不撓導舟の独善

縞田

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6-9 不撓導舟の我儘

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 二年C組の教室は、それほど特筆するようなことはなかった。



 志操学園高等学校の校舎にある一般的な教室と何ら変わりなく、オレが所属するクラスの教室と違う点を挙げるとすれば、教壇の対面に貼られている紙くらいなものだ。



 いや、もっと正確に言うのなら、ロッカーについている名札も違っている。



 違う点を探してみれば、浮き上がってくるものもあるだろうが、そんなものはどうでもいいだろう。



 教室自体に特筆することはないのだが、教室とその周辺の異様さには触れなければならない。



 放課後になって間もないはずのだだっ広い校舎、その中にある二年C組の教室には、不撓導舟ただ一人。教室に居残って勉強する生徒もいなければ、ふらっと立ち寄って生徒と会話を交わす先生も、この教室にはいない。



 辺りの異様さはそれだけではない。



 ほか三教室に加え、教室に接する廊下一帯も同様に、人っ子一人、掛け値なしで誰もいない。これが究極の極限の八方美人の持つ、力の一端ということだろう。



 厳見春介――末恐ろしいもんだ。



 この状況を作ってくれと注文したのはオレなわけだが、まさか学校の生徒全員で大名行列を行っていないだろうな……。



 厳見ならできるだろうな、都移し。



 しかし、そんなことをされてしまっては、こんな状況を作ってもらった意味もない。

 送波秋夜もろとも連れていかれては、本末転倒もいいところだ。



 本当に連れていかれてたりしてないよな……、全然来ないぞ。



 約束の時間はもうとっくに過ぎている。



「送波のやつ、バックレたか?」



 何のために、誰もいない教室で仁王立ちして待っているかわからなくなってくる。

 そろそろ机にでも寄りかかろうかというタイミングで、廊下から足音が聞こえてきた。

 どうやら、バックレたわけではなかったらしい。



 だが、聞こえてくる足音は一人だけのものではなかった。



「三人……」



 一人でくるとは思っていなかったが、まさか三人で来るとは。

 里霧が言っていたよく一緒にいる二人だろうか?



 付近に誰もいないせいか、それなりの距離からでも足音は明瞭だ。

 まばらなその音を聞き間違うはずもない。

 そして、その足音は扉の前でぴたりと止んだ。



「遅れてすみません、ちょっと色々用事があったもので」



 教室の引き戸タイプの扉から現れたのは、送波秋夜だった。



 約束の時間に遅れたことに対して謝罪こそあったものの、悪びれている様子はなく、送波は貼り付けたような笑顔を湛えている。



 そのままの流れで、送波は教室に這入る。



「なに、気にするな。たかだか数分、用事があったなら仕方がない」



 遅れる以前に、来るかどうかすら怪しかったんだ、数分遅れた程度のことで怒ったりするオレでもない。生徒会長は寛容なのだ。



「時間に遅れたことよりも、後ろにいる二人はどこのどちら様で?」



 廊下を歩く足音を聞いた時点で、既にわかっていたことではあったが、オレはわざとらしく送波に訊いた。



「春介から一人で来るよう言われていたけれど、流石にそれはできない約束だよ」



 元より、一対一でと厳見が釘を刺していたはずだが、そちらの方の約束も守られなかったらしい。約束というカードを墓地に二枚送って、二人を召喚するとは驚きだ。



「急に呼び出された相手が、独裁者なんて言われている不撓生徒会長じゃ、一般の生徒がこうするのも無理はないんじゃないかな?」



 口調こそ丁寧ではあるものの、送波の言葉には随所に棘がある。

 性格の悪さが滲み出ている。



「噂じゃ、百人の半グレ相手に、互角に渡り合ったって言うし、そんなやつと一対一で無人の教室に呼び出されたんだったら、これくらいするのは当たり前だよ」

「誰だそいつは……、オレの知らない人だ」

 誰だよ、半グレ相手に百人組仕掛けてる不撓導舟くんは……。まったくもって知らない人だよ。別人だよ、間違いなく。



 噂が戦闘機に乗ってソニックブーム起こしてないか?

 常識的に考えてみろよ、無理に決まってんだろ。

 しかし……ふむ。



「そんなこと言っている割に、お前――信じてないだろ?」



 あくまで、二人を連れてきた言い訳をするために噂を利用したに過ぎず、基よりこんなおかしな噂なんて、送波自身、微塵も信じてはいないだろう。



 信じているのなら、連れてくる人数を間違えている。



 もし仮に、オレがそんなやつを相手にするのなら、連れていく人数は噂の二倍――二百人と言っておこう。



 送波はそんな取ってつけたような言い訳を、またしても薄っぺらく並べた。



「俺は信じてるよ。そうでなきゃ、約束を破ってまで二人を連れてこないよ」



 どういう要件で呼びつけられているかなんて、送波はわかっているはずだ。

 仮にも厳見の目を掻い潜って、他人の人間関係を滅茶苦茶にし続けてきた男だ、そのくらいは察しているだろう。



 微笑みながら、肩をすくめる送波。



「歴代生徒会長のお歴々の異常さなんて、去年の生徒会長を見ていればわかる。それくらい造作もないことだって、朝飯前だって生徒の全員知ってるよ」



 送波は本題が何かわかっていて、尚且つ、本題に触れさせないようにしている。

 あからさまな話題逸らしだ。



「そうだな、前生徒会長なら朝飯前だろうな」



 それを理解した上で、オレはその話に乗っかった。



 自由奔放、自由闊達、自由自在、そんな四字熟語を体現し、一切の常識が通用しない、天上天下唯我独尊を地で行く彼女ならば――前生徒会長ならば、半グレ相手だろうが、例え宇宙人相手だろうが、百人組手を成し遂げてしまうであろうことは疑うべくもない。



 そう言わしめるほどに、彼女は逸脱している。



 人間の範疇を。



 身体能力も、知識の量も、彼女を上回る存在をオレは知らない。



 生徒会について、いま学校中で流れている噂のほとんどは、前生徒会長の逸話が基になっている気がしてならない。独裁者なんて、噂されるのも、そこから引っ張られて、尾ヒレがついた結果だろう。



 今更それに気づいたところで、訂正する気もないし、したところで意味はない。



「長話もなんだ。簡潔にいこう」



 ほんの少しではあるが、話題逸らしに付き合ってやったんだ、悪いがここからは強制的に話を移させてもらおう。



 そんな枕詞に続けて、間髪入れずにオレは言った。



「放課後にオレが呼び出したのは、送波に直接訊きたいことがあったからだ」



 話が切り替わって、送波の貼り付けたような笑顔は機微に歪んでいる。

 やはり、どういう要件で呼び出されたのか、送波は理解していたらしい。

 そうでなければ、こんな――苦虫を噛み潰したような反応にはならないだろう。



「早めに頼むよ、このあと用事があるもんでね」



 表面上は取り繕ってはいるが、動揺はしているらしい。

 指先の動きを見ればわかる。



 噂は信じずとも、前生徒会長を知っているからこそ、その地位についている人間を本能的に恐れている部分があるのだろう。もしも、これが生徒会長でなければ、こうはならなかったはずだ。悪名もまた使いようということらしい。



 それにしても、後ろの二人が黙ったままなのが気になるところだ。



 もしかしたら、不利な状況になったら、力ずくで黙らせる……なんて暴挙に出る可能性を憂慮していたものだが、オレの見立て通りなら、後方の二人には本当に付き添い以上の意味合いはないだろう。これから殴って蹴ってを企てている顔をしていない。いまの二人の表情を例えるなら、赤点のテストを隠し持っている小学生のようだ。



 この場にいたくはないが、逃げることもできない、そんな感じ。



「元々は送波一人に訊く予定だったが、そのお友達まで来てくれたんだ、手間が省けて良かったよ、ありがとう」



 オレは付き添い二人に目配せをしてみたが、目を逸らされた。

 まあいい。



「オレが今日、送波に訊きたいのは里霧の件についてだ」



 送波の出方を探る意味も込めて、あえてはぐらかした言い方をしてみたが、返ってきた言葉は予想通りのものだった。



「里霧について? なんのことだか?」



 見事にとぼけられた。



 初耳だと言うように、送波は首を傾げてみせた。

 そうくるなら仕方がない。

 オレは大きく息を吐く。



「お前の大層な趣味について訊いてんだよ」



 そして、オレは口調を大きく変えた。



「他人の人間関係を掻き乱すのが趣味だって、その二人には言ってたんだろ?」



 声高らかに、そう言っていたと、里霧からの証言だ。



 捉えようによっては、恫喝や脅迫にも似た口調であったことには間違いなかったが、送波は怯むことなく、微笑んでいる。全く意に介さないと言うように。



「まさか。そんな悪趣味は俺にはないよ」 



 白々しい反応は変わらず、送波は、整列された机のうちの一つに寄りかかる。



「その様子だと、里霧とその他の誰かしらから、ある程度話を聞いているみたいだけど、俺は本当になにもやっていないよ」



 こと里霧の件に関して言うならば、直接的に送波は関係ないだろう。



 送波がやったことと言えば、里霧に執拗に告白していたこと。それはあくまで間接的な要因――謂わば遠因でしかなく、里霧と拘崎の関係に亀裂が入ったのは、あくまで二人の間で起こったことに過ぎない。

お前のせいだ、なんて糾弾するのには無理がある。



 大なり小なり、彼女たちにも落ち度はあった。



 里霧有耶には、主張する勇気が足りなかった。

 拘崎沙莉には、相手の話を聞く冷静さが足りなかった。



 どちらかが、それらを持ち合わせていたなら、お互いにもっと歩み寄れていたのなら、こんな結果には、送波の思い通りの結果にはならなかっただろう。



 落ち度があることを理解して、後悔したからこそ、里霧は拘崎と向き合う決心をした。



 だから、オレは、送波だけが悪いとは思ってはいない。

 作為があったとは言え、回避できたことなのだから。



 しかし、それが当てはまるのは里霧の件に関してだけだ。



「なら、これの弁明もしてもらおうか?」



 被害者はなにも里霧だけではない。



「石破琢磨、雪中衣香、飯塚裕介、浅瀬凛、齋藤恵。いずれも送波を巡ってトラブルを起こしていた生徒たちだ。それも人間関係のトラブル」



 ちなみにこの五人にまつわる情報は、オレが足で集めたものだ。

 あまり厳見に借りを作りすぎても返せなくなる。

 これくらいのことは自分でやらないとな。



「石破琢磨、彼は入学当初から親交のあった数名の友達から、唐突に避けられ始めた。その友達から訳を訊くと、数名の友達に対し陰口を言っていたと。それに加え、『そういうことするヤツだからさ、今度から無視するわ』と、裏で石破が言っていたと全員に忠告。当然本人はそんなことを言っていない。そして、友達数人に確認してみたところ、さっきの文言は全て送波から聞いたことだと証言した」



 五人の名前を出すと、送波は目に見えて狼狽していた。



「この学園に何人の生徒がいると思ってるんだ? 人間関係のトラブルなんて、掃いて捨てるほどあるだろうし、それこそトラブルが無いほうがおかしい」



 狼狽していたとしても、送波の口は回るらしい。



「自分で言うのもなんだけど、俺の交友関係はそれなりに広いから、話の端々で、俺の名前が出てきても不思議はないよ。それに、石破が俺を貶めるために嘘を言っている可能性だってあるだろ?」



 この一瞬で落ち着きを取り戻したのか、肩をすくめる仕草をして「困ったもんだ」と送波は言う。



「話はそれだけかな? それなら俺はこれで失礼するよ」



 送波は翻って、逃げるように教室の扉へと向かう。



「おいおい、言いたいことだけ言って逃げるのか?」



 オレの言葉を聞いて、送波は扉を開こうとする手を止めて、向き直った。

 我ながら安い挑発だったが、



「なに?」



 どういうわけか、送波の貼り付けたような笑顔は消え去って、明確な敵意を持った剣幕へと変貌した。



「ここで逃げたら、僕がやりましたって言っているようなもんだぞ」



 ここからは臨戦態勢だ。



「俺は忙しいって言ったよな。例え俺が逃げたところで、『俺がトラブルの原因です』ってことにはならねぇだろうが!」



 爽やかな化けの皮は見る影もない。

 ここはあくまでも冷静に、語気を強めないでオレは言う。



「事実無根だって言うなら、真っ先にするべきことは言い訳なり、弁明なりするのが道理のはずだ。それなのに、お前は疑いを晴らそうとはせず、この場を離れようとした。原因かどうかはわからなくても、言いたくない何かがあると誰もが思うだろうな」



 後ろめたい何かがあるのだと、そう理解されても仕方がない。



 そして、送波は一度、この教室から去ろうとした。去るための行動をしてしまった。



「もういいや。これ以上、付きまとわれてもめんどくさいし──」



 呟いて、扉の前からターンすると、送波は教室内を歩き始める。



「隠すのはやめよう」



 そして、元いた場所、教室中央で静止して、送波は宣言した。



「そうさ。俺は人間関係を荒らすのが大好きだ!」



 両手を大きく広げて、全身で喝采を受けているかのような姿勢で、誇らしげに言った。



「たった一つの綻びで、これまで築き上げていった友人関係を恋人関係が崩壊していくさまを見るのが大好きなんだよ!」



 ここまでの変貌を遂げられると、いつかの里霧を思い出す。



 追い詰められた末、相手を自分から離れさせるための、あの怪演と重なってしまう。

 しかし、重なるとは言っても里霧有耶と送波秋夜とでは、絶対的に異なる点がある。



「醜く言い争って、お互いに疑心暗鬼になって、周囲にすら崩壊を招く起因に成り果てていくのは傑作だろう!」



 ――相手のために自分を偽るか。

 ――自分のために相手を欺くか。



 根本的に異なっている。



 高笑いを上げる送波を視界に捉えつつ、オレは尋ねた。



「知られたくなかったんじゃないのか? いいのか? そんなおおっぴらにするような真似をして」



 どの口が言う……、と自分でも思うところだが、あまりに唐突だったもので、ついつい言葉が溢れてしまった。



「自分から吐けと言っておいて、なにを今更」



 それに関しては言い返す言葉もないオレだった。



「簡単なことだ。変に隠して都度呼び出されでもしたら、それこそ疑惑が確信に変わってしまう。そんなことになったら、いらない手間が増えるだけ。そうなるくらいなら、いっそ自白したほうが幾分かマシだ」



 その心境の変化を詳らかに訊くつもりは更々ないが、話す気になったのなら、オレとしても好都合だ。



「自白してくれるって言うんなら、里霧を含めた六人は、お前がやったってことでいいんだな」



 再度、確認を取ると、送波は顎を突き出すようにして言う。



「ああ、もちろん。石破琢磨、雪中衣香、飯塚裕介、浅瀬凛、齋藤恵、谷口夢海、匠与志治、神谷和奏、天倉ひかり、夏谷海緒、名木田博文、河野冷、杉山昭三、夏谷海緒、片山雄吾、野口古百波、俺の趣味の範疇さ」



 申し訳もなく、感情の起伏もなく、抑揚のない声で送波は答えた。

 オレの知らない余罪までも。



「で、それがわかったところで、生徒会長様は何がしたいんだ?」



 心底わからない、そういった表情だった。



「安い正義感を掲げて、そんなことはやめるんだ……、なんて説教しに来たのか?」



 送波の質問は続く。



「それとも、その六人のうちの誰かから頼まれて、その復讐にでもやって来たのか?」



 それなら納得だ、と送波は一人頷いて、 



「答えてくれよ」



 真っ向からそう言った。

 何がしたいかなんて、決まっている。



「オレはこの学園の生徒会長だ。学園の誰かが困っていたら須く助けるし、学園の誰かが道を踏み外したなら須く正してやる。例え、拒絶されようが、例え、独りよがりだと罵られようが、オレはオレが正しいと思うことをやるだけだ」



 貫き通した結末が例え、独りだったとしても、自らの意志を通すことができたなら、

オレは後悔しないだろう。



「ほんと、お前ムカつくよ」



 送波は視線を床に落として、机を蹴り飛ばす。



 そして、蹴り飛ばされた机に取り残された椅子を持ち上げて、送波秋夜は、オレの――不撓導舟の側頭部を殴りつけた。



 大剣でも振るうように、左から一振り。

 咄嗟に躱す。



 そして、今度は右から同じように椅子は飛んできた。

 通常なら、上体を反らすなり、しゃがむなりで避けられるはずだった。



 しかし、ここは教室だ。

 整然と並べられた机や椅子で避けられるだけのスペースが確保できなかった。



 然るに、オレの右側頭部に椅子は直撃した。
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