もふもふ猫は歌姫の夢を見る

雪うさこ

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第2章 歌姫と闇の魔法使い

第15話 兎ってかわいい?問題

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 彼の屋敷は王都の東に位置していた。王宮を見た後だから、少し狭く見えるのだろうけれど、それでもおれが住んでいた屋敷よりは広い。

 屋敷前に停った馬車から降りると、エピタフが従者に感謝の言葉を述べる。従者は軽く一瞥をくれてから、馬車ごと立ち去って行った。それをじっと見送っていると、エピタフに名を呼ばれた。 

 慌てて彼のところに駆け寄ろうとすると、中から兎族の獣人が一人飛び出してきた。

(おれと同じくらい?)

「お帰り。お帰りなさい。エピタフ様」 

 彼はぴょんぴょんと跳ねるように駆けてくる。慌てすぎて前のめりに転びそうだった。 

「相変わらず落ち着きのない。また転びますよ——」 

 言ったそばから、彼は豪快に前に倒れ込んだ。 

(ドジっ子?) 

 短く切り揃えられている前髪のおかげで、おでこが赤くなっているのが見て取れた。エピタフは耳が垂れているのに、彼の耳はぴんと立っている。猫族は、いろいろな種類にわかれていたが、兎族もそうらしい。

「い、痛い……っ、痛い~」 

「まったく手のかかる子ですね」 

 エピタフは手を差し出す。彼は、ひっく、ひっくと涙をこらえながら、その手を取った。 

「彼は執事のリグレットです。こちらは凛空。王のお客様ですから。丁重におもてなしすること」 

「は、はい! マスター」 

 彼は曲がってしまった衿締を正すと、咳払いをしておれを見た。耳と同じ色の鳶色のつぶらな瞳。

(兎って、かわいいー!) 

 おれは顔が熱くなった。 

「兎って、かわいいよね……。耳が長くて、目がくりんとしていて……。しっぽも短いでしょう? ねえ、かわいいよね」 

 エピタフとリグレットは顔を見合わせた。 

「猫には言われたくないですね」 

「本当です。猫族って王都では珍しいから。僕、初めて見ましたけど。この耳。かわいいし、このしっぽ。——あれ?」 

 リグレットは、おれのしっぽを見て首を傾げた。 

「変な形」 

「生まれつき変な形で……」 

「失礼なことを」 

「別に。気になるようなことでもないし」 

 ふとエピタフが「鍵しっぽ」と言った。リグレットは首を傾げた。 

「鍵しっぽとは、先がヘンテコな方向に曲がっているしっぽのこと。なんでも、その曲がったところで幸せを掴まえるとか」 

「へえ! 凛空は幸せを運んでくれる猫ちゃんですか」 

「幸せだなんて……」 

 そんなはずない。だって、おれのせいで。じいさんも、雄聖も……。そんなことを考えていると、エピタフは手を打ち鳴らした。 

「リグレット。凛空の部屋の準備をしてください」

「わかりました! マスター。——さあさあ、こっちだよ。凛空」 

 リグレットに手を引かれて、おれは屋敷の中に連れて行かれた。背後からエピタフが見送ってくれている視線を感じた。 





 今まで寝たこともないようなふかふかなベッドは、寝心地が悪かった。あちこち落ち着く場所を探して歩いて、結局は床に丸まって寝ていたせいで、リグレットにものすごく怒られた。 

 エピタフの屋敷には、リグレットとその他に、数人の使用人がいた。リグレットの話だと、大臣の屋敷なのに、これほど使用人が少ないのは珍しいのだという。

 エピタフは大変用心深くて、自分が信用した者しか採用しないそうだ。その代わり、ここにいる使用人たちは選りすぐりで、優秀な者ばかりだという。

(リグレットが優秀なのかどうかは、わからないな……) 

 彼はおしゃべりが好きらしく、朝から色々な話をしてくれた。おれがなにも言わなくても話が進んでいく。まあ、そのおかげで色々なことがわかったけれど。 

「マスターは適齢期なのに、つがいを見つける気がないんですよ。僕たち使用人は、みんな新しい奥様を心待ちにしているんですけれども。奥様かどうかはわかりませんね。マスターはどちらになるのでしょうか。ああ、早くお子様の世話もしたいのです。それが僕たちの今の願いなんです」

 おれの身支度を手伝ってくれているリグレットはそう言った。 

「エピタフは美人だけど、少し怖いからなあ。近づいたら睨まれちゃうもんね」

「そんなことはありませんよ! マスターはお優しい方です。ドジばっかりの僕のことを怒ったりしません。ヨシヨシと頭を撫でてくれます。ここにいる使用人たちは、みんなマスターが大好きです」

(想像がつかないんですけど!)

「おれの両親は王都で仕事をしていましたが、僕が幼い頃に流行り病で死んでしまったのです。孤児になってしまった僕を、マスターは救い上げてくれた。あの方は、僕の命の恩人です。僕は、あの方のためなら、命を差し出しても惜しくはありません」

 リグレットは愛嬌のある笑みを消し、ぽつんとそう言った。

「王宮を見ましたか」

「え? ああ。うん。昨日ね」

「王宮のみなさんの中に、マスターは独りぼっちです」

 リグレットはおれの寝ぐせを直す手を止めた。鏡に映る彼の表情には翳りが見えた。

「王宮は人間たちが幅を利かせています。本来であれば、マスターだって、人間であるはずだったんです。エピタフ様のお父様は、獣の印が現れなかったのですから! けれど、エピタフ様は違いました。エピタフ様の容姿はクレセント様にそっくりです」

 おれは王宮で感じた、あの冷たい視線を思い出す。おれを疑ってかかっているだけではない。そうだ。あれは獣人を蔑むような視線だったのかも知れない。

 エピタフはそんな中で、あの場に毅然と立っていた。周囲に媚びることもなく、ただそこに——。

「当時、獣人の血を王宮に持ち込んだと、リガード様への非難はすごかったそうです。リガード様が、あなたを育て守ると言って大臣職を退いた後もそれは続いて。とうとう、エピタフ様のお父様は闇に落ち込んだのです」

 おれは言葉に詰まった。エピタフの横顔が忘れられなかった。生まれるべきではない存在として扱われる悲しみはいかほどか。そばにいて欲しいはずのじいさんは、おれを育てると言って姿を消したのだ。おれにはじいさんがいた。けれど、エピタフには——誰がいたというのだ。

(それがサブライム……?)

「おれは——。なにも知らなかった。おれは。ただ、じいさんと暮らしている日常しか知らなくて。エピタフから、じいさんを奪っていたなんて。ちっとも。想像もしていなくて——」

 色々なことが急に腑に落ちて、なんだか胸が締めつけられる気がした。鏡越しのリグレットは、不意におれを後ろから抱きしめてくれた。

「マスターはずっと一人です。お父様が亡くなったのは、マスターが十三歳の時でした。マスターはその時から、大臣職に就いています。大人たちの中で、人間たちの中で。マスターはいつも一人きりでした。もしかしたら、リガード様が大事に育てられた凛空のことを、弟みたいに大事に思っているのではないでしょうか。どうでもいい人は相手にしない方です」

「でも、怒られてばっかりだよ?」

「だからですよ。心配されているのです。凛空のこと——。田舎から出てきたばかりの貴方が、ここでちゃんと生きていけるように心配されているのだと思いますよ」

 彼はそう言ってくれるけれど、あの冷たい視線で見据えられると、しっぽがからだに巻きついてしまうくらい怖い。

「リグレットはつがい、いるの?」 

「僕ですか? へへ。そこ、聞きます?」 

 彼は鳶色の耳をぴこぴことさせて笑った。 

「じゃあ、凛空はどうなんでしょうか?」 

「おれ?」 

「そうですよ。凛空も十八歳なのでしょう? つがいを見つけてもいいお年頃です」 

「そんなこと言われても……」 

「ほらほら。聞かれると困る話です」 

「仕返し!?」 

 リグレットは「えへへ」と笑った。昨日からずっと揶揄われてばかりだ。

「真のつがいをご存じですか」

「真のつがい——。運命の人でしょう? でも真のつがいを見つけることができる人ってそうそういないって言うじゃない?」

「そうですね。大半の者は、真のつがいを見つけることができずに、別の人とつがいになって人生を終えると言いますね」

「だよね。真のつがいって、どんな感じなんだろう」

「王都で流行りの小説があります。恋愛小説なんですけれども、真のつがいについて勉強するには、とってもいい本ですよ。読んでみますか」

「え! うん。おれ本好きだし」

「それはよかった。では、夕刻までにはご準備しておきましょうね」

 リグレットはおれの肩をぽんぽんと叩いた。準備ができたという合図らしい。そこにエピタフが顔を出す。 

「気が合うのはいいことですが、遅刻します」 

 リグレットは片目を瞑って見せる。「内緒だよ」と言っているようだった。おれは小さく頷いてから、エピタフに続いて部屋を出る。

「リグレットは優秀な子ですが、少々お喋りが過ぎます。あまり鵜呑みにしないように」

 エピタフは軽く咳払いをすると、を返した。彼はおれたちの話を聞いていたのだろうか。素っ気ない態度は愛情の裏返し? 

 おれたちは、昨日と同じ馬車に乗り込んで、帰ってきた時とは反対の道を辿って王宮に向かった。




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