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第9章 代替えとしての役割
07 控室での情事
しおりを挟む保住の態度に、大友は肯定の意味を感じ取ったのか、不敵な笑みを浮かべた。
「嬉しいよ。物わかりが良い子は好きだ」
「物わかりが良いとは言い難いですが、——面倒も嫌いだ」
「そういう子もまた、いい」
頬に添えられた大友の手は大きい。太い指がくすぐったく感じられた。分厚い唇が、自分の唇に触れてくると、柔らかくてふにゃふにゃした感覚を覚えた。
日本酒の香りがする。
大友は相当酔っているようだ。軽く口を開くと、誘われるように大友の舌が入り込んでくる。酒の味が保住の口内に広まっていくのが不愉快だった。
目を閉じた。目の前の男がどうでもいい人間で、大友だと言うことを認識したくないのだ。目を閉じて相手をシャットアウトしたい。
そんな保住の心中など、察する余裕もない大友は無我夢中の様子だ。そのキスは容赦ない。余裕がないのがよくわかる。貪るような舌の愛撫。息もつけないくらいだった。
「ん……ッ」
——苦しい。息がしたい。
大友の躰を引き離そうと押し返しても叶わない。首をもたげても大きな手によって引き戻されるのだ。意識がかき乱されるのが嫌で、彼の肩を強く押すと、ふと離れた唇から入り込んでくる新鮮な空気に咳き込んだ。
「すまない、つい。夢中に」
「大、友さん、勘弁してくださいよ」
「だって」
彼は熱っぽい視線で保住を見る。
「やめられないだろう。保住」
「な、なにを……」
「君は自分のことだから気がついていないかもしれないけど」
「なんです?」
「男を唆るタイプだ」
「は?」
バカにされているみたいだ。男が、「男を唆るタイプだ」などと言われて喜ぶわけがない。むしろ、侮辱されいているようでプライドが傷ついた。
「な、なにをバカな……」
「知らないだろうな。うん。でもね……」
そんな言葉、言われたことがない。いや、そもそも男とこんな風になったことがないから、わからない。
「失礼なことを言わないでください」
「失礼なことだろうか?」
彼は最後まで言い終わらないうちに、更に唇を重ねてくる。彼の言葉の意味がわからないせいで、思考は更にかき乱された。
——なにを言っているのだ。
元々血迷った男だから、真に受ける必要はないのに。こちらが誘っているみたいに言われるのは心外だ。何度もキスを繰り返されると息が上がる。
——こんな男相手でも、からだは素直に反応するものなのだろうか?
「これ以上もしたい。——いいでしょう?」
そんな言葉を囁かれても、意味がわからないくらい、頭の芯がぼうとしている。唇が離れたかと思うと、耳をねっとりとした舌が這った。
「はっ、嫌だッ……っ」
「感じるんだね。可愛い反応だ」
「や、止めて……ッ」
腰がざわざわとして逃れたいと体が自然に捩れるが、大友の躰の下からは逃れられない。
「いつも冷たい態度の君じゃないみたい」
——言うな!
そう思うのも、束の間の理性だ。直ぐに大友の刺激で頭がいっぱいだ。
——だめだ。流されていく。いつものパターンじゃないか。どうでもいい人と体を重ねるいつものあれ。
田口と知り合ってから、そんなことはしていなかったのに。田口の顔がちらついた。佐々木とイチャイチャしている田口の顔が。
「可愛い、可愛すぎる」
大友のいやらしい囁きが、不快な気分にさせる。
——こんなことは、やはり間違っている。否定しなくては。
そう思った瞬間。控え室の扉が豪快に開いた。
「こんなところにおられたか。大友さん」
ドス黒い重低音は澤井の声。大友は、驚いて保住の上から飛び上がった。
「うちの部下を可愛がってくれるのはありがたいが、会はお開きだ。タクシーを待たせておりますからどうぞお引き取りを」
澤井の眼光に、大友は首を引っ込めるしかない。このような場面を彼に見られるなんて、弱みを見せたくないはずだ。
「お疲れ様でした。大友教育長」
澤井の全く労いの気持ちもない棒読みの挨拶に、大友はいそいそと控え室を出ていく。
「またね。保住」
澤井の前を小さくなって通り過ぎて、階段を駆け下りていく大友は哀れに見えた。しかし、もっと自分の方が惨めである。服装を正す余裕もなく、躰を起こした保住を澤井は見下ろしていた。
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