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第17章 三年目、始まります
05 変われる?
しおりを挟む「で? なにを悩んでいる?」
「えっと……。報告書が通りません」
「おれも最初は全くだ。一か月かかったこともある」
「そんなに? ——ですか」
「そういうもんだ。で、どこが悩み?」
あっさりと言って除ける田口だが、「一ヶ月も通らない報告書ってあるのだろうか?」と、十文字は疑問でいっぱいになった。十文字は報告書の赤ペンをされたものを田口に見せた。
「この表現が違うって言うんですけど。悩みます。前回はこう書きましたが、ダメでした」
「なるほどね」
書類を眺めている田口を見て、十文字はずっとここに来てから思っていることを口にしようか、どうしようかと惑った。
「あの、田口さん——」
彼は優しい目を瞬かせて、十文字を見つめていた。きっと、何を言い出すのだろうと、興味を持ってくれているに違いなかったのだ。十文字は緊張した。正直、こんなことを口にしていいものかと、ずっと悩んでいたのだが。保住が信頼を置いている田口だからこそ、尋ねてみたいと思ったのだった。
「係長って優秀だなって思いますけど——結構変わっているし。本当についていっていいものなのでしょうか? 報告書程度の書類は、前の部署では一、二度見てもらえばOKでした。内容よりも期日優先でした。こんなに期日を過ぎていてもいいものなのでしょうか」
「それは。そうだね」
「ですよね」
——よっし、おれ正しい!
保住と懇意にしている田口もそう思っていたのかと思うと、嬉しい気持ちになったのだ。しかし、田口は真面目な顔でこちらを見ていた。
「十文字。だけど、それでお前はいいのだろうか」
「え?」
田口は続ける。
「不本意な、納得のいかない文書を出して、お前はそれでいいのだろうか」
田口の問いに、口ごもってしまった。言葉がみつからないのだ。
——だって仕方がないじゃないか。
「でも。期日が……」
「それは期日という理由を付けているだけだろう」
「理由——ですか」
「そうだ。できない理由だ」
田口の言葉は十文字の胸に突き刺さった。それは、傷ついているとか、そんなセンチメンタルな理由ではない。自分が一番よくわかっている痛いところを突かれたからだ。
「おれはそうは思わないよ。いいか? 自分の作った文書は、係長だったり、課長だったり、事務局長だったりの名前で外に出るものだ。妥協して、どうでもいいよね、ではないよな? 文書って書いた人の力量が図られるものだよね。十文字もそう思わない? どうでもいいクズみたいな文書見た時に、その人のこと尊敬できるか?」
「できません。こいつ頭悪いなって思います」
「だろう」
十文字はそっと田口の手元を見る。保住とやり取りをしている書類だった。彼もまた悩んでいた。赤ペンは保住の直し。
——青ペンは?
きっと、田口の思考の様子だ。書いては消し、訂正されては丸が付いて……。びっしりとなにか書き込んである。
「田口さん」
「おれは馬鹿だからね。こうして時間がかかるんだ。だけどあるレベルまでは持っていきたい。終わりはないよ。書類の文書って直そうと思うときりがないんだけど。期日のギリギリまで試行錯誤して、最良のものを出したい」
そんな話は聞いたことがなかった。十文字は心が戸惑う。
——頑張るなんて大嫌い。めんどくさいもの。ある程度できたらいいじゃない。
「十文字は、それができるタイプだと思うけど」
「そうでしょうか。おれはいつも逃げて。楽な道を選んでここまで来ていますから」
「でも、そんな自分のこともよく知っているじゃない」
「そうですけど」
「なら、変われる」
「変わる?」
変わるなんて、考えたこともない。自分が好きだ。頑張らない道を選ぶ自分が好き。
——好きなのか? 本当に?
今までの人生でも、いつも逃げて自分に理由を付けて諦めてきたものも多い。
大学の選定もそう。高校時代の初恋の人もそうだ。本当に好きだったくせに、あの人に好きな人がいることを知っていて、結局身を引いた。身を引くというほどのこともない。ただ勝手に好きになって、勝手に諦めただけだ。それだけのこと——。
なにも頑張っていない。
なにも始まっていない。
だから傷つくこともなかった。
それだけの話だ。
「すまない。仕事で忙しいところなのに、余計な話だ」
反応の薄い十文字に、余計なお世話だと思ったのだろう。田口は話を打ち切ろうとする。十文字は首を横に振った。
「本当。そうですね。そうなんだと思います。やだな。田口さんに言われちゃったな」
知っていて蓋をしてきたこと。
「変わりたい、変わらなくちゃって、本気で思っているかというと、まだまだそこまでは思えませんけど」
「そう? でも。今日こうして残業して書類のことばっかり考えている十文字は、かなり一生懸命に取り組んでいると思うけどね」
「確かに。その通りですね」
「本当はもう、変わり始めているのかも知れないな」
「……変わり始めている……」
十文字は書類を握ってから田口を見つめる。
「田口さん! お忙しいのを重々承知でお願いしていいですか」
「なに?」
「付き合ってください」
「ええ!?」
田口は顔を赤くして驚く。それを見て十文字は怒った。
「勘違い甚だしい反応はやめてください!」
「すみません……」
「報告書づくりを教えてください。お知恵を貸してください! って意味です」
「ごめんなさい……」
急に熱い十文字の反応は受け止めきれないのか、「付き合います。付き合いますから……」とだけ答える田口であった。
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