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半田村の久兵衛さん
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時は江戸、尾州半田村が酒づくりで大いに栄えていた頃の話です。
ひょうきん者の久兵衛さんは、村ではちょっとした有名人でした。と言うのも、久兵衛さんは人から聞いた話を、すぐに村中に広めてしまう、いわばうわさの発信元だったのです。
呉服屋の嫁と姑が大げんかをしたこと、法事のお経を唱えていた坊主が途中でお経をど忘れしてしまい、やむなく同じフレーズをくり返し唱えていたこと、金物屋の大将が酒をふんだんに飲んだ次の日、商品ののこぎりで誤って自分の指を切ってしまったことなど、これらのうわさはどれも、久兵衛さんが村中に広めたものでした。
これは久兵衛さんが、酒屋を営んでいることと関係していました。お酒が大好きな久兵衛さん、酒だるからただよってくるお酒のいいにおいについ誘われて、味見とかこつけては朝に一口、朝と昼の間の休けいに一口、昼飯のお供にも一口とたしなんでいました。そうして昼過ぎには、顔をほどよく朱の色に染めていたのです。お酒の酔いで活発になった久兵衛さんの舌は、久兵衛さんの頭よりも速く回転し、「誰にも言っちゃだめだよ」と村人にくぎをさされたことでも、村中に言い広めてしまうのでした。
秘密にしておきたい恥ずかしいことならば、そんな久兵衛さんには教えなければよいのに、どういうわけか、村人達はめいめいの秘密を、進んで久兵衛さんに打ち明けにきました。それにはこういうわけがあったのです。
人は自分や身内の者に恥ずべきことがあると、隠そうとするきらいがありますが、その実、共感して話を聞いてくれる者さえあれば、秘密を打ち明けてすっきりしてしまいたいものです。そこへ来て、人当たりがよく物腰もやわらかかった久兵衛さん、聞き役としてこれ以上の者はいません。心の押し入れにしまいこんである恥ずかしい秘密を、すっきり処分してしまいたければ、久兵衛さんに話を聞いてもらうことこそ、村人達にとって一番の処方せんとなっていたのです。
このようにして久兵衛さんの元に集まった村中の秘密が、久兵衛さんを起点に、うわさとなって村中へ広まるということが、半田村では日常茶飯事となっていました。
さて、平凡平和な半田村にも、悪事をたくらむ者が一人いました。名を吟介と言い、吟介は長年にわたって金貸しをしていました。
また、村にはもう一人、譲助と言う名の金貸しもいました。譲助の金貸しは始まってまだ日が浅かったのですが、大変人気を博していました。と言うのも、譲助は単に金を貸すだけでなく、借りた金をどのように運用すれば、利子をつけてきっちり期日までに返せるのか、わかりやすいアドバイスをしていたのです。これは金のあつかいに不慣れな村人達にとって、大変ありがたいことでしたが、同じ金貸しの吟介は、譲助に客を取られてしまいますから、おもしろくありません。
吟介は、譲助のやり方を素直にまねればよかったのでしょう。しかし、長年金貸しをやってきた吟介のプライドが、新人の譲助を見習うということを許しませんでした。
やがて邪心を起こした吟介は、譲助の悪いうわさを流して、譲助の評判を落とすと言う計略を思いつきました。そこで吟介が目をつけたのが、久兵衛さんでした。
(久兵衛の野郎に譲助の悪評を吹きこんでやろう。あの久兵衛のことだ、すぐにうわさを村中に広めるだろうから、譲助の評判もまたたく間に地に落ちるにちげえねえ)
そう考えつくが早いか、吟介は早速久兵衛さんの酒屋を訪ねました。
久兵衛さんは、ちょうど昼飯をすませた所でした。うっすら赤らんだその顔からは、プーンとお酒のにおいがしてきます。今日もすでに何杯か引っかけたようです。久兵衛さんは、心もとない足取りで表に出てくると、うつろな目を吟介の方に向けました。
「どちらさんで? ヒック」
「金貸しの吟介という者だがよ」
「金貸しがどうしたい、ヒック」
「実はな、おもしろい話があってよ、よく聞けよ。譲助っつう村にいるもう一人の金貸しのことなんだがよ、あいつの貸す銭は悪銭なんだってよ」
「あくせん? 何だいそりゃ、あんまりおいしそうじゃないね。あ、くせぃとか言って、ヒック」
「ばか言っちゃいけねえよ。悪銭と言えば、混ざりものの入った粗悪な銭のことだよ」
「はあ、悪銭かい。それで悪銭がどうしたって? ヒック」
「だから、悪銭で金貸しをやっている野郎がいるって話だよ」
吟介はお酒が回った久兵衛さんに、譲助の悪評を吹きこむのに一汗かきましたが、久兵衛さんが何とか事情を飲みこんだと思われた所で、しめしめと帰っていきました。
さて、翌朝のことです。吟介はガヤガヤと表の方が騒がしいので、何ごとかと床から身を起こして表に出ました。すると顔つき険しい村人達が、出てきた吟介をキッとにらみつけました。その顔ぶれを見るに、吟介が金を貸している村人達でした。
「おい吟介、久兵衛さんに聞いたぞ、手前の貸す銭は悪銭なんだってな。よくもだましやがったな」
一人がこう言いだすと、また別の者も、
「悪銭を貸し出すたあ、ひきょう者め」
と続けます。他の者も不平不満を吟介にぶちまけましたが、一方の吟介は何が起きているのかわからず、狐につままれたような顔をしていました。
(一体どういうこった? 譲助でなくて俺が悪銭を貸しているという話になってやがる)
ふに落ちない吟介は、昨日の久兵衛さんとのやり取りをふり返ってみました。
(俺は確かに久兵衛に譲助の悪評を吹きこんだはずだが……あ、ひょっとしてあの野郎、酒に酔っぱらっていて、吟介と譲助の名を取り違えて……)
わけのわからない独り言をぶつぶつ言っている吟介に、いきり立った村人達は、平ぐわやら洗たく板やらすりこぎやらをふり上げ、吟介目がけて恐ろしい勢いで突進してきました。とっさのことで逃げ遅れた吟介は、全身をめった打ちにされてしまいました。
この一件を皮切りに、吟介の金貸し業は転落の一途をたどりました。吟介自らまいた悪事の胞子が、うわさの魔力で繁殖し、発酵してできあがった特別苦い悪酒を、吟介自らが飲み干したというわけです。
そんなうわさを広めた記憶など、お酒の魔力でとうに消え去ってしまっている久兵衛さんは、今日もお酒をちょびちょび引っかけて、顔をほどよく赤らめています。村人達が持ってくるとっておきの打ち明け話を、ちょうどいい酒のさかなにしながら。
ひょうきん者の久兵衛さんは、村ではちょっとした有名人でした。と言うのも、久兵衛さんは人から聞いた話を、すぐに村中に広めてしまう、いわばうわさの発信元だったのです。
呉服屋の嫁と姑が大げんかをしたこと、法事のお経を唱えていた坊主が途中でお経をど忘れしてしまい、やむなく同じフレーズをくり返し唱えていたこと、金物屋の大将が酒をふんだんに飲んだ次の日、商品ののこぎりで誤って自分の指を切ってしまったことなど、これらのうわさはどれも、久兵衛さんが村中に広めたものでした。
これは久兵衛さんが、酒屋を営んでいることと関係していました。お酒が大好きな久兵衛さん、酒だるからただよってくるお酒のいいにおいについ誘われて、味見とかこつけては朝に一口、朝と昼の間の休けいに一口、昼飯のお供にも一口とたしなんでいました。そうして昼過ぎには、顔をほどよく朱の色に染めていたのです。お酒の酔いで活発になった久兵衛さんの舌は、久兵衛さんの頭よりも速く回転し、「誰にも言っちゃだめだよ」と村人にくぎをさされたことでも、村中に言い広めてしまうのでした。
秘密にしておきたい恥ずかしいことならば、そんな久兵衛さんには教えなければよいのに、どういうわけか、村人達はめいめいの秘密を、進んで久兵衛さんに打ち明けにきました。それにはこういうわけがあったのです。
人は自分や身内の者に恥ずべきことがあると、隠そうとするきらいがありますが、その実、共感して話を聞いてくれる者さえあれば、秘密を打ち明けてすっきりしてしまいたいものです。そこへ来て、人当たりがよく物腰もやわらかかった久兵衛さん、聞き役としてこれ以上の者はいません。心の押し入れにしまいこんである恥ずかしい秘密を、すっきり処分してしまいたければ、久兵衛さんに話を聞いてもらうことこそ、村人達にとって一番の処方せんとなっていたのです。
このようにして久兵衛さんの元に集まった村中の秘密が、久兵衛さんを起点に、うわさとなって村中へ広まるということが、半田村では日常茶飯事となっていました。
さて、平凡平和な半田村にも、悪事をたくらむ者が一人いました。名を吟介と言い、吟介は長年にわたって金貸しをしていました。
また、村にはもう一人、譲助と言う名の金貸しもいました。譲助の金貸しは始まってまだ日が浅かったのですが、大変人気を博していました。と言うのも、譲助は単に金を貸すだけでなく、借りた金をどのように運用すれば、利子をつけてきっちり期日までに返せるのか、わかりやすいアドバイスをしていたのです。これは金のあつかいに不慣れな村人達にとって、大変ありがたいことでしたが、同じ金貸しの吟介は、譲助に客を取られてしまいますから、おもしろくありません。
吟介は、譲助のやり方を素直にまねればよかったのでしょう。しかし、長年金貸しをやってきた吟介のプライドが、新人の譲助を見習うということを許しませんでした。
やがて邪心を起こした吟介は、譲助の悪いうわさを流して、譲助の評判を落とすと言う計略を思いつきました。そこで吟介が目をつけたのが、久兵衛さんでした。
(久兵衛の野郎に譲助の悪評を吹きこんでやろう。あの久兵衛のことだ、すぐにうわさを村中に広めるだろうから、譲助の評判もまたたく間に地に落ちるにちげえねえ)
そう考えつくが早いか、吟介は早速久兵衛さんの酒屋を訪ねました。
久兵衛さんは、ちょうど昼飯をすませた所でした。うっすら赤らんだその顔からは、プーンとお酒のにおいがしてきます。今日もすでに何杯か引っかけたようです。久兵衛さんは、心もとない足取りで表に出てくると、うつろな目を吟介の方に向けました。
「どちらさんで? ヒック」
「金貸しの吟介という者だがよ」
「金貸しがどうしたい、ヒック」
「実はな、おもしろい話があってよ、よく聞けよ。譲助っつう村にいるもう一人の金貸しのことなんだがよ、あいつの貸す銭は悪銭なんだってよ」
「あくせん? 何だいそりゃ、あんまりおいしそうじゃないね。あ、くせぃとか言って、ヒック」
「ばか言っちゃいけねえよ。悪銭と言えば、混ざりものの入った粗悪な銭のことだよ」
「はあ、悪銭かい。それで悪銭がどうしたって? ヒック」
「だから、悪銭で金貸しをやっている野郎がいるって話だよ」
吟介はお酒が回った久兵衛さんに、譲助の悪評を吹きこむのに一汗かきましたが、久兵衛さんが何とか事情を飲みこんだと思われた所で、しめしめと帰っていきました。
さて、翌朝のことです。吟介はガヤガヤと表の方が騒がしいので、何ごとかと床から身を起こして表に出ました。すると顔つき険しい村人達が、出てきた吟介をキッとにらみつけました。その顔ぶれを見るに、吟介が金を貸している村人達でした。
「おい吟介、久兵衛さんに聞いたぞ、手前の貸す銭は悪銭なんだってな。よくもだましやがったな」
一人がこう言いだすと、また別の者も、
「悪銭を貸し出すたあ、ひきょう者め」
と続けます。他の者も不平不満を吟介にぶちまけましたが、一方の吟介は何が起きているのかわからず、狐につままれたような顔をしていました。
(一体どういうこった? 譲助でなくて俺が悪銭を貸しているという話になってやがる)
ふに落ちない吟介は、昨日の久兵衛さんとのやり取りをふり返ってみました。
(俺は確かに久兵衛に譲助の悪評を吹きこんだはずだが……あ、ひょっとしてあの野郎、酒に酔っぱらっていて、吟介と譲助の名を取り違えて……)
わけのわからない独り言をぶつぶつ言っている吟介に、いきり立った村人達は、平ぐわやら洗たく板やらすりこぎやらをふり上げ、吟介目がけて恐ろしい勢いで突進してきました。とっさのことで逃げ遅れた吟介は、全身をめった打ちにされてしまいました。
この一件を皮切りに、吟介の金貸し業は転落の一途をたどりました。吟介自らまいた悪事の胞子が、うわさの魔力で繁殖し、発酵してできあがった特別苦い悪酒を、吟介自らが飲み干したというわけです。
そんなうわさを広めた記憶など、お酒の魔力でとうに消え去ってしまっている久兵衛さんは、今日もお酒をちょびちょび引っかけて、顔をほどよく赤らめています。村人達が持ってくるとっておきの打ち明け話を、ちょうどいい酒のさかなにしながら。
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