は一体何者なのだ?」
皇帝を含むその場の全員の注目が集まる中、ルマはその質問に対し、先程ミシに口付けされた右手の甲を見つめ、それを左手の親指で優しく撫でながら返答する。
その言葉とは裏腹な、笑みに満ちたルマの表情を見て、その場に居る皇帝を含む全員が全てを察し、それによりこの日を境に、ルマに対し言い寄る者は居なくなるのだった。
「私の……大切な友人です!」
立派な成人になるという事もあり、商会側はその誕生会の準備にてんやわんやだった。
「会長。これはどちらに置きましょうか?」
場所は帝都にあるヘターム商会本部の本館一階の専用の広場。
一人の職員が見事に飾り付けられた大きな花瓶を持ってそうテルに聞いてきた。
「ああ、そこの卓の中央に置いておいてくれ」
「会長。こちらが本日の誕生会に出席される方々をまとめた名簿になります」
テルが指示を出した直後、名前しか書かれていないにもかかわらず、文字で一面が埋まっている数枚の紙が別の職員から間髪入れずテルに手渡される。
「ああ、ご苦労」
商会は相変わらず忙しそうで、テルをはじめとする職員らは前々から準備していた誕生会の仕上げに奔走していた。
そんな中、ムヌケと共にテルの隣に居たルマは、前々から考えていた事を願い出てみた。
「あのお父様。今日の祝賀会にミシも連れて来てもいいですか?」
それに対しテルはまるで当然のように、間を置かずに返答する。
「ああいいとも! お前の誕生会なんだ。好きにすると良い」
「ありがとうございます! それじゃあムヌケ、後の残りは任せたわね!」
「かしこまりましたお嬢様。どうかお早いお戻りを」
ムヌケは以前テルに誘われた時と同様、今回もルマについていこうとはしなかった。
「うん分かってる! それではお父様、行ってまいります」
「えっ? もしかして今からか? おいルマっ! もうすぐ参加者の方々がいらっしゃるんだぞ! お前自分の準備はどうす……ってもう居ないし……」
テルの制止の声が聞こえたのか疑問な程に、ルマはかろうじてその後ろ姿を捉えられるくらいの凄まじい速さで外へと出て行った。
「あの子の一度決めたことに対しての一辺倒な所、一体誰に似たのかしらね」
ルナはため息を漏らすテルの後ろからそう質問を投げかける。
「私ではないな」
即答する自覚のない夫に対し、ルナはそんな夫を鼻で笑うのだった。
ルマは父から言質を取ると、急いでいつもの場所へと向かった。
もはや恒例ともなっているため、約束はしていないが、そこには既にミシが居た。
「あっ! いたいた!」
ルマの声に気付き、ミシは振り返って片方の手を頭の位置まで挙げる。
「おう。今日は早いんだな。商会の方は休みか?」
「うんうん。実は今日はね、私の誕生日なのっ! だからミシを私の誕生会に招待しようと思って、こうしてわざわざ主役自ら出向いてきたのよ?」
自慢げに両手を腰に置いて胸を張るルマに対し、ミシの反応は色良いものではなかった。
「えっ!? いや……! 俺は、いいよ……」
「ちょっと! 友達の誕生日なのに祝わないつもり?!」
「…………オメデトー」
質問の返答にと、ミシからの指先のみを動かした拍手が送られるが、当のルマ本人は当たり前だが全く嬉しくはなかった。
「もうそういうのはいいから、ほら早く!」
座っているミシの腕をつかんで強引に立ち上がらせるルマ。
「ちょっと待てって!」
制止の声をかけるミシに構うことなく、ルマはその手を引いたまま歩き出す。
「悪いけど時間がないの。私も帰ってすぐ着替えとかで準備しなきゃいけないし」
「時間が無いなら尚更、どうして来たんだよ!」
ミシから強引に手を振りほどかれ、ルマは一旦歩くのをやめて後ろを振り返る。
「だってこうでもしなきゃ、あなた事前に招待状送った所で来ないでしょ?」
ミシはルマから目を逸らし、その問いに対して沈黙で返す。
「ほらやっぱり!」
「……第一お前、今日が誕生日ならどうして前々から言わなかったんだよ」
「え? どうしてって、驚かせようと思ったからよ?」
「逆じゃない!?」
「そんなことはもういいからほら早く! こっちはだいぶと時間が押してるの!」
振りほどかれたミシの手をもう一度握り、ルマは再び歩き出す。
「…………もうどうにでもなれだ」
それからは諦めたのか、手を引かれるミシは最早抵抗することはなく、横で流れる川の水のように、その身を任せるのだった。
――思えば、ルマはミシを家に連れて行くのはこれが初めてであったが、もうルマにはミシを家に連れて行くことに対して何の躊躇もしなくなっていた。
ルマがミシを会場へと連れてきているその一方で、テルの方は何をしているのかというと、晴れて娘が成人となるそんな特別な日ということもあり、自らが会場の入り口付近に立ち、下級貴族から帝国の重鎮たちに至るまで、誕生会に参加する数百にものぼる来客たちを出迎えていた。
「——殿。本日はようこそいらっしゃいました」
「これはこれは。財務大臣殿からの直々のお出迎えとは恐縮ですな。……それで、本日の主役は……?」
数百人の出席者が余裕で入れる会場の奥を覗きながら言う来客に対し、テルが答える。
「ああ、娘でしたら今裏の方に……」
「……ああ! なるほど! 本日は満を持してのお披露目ということですかな?」
「ハハハ! バレてしまいましたか!」
そう見破られたかのように笑うテル。
間違っても『好きな男の子を誘いに行っていて今は居ない』とは言えない。
従属国を含む帝国の領土はヘードリア大陸の五分の二を占め、そんな帝国の四大大臣の一つの財務大臣ともなれば、その力の影響力は他国の国王と比べても遜色のないものであり、その財務大臣の一人娘に想い人が居るなどと知られれば、帝国中の話題をさらうのは必然。
もしそれがミシの耳に直接入ろうものなら、娘との関係がどうなるかは分かったものではない。
しかし幸いにも、テルはそんな野暮なことをする男ではなかった。
その調子で次々と来客を出迎え最後の一人が入場した頃、ルマはまだ戻って来てはいなかったが数百人の出席者たちを待たせるわけにもいかないので、誕生会は主役が不在の中での開始となった。
肝心のルマがまだ帰ってきていないので、テルの秘書であるタレクが司会での口頭で場を伸ばす。
その脇にてムヌケの横に立つテルが焦りだしたその時、遠い入り口の扉が静かに開き、二人にはルマがミシを連れて入ってくるのが見えた。
ギリギリ間に合っただけでなく、初めてミシが家に来た事に、テルは歓喜する。
その一方で、主人に連れてこられた初対面の男に対し、ムヌケはルマやヨルクとはまた違った、不思議な感覚を覚えるのだった。
確かに主人の言ったように、一見して神人かどうかを判断するのは難しく、神人だと言われれば、そうだと思えるが、そうじゃないと言われればそうじゃないとも思える。
ムヌケから見たミシは「なんだアイツ?」と、そんな首をかしげる程の奇怪な感想を抱く存在だったのだ。
そんなムヌケとは違い、テルの方はすぐにでも二人に駆け寄ろうとするが、自分がルマに教えたように、人の印象は最初が肝心だと心を落ち着かせる。
呼吸を整えて自身の落ち着きを感じ取り、主人のため近付こうとしないムヌケをその場に残し、テルはいよいよルマたち二人の元へと向かう。――その結果、こうなった。
「……ルマ。遅かったじゃないか」
「お父様! ……少しばかり遅れてしまい申し訳ありません」
「今はまだ大丈夫だ。タレクが繋いでくれている」
そう言い、テルはできるだけ自然にミシの方へと目を向ける。
「あっ、そうでした! お父様。こちらが以前より話していたミシです」
「……ど、どうも、初めまして。ノルス・ミシと申します。この度はお招きいただきまして誠にありがとうございます」
そうミシが言うと、その言葉を最後に、長い沈黙がその場を包んだ。
「……あ、あの、お父様?」
説明をしよう。この父親、心を落ち着かせて二人の前に出て来たのは良いが、あまりにも気持ちが先走りすぎてしまった結果、落ち着かせることに気を取られすぎてしまい、ミシを目の前にして話題を全く考えていなかったことに気付いたのだ。
無理もない。テルのムヌケを含んだ家族構成には自分以外に男性は一人も居らず、商会でもミシと同じ年代の青年がいないため、テルは急にやってきた年頃の青年であるミシに対して話せる話題を持ち合わせていなかったのだ。
そうした様々な要因が重なり、現状はテルが酷い剣幕でミシを見ている形となっていた。
「あ、あの……やっぱり俺、帰りますね」
「あっ! ちょっと!」
そんなテルの視線に耐えかねたのであろうミシをルマが止めようとしたその時だった。
「何を帰ろうとしている」
「「え?」」
あまりの一貫性のないテルの言動に、疑問をぶつける二人の声が重なる。
「客人を門前払いしたとあっては、家の品格が疑われてしまう。君はうちの品位を下げたいのかね?」
普段から商会に来る者の一部を門前払いしていたということもあったため、テルは自分の家が周りにどう思われるかなど毛ほども気にしておらず、心の中では何であれ、ミシに対しての話題が見つかった事に歓喜していた。
「いえいえ! 決してそんなことは……!」
「今日は娘の誕生日だ。そんな服で出ることは許さん。今代わりの物を持って来させるからそれに着替えなさい。……取り敢えずは、歓迎するよ」
この時のテルの心中は、汚れた服装で出席し、ミシ本人が恥をかくことを心配していた。
「あ、ありがとうございます……」
「うむ」
言いたいことを言い、年上としての保ちたい威厳を保ったテルは颯爽とその場を後にしようとする――はずだった。
「あなた何してるのっ!!」
「あいたぁ!」
その瞬間。ルナがテルの意識外からその後頭部を手ではたいた。
「品格だの品位だのって、それ以前に! そんな態度取ってミシ君のルマに対する心証が悪くなったらどうするのよ! ……ごめんねミシ君。この人こういうところがあるのよぉ~」
不意を食らったテルは体勢を立て直し、不満ありげにルナを見る。
「ルナッ! こういうのは最初が肝心なんだ! これからの付き合いを考えればここでしっかり威厳を見せておかねば……!!」
「はいはい。もういいから早くいくわよ。そろそろタレクだけじゃ場が持たなくなっているわ。……ミシ君。今日は楽しんでいってね!」
「は、はい……ありがとうございます」
ルナは話が長くなりそうな夫の言葉を遮り、ミシに微笑み掛けると同時に、その襟を掴んで引きずる形でテルを連れて行く。
「ほらあなた、早く」
「待てルナ! 話はまだ終わってないぞ!」
「丁度いいわね。ルマの着替えが終わるまで、壇上でたっぷりと話してらっしゃいな!」
離れていく両親をミシと見送り、ルマは身内の恥に対し、顔を両手で隠した。
「……面白いご両親だね」
「うぅ。お父様ったら……」
「……そういえばお前ってさ――」
「ミシ様。お召し物の準備が出来ましたので、こちらへどうぞ。ご案内いたします」
ミシが何か言いかけていた所に、商会で働く使用人の男性が声をかけてきた。
「……あー。はい……」
ミシはそう使用人の方に返事すると、ルマの方を見る。
「お前も早く行った方が良いんじゃないのか? 色々と準備とかあるだろ?」
「え、ええ。そうね……それじゃあまた後でね!」
「おう!」
ミシは使用人の人に連れられて、着替え用の部屋に向かって行く。
ルマはそれを見送ると、自分のお披露目のために急いで準備に取り掛かるのだった。
「――時の流れとは早いもので、ついこの間まで私の両腕に小さく収まっていた子が、本日晴れて……」
その後ルマの着替えが終わるまで、テルによる成人した娘であるルマに関しての、当たり前だが至って真面目な口上が続いてしばらくした頃、いよいよルマの準備が整った。
「っと、長話はこのくらいに。そろそろ我が娘のお披露目とさせて頂きましょうか」
職員による準備完了の合図を受け取ったテルが、ルマの氏名を呼んだことで楽団の演奏が始まり、それを合図として見事に着飾ったルマが奥より登場する。
ルマの登場と共に沸き起こる拍手だったが、すぐにその場は楽団による演奏の音しか聞こえなく状態となった。
「おぉ……なんと……」
「……ゴクリッ」
老若男女問わず誰もが拍手も忘れ感嘆の声を漏らし、中には生唾を飲み込む者もいた。
自分の娘が既に売約済みであることを知っているテルは、そんな彼らが娘に対し値踏みするかのような目を向ける様子に終始ご満悦で、笑いを堪えるのに必死だった。
そんな興奮の冷めやらぬ中で、ルマのお披露目も完璧に終わり、一家による重役たちへの挨拶回りが始まった。
形式としては両親の間にルマが立ち、順番に来客たちと話をする形だ。
招待された帝国の重役たちは文武問わず揃っており、テルとは八年来の付き合いであるゼノンもその例外では無かった。
「テル殿。この度は御息女のご成人、誠におめでとうございます」
「ゼノン殿こそ、本日はよくぞお越し下さった。ささっ、どうぞ楽しんでいって下され」
こういった会話がその他の来客とも繰り返された中で、その内の来客者の一人が、ある一つの話題をテルに向けて持ち出して来た。
「つきましては、ヘターム殿。ご息女ももう既にお年頃ですのに、そういった話は一向に聞かないのですが、どうなっておるのです?」
「……そういった、とは?」
敢えて分からないふりをするテル。
「いやですねぇ~……婚約の事ですよ……」
相手は周りに居る他の者に聞こえないよう、最後の部分を小声でテルに顔を近付けながら言う。
慣習としては、家は子供が成人するよりも前にその婚約者を決めるものであるため、ルマのように成人しても婚約者がいないのは非常に珍しい事だった。
「いやぁ~。ははは」
横で妻子が見ている中、テルはその場での明言を避け、適当な苦笑いで誤魔化す。
先ほど見たルマとミシの距離感から、彼らにとって今が一番繊細な時期だということは父親の目からでも明らかだったため、変に刺激するべきではないと分かっていたのだ。
それを受け相手は、小声で言えば秘密裏に教えてくれるのではという期待も空しく、教えてもらえないことを察すると、鼻から息を出しながら肩を落とすのだった。
その後も誕生会は続き、長い挨拶周りが一通り終了して誕生会も中盤に差し掛かった頃、いよいよ自由参加形式だが、多くの参加者がその広い会場の中央で踊ることとなった。
だがここで、ルマは一つの問題に直面する。
もちろんルマ自身は踊りについての心得はあり、誰かと踊ることに関しての懸念は全くなかった。
そう、誰と踊るのか、それが問題だったのだ。
挨拶回りの際に婚約がどうのこうのと話題になっていた事と、主役がルマという事もあり、周りの者は今日成人したルマが最初に誰と踊るのかに注目している状況だった。
今日の主役が踊らないわけにもいかない。
「おいっ! 急いで彼を呼んで来い! 一体いつまで着替えているんだ!」
「は、はい! ただいま!」
状況の悪さを感じ取ったテルは、急いでミシの居る部屋に使用人を走らせる。
使用人は会場である広場を出ると角を曲がり、ミシが居るであろう部屋に向かって一直線に走り出そうとしたその時、曲がり角で一人の青年にぶつかり尻もちをついてしまった。
幸いにも相手の方は体幹が良いのか、使用人とぶつかっても微動だにしなかった。
「ああすみません! お怪我はありませんか?」
相手はそう言って、尻もちをついている使用人に手を差し伸べてきた。
使用人はそれに捕まり、起き上がりながらも返答する。
「いえ、非は前を見ていなかった私に……その、失礼ですが、先を急いでおりまして……」
「はい。構いませんよ。此方の方は大丈夫ですので」
「ありがとうございます」
そうして使用人は最低限の礼を欠かないように接すると、急いでまた走り出した。
この時の使用人は、あまりにも焦っていたために、礼を欠かずとも冷静さを欠いていた。
普段の使用人なら、今日の誕生会での出席者の顔と名前が全て頭の中に入っているこの使用人なら、先程ぶつかった相手の顔が、本日参加する予定だった出席者の誰にも当てはまっていないことに気付いていただろう。
使用人がミシを呼びに行っている一方で、ルマは多くの子息たちに囲まれていた。
「ルマ様! 私と一曲!」
「いえ私と!」
「いえいえ。ここは是非私と……!」
初めの頃は、ルマに対して恐れ多いと誰も近付いて来なかったのだが、最初の一人が行くとその後ろにもう一人が続いてと言った具合に、次第にルマの周りには人が取り囲むように増え続け、今に至っていた。
「おいっ! 主役が困っているだろう! 離れなさい!!」
そう言い、ルマを気遣った子息たちの親である重役たちは、ルマを取り囲む子息たちをルマから遠ざけようとするが、それはあくまで『自分の子以外を』であった。
もみくちゃな状況の中、各々が自己の利益を優先し、他を押しのけるその光景は、まさに地獄絵図。
ルマの前には親の助けを得た子息たちの手が無数に伸ばされており、困っているルマを見て、ここでようやくテルとムヌケらを始めとする、ヘターム商会職員らが助けに入ろうと子息たちとルマの間に割って入る。
しかし第三者が加わったことで、ただでさえ大変な状況が更に混乱し、ムヌケの加勢を以てしても、いや、ムヌケが居たからこそ、職員らはルマに近付けないように抑えるので精一杯な状況だった。
風習の面から見ても、一緒に踊ったからといって、別にどうということではないのだが、成人した女性の初のお披露目でもある誕生会、更には帝国の重役が揃うこの場において、主役と最初に踊る事は家の肩書だけでなく『あの』ルマと最初に踊った者だと、顔を売ることが出来るという側面があったのだ。
しかし当のルマ本人はと言うと、自分に背を向けながら子息たちを抑えてくれている職員の者たちに感謝はしつつも、それには目もくれず、辺りをキョロキョロと首ごと左右に視線を動かし、未だ見つけられずにいるミシを探していた。
――そんな時だった。
先程使用人とぶつかったその者は、何の前触れもなくムヌケら職員とルマの間にできた隙間、つまりはルマの眼前に突然現れたかと思うと、片手を差し出してこう言った。
「ルマ様。どうか本日主役である貴方と最初に踊る栄誉を、私めに頂けませんでしょうか?」
「――!! いつの間に……!?」
後方からの気配に驚き、素早く反応したムヌケが振り返る頃には、その者が着ている上着の下の方の部分は、まるで今重力を思い出したかのように下へと落ちている所だった。
ルマは驚愕した。
左右を交互に見る自分の目の前に、突然その者が現れたという事もあるが、何も理由はそれだけではない。
目の前にいるその相手は、服装、髪型ともに整っており、そのせいもあって一瞬誰なのかが分からなかった。
しかし次第に耳で聞くその声、そして力によって認識する事で明らかとなったその本質により――その者がミシだという事が判明したのだ。
「あっ…………はい」
ルマは驚きと呆気に囚われ、ミシの顔と手を交互に見ながらも、短くそう返答すると、ミシから差し出されたその手を握った。
「――!!」
ルマがミシの手を握ったその瞬間。
最初、テルは自分の後方に突如として現れたその者が何者であるかは分からなかったが、ルマが手を握ったことで、その者がミシだと直感する。
テルがすぐさま指揮者へ合図を送り、合図を受け取ったことにより楽団の演奏が始まると、ルマたち二人を中心に、一連の騒動に参加していなかった他の夫妻たちによる踊りが始まった。
周りが踊り始めるも、ヘターム夫妻はその中には入らずに少し後ろへと下がると、中心にいる二人が踊る姿を、ムヌケと共に三人で見ていた。
「あらあら、ミシ君ったら、案外化けるのねー! それに何も問題なく踊れているわ」
「……はい」
「……うむ。そうだな……」
少し思う所のあるムヌケを含む三人が悦に浸っていると、当然とも言うべきか、ミシの突然の登場に驚いた一部の者たちが、テルから見てその左右背後より詰め寄って来た。
「ヘターム殿! あの御仁はお知り合いで?!」
「どこの出の者ですか?!」
「ご存じでしたら是非お名前を……!」
男選びの基準が高いと噂されていたルマが選んだ相手。
懇意にしておいて損はない。
ワラワラと寄ってくるその者たちを余所に、テルはそんな下心を嘲笑うかのように気品のある中声で笑い声をあげると、手に持っていた自分の杯に入っているお酒を飲む。
その一口は先程までの数口と違い、これまでテルが飲んだどのお酒よりも美味なものだった。
もはや周りにいる重役たちなどガン無視で数回手で杯の中のお酒を回し、先程と中身が変わっていないことを確認すると、テルは軽い笑みを浮かべ、視線を杯から踊っている二人に移すのだった。
父親が重役たちからの質問攻めに遭っている頃、ルマはミシとの踊りに興じていた。
と言っても、先程は突然の事で呆気に取られながらも手を握ったルマだったが、状況を理解できるようになった今となっては、激しく波打つ胸の鼓動と動揺を抑えられず、もはや踊るどころではなくなっていた。
自分の手を握り、自分の腰に回すミシの手もさることながら、何よりルマの動揺を誘ったのはその密着度だった。
「……おーい。なんで下向いてんだよ。胸張れって」
「う、うん……」
ミシの言葉を受け、胸を張り、顔を上げるルマ。
互いに若干の身長差があるとは言え、ルマが踵の高い靴を履いていることもあり、ルマの間の前には普段のみすぼらしい姿からは想像もできない、髪型等の何から何まで整ったミシの顔があった。
両者の視線が重なり、ルマは得も言われぬ恥ずかしさから、すぐに横を向いてその視線を外す。
その様子を見てかミシが口を開いた。
「……やっぱある程度は踊れるんだな。流石はお嬢様」
「――! ……あなたこそ、普通に踊れるなんてね」
現にミシは標準である男性が先導する形式に則って、問題なくルマを先導していた。
「あれ? 俺『の』を見たんだろ? 分かんなかった?」
そう言われ、改めてミシを見るルマ。
「……――!! …………」
「どうだった?」
「……私より上手い」
「えっ、マジ? いやー参ったなー……おっと」
突如、踊りに変化を持たせるルマだったが、ミシは余裕でそれに合わせて来た。
「……ムッカつくぅ!」
ルマの悪態に対し、ケラケラと笑うミシ。
「……そういえば、さっき着替える前に言い損ねてたんだけど――」
「――?」
「お前自分の親に対して『様』呼びなんだな。人柄変わりすぎて笑っちまったわ!」
そう言い、またも笑うミシ。
「わ、悪かったわね!」
踊りながらも喧嘩をする両者だったが、この時のルマは喧嘩に夢中で、自分がミシに対して面と向かって普通に会話出来ていることに気付いていなかった。
「……さっきは、ありがとね! 困っていた所を助けてくれて」
曲も終盤を迎え、変わらず口喧嘩はしていたものの、別に怒っていたわけでは無かったので忘れないうちにとお礼を言うルマ。
「…………別に、友達が困ってたら、助けるのが当然だろ?」
友達。この誕生会にミシを誘う際に自分が言っていたにもかかわらず、その言葉をミシから聞いて、ルマの口角は上がっていたものの目線は下を向いていた。
「う、うん……でも、それでも感謝してるから……」
「……おう」
そのミシの言葉と同時に曲が終わる。
辺りは静まり返り、次の瞬間には大勢の拍手の音が会場内を埋め尽くし、踊っていた者全員は拍手の返答にとお辞儀をする。
その拍手が終わろうという時、ミシはルマの片手を握りながら片膝を折り、ルマの前にしゃがみ込んだ。
「ルマ様。一曲目にお付き合いくださいましてありがとうございました。しかし大変失礼ながらも、急遽用事を思い出しましたので、私はこれにて失礼致します」
周りにも聞こえるようにそう大声で言うと、ミシはルマの手の甲に軽く口付けをするなり立ち上がり、足早に出口に向かって行った。
「あっ! そこの御仁! 少々お待ちを!」
現実に引き戻された者たちがミシを引き留めようとしたその時、ミシが出て行こうとした扉が両方ともに仰々しく開き、一人の人物が入って来る。
ヘターム商会は帝国を代表する、言わずと知れた帝国一の大商会であり、その代表は帝国の現財務大臣。
そんな男の一人娘であるルマの成人を祝う誕生会に、この者が来ない事の方が不自然だった。
「こ、皇帝陛下!!」
「えっ!? ほ、本物!?」
「静まれ! 今日は祝いに来ただけだ!」
突然の皇帝の登場に混乱する人たちを、皇帝はこれまた見事に制止する。
「陛下! お出迎えもせずに申し訳ございません。てっきり本日は来られないものかと」
テルが入ってきた皇帝の前に、低姿勢にて進み出て謝罪する。
どう考えても遅れてきた皇帝が悪く、テルが謝る必要は全く無いのだが、それを実際に言ってはおしまいだ。
「全くだ。会場を間違えたかと思ったぞ。……しかし、本日成人した其方の娘に免じて不問に伏すとしよう」
「ありがとうございます!」
あたりをキョロキョロと見まわす皇帝。
「それにしても随分と遅れてしまったようだな。なんだ、踊りはもう終わったのか?」
「いえ、まだ一曲目が終わっただけです」
「ほう……ルマっ! ルマはどこだ?」
「はい。ここにおります陛下」
皇帝が今日の主役の名前を呼ぶと、すぐにルマが父と同様、頭を低くしながら皇帝の前に進み出た。
「ルマよ。息災か?」
「はい。陛下の方もお変わりないようで何よりです」
「うむ。……して、ルマよ。一曲が終わったと聞いたが、其方は踊ったのか?」
「はい。踊りました」
「ほぉ! 男選びに厳しいと評判の其方がか! ……して相手は? どこにおる?」
興味津々な皇帝はまたも周辺を見回すが、既にミシは去った後だった。
「急遽用事を思い出したようで、先程帰られました」
さりげなくテルが皇帝の斜め後方にて耳打ちをするようにそう小声で説明する。
「ほぉ? 成人したばかりの者の名誉の一曲目だけを踊るなり去るとは……。ルマよ、その者は一体何者なのだ?」
皇帝を含むその場の全員の注目が集まる中、ルマはその質問に対し、先程ミシに口付けされた右手の甲を見つめ、それを左手の親指で優しく撫でながら返答する。
その言葉とは裏腹な、笑みに満ちたルマの表情を見て、その場に居る皇帝を含む全員が全てを察し、それによりこの日を境に、ルマに対し言い寄る者は居なくなるのだった。
「私の……大切な友人です!」
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