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第四幕
12 天岩戸
しおりを挟む昼間の会合の後、保住に指摘された言葉が脳裏から離れない。
『野原課長の仕事ぶりをちゃんと見てあげないと。それは、あなたしかできないことだ』
——見ていないとでも言うのか。そうだ。見ていないのだ。
痛いところを突かれて気持ちが揺らいでいる。彼を守るなんて言っておいて、肝心なところを見ていないだなんて、浅はかだ。
昨晩の失敗と、今日の指摘とで心が大きく揺れ動いていて、どこを向いたらいいのか定まらない。
野原にどんな顔をすればいいのだろう。まったくもってダメダメで、もうグダグダ。
——不甲斐ない。情けない。
野原に甘えたい気持ちで支配されているのに、後ろめたい気持ちもあって、思うように動けなかったのだ。だけど時間はどんどん過ぎて行く。
帰らないわけにもいかない。仕方なしに自宅に足を向けた。もう22時を回っていた。野原は帰っているだろう。
「ただいま」と声をかけながら中に入ると、野原はソファにじっと座っていた。
「雪?」
違和感。
「実篤」
鞄を下ろして野原を見つめると、彼は白緑色の瞳の色を濃くした。
「澤井下ろしはやめる」
彼はそうきっぱりと言い切った。
「な、なに?」
「今、言った通り。澤井下ろしはやめる。おれたちには、経験も人脈も足りない。まだ太刀打ちできない」
「そ、そんなことはわかっている」
「じゃあ……」
野原が自分の意見に背くようなことを言ってきたのは初めてで、動揺していた。
心がぐらついていたのに、まさか野原までそんなことを言い出すなんて……。
「な、なんでそんなこと……急に」
「今日、田口と話した。驚いた。あいつは保住が好き。保住が間違ったことをしようとしたら全力で止めるって言ってた」
「おれは間違ったことなんて……」
——澤井下ろしに執着しても、なんの意味もなさない。もっとうまい方法を考えるんだ。
頭の中では知っているくせに、真っ向から否定されると言い訳が立たない。
分かっているくせに。
知っているくせに。
槇は野原の話を素直に聞くことができなかった。
「実篤。おれたちは未熟。まだやらなくてはいけないことがたくさんある」
——そんなこと、知っている。
「実篤の叶えたいことはおれも叶えたいと思ってきた。同じ考えならいいのだと。でも違った。田口はそうじゃないって」
「田口、田口って、なんだよ? それ。あんな犬みたいなやつの言うことを聞いて、おれの言うことはきけないっていうのか?」
「言うことを聞くとか聞かないの問題ではない」
「そういう問題だろう?」
「おれは……」
野原の口にすることは正論なのだ。
自分のほうが間違っているって知っているのに。
聞き入れてくれない野原に対して、苛立ってもただの八つ当たりだって知っているのに。受け入れられるスペースが見当たらないのだ。
澤井の強かさ。
保住が持っているもの。
昨日から、ダメなことばかりで、心が折れそうだ。
「もういい。雪は、おれの意見に賛同してくれないってこと? おれのことをダメな人間だって言いたいんだろう?」
そんな質問は無意味。子どもが駄々を捏ねているようなものなのに、止められないだなんて、本当に浅はか。
ソファに座っている野原は、じっと槇を見つめ返すだけだった。
「雪!」
——なにか言って欲しい。
半分、懇願するように野原を見る。野原に見捨てられたら、槇には誰もいない。縋るように野原の服を掴んだ。
「雪、頼むよ……」
拒絶しないで欲しい。
全て受け入れて欲しいのだ。
しかし野原は軽く息を吐いた。
「……お前の叶えたいことは、おれの叶えたいこと。それは変わらない。だけどやり方が」
「やり方ってなんだよ! お前までおれのことを非難するのか?」
「お前まで?」
「そうだよ。みんなそうだっ! 澤井にバカにされて、保住にもバカにされて……、お前までおれのことを否定するのか?」
「否定はしていない」
「嘘だっ!」
「実篤……っ」
珍しく野原は声を大きくしたが、槇は受け入れられない。
「どうせお前もおれのこと、バカで、ドジで、どうしようもないクズだって思っているんだろう!?」
「違う。そんなんじゃない」
「雪はおれのこと、ちっともわかってないっ!」
「実篤——」
野原の制止を受け止められない。後ろめたいからこそ、わかっているからこそ、こうして野原にまでキッパリと言われてしまうと心が悲鳴を上げた。
「おれはお前のためにやったんだよ! お前を守らなきゃって、ずっと昔からそればっかりで……っ、なのに、なんだよ? 保住の味方するのか?」
槇の攻める言葉に野原の瞳の色は、濃くなって——それから色褪せた。
「雪……?」
激昂していた気持ちが一瞬で萎えた。
——なに、それ?
「実篤。もう、いいよ」
「な、なんだよ。それ。おい! 雪?」
槇がすがるように手を差し伸べても、野原が応える事はない。押し黙ってしまった野原はもうなにも答えない。
彼はソファから立ち上がると、そっと部屋から出て行った。追いかけようと思っても、届かない。
——意気地なし。
届かないのではない。
怖くて手を伸ばせないだけじゃないか。
玄関が閉まる音がして、一人取り残された槇は、じっとその場に座り込んでいた。
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