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第10章 そばで支えたい

04 田舎犬の決意

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「そんな素晴らしい男ではない。おれはいい加減で、どうしようもない男だ」

「それは、今回の一件で理解しました」

「だったら——」

「ですが、それでもなお」

 田口は続ける。

「おれのあなたへの評価は変わりません」

 まっすぐに迷いなく言い放つ田口の口調、言葉に保住は顔を上げた。

「田口」

「むしろ、人間らしい一面を見ました。やはり、あなたにも誰かの助けが必要なのだという事がわかりました」

「それは……」

 包丁を握る手が緩んだ保住の心が揺れている様が手にとるようにわかった。田口は思う。自分の気持ちを彼に知ってもらいたい。ずっと思っているということ。保住が大事。だからこそ、自分で自分のことも大事にして欲しいのだ。

 田口は、包丁をまな板の上に置き、じっとしている保住の手を取ってキッチンから連れ出し、リビングのソファに座らせた。そして、彼の目の前に膝まづき、俯き加減な彼を下から見上げた。

「澤井局長に聞きました。昨晩の顛末てんまつは」

「な、なんでお前に……? 澤井が言ったのか?」

「あの人の考えていることはわかりません。だけど、それを聞いて腹立たしく思いました」

「すまない。不愉快な思いを……」

 保住の瞳の色は怯えている。「知られたくなかった」という意味だろう。

 それはそうだ。同性の部下に知られて良い内容ではない。視線を逸らそうと体をよじる彼だが、田口はそれを許さない。しっかりと両手で捕まえてじっと真っ直ぐに見つめる。

「そうではありません。全く当てにならなかった自分にです。それから、あなたを傷つけた局長もです」

「傷付けたとは語弊ごへいがある。昨晩のことは承知の上で——」

「それでもあなたは傷付いているじゃないですか。浮かない顔をしていますよ。お父様の事と関係があるのではないですか? あなたは、お父様の影を背負いすぎていると思います。多分、周りがそうしているのでしょうけど、あなたは、あなたではないですか。澤井局長のこと、本気なのでしょうか?」

 保住は首を横に振った。

「違う! おれは……代わりではない。いや、代わりだった。あの時は、そうしなければならないと思い込んでいたのだ。馬鹿らしいことなのに、そう信じて疑わなかったのだ」

「なにもあなたが、お父様が残した事の後始末をする必要はないのです」

「そんなつもりは、ない……」

「つもりがなくても、おれにはそうとしか思えません」

「田口……」

 保住の瞳は光がない。ぼんやりとしていて、覇気がなかった。

「保住さん、もうやめましょうよ。自分の人生を歩まないと」

「自分の人生……とはなんだ?」

 『そんなことを今までなにも考えてこなかった』と言わんばかりの表情の保住は、田口を見つめていた。

 突然、保住は笑い出した。

「おれは……馬鹿だ! 笑ってくれ——田口。最低だ! 同性の……、しかも既婚の上司と平気で寝るような男だ、最低だ……」

 ——笑え。軽蔑しろ。嫌え。

 保住の言葉の端々にはそういう意味が込められているのかも知れないが、田口にはそうは聞こえない。

 ——助けて。傷ついている。痛い。辛い。自分をそんな目で見るな。

 保住の本心がそう訴えてくるのだ。田口は、たまらず保住の肩を引き寄せて抱きしめた。

「な、なにを……っ! 離せ! 田口!」

「離しません」

「——田口!」

「一人で頑張らないで。おれがそばにいます。支えますから。あなたを取り戻して。あなたは、ここにいるのです。亡くなったお父様ではない」

「……っ」

 保住は笑うことをやめて言葉を失っているようだった。自分を貶めてはいけないのだ。大事にして欲しい。だって、自分の大切な人なのだから。

「おれは、あなたの良いところだけじゃなくて、悪いところも全部引っくるめて知りたい。同僚ではないと思っています。友達とでも言うのでしょうか? 友達だったらズケズケ言います。悪いところは悪いって」

 保住は『友達なんて一人もいない』と言っていた。ずっと一人でやってきたのだろう。誰にも寄りかかることが出来ずに、ただ一人で。

 保住の瞳は見開かれて、そして涙が溢れ落ちた。

 彼にとって職場の上司との関係性を部下に知られるなんてことは、あってはならないことなのではないか?

 正直、聞いた自分も耳を塞ぎたくなることかも知れないからだ。だがしかし、そんなことを聞かされたとしても田口の心はぶれることはないのだ。

 だって、好きだから。
 全てが好きだ。
 最低な部分も含めて、彼が好き。

「こんなおれだぞ……、最低最悪な人間と、付き合う程の価値があるのだろうか」

「ありますよ。おれはもう、すっかり保住さんとは、友達ですからね」

「お前は、大馬鹿野郎だな」

「前にも同じようなこと言われてますから、気にしません」

 保住は嗚咽を洩らした。
 期待のエリート。
 仕事はなんでもこなす。
 保住に出来ないことはない。

 そう言う目で見られていて、いつの間にか、自分でもその型にはまっているに違いない。人に弱味を見せるなんてことが出来ない人だからだ。

 唯一、保住が自分を見せていた人がいるのだとしたら——それは澤井だ。

 彼は常に保住の上司である。立場が逆転することはない。

 しかし彼ですら、保住の全てを知ることは難しいのではないか。澤井は保住の父親の影を追い求めている人だからだ。澤井の目には父親の幻影が浮かんでおり、そのフィルターを通して保住を見ているのだ。

 やはり、澤井にだって、彼の本質が理解できているかどうかと言ったら、疑問かも知れない。

 ただ、焚きつけられている気がする。田口の押し隠している恋心を知られているのだ。澤井がどういうつもりなのか、全くわからない。

 しかし、自分の腕にすがって泣く保住を見て、それはそれで、どうでもいいことだと思った。

 ——自分は引き返せない。もう。心に決めたのだ。

 ——保住の側にいる。彼を支える。

 例え、自分の気持ちを伝えられなくても。彼が別の誰かに心を向けたとしても。
彼のために全てを捧げよう。田口はそう決めたのだった。


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