17 / 231
第2章 仕事の仕方
07 イマジネーション
しおりを挟む第三会議室に入ると、田口は書類を目の前のテーブルに乗せ、立ったまま待っていた。
「お願いします!」
——真面目。融通が効かない男。
保住は田口への評価を心の中で述べながら、手前のパイプ椅子を引き寄せて座った。
「あのさ、田口」
「はい」
「ちょっと落ち着こう」
「落ち着いています!」
——全然、落ち着いていないじゃないか。
保住は笑ってしまう。
「焦っていないか?」
「焦っていません」
——焦っているだろう? まあ仕方ない。
別な話題には、まったく耳を貸す気がないらしい。本題に入るしかないか。
そう判断をして、企画書を持ち上げた。
「では聞くが。これは誰が主語の企画書なのだ」
唐突な質問に、田口は「え」と口ごもった。さっきまでの興奮が少し治ったのか。
「答えろ」
「えっと。お客さん?」
「客とは?」
「えっと、地域の人、市民、星野一郎ファン……」
「だな。で、この文章は誰の為にある? ……『この事業の目的は、市民への星野一郎の啓発であり』……」
保住は企画書を読み上げ始めたが、すぐに田口に止められた。
「ま、待ってください!」
「なんだ」
「自分の文章を読み上げられるのは恥ずかしいです」
「お前に恥ずかしいなんて気持ちがあるのか?」
「ありますよ!」
田口は顔が真っ赤になる。
「そんな話ではない。おれが言いたいのは内容のことで……」
「すみません」
彼はますます赤面し、うなだれた。本気で自分を見失っているようだ。
保住は呆れながらも、内心微笑ましくも思った。
——堅物で、だらしのない自分みたいな人間が大嫌いな、型にはめたがるタイプなくせに。
「やっぱり、中学生」
「え、なんです」
「なんでもないって。ともかくだ。一旦、話を置いておこう」
「しかし勤務中ですよ」
「知っている」
保住は自分のスマホを取り出すと、古めかしい音楽を流した。
「星野一郎……」
牧場の朗らかな様子が目に浮かぶような、それでいてワクワクする曲調。昭和独特な女性の発声が、尖った心を和らげてくれる。
「おれはこの曲が好きだ。運動もわからないが、音楽もわからん。だがこの曲は、心がウキウキしてくる。明るい昭和の良き時代が脳裏をかすめる」
「……どうしてでしょう。この時代に生まれていないのに」
「日本人に染み付いているのかもしれんな。この平成の時代は冷たすぎる。戦後の復興で、日本のあちらこちらが湧いていた。良き時代だったのだろうな」
「係長でもそんなことを思うのですか?」
——意外だと言いたいのだろう?
「昔の事はよくわからん。過ぎたことをほじくり返してノスタルジックな気分になるタイプでもないが。この部署に来て、星野一郎のことが好きになっただけだ」
保住は音楽を消した。
***
「係長は、どうやって自分が想像もできない分野の仕事をマスターするのですか?」
——保住という男は、自分と大差ない年齢なのに、なぜ係長なのだ? 能力が違いすぎる。
企画書一つで、アップアップな自分が情けない。それなのに保住は、みんなの企画書を精査できる立場にある。課長の佐久間にも一目置かれている。
——落ちこぼれだ。自分は……。
落胆の気分。半分投げやりだった。しかし保住は真摯に答えてくれた。
「興味だな」
「興味?」
「そうだ。お前も、星野一郎に興味を持ったのだろう?」
「ええ、まあ」
「そしたら、いいアイデアが生まれた」
「はい」
「企画書もそうだ。想像しろ。誰のためのものなのか。お前の頭には演奏会のビジョンが浮かぶのか? 場所は見て来ただろう」
——そうだ。確かに。
田口の頭の中では、演奏会は始まっているのだった。
0
あなたにおすすめの小説
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
貢がせて、ハニー!
わこ
BL
隣の部屋のサラリーマンがしょっちゅう貢ぎにやって来る。
隣人のストレートな求愛活動に困惑する男子学生の話。
社会人×大学生の日常系年の差ラブコメ。
※この物語はフィクションです。
※現時点で小説の公開対象範囲は全年齢となっております。しばらくはこのまま指定なしで更新を続ける予定ですが、アルファポリスさんのガイドラインに合わせて今後変更する場合があります。(2020.11.8)
■2025.12.14 285話のタイトルを「おみやげ何にする? Ⅲ」から変更しました。
■2025.11.29 294話のタイトルを「赤い川」から変更しました。
■2024.03.09 2月2日にわざわざサイトの方へ誤変換のお知らせをくださった方、どうもありがとうございました。瀬名さんの名前が僧侶みたいになっていたのに全く気付いていなかったので助かりました!
■2024.03.09 195話/196話のタイトルを変更しました。
■2020.10.25 25話目「帰り道」追加(差し込み)しました。話の流れに変更はありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる