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第3章 蒸し風呂事件

09 綺麗な人

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 明後日は、仕事を休むが、来週から保住が復帰するなら、やることは山のように詰まっている。田口は残業するつもりだが、思い立って、途中で抜け出した。退院が決まったなら、面会ができるはずだからだ。

 先日、足を運んだ病院へ再び向かう。急に思い立ったので、なにもない。手ぶらもおかしいが、売店でお菓子を買っても意味がないような気もしたので、なにも持たずに足を向けた。インタホンを押すと、先日同様に女性の声が聞こえた。

「あの、どうしても面会させてもらいたいんですけど」

 一度断られているせいで変に構えてしまうが、今日はあっさりと中に通してもらえた。扉を開けると、すぐに靴の履き替えを行うスペースになっている。戸惑いながらも下足を棚にしまい、赤い病院用スリッパを履いた。

 廊下に表示している案内通りに進んでいくと、古ぼけたエレベーターがあった。

 ボタンは三階までの表示しかない。『詰所』と書かれている紙の脇のニ階ボタンを押す。ガコンガコンと妙に大きな機械音が耳についた。

 二階に降りると、目の前の小さな部屋から、五十代くらいの女性が顔を出した。

「右側の一番奥の部屋ね」

 二階は、エレベーターと詰所を中心に廊下が左右に伸びていた。突き当たりを目視できるくらいなので、さほど広くはない。空いている病室も多いが、開いているドアの隙間から見えるのは、高齢者ばかりだった。

 緊張した。どんな顔で会えばいいのだろうか——? そんなことを考えながら、目的の病室前に来ると、中からは、保住の声が聞こえてきた。

 彼の声を耳にするのは一週間ぶり。なんだか懐かしいような、嬉しいような。ドキドキとする鼓動が激しくなる。柄にもなく緊張しているようだった。

 しかし声が聞こえるということは先客がいるのだろうか、それとも病院のスタッフなのだろうか。思い悩むがこのままいても仕方がない。ここまで来て、方向転換をして帰るなんてナンセンスだ。

 田口は深呼吸をしてから、扉をノックした。すると中の会話は止み、女性の声が聞こえた。

「どうぞ」

 ——女性? 相手は女性なのか?

「失礼します」

 おずおずと顔を出すと、中には若い女性がいた。まずいとろに出食わしてしまったようだ。

 ——まさか、彼女?

 白いシフォンのブラウスに、紺色のスカート。黒いロングヘア。白い顔色に、薄ピンクの唇はよく映える。漆黒の瞳は、どこか保住を彷彿とさせた。

「すみません、お取り込み中なのに……」

 女性が退けて、初めて保住が視界に入る。彼は白緑色の病衣をまとっていた。

 ——痩せているのに、さらに痩せた? いや。やつれたというべきか。

 普段から蒼白な顔色は、ますます具合が悪そうだった。

「田口か。お前が来てくれるなんて、嬉しい」

 彼はそう言うと笑った。
 
「すみません。明日、退院と聞きましたので、どうしても心配で」

「澤井に聞いたのか」

「はい」

 点滴が繋がっている左手を眺めて、彼は目を細める。

「今回ばかりは、あの人に助けてもらった」

「はい。局長がいなかったら、ですね」

「本当だ」

「それに、今日は局長からもう一つ頼まれごとをされました」

 田口はそう言うと、女性を見る。このまま話してもいいのだろうか、と言う田口の意向を汲み取ったのか、彼女は朗らかに笑った。

「私のことは気になさらずにどうぞ。ちょっと飲み物買ってくるわ」

「そうか」

 出て行く女性を見送る。随分親しい感じだ。田口は胸がチクチクした。

 ——恋人なのだろうか。

 綺麗な人だった。

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