田舎の犬と都会の猫ー振興係編ー

雪うさこ

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第8章 保住家のこと

03 父親と息子

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「大きくなったものだ。なにもしてやれなかったが、こうして立派になってくれて嬉しい」

「立派というのかどうかわかりませんが、人並に大人にはなりました」

 減らず口みたいなものを叩くのは関の山だった。じっと祖父の目を見ているだけで、躰がビリビリと痺れてくるような感覚に陥った。

なおくんは、そう言う物言いは、兄さんそっくりだな」

 祖父の隣に立っている叔父は、ふと苦笑した。

征貴まさたかから聞いている。市役所で係長になっているとか」

「そうですね。その通りです」

「そうか」

「すみませんね。父同様、銀行員にはなりませんでした」

 保住の返答に、祖父は遠い目をした。

「おかしなことをしたものだ。が私の人生を一遍に変えてしまった」

「父の人生——だと思いますよ。父は、そういうことを言う人ではなかったです。しかし、この年になってみて思いますけど。父親と仲違いしたままというのは、いい気持ちがしないものです。あの人なりに思うことはたくさんあったのだと思いますが」

「そうだな。本当にその通りだ。どうしても自分のことばかりに思いを注いでしまうものだが。相手のことも考えなくてはいけない。あの子を失ってしまうように仕向けたのは自分だし、すべてが自分の責任だ」

「仲違いをしていても、しなくても。どっちにしろ、父は死んだと思いますけど」

「それも然り」
 
 祖父が肯定の頷きをしたのを見計らい、叔父の征貴まさたかが口を挟んだ。

「兄さんは、昔から銀行員にはならないと言っていた。おれはお金の勘定が大好きだったし、父さんと同じ仕事をするのは憧れだったからね。別になんの違和感もなくこの道に入ったけど。兄さんは違っていたっけ」 

 彼は兄との思い出を懐かしむかのように、遠くを見つめていた。

「お金じゃないって。違った方法で誰かのためになりたいって」

 父親の気持ちは保住にはわらない。寡黙で自分の胸の内を話すような人ではなかったからだ。

 ——そうか。この人たちは、自分の知らない父親を知っているのだ。

 ふとそんなことに気が付くと、張り詰めていた気持ちが緩んだ。威圧感ばかりの祖父ではない。彼もまた、故人である保住の父親に想いを馳せているのだということが理解できた。

「私に似てとても頑固な奴だ。どんなに周囲から言われようと、自分の意思は曲げないし、我が道を行く。社会に出て苦労することは目に見えていた。だからこそ、自分の元に置いておきたかった。仲違いしなくても死んだ。——それはそうだ。だが、もう少し生き長らえたのではないかと思ってしまう。子に先立たれるのは辛い。一日でも長く生きていて欲しかった」

 守ってやりたい親心という言葉は、保住にとったら、親のエゴにしか聞こえない。親ならば、子の夢を応援するのではないだろうか。

 だがしかし、田口家の芽依の話を思い出した。あれもまた、娘を思うからこその、親の思いなのだろう。

 ——しかし、子にとってみれば、親の心配は迷惑千万なのだ。

 今までは、父親の視点だけで物事を見てきた。祖父や叔父の話を聞くことで、保住の心は動揺していた。父のことを、自分もよく理解していないのに——。自分はいつの間にか、祖父や叔父を「父を勘当した人間たち」と敵視していたのだということに気が付いたのだ。

 自分自身には、なんら関係のない話であるはずなのに。いつの間にか、父と同化していたのだということだ。

 黙り込んで考え込んでいると、ふと黙っていた田口が口を開いた。

「あの、おれは保住さんの知り合いの田口です」

 唐突に彼が名乗りを上げたので、祖父は驚いた顔をした。静かなので、存在すら認知していなかったらしい。

「そうか。尚貴なおたかの」

「家族の問題ですから、部外者が口を挟むのはおかしいですが、部外者だからこそ思うこともあります。お話ししてもよろしいでしょうか」

 礼儀正しい田口の態度は、不躾ではないらしい。祖父は頷いて笑った。

「聞いてみたいものだ。この話をした時に、血縁以外の者がいるのは初めてだな」

「ありがとうございます」

 保住は驚いて田口をみた。彼は確認するように保住に視線を向けた。「話してもいいか」という許可を求めているのだろう。保住は田口を見据えたまま、ゆっくりと頷いた。すると、田口は低い、柔らかい声で話を始めた。

征司まさしさんも、尚征さんも譲れないものがあるのは仕方がないことだと思います。喧嘩別れも当然のことなのだと言うことも理解しました。だけど、征司まさしさんの気持ちは、尚征なおまささんには痛いほどよくわかっていたのではないですか?」

「そうだろうか」

「あなたには、息子さんの気持ちはわかりますよね?」

 田口の問いに、祖父は頷いた。

「あれは意地っ張りだが、一番、保住家のことも考える子だった」

「子供は親の傘から逃れられない。反対されることを分かっていながらもなお、市役所の職員を選んだんです。背中を押してもらえるなんて思ってもいない。きっとあなたを裏切ることしか選べない自分が、嫌だったのではないでしょうか」

 保住は目を見張った。

 ——確かにそうかも知れない。勘当されているから、祖父のところに行けないのではない。自分の心が行かせなくしていたのか……。

「そんな尚征なおまささんの気持ちを知りながらも、自分から近づいていく事が出来なかった征司まさしさん、ですよね」

「意地っ張りで嫌になるな。変な意地で、最愛の息子の葬式にも行かないだなんて。私の人生狂っている」

「それもまた意地ですか? 行けなかったの間違いでは?」

 田口の言葉に祖父は豪快に笑い出した。

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