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悪役皇子はざまぁ展開を希求する。
7皇子の泣き所(上)
しおりを挟む「嫌だあああっ! 離せえええ!」
市街地から少し外れた田舎道。自分を抱えて……つまりだっこで移動するギルバートの腕の中でユリウスは無駄な抵抗を続けていた。
「確かに一旦家に戻れとは言ったけどな! 俺も行くとは言ってない!」
身をよじっても体を叩いてもびくともしない幼なじみが、もう何度も繰り返したやりとりをため息まじりになぞる。
「俺を帰すつもりならあなたも連れて行きますよ。今度は絶対離れません」
「離れないってお前な……」
一度引き離されて以降、次にまみえたのは処刑場だったというあの日のことを言っているのだろうが今は状況が違う。
自分は捕まってないし、この見てくれでは誰もユリウスが第三十六皇子だとは思わない。
「だからその辺の宿で落ち合おうぜって言ってんの! 身支度整えたら合流でいいだろ! いいから離せ! 離せってくそ、力強いなお前……!」
「暴れないでください。落としますよ」
「そもそも抱えんな! 降ろせっ! 子どもじゃないんだぞ!」
「今のあなたは子どもです」
それに降ろしたら逃げるでしょう、と追撃されて言葉に詰まる。
どちらも間違っていないが、だからといって引き下がるわけにもいかなかった。
「な……中身は成人済みの十八だわ! とにかく俺は行かない! お前一人で行け
!」
「ユーリ」
ぎゅ、と腕に力を入れてユリウスの動きを封じ込めると、ギルバートが声を低くした。
「聞き分けのない理由を教えて」
びく、と肩が跳ねたのはもはや反射である。
叱る前の声だ。
言い訳を口にしかけて、結局やめる。観念してユリウスはギルバートの首にしがみついた。
「……エイダに合わせる顔がない」
年頃の下女だったと言うだけで厄介者の嫡男を押し付けられ、それなのに愛情深く育ててくれた人を無用に悲しませてしまった。
手塩にかけて育てたユリウスと、実の息子であるギルバートを同時に失ったのではないかと、きっと彼女は今日も泣いている。
しかも、そうであるならきっとユリウス様は寂しくない、とあんな風に微笑ませて。
「お前が無事だったのは良かったけどな」
後追いなどされていたらいよいよ立場がない。
強固に歩を進めていたギルバートが、立ち止まってこちらの気配を探った。
「あなたの魔法については明かせませんから……確かに悲しむ顔は見せるでしょうが」
「しかも俺は一回エイダの前から逃げている」
ギルバートを探しに行った時のことを話すと、聡い幼なじみはなるほど、と頷いた。
思案気に少し間を空けてから、ギルバートが提案する。
「では、このまま宿に向かって母には手紙を送りましょうか」
「だめだ!」
がば、と顔を上げて、ユリウスはギルバートの顔を正面から見つめた。
「お前は一度顔を見せに行け」
せめて無事であったギルバートには一目会わせておきたい。それに、
「お前、剣を置いてきただろう。騎士が丸腰でどう俺を守るつもりだ」
「……それは」
「行く先で買い求めるとか言うなよ。一応、王から賜った騎士の剣だぞ」
王族の側近として使える騎士に王の名で剣が贈られるのはこの国のならわしだ。
別に謁見の間で仰々しく王自らが下賜する、というわけでもなかったが、王家従属の意匠が彫られたその剣は、自分の身分と誇りを示す、騎士にとっては意味のあるものだった。
「大量にいる騎士の顔なんか誰もが一々覚えているわけじゃないからな。身分証がわりにも持っていた方がいい。これから役に立つこともあるだろう」
「なるほど」
ふむ、と納得してギルバートがユリウスを抱き直す。
「ではやはり連れて帰りましょう」
「いや、だから!」
「大丈夫ですよ。あなたのことは町で知り合った子どもとでも説明しますから」
「そういうことじゃなくて!」
「少しぐらい居心地悪い思いもしたらいいんです。俺も母もずいぶん心を痛めたのは本当ですし」
「ぐ……返しにくい正論を……」
もはや論破は無理だと諦めて、ユリウスは降ろせ降ろせと駄々をこねた。
「いたた、本当に落としてしまいます、ユリウス様!」
「もうそれでいいわ! いいから離せっ!」
道端でぎゃあぎゃあ悶着していると、ふいに前方に人気を感じた。
揃って視線を向けた先には、洗濯にでも行こうとしたのか大きなタライを抱えた女性が惚けたように立ち尽くしている。
「……エイダ」
ギルバートによく似た黒い髪に黒い瞳。つい先日にもまみえたその姿を確認して、ユリウスは幼なじみの肩を強く掴んだ。
ギルバートを見て、ユリウスを見て、もう一度ギルバートを見たエイダの瞳にみるみる涙が盛り上がる。
やがてタライを投げ捨てるようにその場に放ると、エイダがこちらに向かって走り寄って来た。
「ギルバート!」
ユリウスごとギルバートに抱きついたエイダが嗚咽する。
母さん、とギルバートが応じると、髭面になった息子の頬に手を添えてエイダがうん、うん、と何度もうなずいた。
エイダのやつれた顔にギルバートが顔を歪める。いたたまれないユリウスの気持ちが少し分かったようだ。
ひとしきり息子を愛おしそうに見つめた後、エイダがユリウスに視線を移した。緊張に強張ったユリウスの額を優しく撫でて、涙目のまま微笑む。
「ユリウス様」
ユリウスは息を止め、ギルバートは言葉を失った。
それが証拠になったようで、エイダの瞳が輝きだす。
「ああ、やっぱり……! やっぱりそうだったんですね! あの後、もしかしてってずっと考えていたんです。どういう事情か分からないけど、たとえば王族の誰かに魔法をかけられて小さくなってしまったとか……それでギルバートを頼るためにうちにいらっしゃったんじゃないか、とか……。だってこんなにも幼い頃のユリウス様にそっくり」
ユリウスの頬を両手で挟み込むエイダの手が温かい。
嬉しそうに自分を見つめる黒曜石のような瞳にユリウスは泣きたくなった。
「だけど人間がちっちゃくなるなんて、そんな魔法聞いたことないし、私の願望から来る妄想かもって疑ってもいたんです」
でも、とエイダがギルバートを横目に見る。
「ギルバートが大切に抱えてくるなら、ユリウス様に違いありません」
そうして自分の額をユリウスの額にくっつけた。
この国では、額と額をつけるのは家族や恋人などより近しい者どうしの親愛の証だ。
「よくぞご無事で……」
お帰りなさい、と囁かれて、ユリウスの瞳から涙がこぼれた。俯くと、ぽとぽと落ちる涙が見える。
ある日突然全てのものを理不尽に奪われ、一度は死ぬのだと思った。人生を諦めもした。
生き延びてからも、大切なものを失ってしまったのではないかと不安になり、誰にも認知されないのだという事実に少なからず打ちのめされ……。怖かったのだ。本当は、とても。
お帰り、と言ってもらえてようやく、ユリウスは心の底から安堵した。
声も上げられずに涙するユリウスを、まあまあ可愛らしいこと、とエイダがなぐさめ、ギルバートがあやすように背中をなぜる。
完全に小さい子どもにするそれだが、まあ二人は自分より年上だしと納得し、ユリウスはしばし黙ってその扱いに身を任せた。
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