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第22章 陰謀
01 新たなる脅威
しおりを挟む田口たちの研修は無事に終わる頃——。夏の暑さは幾分か和らいできた。残暑も過ぎれば、熱中症の心配は薄れた。
果樹が盛んな梅沢では、夏の時期は様々な果物を楽しむことができる。田口が雪割から移り住んで、梅沢はいいところだと思った一つはそれだ。しかしそんな果物が美味しい時期も過ぎると、季節は一気に冬まで駆け足だ。
夕暮れが早まり、なんとなくもの寂しい季節。あんなに「暑い、暑い」と過ごしていたはずなのに、もうすっかり「朝晩は寒くなりましたね」という言葉が挨拶の代わりになっているのだった。
来月からは様々な事業は下半期に入り、十文字の企画。星野一郎記念館のサロンコンサートがスタートするのだ。準備も万端。後は当日を待つのみだ。
後輩が、一つまた一つと成功体験を積み重ねてくれることは、先輩として嬉しいとだということを、田口は学んでいる最中だった。
そんな中、田口は気になることがあった。それは……。
「保住」
保住を呼び出す声に、田口も一緒になって顔を上げた。この部屋の中で彼を呼びつけられるのは一人しかいない。パソコンをいじっていた保住は、面倒だと言わんばかりに腰をあげた。
「はい」
声の主は、今年度から配属になった課長の野原だ。
文化課は四つの部署が一つの広いフロアに入っている。その取りまとめ役がこの課長である野原である。
昨年度、その席には佐久間が座っていた。でっぷりした人の良い佐久間は用事があると、自分から足を運びニコニコと要件を伝えてくるから、この部屋自体が和やかなムードが漂っていた。
しかし今年度から配置された野原という男は、一風変わった雰囲気を持っていた。
なにが変わっているかと問われると、田口にはどう答えたらいいのかわからないが、なんとなく近寄りがたいというか、なんというか——。
——雰囲気だろうか。
じろじろと見たこともないのでよくわかっていないが、野原は他の誰とも似つかないような不思議な雰囲気を漂わせていたのだ。
外見は痩躯。生まれつきなのか、そもそも屋外での活動を好まない性質なのか、色白で、一見ひ弱な男に見て取れる。だがしかし、その雰囲気は他者を寄せつけないかの如く冷淡な印象を受けた。
田口自身も、そう表情が豊かなタイプではないが、野原はそれ以上に常に無表情だった。
年の頃は保住より少し上だろうか。彼の実年齢は知らないが、田口の見立てが正しいのだとすると、あの若さで課長まで昇るのは難しいはずだ。保住が係長の席に座っているのも「早すぎる」という声が上がっているくらいなのに、彼の場合はそんな陰口を叩かれていないのだろうかと疑問だ。
その野原からの振興係への注文が増えているような気がしているのは田口だけなのだろうか。
ここのところ、こうして彼は保住を呼び出す。他の係の提出する書類よりも断然ダメ出しも多い気がするのだ。
野原の目の前で、首をかいて真面目に対応していない様子の保住を眺めていると、谷口がそっと渡辺に話かけた。
「おれの予算書の件だと思います。さっき出したばっかりですから」
「最近、課長がうるさいよな」
渡辺は眉間に皺を寄せた。野原は神経質で細かい男だ。自分が理解できるまで、突き詰めてくるタイプ。最初の頃は、部署に慣れていなかったおかげで、うまく丸め込めることもできたが、半年も経つと業務をすっかり習得したのだろう。
渡辺と谷口の会話を受けて、田口はそっと保住に視線を戻した。細面の蒼白な顔色の野原は、眉一つ動かさず保住に不満を述べているようだ。それを受けて応対している保住も機嫌が悪そうだ。
議会も控えているせいで、野原はピリピリしているのだろう。議会中、直接答弁を行うのは教育長だが、現場の細かいことを纏めて提出するのは、課長に任されている。事前に質問事項が出されるから、回答をしっかり準備しておく必要があるのだ。
それも現場の決済権限者である課長の大事な仕事だ。
野原という男は、出来損ないの経験年数ばかり重ねた人ではないらしい。あの若さで課長の席に座るだけのことはある。保住が苦戦するのは珍しいことだ。
しばらく言葉を交わした二人だが、野原がなんとか納得したのか。一瞥をくれてから保住が戻ってきた。
「係長、すみません。おれの予算書ですね」
谷口が申し訳なさそうに頭を下げるが、保住は気にしてない様子だ。
「いや、書類の責任はおれにあります。谷口さんのせいではありません」
「それにしても、なにが引っかかったのでしょうか」
「予算の割り振りです。無駄な割り振りだそうです」
「え! そこは何日も練ったじゃないですか」
「ともかく予算削減しろだそうです」
「そんな」
田口も作成の過程は見てきた。予算は削りに削ったはずだ。
「ともかく、もう一度練り直せとのことです」
「はい」
不安そうな谷口の表情を見た保住は、「大丈夫ですよ」と笑顔を見せる。野原とは違い、保住はこういうところでの気遣いができる男だ。だから田口は好きなんだけれども——。
なんだか嫌な予感ばかりがした。田口は胸がざわつくのを覚えて、落ち着かない気持ちになった。
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