上 下
45 / 83
第四幕

12 天岩戸

しおりを挟む


 昼間の会合の後、保住に指摘された言葉が脳裏から離れない。

『野原課長の仕事ぶりをちゃんと見てあげないと。それは、あなたしかできないことだ』

 ——見ていないとでも言うのか。そうだ。のだ。

 痛いところを突かれて気持ちが揺らいでいる。彼を守るなんて言っておいて、肝心なところを見ていないだなんて、浅はかだ。

 昨晩の失敗と、今日の指摘とで心が大きく揺れ動いていて、どこを向いたらいいのか定まらない。
 野原にどんな顔をすればいいのだろう。まったくもってダメダメで、もうグダグダ。

 ——不甲斐ない。情けない。

 野原に甘えたい気持ちで支配されているのに、後ろめたい気持ちもあって、思うように動けなかったのだ。だけど時間はどんどん過ぎて行く。

 帰らないわけにもいかない。仕方なしに自宅に足を向けた。もう22時を回っていた。野原は帰っているだろう。

 「ただいま」と声をかけながら中に入ると、野原はソファにじっと座っていた。

せつ?」

 違和感。

実篤さねあつ

 鞄を下ろして野原を見つめると、彼は白緑色の瞳の色を濃くした。

「澤井下ろしはやめる」

 彼はそうきっぱりと言い切った。

「な、なに?」

「今、言った通り。澤井下ろしはやめる。おれたちには、経験も人脈も足りない。まだ太刀打ちできない」

「そ、そんなことはわかっている」

「じゃあ……」

 野原が自分の意見に背くようなことを言ってきたのは初めてで、動揺していた。
 心がぐらついていたのに、まさか野原までそんなことを言い出すなんて……。

「な、なんでそんなこと……急に」

「今日、田口たぐちと話した。驚いた。あいつは保住が好き。保住が間違ったことをしようとしたら全力で止めるって言ってた」


「おれは間違ったことなんて……」

 ——澤井下ろしに執着しても、なんの意味もなさない。もっとうまい方法を考えるんだ。

 頭の中では知っているくせに、真っ向から否定されると言い訳が立たない。

 分かっているくせに。
 知っているくせに。

 槇は野原の話を素直に聞くことができなかった。

「実篤。おれたちは未熟。まだやらなくてはいけないことがたくさんある」

 ——そんなこと、知っている。

「実篤の叶えたいことはおれも叶えたいと思ってきた。同じ考えならいいのだと。でも違った。田口はそうじゃないって」

「田口、田口って、なんだよ? それ。あんな犬みたいなやつの言うことを聞いて、おれの言うことはきけないっていうのか?」

「言うことを聞くとか聞かないの問題ではない」

「そういう問題だろう?」

「おれは……」

 野原の口にすることは正論なのだ。
 自分のほうが間違っているって知っているのに。

 聞き入れてくれない野原に対して、苛立ってもただの八つ当たりだって知っているのに。受け入れられるスペースが見当たらないのだ。
 
 澤井の強かさ。
 保住が持っているもの。
 昨日から、ダメなことばかりで、心が折れそうだ。

「もういい。雪は、おれの意見に賛同してくれないってこと? おれのことをダメな人間だって言いたいんだろう?」

 そんな質問は無意味。子どもが駄々を捏ねているようなものなのに、止められないだなんて、本当に浅はか。
 ソファに座っている野原は、じっと槇を見つめ返すだけだった。

「雪!」

 ——なにか言って欲しい。
 半分、懇願するように野原を見る。野原に見捨てられたら、槇には誰もいない。縋るように野原の服を掴んだ。

「雪、頼むよ……」

 拒絶しないで欲しい。
 全て受け入れて欲しいのだ。
 しかし野原は軽く息を吐いた。

「……お前の叶えたいことは、おれの叶えたいこと。それは変わらない。だけどやり方が」

「やり方ってなんだよ! お前までおれのことを非難するのか?」

?」

「そうだよ。みんなそうだっ! 澤井にバカにされて、保住にもバカにされて……、お前までおれのことを否定するのか?」

「否定はしていない」

「嘘だっ!」

「実篤……っ」

 珍しく野原は声を大きくしたが、槇は受け入れられない。

「どうせお前もおれのこと、バカで、ドジで、どうしようもないクズだって思っているんだろう!?」

「違う。そんなんじゃない」

「雪はおれのこと、ちっともわかってないっ!」

「実篤——」

 野原の制止を受け止められない。後ろめたいからこそ、わかっているからこそ、こうして野原にまでキッパリと言われてしまうと心が悲鳴を上げた。

「おれはお前のためにやったんだよ! お前を守らなきゃって、ずっと昔からそればっかりで……っ、なのに、なんだよ? 保住の味方するのか?」

 槇の攻める言葉に野原の瞳の色は、濃くなって——それから色褪せた。

「雪……?」

 激昂していた気持ちが一瞬で萎えた。

 ——なに、それ?

「実篤。もう、いいよ」

「な、なんだよ。それ。おい! 雪?」

 槇がすがるように手を差し伸べても、野原が応える事はない。押し黙ってしまった野原はもうなにも答えない。
 彼はソファから立ち上がると、そっと部屋から出て行った。追いかけようと思っても、届かない。

 ——意気地なし。

 届かないのではない。
 怖くて手を伸ばせないだけじゃないか。

 玄関が閉まる音がして、一人取り残された槇は、じっとその場に座り込んでいた。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

無理やりお仕置きされちゃうsubの話(短編集)

みたらし団子
BL
Dom/subユニバース ★が多くなるほどえろ重視の作品になっていきます。 ぼちぼち更新

隠れSな攻めの短編集

あかさたな!
BL
こちら全話独立、オトナな短編集です。 1話1話完結しています。 いきなりオトナな内容に入るのでご注意を。 今回はソフトからドがつくくらいのSまで、いろんなタイプの攻めがみられる短編集です!隠れSとか、メガネSとか、年下Sとか…⁉︎ 【お仕置きで奥の処女をもらう参謀】【口の中をいじめる歯医者】 【独占欲で使用人をいじめる王様】 【無自覚Sがトイレを我慢させる】 【召喚された勇者は魔術師の性癖(ケモ耳)に巻き込まれる】 【勝手にイくことを許さない許嫁】 【胸の敏感なところだけでいかせたいいじめっ子】 【自称Sをしばく女装っ子の部下】 【魔王を公開処刑する勇者】 【酔うとエスになるカテキョ】 【虎視眈々と下剋上を狙うヴァンパイアの眷属】 【貴族坊ちゃんの弱みを握った庶民】 【主人を調教する奴隷】 2022/04/15を持って、こちらの短編集は完結とさせていただきます。 最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーー 前作に ・年下攻め ・いじわるな溺愛攻め ・下剋上っぽい関係 短編集も完結してるで、プロフィールからぜひ!

僕の調教監禁生活。

まぐろ
BL
ごく普通の中学生、鈴谷悠佳(すずやはるか)。 ある日、見ず知らずのお兄さんに誘拐されてしまう! ※♡喘ぎ注意です 若干気持ち悪い描写(痛々しい?)あるかもです。

とろけてなくなる

瀬楽英津子
BL
ヤクザの車を傷を付けた櫻井雅(さくらいみやび)十八歳は、多額の借金を背負わされ、ゲイ風俗で働かされることになってしまった。 連れて行かれたのは教育係の逢坂英二(おうさかえいじ)の自宅マンション。 雅はそこで、逢坂英二(おうさかえいじ)に性技を教わることになるが、逢坂英二(おうさかえいじ)は、ガサツで乱暴な男だった。  無骨なヤクザ×ドライな少年。  歳の差。

僕はオモチャ

ha-na-ko
BL
◆R-18 エロしかありません。 苦手な方、お逃げください。 18歳未満の方は絶対に読まないでください。 僕には二人兄がいる。 一番上は雅春(まさはる)。 賢くて、聡明で、堅実家。  僕の憧れ。 二番目の兄は昴(すばる)。 スポーツマンで、曲がったことが大嫌い。正義感も強くて 僕の大好きな人。 そんな二人に囲まれて育った僕は、 結局平凡なただの人。 だったはずなのに……。 ※青少年に対する性的虐待表現などが含まれます。 その行為を推奨するものでは一切ございません。 ※こちらの作品、わたくしのただの妄想のはけ口です。 ……ので稚拙な文章で表現も上手くありません。 話も辻褄が合わなかったり誤字脱字もあるかもしれません。 苦情などは一切お受けいたしませんのでご了承ください。

とろとろ【R18短編集】

ちまこ。
BL
ねっとり、じっくりと。 とろとろにされてます。 喘ぎ声は可愛いめ。 乳首責め多めの作品集です。

兄弟愛

まい
BL
4人兄弟の末っ子 冬馬が3人の兄に溺愛されています。※BL、無理矢理、監禁、近親相姦あります。 苦手な方はお気をつけください。

初体験

nano ひにゃ
BL
23才性体験ゼロの好一朗が、友人のすすめで年上で優しい男と付き合い始める。

処理中です...