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第五章・死にたがりの【天使】

【第四節・悪い友人】

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 地上へ続く階段を上り、重たい扉を身体で押し開ける。そこには昼間に会った時の鎧姿ではなく、簡素な麻服とスカートへ着替えたミーアが居た。最前列の天使像に最も近い通路付近ではなく、月明かりが届かない最奥の末席で、十字架を握り静かに祈っている。邪魔にならないようゆっくりと近付くと、彼女の頬や額に張られた複数の白い絆創膏が目に入った。

「……お祈りの最中ですの。邪魔をしないでくださるかしら?」

 うっすらと瞼を開け、ミーアはこちらを睨む。先程まで泣いていたのか、目の下に涙の痕も見える。

「最前列でお祈りをしてはいかがでしょうか。教会の末席は暗いですし――――」

「――――暗い場所の方が落ち着きますわ。【天使】様の前は……今の私には明る過ぎますの」

「………………」

 俯いてしまった彼女の隣へ静かに座り、カップへ紅茶を注ぐ。

「サリー神官の命令? それとも昼間の仕返しかしら? どちらにしても、許可なく王都兵の隣へ気安く座るなど、失礼でしてよ」

「……サリー神官からお話は聞きました。なんでも、牧場の方で街の者と小競り合いがあったとか。他にお怪我はありませんか」

「この程度の怪我をするのは慣れてますの。……私も兵士ですわ。些細な怪我で泣き叫ぶような、か弱い町娘と一緒にしないでくださる? どこまでも無礼な司祭様ですのね。田舎育ちだからかしら? それとも、教会の人を選ぶ目も落ちてしまったの? あの中年狩人も、私の一声で近隣の駐屯兵を駆り出し、王都の牢へ捕らえるのも簡単なことでしてよ」

「………………」

「な、なんですのその顔っ!? 憐れむような……私を見下すのはやめてくださるかしらっ!?」

 ミーアは目を逸らし、更に教会の壁側へと逃げるように移動して行く。
 混血である彼女の思考は読めないが……サリーの言っていたように、閉鎖的で特殊な環境と過度なストレスによる疑心暗鬼の傾向があるようだ。エルフとドワーフの混血で更に孤児院育ち。差別主義の多い世の中で、肩身の狭い思いをしてきたのだろう。生い立ちを考えれば、下手に言葉をかけるより自身で気持ちの整理ができるまで待つのも手段の一つだ。

 紅茶の入ったカップを彼女との間へ置き、昨日ローグメルクから土産として貰った紙袋を開ける。中には砂糖を表面へまぶし、中央に穴の開いた小さな揚げ菓子――――ドーナツが十数個入っていた。蜂蜜やバターも生地に混ぜ込んであるのか、周囲へ優しく甘い香りが広がる。

「……いい香りですわね。マフィンかしら?」

 気になったのか鼻をスンスンと鳴らし、ミーアが振り向いて少しだけ距離を詰めてきた。

「ドーナツと言う揚げ菓子だそうです。友人から頂いたものですが、王都にはこのようなお菓子はあるのですか?」

「いいえ。ですがその……お一つ、頂いても?」

「どうぞ」

 紅茶の隣へ紙袋を置くと、彼女は恐る恐る手を伸ばして自身の膝に乗せ、中から取り出して観察する。

「不思議な形をしていますわ。どうして中央に穴が開いているのかしら?」

「火の通りがよくなり、ふっくらと揚げやすくなるそうです。穴の開いていない、球状の物もあるとも聞きました」

 ミーアは手にしたドーナツを一口で半分ほど口へ含み、食感や味を確認するように上品に食べ、飲み込む。

「美味しいですわ……っ!! 王都の外にもこんなお菓子があるだなんて……」

「甘い物は疲れている時ほど美味しいですからね。材料は街の農場や牧場、近隣の森で取れた物を使用しています。……僕は両親や血縁者もいない身ですが、彼の作る料理やお菓子は初めて見るのにどこか懐かしくて、温かい気持ちになれるんです」

「まぁ……司祭様も、ご両親のいらっしゃらない孤児なのね? 私も孤児院出身ですの。街には大きな教会の孤児院は無いようですけど、こちらの教会でお世話になっていたのです?」

「ええ。思い返せばあまり良い環境ではありませんでしたし、時間をもっと有意義に使えていればと考えてしまいますが、今は毎日が新鮮で色鮮やかで……悩むこともありますけど、皆さんと過ごすのがとても楽しいです」

 彼女は半分になったドーナツを食べきり、ポケットから取り出した青いハンカチで、手についた砂糖を拭う。そのまま隣へ置かれた紅茶へ自然と手を伸ばして一口含み、喉を潤して溜め息を吐いた。

「私は……本当は、こんな事を言ってはいけないのでしょうけど……充実しているとは言い難くて、いつも真っ暗な夜道を歩いているような気分ですの。進んでも進んでも先が見えなくて、後戻りも許されない。かの戦争を勝利へ導いた【導きの天使・ルシ】に選ばれ、【一等兵】という身に余る地位も授けて頂いた。……なのに、まともな功績や結果が出せず、歯がゆく思いますわ」

「期待による焦り、ですか」

「そう、ですわね。……エルフとドワーフの間に生まれ、この身に流れる血を疎ましく感じますの。周りの人間はエルフが王都兵装をしているのを、奴隷か何かのようにじろじろと汚らしい目で見ますし、出自や経歴を知れば忌子と呼んで離れていきますわ。……世界の中心は人間でなければおかしいだなんて、誰が決めたのでしょう? ……私の見て感じている世界は、私だけの物なのに」

「………………」

 咎められないかと不安なのだろうか。ミーアは首から下げた小さな十字架を、震える右手で握りしめている。
 彼女が見ている世界も一種の真理だ。蔑まれ、居場所のないまま進むことを余儀なくされ……エルフでもドワーフでもなく、唯一揺るぎない地位を持つ兵士として業務へ打ち込むことで、自分自身を見ないようにしている。高圧的な態度も、空回りした足取りも、周囲の環境や出自まで、彼女は【絶妙に世界と噛み合っていない】。
 ヴォルガード氏の娘であるスピカとも少し違うが、世界に溶け込めない孤独を覚えているのは彼女も同じだ。

「……今のお話は、他言無用でお願いいたしますわね。特にサリー神官。彼女はこんな捻くれた私に今も付き合ってくれている良い人だわ。対等に接してくださる人だなんて、今はあの人くらいですもの。吐き出す言葉が汚いことや首の傷、人付き合いが悪いのも、色々と過去にあったからでしょうね。彼女に見捨てられないだけ、私は幸せ者なのかしら」

「人の数だけ、人生は存在します。幸福の形はそれぞれで、神々でさえ万人を幸せにはできません。……僕にはそれがミーアさんにとって正しい幸福であるか、断言はできません」

「司祭様はサリー神官と同じ正直者ですわ。聖職者なのに、神様や天使様が人間を導くのを否定なさるのね」

「願い、祈るだけで幸福になれるならば、皆が救われていますよ。……それでも、細やかな幸せを皆さんに届けるのが僕達の仕事です」

 彼女の膝の上へ乗せられた紙袋を指すと、ミーアは「まるで餌付けされている気分ですわ」と苦笑いする。

「……司祭様のお仕事も、先が見えないお仕事でしょう。ご自身が不安を覚えたりしたことは?」

「最近までは不安でした。ですが今は優秀な部下や多くの友人、街の皆さんに支えられながら、なんとか頑張れています」

「おかしな人。地図にも無い小さな街で、神様をないがしろにして何を企んでいるのかしら? 現政治への革命ならば、王都兵として取り締まるべき案件ですわよ」

「そんな大それたことじゃないです。ミーアさんのような混血人種の方や他種族の方でも、好きなように街へ移り住んだり、買い物をしたり、働いたり……人間と同じ地位で、穏やかな日々を過ごせるようになればと、努めているだけです。司祭として決して正しくはない行いですが、本当に正しい事だなんて、世界を創ったとされている神々にもきっと分かりませんよ」

「やり方はともかく、素敵なお話ね。王や【ルシ】様はそんな考えも受け入れてくださるでしょうけど、実現するには難しいお話ですわ」

「ですが【神頼み】よりもずっと現実的です。多くの人が救われますし、文化も豊かになる。僕らは歪で、不揃いな存在です。限りなく完璧な形を求めるのなら互いに手を取り合い、歪な部分を補い合うべきだと考えています」

「………………」

 ミーアは紅茶を飲み干し、空になったカップを覗き込む。そして真剣に、何か思い悩んでいる表情をしながら、ぽつりと言葉をこぼした。

「……この街でなら、私も人並み程度には幸福に過ごせるかしら」

「え?」

「い……いいえっ!? 今のは気の迷いのようなもので、王や私を選んでくださった【ルシ】様を裏切るわけにはいきませんわっ!! 忘れてくださいなっ!!」

 邪念を振り払うように彼女は頭を左右へ振り、袋から取り出したドーナツを頬張る。

「は、はぁ。ですが、もし移住する機会があるのでしたら歓迎しますよ。王都のような便利さはありませんが、町長さんは移民や流民も積極的に受け入れる方ですし、他種族の旅人が中継地として立ち寄る機会も多いので、ミーアさんが嫌う視線で見られることも少ない筈です」

「むぐ……魅力的なお話ですわね。不衛生なのに目を向けなければ……水道やお風呂はどうにかなりませんの?」

「地下水を利用するのなら大規模工事になりますので、その間街の皆さんは別の場所へ移って貰わなければなりません。期間や費用も考えると……難しいですね。夜間は街周辺の魔物の動きも活発になりますし――――」

「――――そ、そうですわっ!! 大きな関所や壁も設けないだなんて、戸口を開け放ってどうぞ入ってくださいなと招いているようなものですわよっ!? どういう事なのかしらっ!?」

「それは……僕も理由は分かりません。街の中まで魔物が侵入してきたのは例の魔物の襲撃一度しかないので、そういう生態なのかもしれませんが。町長や古い狩猟会の者なら街の歴史に詳しいでしょうし、明日窺ってはどうでしょう?」

「あり得ませんわ。【魔物避け】の術式も施されていないのに、周辺の牧場すら【機神】以外の被害を受けないだなんて……」

 半信半疑といった様子でミーアは呟く。
 この街には住民の生活圏内に魔物達が一切寄り付かない。今まで疑問にも思わなかったが、改めて指摘されると確かに奇妙だ。魔物側に縄張りの線引きがあったとしても、僕が【地上界】へ勤め始めてからの十年間、街中まで侵入してきたのはアラネアが引き連れて来てしまった【機神】の集団のみで、それ以外に目立った襲撃の記憶は無い。

「一先ず、この街に特異な【何か】があるのは間違いないですわね。あくまで勘ですけど、理由が無いなんてことはあり得ませんもの」

「僕も気になります。原因が分かり次第、教えてくださると教会としても助かります。分からないことが判明するのは、街の皆さんへの安心材料にもなりますので」

「いい案ですわね。少なくとも司祭様は信用できるお方のようですし、協力を拒む理由もありません。このミーア一等兵とサリー神官、街の皆様の為に尽力致しますわ」

 最初に会った時と同じ言葉。だが、肩書の虚栄や浮足立った言葉ではなく、自分の意思で決めた重みのある言葉。これがミーア一等兵の本来の姿なら、【ルシ】が彼女を見定めた目は間違っていなかったのだろう。絶妙に世界や環境と噛み合わなかっただけで、彼女自身はよく物事を考え、見定められる賢い女性だ。
 ……しかし、一番傍にいる部下のサリーは優秀な【天使】だが、他人に対し着かず離れずの距離を取ってしまう。もう二・三歩、僅かに歩み寄れれば、互いの世界や見解は変わる。身寄りのない孤独な彼女の居場所を作る事も――――

「――――司祭様? 何か気になる事でも?」

「……いえ、先程の疑問について少々考えていました。明日からよろしくお願いします」

「こちらこそですわ。それで……それとは別に……個人的なお願いがあるのですが……」

「?」

 ミーアは紙袋の端を握りしめ、顔を赤らめる。

「し、司祭様にこんなお願いをするのは、大変失礼なんでしょうけども……その……友人として、今後もお付き合いしてくれると心強いですわ。恥ずかしながら、こんなに自分の事をお話したのは【ルシ】様以外に初めてで……駄目、でしょうか?」

「僕で宜しければ喜んで。なら、お昼にお会いした副司祭のアダムや部下二人ともお話をしてみては? 皆あまり歳の近い友人がいないので僕としても嬉しいですし、きっと親しくなれますよ」

「まぁ……嬉しいっ!! うふふっ、明日からの楽しみが増えましたわっ!!」

 彼女は両手のひらを胸の辺りで合わせ、生き生きとした笑顔を見せてくれた。
 思考が読めず、神々に見放されようとも――――どうしようもない生まれや育ちを恨んでしまう世界は間違っている。
 細やかな幸せや希望。それで彼女の見る色褪せた世界が、少しでも鮮やかになるのであれば、【天使】としてこれほど嬉しいことは無い。

「司祭様のお名前は……えぇっと、ポラリスさんとお呼びしても?」

「ポラリス、もしくはポーラとでも、お好きな方で」

「では、親しみを込めてポーラさんとお呼びしますわ。因みにポーラさんはおいくつなのかしら?」

「僕自身も正確な年齢は知らないのですが……二十代の筈です。お酒も飲めますし」

「あら、もっとお若いかと思ったわ。男性……ですわよね? まるで性別の無い【天使】様みたい。ドーナツ、ご一緒に食べません? この量を私一人で食べきるには少々多すぎますわ」

「ありがとうございます。実は部下やサリーさんを含め、皆さんで分けたかったのですが……二人だけの秘密にしておきましょう」

「ふふっ、ポーラさんは意地の悪い人ですわねっ!! よくってよっ!! 隠れて美味しい物を食べていただなんて、サリー神官に睨まれそうだものっ!!」

***

 酒を買いに扉の前まで来たはいいが、雰囲気的に出づらいな。裏口は地上の一ヶ所しかなさそうだし、どうしたもんかね。

「ん? サリーさん、酒買いに行くんじゃ……」

 上司の様子を見に来たのか、エプロン姿のアポロが階段を上がって来たので口元に人差し指を当て、静かにするようジェスチャーする。察したのか、忍び足で扉の前まで近付き、屈んだ姿勢で扉の隙間から二人を覗き見る。

「……仲良さそうに何か食べてますけど、どういった流れで?」

「さぁ、アタイにもさっぱり。……先輩のアレは天然? それとも本物の変態?」

「んー……正直、俺にもポーラ司祭の凄さは凄過ぎてよく分からないです。性別年齢種族関係無しに、気を許した相手へするっと入り込むような人なんで。あと危ない橋を直ぐ選ぶのが見てて怖いですね」

「八方美人たぁ随分と胡散臭せぇ」

「でも頼りになる上司です。あの人がいたお陰で変われた人や、前を向けるようになった人も多い」

「理想や思想なら、口八丁手八丁でなんとでも言えらぁな。だが、アタイらが他人と親しくなるってのは、自身に降りかかる危険性を度外視したやり方だ。街の住民や部外者にバレたらどうすんだよ、【堕天】は免れない案件じゃん」

 こちらの言葉を聞いて唸るアポロは目を瞑って腕組みをし、考え込む。
 良い事も悪い事も、いつかは必ず自分達へ返ってくる。因果応報とは少し違うが、【天使】は嘘で塗り固めた生物に限りなく近い【道具】。その命は搾取する対象の人間よりずっと軽い。同列に考えるだなんて、少し考えればおかしいことくらい分かるだろ。アタイらみてぇな根本的に異常な奴らが、【地上界】でのさばるのを神々がいい顔するワケない。
 干渉し過ぎず離れ過ぎない、家畜の管理と同じさ。愛情と効率化は違う。

「……俺はそれでも司祭に付いて行きます。損得勘定できるほど賢くないってのもあるんですけど、俺は司祭や仲間、街の人が好きなんです。それだけで十分、命張るだけの価値はありますよ」

「搾取対象相手に……家畜や羽虫にも祈ってそうな聖人だねぇ」

「サリーさんも素直じゃないですねー。本当に嫌いならばっと出て行って、嫌みの一つ二つ言って空気悪くしてくればいいのに。【見守る】って選択をしてる時点で十分聖人じゃないですかー」

 アポロはそう言いながら立ち上がり、ニヤニヤ顔でアタイを見る。こいつもこいつで問題児だ。馬鹿の皮を被って周囲を煽るムードメーカー。嫌いじゃないが、一番苦手なタイプ。テメェが人間なら真っ先に避けてたよ。舌打ちをして奴の胸倉を掴み、睨みつける。

「同期として忠告しといてやる。人間に深入りし過ぎると早死にするぞ。アタイは首が千切れかけたし、同僚はどさくさに紛れて殺された。同情した人間の犯罪者にな。この世界の生きもんはどいつもこいつも欲塗れで、腹の底は真っ黒。特に群れた人間の本質なんて、汚過ぎて見れたもんじゃない。理性や居場所を失った奴はなんだってやる。テメェらが何と言おうと、誰かがテメェらの戯言のせいで死ぬ。それが現実だ」

 一瞬アポロはむっとした表情をしたが、すぐに白い歯を見せてアタイの腕を右手で掴み、引き剥がして左手でこちらの胸倉を掴み返される。【中級】だって言ってた割に、身体能力は【上級】並みか。単純な力比べならこいつが上。……面倒な。

「戦争も革命も、犠牲の無い変化なんてどこにもない。そんなんとっくの昔に分かっちまってる。手を汚さずに済むだなんて都合のいい考えじゃ、その弱みを付け込まれちまうからな。……同期として忠告しといてやるよ。あんたが何もしなくたって、あの子はいつか死ぬぞ。でも笑って死ねるか、この世界に恨み辛み残したまんま死ぬかじゃ雲泥の差だ。関わろうとしないでいつまでも中途半端に逃げてるだけじゃ、あんたも死んだ同僚もあの子も報われねぇよ」

「!! 言ってくれるじゃねぇか田舎育ちが……っ!!」

「田舎育ちで上等。俺があんたに死にたくないってそのうち言わせてやる。人だろうが魔物だろうが、命の価値は皆同じだ。それを粗末にする奴は絶対許さねぇ……っ!!」

 決して曲げないという意思、真っ直ぐな道徳感。生みの親にも食って掛かりそうなぎらついた眼。何もかも、あの頃のがむしゃらに働いてたアタイ達と同じで、嫌になるよ。
 セル、ウール、ゼイン――――アタイじゃなくてあんたらが生きてたら、どうやってこいつらを止める?

 しばらく睨み合っていたが扉の向こうの笑い声を聞き、アポロはようやく手を離して自分の頬を両手で叩く。

「それはそれとして、早く酒買いに行きませんか? 折角肴を作ったのに冷めちゃいますし」

「……テメェが引き止めたんだろうよ」

「まーそうですけど。肉に合う酒なら俺もよく知ってるんで、案内しますよっ!!」

「へぇー、因みに財布は上司に握られてんだけど、いくら持ってんだ? 荷物持ちも当然してくれんだよな?」

「あ、あんまり金持ってないんで、程々でお願いします……あはははは……」

「肝心な時に役に立たないなんて、体ばっかでなっさけない男だねぇ。威勢だけで女を口説き落とすにゃまだ早いよ」

 アポロの鼻をつついて扉の前から退かし、押し開けて談笑する二人の元へ向かう。……甘ったるい匂い。その紙袋の中身か。一つ前の座席に足をかけて身を乗り出し、ミーアが膝に乗せていた紙袋から穴の開いた菓子を三つほど取り上げ、口に突っ込む。蜂蜜、バター、砂糖……表面にまぶしてある砂糖が多く、気管に入ってむせそうになった。

「あぁーっ!! サリー神官っ!! 誰の許可得て私の物に手を付けていますのっ!?」

「……甘……砂糖要らねぇだろこれ」

「聞いてますのっ!?」

「まだそんだけあるのに欲深いお嬢様だ。それより財布、【ルシ】から貰ってる軍資金出せ。調査に必要なもん、適当に買って来る」

「どうせお酒でしょうっ!? お酒と賭博は身を滅ぼしますわよっ!! 【ルシ】様も仰ってましたわっ!!」

 ミーアは紙袋の口を閉じて盗られないよう背後へ隠し、財布が入っているであろうスカートのポケット部分を右手で抑える。ガキか。いやクソガキだったわ。指に付いた砂糖を舐め、苦笑いしているポラリスの隣へ座って肩へ手を回す。

「先輩先輩、アタイ今月金欠でヤベーんですわ。ここは一つ親睦を深める意味でも、恵んでくれないっすかね?」

「えぇ……?」

「聖職者がカツアゲするんじゃありませんわっ!!」

「おーおー、その辺りのおっさんに負けてみっともねぇってピーピー泣いてた奴が、そんだけ騒げれば十分元気じゃねぇか。で、先輩。マッチョ君は金欠みたいなんで、上司としていい所見せつけてやってくださいよ。ね? 可愛い後輩への投資みたいなもんです。王都勤めっていい暮らししてるように見えますけど、税で結構な額引かれちゃうんです。そらまぁきつくてきつくて……」

 顔を近付けて目を逸らした瞬間を狙い、ポラリスのズボンのポケットへ左手をねじ込み、財布らしき布袋を引き抜く。重たいじゃらじゃらとした音と感触。ビンゴだ。

「おぉ? 流石司祭様、持ってんじゃん。じゃ、ちょいと借りてくんで、ウチの上司をよろしくお願いいたしまーす」

「え? あれ? ま――――」

 ――――肩から手を離して教会の扉を蹴り開け、傍でぼさっと立ちつくしていたアポロの右腕を掴み、街へと続く道を足早に歩く。

「エスコートをお願いしようか、マッチョ君。アタイに【死にたくない】って言わせたいんだろ?」

「そういう意味で言ったんじゃないんですけど……飲める分だけにしてださいよ。司祭の財布使わせるぐらいなら俺が出すんで……」
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