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第四章・小さな偶像神

【第十六節・砂の手足】

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 一瞬だった。神と名乗った男へ返答をしたポラリスが隣から消える。後方で大きな質量を持った物体が落下する音と衝撃を感じ、皆一斉に振り返ると……石臼のように高速で回転する黒く四角い【箱】が、床へ血の円を描いていた。

「ポ……ラリス?」

「お兄さんっ!?」

「待ったっ!! 待つっすお嬢っ!!」

「離してくださいローグメルクっ!! お兄さんが……っ!? お兄さんがぁっ!?」

「あんなのに近付いたら、こっちがバラバラになっちまうっすよっ!!」

 新人は? いる。私のコートの裾を掴み、目の前の光景を涙ぐんで見ていた。ペントラは――――

「――――あんたがやったのかい?」

 退屈そうに玉座へ腰掛ける神の前へ立つ、彼女の姿。表情こそ見えないが、右手には既に【悪魔のナイフ】が握られ、怒りで震えている。

「神への不敬は重く罰せねばなるまい。……何をそう怒るのだ? たかが【道具】であろう? 現実の肉体はまだ在る。我に仕える事へ不満を感じるならば、入れ替えてしまえばよ――――」

 ――――神の言葉が終わる前に、ペントラは左手の【鉄線】で玉座へ拘束し、ナイフを喉元へ突き立てた。背もたれへ強引に引き寄せられ、窮屈な姿勢になった神は不愉快そうな表情をし、彼女を鋭い瞳で睨む。

「あいつは【道具】じゃないっ!! ポーラはポーラだっ!!」

「あ奴の本心も分からぬ【悪魔】の貴様に、そう語る権利はあるまい。都合の良い存在として認識していたのは同じであろう?」

「……黙れ」

「戦争で契約者を失った喪失感を埋めようと、すがっていただけであろう?」

「黙れっ!! アタシは――――」

「――――卑しいな。利用しようと近付きそそのかし、自身は真実から目を逸らし続けた。あ奴は貴様の【愛玩具】ではない」

「――――――っ!!」

 喉から頭部へナイフを貫かんとした刹那、右腕の肘より先が重量感のある金属がぶつかり合う轟音と共に、あの【箱】によって左右から挟まれた。

「つぅ…………あぁ!?」

 引き抜こうと後ろへよろめいたペントラの右腕は綺麗に切断され、断面から血を吹き出しながら二・三歩後退る。しかし【箱】の隙間から血飛沫や肉片が周囲へ飛散している様子もなく、神や玉座周囲の床は白の清潔さを保っていた。

「ペント――――」

「――――来るんじゃないよっ!!」

 駆け寄ろうとしたアラネアの言葉へ叫び返し、荒い息を立てて断面を左手で押さえているが、彼女は神から視線を逸らさない。魔力が切れたのか【鉄線】は霧のように掻き消え、神は再び玉座へと腰を落ち着かせる。

「卑しき【悪魔】よ。我には貴様を含めた皆の過去も視えておる。この短剣で殺めた大量の【骸】もな」

「それが……どうしたってんだい……」

「罪深いな。人間の一生よりも多くの命を奪いながらも、のうのうと生きるその様。神の下で生きるに値しない存在だ」

 神が言い放つと浮遊していた腕を潰した先程の【箱】が、ペントラへ回転しながら腹部へ衝突し、硝子の壁を突き破る。アラネアは糸を出し、空中へ投げ出された彼女の左腕を絡めるが――――彼女の左右から巨大な【箱】が現れ、そのまま押し潰された。アラネアが糸で引き寄せたのは、箱からはみ出た彼女の左腕一本のみだった。

「く……そっ!! 間に合わなかった……っ!!」

「先輩……ぺ、ペントラさんが……ペントラさんが――――ああ――――いやぁ……」

 その場で崩れるように両膝を着き、残された腕を見つめるアラネア。目の前で支えられてきた存在を殺され、怯える新人【天使】。……なんだこれは。私は――――どうすればいい?

「我の創る世に、人や【天使】をそそのかす【悪魔】は要らぬ。【冥界】へ還るがいい。……貴様らもだ」

 玉座へ気怠そうに座る神はスピカ達を顎で指す。歯を食いしばり、今にも飛びかかりそうなスピカ。主を抑えつけながらも、怒りに満ちた視線で神を睨みつけるローグメルクに、既にレイピアを構え戦闘態勢のティルレット。

「偽りの神々を嫌うのは我とて同じである、同情もしようぞ。だが【悪魔】は別だ。穢れの塊の貴様らが、【地上界】の土を踏むことは赦せぬ。生まれた場所へと還るがよい」

「……俺らはともかく、お嬢は?」

「我を愛せぬのであれば要らぬ。その娘は神への怒りと増悪で満ちている」

「ふざけんなっ!! そうやって選別してる行為自体、お前もクソったれ共と変わらないっ!! どの面下げてお前を愛せというのですかっ!?」

 スピカの叫びを神が鼻で笑うと、彼女とローグメルクの頭上から巨大な【箱】が回転しながら落下し――――ティルレットがレイピアで一突きして制止させ、続けてローグメルクも下から蹴り上げ粉砕する。中から黒い砂が噴き出すと同時に、何十人もの男女の悲鳴が頂上階に反響した。まさかこの【箱】も……。

「うおっ!? なんすかっ!?」

「我を愛し、我へ自らの未来と望みを託した民草らよ。神の力は【信仰の力】。苦しみと痛みで【崩壊】せぬよう閉じ込め、我を未来永劫敬い続けさせるのが最も効率の良い搾取の仕方であった。今ので軽く五十は【死んだ】ぞ? 貴様らの悪足掻きのせいでな」

「うるさいっ!! ボクらにそうさせたのはお前じゃないですかっ!? 人間をそのまま武器にするなんて――――」

「――――何も分からぬ小娘がっ!! 愛した民草を自身の身を守る為、神に仇名す貴様らへ罰を下すのに使用して何が悪いっ!? 我は愛おしい民草を強固な【箱】で守り、民草もまた我を愛し守られるっ!! 形は変われど同じことではないかっ!! 民草はそう我に願ったのだからなっ!!」

 先程と一転、怒りに満ちた表情をあらわにして神は椅子から立ち上がり、周囲に先程よりも小さな【箱】を大量に出現させスピカらへ詰め寄る。神の注意はこちらへは向いていない……助けるべきか? いや、相手は創られたとはいえ神だぞ? 私が加勢したとしても――――

「――――マァ、負けちゃうだろうネ。曲がりなりにも神は神。準備ナシ、戦力ナシ、星ナシのウチらじゃ何したって同じことサ」

 いつの間にか隣へ立っていたベファーナが、その光景を見ながら指で自身の髪の毛を巻いている。

「お前が……神を連れてきたのか?」

「ソ。【ノア】が暴れててだいぶお怒りみたいだったかラ、彼の息抜きも兼ねて君達へ会わせようと思ってネ」

「……ポラリスも……ペントラさんも死んだぞ……?」

「ウン、死んだネ」

「……二人は、どうなる?」

「………………」

「答えろ【魔女】っ!? 二人はどうなるかと聞いているっ!?」

 無言で神と三人の戦闘を見守るベファーナへ掴みかかり、こちらを向かせる。何か意味を含んだニヤニヤ顔で焦る様子もなく、両手を上げて抵抗しないことを示す。だが彼女はそれ以上語るつもりは無いようだ。

「肝心な所はだんまりかっ!! 何を隠しているっ!? 何も話さないのであれば――――」

「――――お嬢っ!! 離れないでくだせぇっ!!」

「分かってますよっ!! ティルレットっ!! 何とかあいつをぶん殴る為に活路を開いてくださいっ!!」

「お任せを」

 四方八方から飛び交う【箱】を、スピカとローグメルクは躱して制止したところを砕くので精一杯だが、主の命を受けたティルレットはレイピアと蹴りを駆使し、徐々に神との距離を詰めていく。彼女へと向かう【箱】は次々と青い炎と悲鳴を上げ、黒い砂を撒き散らしながら彼女の姿を掻き消す。……速い。歩み寄っていた神も立ち止まり、その様子を興味深げに窺っていた。

「……ほぉ? なかなかに粘るではないか。だが、いつまでそれを保てる?」

 無数の悲鳴、炎、飛散する砂。青い火達磨になりつつ、だが少しずつ前進し続ける。砂煙の隙間から見えた、呪詛に包まれた黒いレイピアを振りかざすティルレットの顔は――――高揚し、歪んだ笑みではなく、いつもの無表情のままであった。汗一つ流さず、奮起する声も上げず――――だが数秒後、彼女の全身は完全に青い炎で包まれた。

「ティルレットっ!?」

「限界っすティルレットっ!! 止まれっ!!」

「引いてくださいティルレットっ!! それ以上は――――」

 ――――しかし、主と同僚の声に応じることも無く、ティルレットは攻撃も歩むことも止めない。青い業火の熱が離れているここまで届き、白い床は彼女を中心として黒ずみ、足を着けた床は蝋のように溶けていた。【箱】は止めどなく彼女を取り巻き追突し続けるが、触れる直前で悲鳴を上げ燃え尽きる。

「く……くくくく……はーっはっはっはっはっ!! 美しいっ!! 実に美しいぞっ!! ああ分かるともっ!! 怒り震える黒き感情っ!! 貴様の中身は当の昔に腐り切り、燃え尽き、主や友に縋るしかないっ!! 死と生の狭間を心地よく感じながらも、貴様の心はわずかに生への希望を抱きつつあるっ!! 神の目は全てを見通すっ!! 【その選択を後悔している】こともなぁっ!!」

 初めて愉快そうに笑う神は左手を前へ突き出し、ティルレットの頭上に巨大な【箱】を出現させ落下させるも、瞬く間に跡形もなく溶けてなくなった。残り数歩で彼女のレイピアは届く。神は未だその場から動かず、頭上から【箱】を際限なく出現させては落とし続け、行進を見守る。

 四歩――三歩――二歩――一歩――間合いに入――――


「――――所詮、どれほど強かろうとたかが【悪魔】よ」

 火達磨の人型が、レイピアを突きだそうと構えた姿勢で消えてゆく。音も無く、骨も灰も残さず、その場に居たという溶けた靴跡を残して。

「ティルレ――――」

「――お嬢っ!! 危ね――――」

 ――――スピカの動きが止まり、それ狙っていたかのように左右から【箱】が迫り――――ローグメルクが突き飛ばして彼女を庇い、潰された。突き飛ばされたスピカはこちらへと転がり、すぐさま起き上がって彼を潰した【箱】を見て察っする。

「ああ……ああああああ……っ!!」

 頭を掻きむしり、目の前の光景に絶望して嗚咽を吐きながらスピカは跪く。私のコートの袖を掴んで震えていた新人が駆け寄り、肩を揺するが反応がない。

「スピカさん……スピカさんっ!? し、しっかり……う……しっかりしてくださいっ!!」

「触れるでない。貴様ら【天使】を、これ以上穢らわしい輩へ触れさせるわけにはいかん。せめて従者と共に逝かせてやるのが神の務めよ」

 ローグメルクを潰した【箱】の一方がそのままスピカと新人の頭上へと移動し、ぴたりと制止する。
 ゆっくりと私達へ歩み寄る神。私は――――私は動けずにいる。ベファーナを掴んでいた手を離し、目の前の惨劇を瞬きせず、傍観することしかできなかった。この後の新人の行動と結果は容易に想像がつく。スピカを守る為に神の前へ立ちはだかり、彼女ごと頭上の【箱】に押し潰されて死ぬだろう。

「駄目だ……それだけは……」

 口から漏れる思考。動かない身体と十歩足らずの距離。救おうと思えば【信仰の力】で【箱】を破壊することも可能だ。ベファーナは動かずその光景を眺め、アラネアは……まだ背後でペントラを救えなかったことから、立ち直れないでいるのかもしれない。新人は振り返り、言葉なく私の助けを乞う。私しかいない……彼女達を救えるのは……私しか――――


「――――アダムよ」

「は――……」

「余計な感情は抱かぬことだ」

 二人の頭上に浮遊していた【箱】が回転しながら落下し、【前後】の血と肉塊を叩き潰す音と共に、呆気なく押し潰された。

***

<アダム君、君は本当に神様へ忠実な【天使】だヨッ!! まさか見殺しにするとはネッ!!>

<………………>

<イヤイヤ、酷い奴とは言わないサッ!! ただネ、君が選んだ道はこういうものなのだヨ? 神々を盲信シ、弱者を切り捨テ、同僚の【天使】さえも【粛清】すル。この光景に何か感じタ? 君の信じた神ハ、本当に完璧な万能神だったかイ?>

<………………>

<【創られた神】も【神自身】モ、本質的には何ら変わらなイ。気まぐれに創り遊び育ミ、興味が尽きれば棄テ、自身を敬わない存在を排斥すル。それを何度も何度も繰り返したのガ、今の【地上界】サ>

<………………>

<強大な力の差を理解シ、君は【剣を抜かない】選択をしタ。アア、賢い選択だとモッ!! こうして君だけが生き残れたんだからネッ!! これが正解と言えよウッ!! 神の機嫌を損ねないことが長生きの秘訣サッ!!>

<………………>

<君にとッテ、神はそれ程特別な存在ダ。気持ちを入れ替えいざ友や後輩、皆の為に戦おうとしてモ、身体が脳の命令を拒否することもあル。けれド、ソレは【受肉】の防衛機能のようなもノ。君の意思ではなク、主に逆らうなという【首輪】ガ、正しく働いている証拠サ。神々もあの狂った神のような物を生み出さない為ニ、多少なりとも学習したんだろうネ>

<………………>

<歯止めが利キ、素直にポーラ君や周囲の意見に流されなかった君ハ、実に正しかッタ。ポーラ君は色々と壊れかけていテ、新人ちゃんも不安定だったからネ。君が取り残さレ、否定的だったのは仕方の無い事なのだヨ>

<……そうやって、私達を常に監視していたのか?>

<イーヒッヒッヒッ!! さぁてネッ!? 興味半分、カラカイ半分ってところサッ!! だがここからが本題ダッ!! ウチの魔術なラ、【受肉】が縛る制限を全て解き放つことが可能ダッ!! 神が丁寧に説明してくれたようニ、【天使】は皆【特級階級・ルシ】と同等、もしくはそれ以上の力を秘めているんだよネッ!! 力の本質ハ、生みの親と同じなのサッ!!>

<……私の身体が吹き飛びそうな提案をするのだな>

<アア、吹き飛ぶネッ!! ついでに言うと間違いなく君は死ヌッ!! 約束しよウッ!! だが君を君たらしめる感情はとても強イ。人間の【増悪と暴力の結晶】と言っても違いないくらイ、純粋で底の無い彼とは違う形で昇華したのが君ダッ!! 解放したとしてモ、四・五分はその形を保てルッ!!>

<褒められている気がしないな。……それで、その間に神を殺しきれと?>

<ムリムリッ!! ……けど全くの無駄でもなイ>

<理由は?>

<………………>

<……いいだろう。暴れるだけ暴れ、望み通り散ってやる>

<話が早くて助かルッ!! でもイヤに冷静じゃないカ。目の前で友や後輩、仲間が殺され怒り狂うと思ってたのニ>

<……所詮は【道具】だ。感情が満たされきった今、同情や世辞をどれだけ取り繕おうが、皆の死を目の当たりにしても、どうとも感じていない私がいる。【受肉】の制限ではなく――――彼らの死に不愉快さや喪失感はあれど、涙すら流せない>

<気持ちは分かるとモ。結果が分かっていたのニ、ウチも笑うしかなかったのだからネ。だがそうやって同情できるだケ、君はまだマトモなのだヨ>

<この世界の皆が歪んでいるのなら……誰もまともじゃないさ>

<イーヒッヒッヒッ!! 彼の答えは実に的を射た答えダッ!! さあ集中するといイッ!! この会話も君の脳を通して神には筒抜ケッ!! 余裕たっぷりの胸糞悪い【偶像神】ニ、最大級の絶望をプレゼントしよウッ!!>

***

「させぬわぁっ!!」

 【ゆりかご】を二人の頭上へ落とし、企みが成就される前に叩き潰す。それがどれほど危険な事か、我はポラリスを覗き込んだ時に知ってしまった。その前に手懐け縛り、我の物とする目論見でいた。貴様らがそうなる未来が、我には視えていたのだ。何故だ? どこで狂った?

「……最初から何もかも、私達は【魔女】の手のひらで転がされていたのでしょう」

「なにっ!?」

 【ゆりかご】を内側から突き破り、アダムが飛び出す。正面を【ゆりかご】で固め――黄金の槍が突き破り――我の腹を抉った。引き抜け――――【ゆりかご】の壁が――――何が起こっている? 目で追え――思考が――――途切れ――そうか――――

「――――ぬぅんっ!!」

「!?」

「神の頭を切り刻むなど、不敬にもほどがあるっ!!」

 無数の金色の剣を両腕と【ゆりかご】で受け止め、頭部を完全に再生させる。奴は我の腕に両手の剣を食い込ませ、空中で静止していた。この距離なら避けれまい。左右から【ゆりかご】を出し、我ごと押し潰した。

 再生した瞳で最初に目に入ったのは、両腕両足を失い、血溜まりにうつぶせで倒れるアダム。……まだ息はあるか。完全に磨り潰し――――

「――――【デウス・エクス・マキナ】」

「む?」

「聖書の一節に登場する、都合の良い存在。神にあらず、しかして人にあらず。その実体は霧や砂に近い存在とされていました。……道具や生き物の中に潜み、触れた人間へ英知を授けるとされています」

「はっ!! 偽りの神は我を随分と捻じ曲がった存在にしたようだなっ!! 我が【地上界】へ現界した際には書き換えねばなるま――――い?」

 奴の欠損した四肢へ、崩壊した民草達の残骸が集まってゆく。まさか、そんな馬鹿な。周囲へ出現させた【ゆりかご】を、一斉に奴の胴体と頭部へ追突させ――――黒い指? ――目を潰さ――首――足が――う、でで――――

「――――おおおおおおおおおおおぉっ!!」

「あ、がっ――おお――ぅっ!?」

 馬鹿な。それが……貴様らの意思だと言うのか? 我を拒み……偽りの神々と、その【天使】の側へ付くと言うのか?
 不敬。不敬。手足を削ぎ落とし、歯車を心の臓へ埋め込み、終わらぬ苦しみを小さな【ゆりかご】の中で万年与えても足りぬ業ぞ。
 我に縋ったのは貴様らではないか。知恵を授けた我を愛したのは貴様らではないか。敬い、神と崇めたのは貴様らだ。
 いつの日も、どのような日も、我が【箱舟】に入ったその日でさえ、皆満たされた表情で我へ手を振っていたではないか。
 神の為に創られ、飽いて棄てられ、民草の力になろうとも生みの親は進化を拒絶した。
 我に望みを託した民草も我を拒絶し、今を生きる【地上界】の民も我を認めず拒絶する。
 貴様らを愛そうとした我の行為は――――間違っていたのか?

***

 憎悪。憎悪。憎悪。新たな手足となった黒い砂と残骸から流れ込んで来る人々の憎悪。心地良過ぎて自分を見失いそうになる。【箱】――――いや、【ゆりかご】に閉じ込められていた人々は、この日を待ちわびていたのだ。自分達へ苦痛を与え続けた神へ直接復讐できるこの時を。
 飛び交う黄金の剣や槍・斧に混じり、黒い砂でできた【銃】の銃弾が神の身体に穴を開ける。高速で再生し続ける神の全身を、私の両腕と【信仰の力】は四方八方から切り裂き、砕き、抉る。反撃を許すな。

「ふううううううぅっ!!」

 真っ赤な肉塊となった神は地面へ着かず、空中で再生と崩壊を繰り返し続ける。苦し紛れに出した【ゆりかご】の盾も瞬時に砕かれ、溢れ出た人々の増悪が手足に纏わりつき、剣の速度を更に上げていく。何分経った? 肩周りの筋肉が千切れ、鎖骨と背骨が負荷に耐え切れず悲鳴を上げる。痛覚はすでに無く、耳も僅かに遠くなってきた。両腕両足はもはや私の意思か、彼らの意思で動いているのか判断できない。
 頭上に巨大な【ゆりかご】が現れるが、剣と槍が貫き、破壊される。噴き出した砂が新たな武器となり、肉塊を床へと縫い付ける。周囲の【信仰の力】も肉塊へ次々と突き刺さり、武器が一ヶ所に固まって針山のような状態になった。ならこのまま――――

「――――おぁ……っ!? あぐ……っ!!」

 砂と残骸で出来た手足が私の肉体へ更に深く入り込み、呼吸が止まる。両腕は未だ剣を振るい続け、両足もしっかりと力がこもっているが、完全に彼らの意思で振り回されている。黄金の剣や槍も徐々に黒くなってゆき、砂へと変わると崩壊し始めた。……限界か。
 攻撃の手が緩むと神の再生が急速に早まる。メキメキと音を立てて周囲の砂を自身へ取り込み、私の手足が出来た時のように骨や筋肉、皮膚を形成し、灰色の長髪も頭部へ生えてきた。

「――――……ふーっ!! ふーっ!! 【道具】風情がっ!! 神をここまで追い込むなどっ!!」

「は……は…………っ!?」

 足までも砂となって消え、平衡感覚を失って後頭部から床へ叩きつけられる。背骨が砕け、臓器が弾ける嫌な音も聞こえた。肺は完全に潰れ、声を上げることも、呼吸をすることもできない。揺れる視界の下、手足も再生し終えた神が立ち上がり、私の胸を足で踏みつけながら見下す。

「残念であったなっ!! 貴様如きに殺されてやれる神ではないっ!! よくも我が民草までも……っ!! 懺悔することがあれば聴こうかアダムよっ!?」

「あ……あ……」

「聴こえぬなぁっ!? 貴様を【ゆりかご】に閉じ込められぬことが実に残念でならぬぞっ!! 今の貴様に美しかった【天使】の面影は無く、醜い異形そのものであるっ!! そうまでして……何故貴様らは神の導きや愛を拒むのかぁっ!! 何故だぁっ!? 答えよっ!! 答えよぉっ!!」

「うぅ……あぁ……」

「我はそう創られたっ!! 民草を愛し愛され、知恵と栄華を授ける神としてっ!! 【道具】には使われる理由が必要であろうっ!? 欲されなければ、それは鉄屑と何ら変わるまいっ!? 貴様は……貴様ら【天使】など――――」

「――――わ……と」

「んんっ!?」

「……わた、し……は、ひと、びとを……みちびく、て、んし……だっ!! あな……たとは、ちが……う……あ」


 鼓動が止まる。死とはこんなにも静かで、唐突に訪れるのか……。
 意識が遠のき――――泥の床へ、沈んでいく感覚。
 さあ、【魔女】よ。あとは、頼ん――――

***

 琴切れたアダムから足をどかし、再び玉座へ腰を落ち着かせる。だいぶ削られてしまったが、複数の大型【機神】を起動させるのに十分な余力はある。あと一分も経たぬうちに我の精神は依り代に定着させられ、【ゆりかご】に閉じ込めた精神達も新たに【機神】へと移されるであろう。【魔女】は――――我が目覚めると同時に、殺そうと迫ってくるやもしれん。奴の考えは分からぬ。
 だが一度現界さえ果たしてしまえば、神の力で屈させるなど造作もない事よ。順調に【箱舟】内の崩壊が進み、定着の遅延や妨害をされている様子もない。最早我を妨げる存在など無い。妨げられる未来も視えぬ。五千年少々……実に……実に長い旅路であった。

「……皆、大義であった。我は民草の願いを……願いを……」

 アダムの手足や剣、銃へと変化した民草らの存在が頭を過る。彼らの願いは、間違いなく我への増悪からくる復讐だった。しかし我は【機神】という新たな肉体を提供し、偽りの神へ直接剣を向ける機会も与えたではないか。我無くして民は無く、民無くして我は無い。信仰無くして、神は力を振るえぬ。その為に……愛する民草を偽りの神から守るのに、手段など選んではいられなかった。
 こうして望みが成就し、今一度【地上界】を統べ、【天界】へ攻め入る機会も得られた。逃してたまるものか。何度でも繰り返し、何度でも我が文明を愛する民草と共に築き上げよう。

「……時間か。さらば【箱舟】。さらば【ノア】よ。我は――――」


「――――アア、全て上手くいったとモッ!! ご苦労だったネッ!!」

「!?」



 ――――これは……どうなっている。なんだこの重苦しく固い手足は? 妙に高い視界、平原、夜空に輝く本物の星と月、我を取り囲む小さき男や異形の者達……携えた武器を構え、戦うつもりでいるのか。
 不敬、不敬だぞ新人類よ。まずは手始めに……待て。貴様は、その翼の盾は――――


「――――おはようございます、【デウス・エクス・マキナ】様。ご気分はどうですか?」

『何故、何故貴様がここに居るぅううぅっ!? ポラリスぅっ!?』

「ハーハッハッハッハッ!! こいつぁ大物だぜぇっ!! さぁて、【宝探し】は終わって【狩り】の時間だ司祭サマ。人間、【天使】、【悪魔】にゴブリンの寄せ集め集団で、共闘といこうじゃねぇかっ!!」
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