地方公務員になってみたら、配属されたのは流刑地と呼ばれる音楽ホールでした。

雪うさこ

文字の大きさ
上 下
70 / 94
無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ 第一番

第5話 父親

しおりを挟む




「いつも世界中を飛び回っていて、頭の中は音楽のことでいっぱい。子供である僕や妹のことなどちっとも考えていないんだ。ただ、こうして思い出したかのように、たまにやってきては僕たちがなんとかやっている日常を壊して去っていく——本当に迷惑な男なんだ」 

 ——そう。迷惑なだけの男だ。 

「一応、この家の維持費などはあの人が肩代わりしてくれているので無碍にはしないけど。正直、僕は父親として認めてはいない」 

 あおはじっと関口の言葉を聞いていたが、ふと口を開いた。 

「嫌いじゃないんでしょう?」 

「嫌いだよ。あんな奴。大嫌い」 

「関口」 

「——ごめん。蒼に言う話じゃない。だけど、きっと迷惑かかったでしょう? 代わりに謝罪します」 

 そう言ってから頭を下げる。蒼はじっとそのまま動かなかった。 

「ねえ、関口。あの——お父さんは……」 

「それ以上言わなくていい。なにか言われたんでしょう? もっと仲良くしたいとか、蒼から口添えして欲しいとか」 

 図星のようだ。蒼の視線が泳ぐのを見て、関口は「やっぱり」と思った。 

「あんな奴の言う事なんて無視していいからね。悪いね。巻き込んで。ごめん」 

「だから。それはいいって。——あのね。関口」 

 蒼は真面目な顔をして関口を見ていた。 

「関口はおれの時も背中押してくれたでしょう。おれ、なにか力になりたいって思っているんだよ。ね? だから……」

「だったら、放っておいてくれればいい。僕はあの人と仲良くしたいなんて一つも思っていないから」

「——ごめん」 

 ——そうだ。親子だからってみんなが仲良くする必要はない。蒼はお母さんと再会していい方に向かったかも知れないけど。僕は僕だ。 

 これ以上は話したくないという気持ちで蒼を見返すと、関口の心の内を察してくれたのか、彼は黙り込んだ。それから、仕事で持ち歩いているリュックを開いて、なにやら取り出した。 

「これ」 

「なに?」 

 目の前に差し出されたのは、明日の市民オーケストラのチケットだ。 

「明日。観に行く」 

「え? いいよ。別に」 

「ううん。絶対に行く」 

 少しいい加減な気持ちで笑みを浮かべて蒼を見ると、彼は笑っていなかった。真剣な瞳の色で自分を見据えているのだ。 

「蒼——」 

「あのね。関口の演奏は、この前初めて聴かせてもらった。すごくよかった。だから、今回はステージに立っている関口を見てみたい。明日は遅番じゃないから。絶対に観に行くね」 

 蒼という男は真面目だ。黒目がちの瞳は必死に自分を見据えている。なんだか自分のほうがいい加減で恥ずかしい気持ちになった。 

 ——本当にこの男には救われる。 

「わかったよ。来るなら言えばいいのに。チケット余ってるし」 

「ううん。自分で買いたかった。ちゃんと観に行きたい」 

「蒼って頑固だよね」 

「仕方ないじゃない。そういう性格なんだから」 

「確かに! 頑固だ」 

 あははと笑い声をあげると、彼は不本意そうな顔をしていたが、すぐに笑みを浮かべた。 

「関口ほどじゃないし」 

「僕は頑固ではないよ」 

「嘘。お父さんと喧嘩ばっかり」 

「喧嘩じゃないし。それは言葉の使い方が間違っているね」

「え~。悪いけどね。おれからみたら子供の喧嘩です」 

 自分たちの長年の確執を「喧嘩」と一蹴する蒼の感覚には脱帽だ。関口は苦笑してから、麻婆豆腐をごはんの上にのせた。 

「あ~。蒼とくだらない話をしたらお腹空いちゃった」 

「なにそれ! おれだってそうだよ。もう。明日は日勤で早いんだからね。勘弁してよ」 

 お互いに悪態を吐くクセに、悪い気持ちにならないのはどういうことだろうか。関口は思う。やはりこの男がいてくれるということは自分にとってはかけがえのないことなのだということ。 

 明日は市民オーケストラの定期演奏会。久しぶりのステージにどこか緊張している自分がいた。 





しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

巻き込まれ召喚されたおっさん、無能だと追放され冒険者として無双する

高鉢 健太
ファンタジー
とある県立高校の最寄り駅で勇者召喚に巻き込まれたおっさん。 手違い鑑定でスキルを間違われて無能と追放されたが冒険者ギルドで間違いに気付いて無双を始める。

異世界でぺったんこさん!〜無限収納5段階活用で無双する〜

KeyBow
ファンタジー
 間もなく50歳になる銀行マンのおっさんは、高校生達の異世界召喚に巻き込まれた。  何故か若返り、他の召喚者と同じ高校生位の年齢になっていた。  召喚したのは、魔王を討ち滅ぼす為だと伝えられる。自分で2つのスキルを選ぶ事が出来ると言われ、おっさんが選んだのは無限収納と飛翔!  しかし召喚した者達はスキルを制御する為の装飾品と偽り、隷属の首輪を装着しようとしていた・・・  いち早くその嘘に気が付いたおっさんが1人の少女を連れて逃亡を図る。  その後おっさんは無限収納の5段階活用で無双する!・・・はずだ。  上空に飛び、そこから大きな岩を落として押しつぶす。やがて救った少女は口癖のように言う。  またぺったんこですか?・・・

スキル盗んで何が悪い!

大都督
ファンタジー
"スキル"それは誰もが欲しがる物 "スキル"それは人が持つには限られた能力 "スキル"それは一人の青年の運命を変えた力  いつのも日常生活をおくる彼、大空三成(オオゾラミツナリ)彼は毎日仕事をし、終われば帰ってゲームをして遊ぶ。そんな毎日を繰り返していた。  本人はこれからも続く生活だと思っていた。  そう、あのゲームを起動させるまでは……  大人気商品ワールドランド、略してWL。  ゲームを始めると指先一つリアルに再現、ゲーマーである主人公は感激と喜び物語を勧めていく。  しかし、突然目の前に現れた女の子に思わぬ言葉を聞かさせる……  女の子の正体は!? このゲームの目的は!?  これからどうするの主人公!  【スキル盗んで何が悪い!】始まります!

欲張ってチートスキル貰いすぎたらステータスを全部0にされてしまったので最弱から最強&ハーレム目指します

ゆさま
ファンタジー
チートスキルを授けてくれる女神様が出てくるまで最短最速です。(多分) HP1 全ステータス0から這い上がる! 可愛い女の子の挿絵多めです!! カクヨムにて公開したものを手直しして投稿しています。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜

瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。 大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。 そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。 第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。

処理中です...