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第4章 犬の故郷へ
09 梅沢への帰還
しおりを挟む結局、お世話になったお礼も大して出来ずに、田口に送られてアパートに帰宅すると、寂しい気持ちが湧いてきた。
今まで、こんな気持ちを味わったことはない。 今回の件で、田口のことをよく理解した。あの人たちに囲まれて育った彼は、素直でまっすぐなのもわかった。
退院してきて、自宅にも寄らずに発ったから、ここに戻るのはしばらくぶりだ。自分が留守の間、妹が掃除をしてくれていたと聞いている。
「一人とは何とも味気なく寂しいものなのだな」
一人呟いて笑ってしまう。保住と出会って田口が変わったのと同様に、保住もまた、今まで味わったことのない感情や経験をさせてもらっていた。彼との出会いは、確実に自分の人生を変えてくれているということを理解する。
「果物でもお礼に送らねばならないな」
田口の地元では果樹はやらないと聞いた。贈り物をするなんてこと、人生で初めてかもしれない。
「お帰り」
荷物の整理が億劫で、ソファに座っていると、妹のみのりが顔を出した。
「なんだ、こんな時間に」
日曜日の夜、兄の家に来るなんて。年頃女子なのに。
「なんだ、じゃないでしょう? 病み上がりで明日から仕事行く気なんだろうから、様子見に来てあげたのに」
「そうか。すまないな」
「でも、心配した程じゃなさそうね。ゆっくりできたみたいじゃない。顔色、ずい分いいわよ」
彼女は保住の荷物を解き始める。片付けを手伝ってくれるつもりなのだろう。正直、片付けは後回しくらいの話だったので助かった。保住は、みのりの様子を眺めながら笑った。
「ゆっくりはできなかったが、なかなか楽しかった。仕事復帰へのリハビリとしては素晴らしい環境だったな」
「それ、どう言う意味?」
目を丸くするみのりに、保住は田口家の面々の話をした。一通り聞いた彼女は、朗らかで明るい笑い声を発する。
「あの真面目そうな田口さんって、そんな環境で育ってきたのね。面白いわねえ」
「そうだな。家とは大違いだ」
「家はおじいさんたちと疎遠だものね。おじさんにはたまに会うよ。お兄ちゃんとは、お父さんのお葬式以来、会ってないから会いたいって言っていたけど」
「そうか」
——そうなのだな。
家族は父と母、そしてみのりだと、そう思ってきたが、田口家を見ると、家族とはいいものなのかもしれないと思う。
「あの人、元気なのかな?」
保住の呟きに、みのりは苦笑いだ。
「おじいさんのこと? すっごく元気みたいよ。もう90なのにね。相変わらずの偏屈ぶりみたいで、おじさんも苦労しているみたい。お父さんみたいに、さっさと飛び出せば良かったって」
「そう。元気ならいい」
父親の葬儀にも顔を出さない頑固ぶり。いくら喧嘩したからって、息子の葬式にこない父親などいるのだろうかと不思議だった。だが、あの人ならやりかねないだろうな。まだまだ健在ならいいことだ。
「それにしても、なんだか珍しいことばかりで嬉しいわ」
「え、どういうことだ?」
話題が変わる。みのりはソファに座ったままニコニコと笑う。
「お兄ちゃんって友達もいないじゃない。田口さんは部下かも知れないけど、年も近いし。友達みたいでいいじゃない」
「そうだろうか」
「そうよ! こんなこと奇跡だわ」
「これは、澤井が仕掛けてきたことで……」
「とかなんとか言ったって、楽しんできたんでしょう? 明日は、台風でも来るんじゃないかしら」
「おい」
「それに澤井のおじ様が、そんなにお兄ちゃんに優しいなんて、気味が悪いわね」
みのりは澤井の歪んだ感情を知らない。ただの気難しいが、父親の旧友で、力になってくれる人、くらいにしか思っていないだろう。
——ただし。今回ばかりは、借りができてしまった。後から脅されないといいが。
「吉岡のおじ様のほうが、どっちかと言えば人当たりいいから好きだけど、私は、澤井のおじ様もそんなに嫌いじゃないよ。お兄ちゃんは嫌いだもんね」
「おれは勘弁だ。四六時中いてみろ、流石に嫌になる」
「ああいうパワハラ上司はよくいるわよ。悪いけど、役所より銀行のほうがタチが悪いんだからね」
お気楽でのんびりしていそうな彼女だが、彼女なりの悩みはあるのだろう。
「すまない」
「なに、謝ってんの? へんなお兄ちゃん。なんだか変わったね」
「そうだろうか?」
保住は首を傾げると、みのりはおかしそうに笑った。
「いいじゃない。うん! いい」
「え?」
「なんでもない! 元気そうなのを確認したし。そろそろ帰るわ。明日から頑張ってね」
「遅れを取り戻さなくては」
「それは気負いすぎ。お兄ちゃんがいなくても、何とかなるもんなんだから。自意識過剰はやめて、ゆる~くやってきなさいよ」
みのりはしっかり者。彼女に救われることも多い。一瞬、彼女のほうが年上に見えることもある。
「じゃあね!」
明日の朝ごはんをセットして、彼女は帰っていった。長く感じられた熱中症事件もやっと収束だ。明日からは日常に戻れる。保住は、そんなことを考えながらベッドに寝転がった。
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