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左巻きのカタツムリ
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読者諸君は、カタツムリの殻の巻く向きに注意を払ったことがあろうか。実は、大半のカタツムリの殻が右巻きにできているのだが、あるカタツムリの群れの中に、ただの一匹だけ、左巻きのカタツムリがいた。親も兄弟も親せきも、みな右巻きだというのに、このカタツムリだけが左巻きなのである。
殻が左巻きでも、実用面で特に不便はない。食事も移動も睡眠もつつがなく行える。
しかし、精神面では全くの別問題であった。左巻きのカタツムリは、自分の殻だけが左巻きであることに強いコンプレックスを抱いていたのだ。絶えず他のカタツムリの殻に目をやっては、自分と同じ左巻きの者はいないのか、そればかり気にしていたほどである。
ある日、左巻きのカタツムリは、長老のカタツムリに、「自分と同じ左巻きの者が、過去にいませんでしたか」と尋ねてみたことがあった。自分と同じ左巻きの者がいた話を聞けば、せめてものなぐさめになるだろうと考えたからである。しかし長老のカタツムリは、「今、私の目の前にいる者以外で、そんな者は見たことがない」と答えたため、かえって左巻きのカタツムリの気は、め入るばかりであった。
左巻きのカタツムリは大いに悩んだ。
(左巻きの自分でも、何とか右巻き社会に溶けこみたい。左巻きを右巻きに変えることはできないけれども、左巻きの殻を右巻きの殻らしく見せる方法はきっとあるはずだ)
そのように考えながら左巻きのカタツムリが日々を過ごしていると、果たして一つの事実に気づいた。
それは、右巻きの殻は右に傾くように、左巻きの殻は左に傾くようにできているということだ。
(左巻きの殻でも、右側に傾くように工夫すれば、右巻き社会に溶けこめるのではないか)
この考えを実行するには、殻の中におさまった体を、本来とは逆の向きにねじる必要があって、大変な苦労を要した。しかし、いかにも苦労しているのが周りの者に知れるというのでは、かえって集団の中で浮いてしまう。だから左巻きのカタツムリは、この苦労を涼しい顔でやり続ける必要があった。本当はつらいことを涼しい顔でやり続けるというのは、ただつらいことをつらそうに続けるよりも、忍たい力を要するものであった。
これだけの苦労にたえているのだから、自分は右巻き社会に十分溶けこめたはずだと左巻きのカタツムリは思っていた。ところが、二、三日たつ内に、左巻きのカタツムリは意外な事実を発見した。他のカタツムリ達が、バカにするような、さげすむような目つきで自分の殻を眺めてくるのだ。
これまでもすれ違いざま、自分の殻にちらと視線が注がれることはあって、その時は単に物珍しさから眺められているだけであった。けれども今度のは、明らかに以前のそれとは違うのだ。笑いを必死にこらえる者、クスクス笑い出す者、連れの者と何かひそひそ話を始める者など、その視線にはどうも悪意がこめられている気がしてならない。
(前はあのように笑ったりしなかったのに)
そのわけは、実は単純だった。左巻きの殻を無理に右に傾けると、見た目のおさまりが悪くなり、不格好に見えてしまうのだ。
(これだけの苦労にたえてしていることが、全くの裏目に出てしまうなんて、そんなバカなことがあるか、こんちくしょうめ)
左巻きのカタツムリの意気は、完全にくじかれてしまった。
折しも、カタツムリの群れに、一つの危機がせまっていた。腹をすかせた一匹の蛇が群れをねらっていたのだ。茂みの陰で休んでいたカタツムリ達は、蛇に気づくといっせいに逃げ出した。が、一匹だけ逃げ出さない者がいた。例の左巻きのカタツムリである。先の一件で絶望に打ちひしがれていた左巻きのカタツムリは、もういい機会だから蛇に食われて死んでしまおうと思って、その場にとどまっていたのだ。
とはいえ、実際に蛇が目の前までにょろにょろと近づいてくると、やはり食われて死ぬのが恐ろしくなった左巻きのカタツムリは、殻の中に急いで逃げこんだ。やにわに、蛇は口を大きく開けて、その殻にかぶりついた。
ここで読者諸君に一つ補足しておきたい。カタツムリに右巻きと左巻きがあるように、実は蛇にも、右利きと左利きというのがある。このあたりに生息するカタツムリは、この話の主人公を除いて、みな右巻きだったから、今カタツムリを食おうとしているこの蛇も、右巻きのカタツムリ用に進化してきた、右利きの蛇であった。右利きの蛇が右巻きのカタツムリを食するのは、たやすいことだ。きばのない上あごで殻を固定し、きばのある下あごを殻の中に突っこみ、左右で長さの違うきばを交互に抜き差しすることで、カタツムリの体を殻から引き抜いて、その身にありつくのだ。
しかし、右利きの蛇が左巻きのカタツムリを相手とする今回のような場合は、勝手が違った。殻を上あごでうまく固定することができないし、何とか固定できたと思っても、下あごを殻の中に突っこもうとしたとたん、上あごのロックが外れてしまう。
数十分間の格闘の末、とうとう根気がつきてしまった右利きの蛇は、さも悔しそうにシューと一回やって去っていった。
思いがけず危機をまぬがれた左巻きのカタツムリ。群れと再会すると、群れの者達は、左巻きのカタツムリを大いにほめたたえた。というのも蛇がおそってきた時、左巻きのカタツムリが命がけでおとりとなって、群れを救ってくれたと、他の者達は信じていたからだ。
これを聞いた左巻きのカタツムリは、いくばくか後ろめたさを感じた。が、元々の動機が何であれ、結果として自分の行為が群れを救ったのは事実であるし、何よりせっかく得た地位をみすみす手放すことはないと思い、なりゆきにまかせることにした。やがて群れの中で英雄と呼ばれるようになった左巻きのカタツムリは、その地位と名声に酔いしれた。
それから数週間がたち、再び群れに危機が訪れた。またしても蛇が現れたのだ。
(再び群れを救って、俺は伝説になるのだ)
そう考えた左巻きのカタツムリは、今回も自分だけがその場に残り、蛇があきらめて去るのを殻の中でじっと待つことにした。
生い茂る草木の間をぬうようにしてはってきた蛇は、左巻きのカタツムリの殻にかぶりついた。ここまでは前回と同じだ。が、そこから想定外のことが起きた。
今度の蛇は、左巻きのカタツムリを殻ごと丸のみにしてしまったのだった。
さて、このカタツムリのとった行動を、読者諸君は、おろかだと言って笑えるだろうか…
殻が左巻きでも、実用面で特に不便はない。食事も移動も睡眠もつつがなく行える。
しかし、精神面では全くの別問題であった。左巻きのカタツムリは、自分の殻だけが左巻きであることに強いコンプレックスを抱いていたのだ。絶えず他のカタツムリの殻に目をやっては、自分と同じ左巻きの者はいないのか、そればかり気にしていたほどである。
ある日、左巻きのカタツムリは、長老のカタツムリに、「自分と同じ左巻きの者が、過去にいませんでしたか」と尋ねてみたことがあった。自分と同じ左巻きの者がいた話を聞けば、せめてものなぐさめになるだろうと考えたからである。しかし長老のカタツムリは、「今、私の目の前にいる者以外で、そんな者は見たことがない」と答えたため、かえって左巻きのカタツムリの気は、め入るばかりであった。
左巻きのカタツムリは大いに悩んだ。
(左巻きの自分でも、何とか右巻き社会に溶けこみたい。左巻きを右巻きに変えることはできないけれども、左巻きの殻を右巻きの殻らしく見せる方法はきっとあるはずだ)
そのように考えながら左巻きのカタツムリが日々を過ごしていると、果たして一つの事実に気づいた。
それは、右巻きの殻は右に傾くように、左巻きの殻は左に傾くようにできているということだ。
(左巻きの殻でも、右側に傾くように工夫すれば、右巻き社会に溶けこめるのではないか)
この考えを実行するには、殻の中におさまった体を、本来とは逆の向きにねじる必要があって、大変な苦労を要した。しかし、いかにも苦労しているのが周りの者に知れるというのでは、かえって集団の中で浮いてしまう。だから左巻きのカタツムリは、この苦労を涼しい顔でやり続ける必要があった。本当はつらいことを涼しい顔でやり続けるというのは、ただつらいことをつらそうに続けるよりも、忍たい力を要するものであった。
これだけの苦労にたえているのだから、自分は右巻き社会に十分溶けこめたはずだと左巻きのカタツムリは思っていた。ところが、二、三日たつ内に、左巻きのカタツムリは意外な事実を発見した。他のカタツムリ達が、バカにするような、さげすむような目つきで自分の殻を眺めてくるのだ。
これまでもすれ違いざま、自分の殻にちらと視線が注がれることはあって、その時は単に物珍しさから眺められているだけであった。けれども今度のは、明らかに以前のそれとは違うのだ。笑いを必死にこらえる者、クスクス笑い出す者、連れの者と何かひそひそ話を始める者など、その視線にはどうも悪意がこめられている気がしてならない。
(前はあのように笑ったりしなかったのに)
そのわけは、実は単純だった。左巻きの殻を無理に右に傾けると、見た目のおさまりが悪くなり、不格好に見えてしまうのだ。
(これだけの苦労にたえてしていることが、全くの裏目に出てしまうなんて、そんなバカなことがあるか、こんちくしょうめ)
左巻きのカタツムリの意気は、完全にくじかれてしまった。
折しも、カタツムリの群れに、一つの危機がせまっていた。腹をすかせた一匹の蛇が群れをねらっていたのだ。茂みの陰で休んでいたカタツムリ達は、蛇に気づくといっせいに逃げ出した。が、一匹だけ逃げ出さない者がいた。例の左巻きのカタツムリである。先の一件で絶望に打ちひしがれていた左巻きのカタツムリは、もういい機会だから蛇に食われて死んでしまおうと思って、その場にとどまっていたのだ。
とはいえ、実際に蛇が目の前までにょろにょろと近づいてくると、やはり食われて死ぬのが恐ろしくなった左巻きのカタツムリは、殻の中に急いで逃げこんだ。やにわに、蛇は口を大きく開けて、その殻にかぶりついた。
ここで読者諸君に一つ補足しておきたい。カタツムリに右巻きと左巻きがあるように、実は蛇にも、右利きと左利きというのがある。このあたりに生息するカタツムリは、この話の主人公を除いて、みな右巻きだったから、今カタツムリを食おうとしているこの蛇も、右巻きのカタツムリ用に進化してきた、右利きの蛇であった。右利きの蛇が右巻きのカタツムリを食するのは、たやすいことだ。きばのない上あごで殻を固定し、きばのある下あごを殻の中に突っこみ、左右で長さの違うきばを交互に抜き差しすることで、カタツムリの体を殻から引き抜いて、その身にありつくのだ。
しかし、右利きの蛇が左巻きのカタツムリを相手とする今回のような場合は、勝手が違った。殻を上あごでうまく固定することができないし、何とか固定できたと思っても、下あごを殻の中に突っこもうとしたとたん、上あごのロックが外れてしまう。
数十分間の格闘の末、とうとう根気がつきてしまった右利きの蛇は、さも悔しそうにシューと一回やって去っていった。
思いがけず危機をまぬがれた左巻きのカタツムリ。群れと再会すると、群れの者達は、左巻きのカタツムリを大いにほめたたえた。というのも蛇がおそってきた時、左巻きのカタツムリが命がけでおとりとなって、群れを救ってくれたと、他の者達は信じていたからだ。
これを聞いた左巻きのカタツムリは、いくばくか後ろめたさを感じた。が、元々の動機が何であれ、結果として自分の行為が群れを救ったのは事実であるし、何よりせっかく得た地位をみすみす手放すことはないと思い、なりゆきにまかせることにした。やがて群れの中で英雄と呼ばれるようになった左巻きのカタツムリは、その地位と名声に酔いしれた。
それから数週間がたち、再び群れに危機が訪れた。またしても蛇が現れたのだ。
(再び群れを救って、俺は伝説になるのだ)
そう考えた左巻きのカタツムリは、今回も自分だけがその場に残り、蛇があきらめて去るのを殻の中でじっと待つことにした。
生い茂る草木の間をぬうようにしてはってきた蛇は、左巻きのカタツムリの殻にかぶりついた。ここまでは前回と同じだ。が、そこから想定外のことが起きた。
今度の蛇は、左巻きのカタツムリを殻ごと丸のみにしてしまったのだった。
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