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第5章 お祭りランデブー
01 初事業
しおりを挟む「どうも、お疲れ様でした!」
バリトンのよく響く声に、小学生の子供たちとその保護者たちは「ありがとうございます」と口々に言った。
「それでは、これにて解散となります。お客様からは、好評のコメントをいただきました。本当にありがとうございました。お気をつけてお帰りください」
深々と頭を下げると、一同は拍手をして演奏会の成功を確信した。出演者が帰宅をし、先程まで満員だった小さなサロンを眺めていると、隣に男がやってきた。
「なかなかの成功だったな」
「係長」
「初めてにしては、上出来だ」
「バタバタしてしまいました。申し訳ありません」
「そんなことはない。バタバタはつきものだろうが。あんなものは、バタバタには入らない」
瞳を細める男の笑みは艶やかだ。
目を見張り、それから自分も笑む。
「ありがとうございます」
初めての企画。
この部署に来て初めての仕事。
ずっとサポートしてくれた彼に感謝だ。
「あの!」
「なんだ」
「夕飯をおごらせてください」
「え?」
「お礼です。ここまで来られたのは、係長のおかげです」
「一つの仕事のたびに、お礼されていたのでは大変だ。別に気にするな」
「そういうことではなくて。おれの気持ちなんです」
真っ直ぐに係長である保住を見る。瞬きをしていた彼だが、ふと両手で田口の頬を軽く叩いた。
「痛! なっ……?」
「見下ろすなよ」
「へ?」
「小さくて悪かったな」
「そう言う意味じゃ……っていうか、そう言う話じゃないじゃないですか!」
照れているのか。保住は少し頬を赤くした。
「じゃあ、なにを食べるのか、おれが決める」
「もちろんです」
きっちり締めていたネクタイを緩めて、いつものスタイルになると、彼はサロンを出て行った。
***
文化課振興係に来て半年がたった。
十月。暑い夏も乗り切って、やっと秋だ。夏が暑かった分、今年の冬は早く訪れそうな気配だ。例年よりも寒くなるのが早い。
異動になって初めて企画した事業が、日の目を見た。前職でも企画系にいたので、イベントをやり切るという経験は何度もしてきたが、ここまで思い悩み、苦しんできたのは初めて。精一杯やり切った企画が成功したことは、この上ない喜びである。
田口は珍しく気持ちが浮ついていた。荷物を抱えて帰ってくると、廊下で教育委員会事務局長の澤井に出くわした。彼はどす黒いオーラを纏っている邪悪な風貌だ。
田口は一瞬、怯んだがなんとか挨拶をする。
「お疲れ様です」
ダンボールを抱えたまま頭を下げるが、保住は知らんぷりだ。しかし、そのことを咎められるわけでもなく、澤井から声をかけてきた。
「なんだ、外勤か」
「星野一郎記念館のサロン後期一回目ですよ」
「ああ。あの企画な」
澤井はジロリと田口を見た。「お前のか」と言う顔だった。
「滞りなく」
保住の報告に、澤井は鼻を鳴らした。
「問題ないなら、報告は報告書でいい。それより、今晩、時間を開けろ」
——今晩?
ドッキリとした。部下と上司の誘いだったら、優先は上司に決まっている。せっかくの嬉しい気持ちが、一気に不安に変わった。自分との約束は反故されると確信したからだ。
しかし、保住は興味がなさそうに頭をかいた。
「すみません、今晩は仕事です」
「明日でいいものは、明日にしろ」
「そうもいきません。仕事が詰まっていますから。では、失礼いたします」
彼は丁寧に頭を下げると、さっさと事務所に入って行った。上司の誘いを断るなんて、なかなかできないことだ。慌てて頭を下げて、保住に続いて事務所に戻る。
断られた澤井はさぞ怒っていると思いきや、そうでもないようだ。彼は怒るどころか、少し微笑んでいる気もする。
——やっぱり。澤井局長は、係長に甘い。好き勝手させて、なにも言わない。
ちょっかいを出しているように見えても、それはからかいというか、じゃれついているようにしか見えない。
胸がザワザワした。
澤井が保住にちょっかいを出す理由は、彼の亡くなった父親だと聞いているが、本当にそれだけなのか——?
不安になるのは気のせいなのだろうか。
「いいのですか? 係長」
ダンボールをテーブルに置いて、隣にいる保住を見下ろす。
「別に。お前が先約だろう。ただ、それだけの話だ」
「しかし」
保住は笑う。
「お前なあ、やっぱり堅い! クソ真面目野郎」
「な!?」
コソコソと話していたのに、最後の言葉が他の職員にも聞こえたのだろう。渡辺たちは吹き出した。
「係長!?」
「言い慣れないんだから。棒読みじゃないっすか」
谷口も突っ込む。
「そうかな? おれ的には結構イケていると思うけど」
「いやいや。言い慣れていませんって」
矢部も大笑だった。
——ま、いっか。
余計なことを考えることはよくない。
なるようにしかならないだろう。
そう考えることにしよう。
田口は、そう思った。
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