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第26章 さらば、振興係
04 変わり者だからいい
しおりを挟む「槇さんからお聞きになっていますよね? 候補者四人の中から、三人を選びました。ですから、あの子を澤井の元に行かせると決めたのはおれかと思うと、なんだか後ろめたい気がします」
保住の言葉に野原は首を傾げた。
「お前が心を痛める意味がわからない……」
「保住、雪にそんな話をしてもわからないぞ」
第三者の声に二人は顔を上げた。入り口に立っていた市長の私設秘書である槇は二人を眺めていた。彼は帰り支度。野原を迎えに来たのだ。二人は同級生で懇意にしている。
「雪は人の心を理解する能力が著しく低い。抽象的な話は理解できない」
「槇さん」
「さ……、槙」
「課長は残業するな。ただ働きだ」
「ごめん」
野原はそう言う。
「保住。お前が心を痛める必要はない。物事は大きな流れの中の一つに過ぎない。ここで、どこに配置されたから、どうとかなんて、そんな細かいことは気にしない。結果が全てだろう?」
槇はそう語りながら歩み寄り、二人の元にやって来た。
「お前が選ばなかった職員を見て、澤井は不満をもらさなかったのだろう?」
「その通り。寧ろ彼が一番の適任。澤井の秘書役が向いている」
「では適材適所というやつだ」
彼は笑う。
「お前だって務まったろう? ——それとも、お前以外にできる能力がある奴はこの市役所にはいないか」
——奢りだ。それでは。そうではない。
「澤井の元で仕事を叩きこまれた人間は、強靭な職員になる。お前のように」
野原の言葉に保住は目を瞬かせてから、ふと笑みを洩らした。
「確かにね。随分とあの人にはやられた」
——懐かしい思い出か。
毎日、毎日。嫌がらせみたいな課題や仕事を押し付けられた。威圧的な対応や、言葉での侮辱。パワハラに値するようなことばかり。保住は自嘲する。確かにあの子はきっと、市役所を背負って立つくらいの人間になるかもしれない。そんな思い出に浸っていると、ふと槙が笑う。
「おれはお前が好きだ。市役所の職員の中で、面白いものを見せてくれるのはお前だ」
「槙さんが? おれを好んでくれる?」
保住は視線を戻す。
「サラブレッドの息子。入庁当時から、重鎮たちがこぞってお前と会いたがる。そればかりではない。現市役所の帝王である澤井との関係性も、今のお前のプライベートも面白い」
「人の人生を覗き見るなんて、あまり良い趣味ではないな。槙さん」
「もともと悪趣味だ」
「確かに」
そこは野原も同感なのか深く頷く。それを見て槇は咳払いをした。
「おい。そこ、同意するな」
「そう? 事実」
野原はさらっと言って退ける。槇はむーっとした顔をしたものの、保住に視線を戻す。
「田口を澤井の餌として、くれてやるのかと思ったのに。そこは少々残念だが」
こんなことを二人に話しても仕方がないことだし、話すべきではないのかも知れないが保住は口を開いた。
「田口はおれにとって必要な人材だ。やはり、今度の部署はベストな状況で臨みたい。澤井に加担するのではないことは、この前も話した通りだ。100年に一度のお祭り騒ぎを自分の手で作り上げてみたい。そんな単純な興味だ。だからあいつは必要不可欠なのだ。あなたにとって野原課長が必要であるように」
槇はじっと保住を見つめていたが、ふっと笑った。
「それはそうだな。大事なものを敢えて手放す気なんてない」
「だからこうして一緒にいるのでしょう?」
野原は目を瞬かせる。保住と槇との会話が理解できていないみたいだ。
「そうだな」
「澤井を引き摺り下ろしたいのでしょうけど、この事業だけはどんな横槍が入ろうともやり切るつもりだ」
「お前のことは十分理解している。私欲で仕事を駄目にするような男ではないとね。むしろ仕事への執着が強すぎて恐ろしいくらいだ。お前の邪魔をする気はない。それに、お前の澤井との付き合い方も勉強になった」
「付き合い方?」
「そういうことだ。お前はあの人の扱いに長けている。おれも見習おう」
「扱いだなんて。あの人の腹の中はおれでも計り知れない。まだまだ使われているほうだ」
保住は苦笑した。
「次年度も関わる機会が増えることだろう。職員一人の処遇に一喜一憂している場合ではないぞ。保住。この人事が出れば、お前を敵視する輩も増えることだろう。せいぜい自分の足元を掬われないように注意することだな」
それは覚悟している。澤井は課長級に抑えるというが、実質そんな立場ではない。副市長直轄の室だ。そんな滅茶苦茶人事はない。保住に敵意を持つ職員が増えることは目に見えている。しかしそんなことは関係ない——。澤井にも言われたことだ。
——田口を守る。
そのためには必要なことでもあるからだ。だから保住はそれを受け入れるだけだ。
「君を見ていると、強かでいい」
槇という男は、好き勝手なことばかり言うものだと不愉快になった。槙は自分を好いているというが、それは興味本位の下世話な言葉。野原の事はなんとなく理解できるが、槙は好きになれない。むっとしたい気持ちを抑え込んで槙を見つめた。
なにか言い返したいところだが、ここは黙っている方が利口だと判断したのだ。自分も少しは大人になれただろうか。この数年でたくさんのことを学んだ。大人になるとうことも大切だと。黙り込んだ保住に槙は肩を竦めた。
「この一年はおれも自分の身の振り方を考えないとね」
「安田市長の再選は難しいようだが……どんでん返しがあるのだろうか」
「まあ、なにも考えていない訳ではないが……君との対話は、色々なヒントをもらえるようだ。有意義で面白い」
必然的に『安田の引退イコール槇は市役所を去る』ことになり、野原とはこうしていることは叶わなくなる。
「まあ、色々と考えはあるのだがね」
「ご協力できるところはしたいと思いますよ」
「本当? 保住が味方になってくれるなら百人力だね」
「ただし、この前みたいなのはごめんだ。利害が一致すればの話だ」
「冷たいね」
この男が市長の代行でいるのかと思うと、なんだか半分呆れてしまう。もう少し知的で客観的だといいのに。悪い人ではないと思うが。憎めないキャラとでも言うのだろうか。二人で並んでいると、野原の尻に敷かれているような雰囲気もありつつ、このAIロボがそこまで気を回していないところが、うまく噛み合っているのかも知れないと思うと、なんだか笑ってしまった。
「野原課長、よくこんな人といますね」
つい思っていることが口に出た。
「こんな人って、」
槇は抗議をしようとするが、野原は無表情のまま答える。
「槇は家族」
「家族、ね……」
意外な回答に保住が呟くと、槇は不満そうに野原を見た。
「え? 家族なの?」
「家族じゃないの?」
「違うだろ? もっとこう……」
「幼なじみ」
「雪っ」
——子供の喧嘩か。ある意味、バカップル?
保住は口を挟む。
「帰ろう。お邪魔みたいだ」
「お疲れ」
「さっさと帰れ」
この二人には付き合いきれない。荷物を抱えて席を立つ。それからなにやら言い争いになっている二人の声を背中に廊下に出た。
野原は優秀だと理解しているが、槇は感情の赴くままの男だ。こんな男と一緒にいるほうが、原にとったら不利益だと思うが、だがきっと、そんなものは度返ししても野原にとって槇は大切な人間なのだろう。
「こんなおれに付き合ってくれる田口も変わり者だしな」
人のことは言えないものだ。そんなことを思い、思わず笑みが漏れた。
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