田舎の犬と都会の猫ー振興係編ー

雪うさこ

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第17章 三年目、始まります

03 お留守番

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 四月の末。保住が転倒してから二カ月近くになった。藍色のぼんやりとした光を見つめていた白衣姿の男が、こちらを見た。

「随分と固まったようだ。コルセット外しても大丈夫だと思うよ」

「そうですか」

 ほっとした。最近、痛みが軽くなってきたおかげで、逆にコルセットが窮屈だったのだ。

「——ただし。まだまだムリは禁物だからね」

「はあ」

 パソコンの画像から視線を外して、主治医である医師は保住を見据えた。

「重いものは持たないこと、無理に屈まないこと、長時間同じ姿勢はやめること。長時間の乗り物も気をつけて」

「結構ありますね」

「それだけのことだったんだから。腰は月編にかなめと書く。身体の要だ。身をもって知っているだろう」

「確かに——どんな動作も腰を動かしますね。コルセットで固定されてしまうと動きが変です」

「だろう? それだけ大事なんだ。それとコルセットを外すと、今までそれに頼っていて弱ってしまった筋肉が悪さをすることもある。疲れやすい、姿勢が保てない、そして痛みだ」

「はい」

「受傷部分はほぼ完治したから、これから出る痛みは、筋力の低下に伴った弊害へいがいだ」

 医師は保住をジロリジロリと眺める。

「運動しなさい」

「あの。……はい」

「自分のためだ。いいね」

 彼はそれだけ言うとパソコンに体を向けてなにかを打ち込む。

「一応のために痛み止めだけ出すから。痛くないなら飲まなくていいし。痛いなら飲めばいい。なくなってしまったらまた来て。特段なにもなければ、もう来なくていいよ」

「ありがとうございます」

 保住は頭を下げてから待合室に出た。夕方だと言うのに、待合室には比較的若い人も多くいる。

 ——今のご時世、整形は年寄りばかりではないのだな。

 受付の女性に呼ばれて支払いを済ませてから、処方箋を持って外に出る。ここに二カ月も通ったのだ。来なくていいと言われると少し寂しい気持ちにならなくもないが。

 ——やっと解放されるのか。

 時計は七時を回る。職場に戻ろうかとも思うが、今日はやめておこう。やっと運転も楽になってきた。薬の処方を受けてから、保住は自宅を目指した。


***


「十文字。外勤」

 五月に入り体調はほぼ戻った。書類を見ている手を止めて、十文字を呼びつけた。
 新しく来た十文字は、なかなか使える男だった。田口が来たばかりの頃と比べると——だ。

 ——扱いやすい。

 飲み込みも早いし、指示を出すと頓珍漢なことはしてこないから楽だ。それが保住の第一印象だった。

「どこ、ですか?」

「記念館だ。お前も来い」

「はい」

 彼は慌ててパソコンを閉じる。保住は椅子に掛けていた上着を取り上げて着込んだが、ふと視線を上げると、田口が寂しそうにこちらを見ているのに気がついた。

 ——仕方がないだろう。全てにお前を連れていくことはできない。

 保住は苦笑した。

「田口、留守番しっかりしていろよ」

 それを聞いて渡辺と谷口も笑う。

「本当だ。飼い主においてかれた犬みたいな顔すんなよ」

「田口~」

「や、やめてください。そんな顔していません」

「やだやだ」

 二人にからかわれて田口は俯く。
そんな様子を見ていると自然に笑みが溢れた。

「準備できました」

 慌てていた十文字が声を上げたのを合図に、保住は歩き出した。

「運転しろ」

「はい」

 保住は十文字を従えて事務所を後にした。


***


「いってらっしゃい」

 渡辺や谷口は、口々にそう言ったが、田口はじっと様子を見ていた。

「なんか言いたそうだな。田口」

 渡辺の声に田口は俯く。

「——おれは一年間運転させてもらえませんでした」

「おいおい」

「やきもち?」

 谷口は爆笑だ。

「ち、違います。そういうのでは……」

「そう顔に書いてある」

 渡辺も笑う。

「十文字は地元だ。ああだこうだ言わなくてもわかるから楽なんだろうさ」

「おれだってわかります」

「ああ、いじけだ。いじけ」

「面倒だな」

 二人にからかわれて、田口は冗談っぽく対応はするが、内心は気が気ではない。仕事なのだ。保住が十文字を連れて歩くのは当然のこと。自分も保住に連れて歩いてもらっていたからだ。

 ——しかし……彼が十文字を連れて歩くのは、面白くない。

 それが本音だった。



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