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第21章 自分の価値
03 田口くんの悪口大会
しおりを挟む「ですから! あいつは本当にいい奴すぎて、どうしようもないと思うんですよ」
「そうそう。こんな、性根腐ったような人間の巣窟で、生きていくのは大変ですからね」
「確かに。誰かがそばで支えてあげないと、そのうち、かわいそうなことになりそうですね」
「そうそう」
悪口大会だと言われたはずなのに、三人が口にするのは田口のことを褒めて心配している言葉ばかりではないか。保住は苦笑した。
「そんな過保護にしなくても。田口だって一人前の男ですよ」
「係長はわかってませんよ。結構、打たれ弱くて、いじける感じですからね。いいですか? 係長がしっかり見てあげないと」
「おれ?」
「そうです」
「そうそう」
「それ以外ないじゃないっすか」
「そんなこと言われても……」
日本酒をあおって保住は困った顔をした。こういう意図の飲み会だったなんて。
——気がついていなかったのは自分だけか。
軽くため息を吐くが、内心嬉しい気持ちになった。みんなにこんなに愛されているのだ。田口は人がいい。正直、褒められてもなんの感情も得ないのが保住だ。なのに、なぜか田口が褒められるのが嬉しく感じられた。
——これはどういう了見なのだろうか。
田口という男はずいぶんと成長している。持前の人の好さと礼儀の正しさ。
そして心が優しい。そんな田口の人柄をよく理解して、みんなが可愛がってくれているということだ。そして自分もその一人だ。
初めての年下の部下。管理職としての難しさを教えてもらった。人とつながることの大切さや、温かさも知った。それになにより、ダメな自分をも受け入れてくれる寛容さもある男だ。甘えてばかりで嫌になるが、自分もきちんと彼と向き合わなくてはいけない。彼から与えられたものへの対価を、自分も考えなくてはいけないのだ。
ぼんやりとそんなことを考えていると、十文字がまた、保住の頭をぽんぽんと撫でてきた。十文字は酔うとボディタッチが多いことを思い出した。
「おい」
「すみません。だって、係長って可愛いし」
「また」
谷口が口を出す。
「田口がいないからって。怒られるぞ。ばれたら」
「だって。いつも田口さんに邪魔されるじゃないですか」
「お前ねえ」
「十文字は飲むと質が悪いからな」
保住はぼそっと呟いた。
「酷いです。そんな……」
「だって本当のことじゃない」
「ほわほわなのに。触れると毒でやられます」
「だから。ほわほわがよくわからないって言っているのだ」
「ほわほわは、ほわほわです!」
十文字がいつもの飲み会の調子で、保住に抱き着こうとした瞬間、田口不在のため、自分たちが阻止しようと、谷口と渡辺が手を伸ばす。と、それよりも先に。長い腕が伸びてきて、十文字と保住を引きはがした。
「へ?」
「は?」
一同はぽかんとする。
「おれがいない間に。なにをしているのですか。あなたたちは」
心底怒っているときの低い声。一同が顔を上げると、そこには田口がいた。田口は保住の腕を捕まえ、十文字の顔に手を当てて引きはがした姿勢だ。
「ぐへ」
「十文字。——覚えておけよ」
「す、すみません~……」
「な、なんで。田口が」
「すみませんね。おれもここで飲んでいたもので」
「え!? いなかったじゃん~」
ぶうぶう言っている渡辺と谷口。保住も、田口が突然に表れたので、驚いた。彼の後ろには、吉岡と、それから見たことのない職員が一人いた。さしずめ、話しにできてきた「大堀」という男だろうと思った。
「なんだ。お友達がいたのね」
吉岡は随分とほろ酔い気分だ。田口たち若者と飲むということが嬉しかったのだろう。
「文化課振興係のみなさんだよ。大堀」
吉岡はそばに立っている小柄な男に説明をした。すると、大堀と呼ばれた男は、「へえ!」と素っ頓狂な声を上げて笑い出した。
「楽しそうな部署ですね! 吉岡さん。おれ次はここがいいです」
「そんなこと言わないでよ~。おれのサポートいなくなっちゃうじゃない」
吉岡と大堀の騒ぎを横目に、保住は田口に囁いた。
「ここで飲むなら言っておけよ。来なかったのに」
「飲み会に行くとは言っていなかったじゃないですか」
「突然に決まったのだ。仕方がないだろが」
「おれ抜き、ですね」
「そういう意味じゃ……」
谷口と渡辺は十文字に説教を始めるし。吉岡と大堀はじゃれあっているし。収拾がつかない。これでは「赤ちょうちん」に迷惑がかかると思った瞬間——田口に腕を取られた。
「すみませんが、お先に失礼します」
「田口?」
彼はお金をテーブルに置くと、さっさと赤ちょうちんから出ていく。後ろから、吉岡の声が聞こえたが、そんなものは関係ないとばかりの田口の背中を見つめて、なんだか心がじんわりと暖かくなる。
しかし、彼に腕を掴まれただけで、まるで乙女のよな反応を示す自分にはったとすると、顔が熱くなった。
「ちょ、田口。乱暴に引っ張るな」
「いいえ。怒っています」
「なんで? そんなに怒ること?」
「怒りますよ」
「お前抜きで飲み会になったのは悪いが、別にお前の悪口を言っているわけでもなくて……」
「そういう問題ではないです」
「え? なに?」
銀行裏の路地に入ったところで、突然、立ち止まった田口は保住を壁に押しつけた。
「何度も言わせないでください」
「た……、っん」
なんの前触れもなく、田口に唇を持っていかれる。
——こんなところで?
彼を押し返そうとするが、ビクともしない。しかも、その手を取り上げられ、拘束されてしまうと、全く成すすべがない。冷たい壁に背中を預けたまま、田口のキスをただ受けるだけだ。
ざらついた彼の舌はアルコールの味がした。どちらのものとも言えないくらい混ざり合って、頭の芯がぼーっとしてくる。目を瞑って、ただそれを素直に受け入れた。
保住が大人しくなったのを確認したのか。田口はそっと唇を離した。
「人に触れさせてはいけません」
「田口……」
「おれ以外の人に触れさせないでください」
「それは。もちろんそうだ。別に触れられて喜んでいるのではないのだが……」
「あなたにその気がなくても、です」
「田口」
「怖いんです」
「怖い?」
「あなたを失う日がくるのではないかと。不安で、心配で。怖いのです。——春には部署異動の可能性も高いじゃないですか。やっぱり側にいられないと不安なのです。おれ、弱虫だから。あなたなしではいられない」
田口の目は縋るようだ。保住は軽く微笑んで、それから田口の頬に両手を添える。
「そう不安がるな。おれまで不安になる」
「すみません」
「そんなにもおれとのことを考えてくれているというのは嬉しいことだ。なにも怖がることはないのだ。田口」
「すみません」
「謝ることでもなかろう。おれはどこにもいかない。お前の側にいる」
「保住さん」
不安げな田口を慰めるかのように、保住はそっと彼に口付けた。保住からのキスは滅多にないせいか。田口は狐につままれたように目を瞬かせていた。
「すまない。嫌だったな」
「い、嫌なんて!」
田口はぎゅうぎゅうと保住を抱きしめる。
「痛い! 田口!」
「嫌です」
「な、」
「離しません! おれは絶対に保住さんを離しません!!」
田口は雄叫びにも似た叫びを上げて走り出す。あれで結構、酔っていたらしい。いつも奥ゆかしい雰囲気は微塵もない。
腕を引っ張られて、「うおーっ」と走るこの男には付いていけない。走ると酔いも回るのか、目眩がしてきた。田口銀太と言う男と付き合うのはなかなか難解であると思いつつ、保住は空に浮かぶ月を見上げた。
——なんだかんだいっても、おれはこれが好きなのだな。
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