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第三章・【悪魔】とエクソシスト
【第七節・銀の矢】
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街を出発し森へ向かっている道中、骨になった魔物共の死骸をいくつも見た。骨に付着した肉がまだ腐りきっていないことから、比較的新しい物だ。……誰だか知らんが、夜間の活発になった魔物共を蹴散らしながら移動していたらしい。魔物の死骸は、そのまま飢えた魔物共の飯になる。死ねば肉塊、連中は食えればなんだっていいんだ。
「周囲の草が禿げた感じからして爆発痕かぁ? 仲間割れってわけでも無いだろうし。……あーあー、こりゃひでぇ。首を一太刀でスパッと切られたんだなぁ。俺より先に、首無し騎士を狩りに行った奴がいたんかねぇ」
鳥に突かれている食い散らかされていない死骸は、鋭利な刃物で首や手足を落とされたものが多かった。骨まで綺麗に切れてやがる。それ以外は自分達の角で仲間を突き刺した死骸ばっかだ。煙幕か爆発音で混乱して、そのまま群れ同士で衝突。無理に狩ろうとせず、立ち塞がる魔物だけあしらってた感じか。人数は一人じゃねぇ。夜逃げや旅商人じゃねぇだろうし、そこそこ戦闘経験のある団体さんか?
周囲を見回す。生きた魔物の姿はねぇし、穏やかな風が吹く平原を野生の鹿や放し飼いの羊が、呑気に草を食んでる光景しか見えねぇ。
「先を越された……んにゃ、存外デュラハンの方が強くて、返り討ちにあってくれてるかもしれねぇ」
まだわからねぇ。他人が負傷させた手負いの獲物を狩るのはあんまり好きじゃねぇんだが、簡単にやられてないでくれよ。
爺さんに教えてもらった森が見えてくると同時に、死骸以外の痕跡も見つけた。
「乾いてねぇ血痕、それに地面が焦げてやがる。……こいつは落雷か?」
屈んで触れ、焦げた地面を確認する。昨晩は雲が出てたが雨や雷鳴は無かった。だがこいつは雷獣相手に嫌というほど見た痕跡、見間違う筈ねぇ。デュラハンが魔術で雷を落としたか、もしくは魔術へ長けた奴が落としたか。……そっち方面に明るくねぇが、【雷の魔術】は消耗が激しく手軽に扱えねぇって話だけは知っている。【高等魔術】だったか? ……とにかく、そんじょそこらの魔術師が扱える魔術じゃねぇってこった。
「……あん?」
前方からの視線を感じて顔を上げる。森のすぐ手前、真っ黒な体に赤い目を持った馬と――――黒い鎧を身に着けた首の無い騎士が、ランスを携え俺を見ていた。あれか、噂の【首無しザガムの亡霊】。
視線に気付くと馬が嘶き、首無し騎士はランスの先端を俺に向けて威嚇する。
「よぉおおおぉそこの髭ジジイっ!! 俺様達を狩りに来たのはお前かぁっ!?」
「あぁっ!? 黙れ馬野郎っ!! 俺はまだジジィ呼ばわりされるような歳じゃねぇっ!!」
馬が喋った。微かな魔力の気配が【二つ】。距離が離れているせいではっきりとはしねぇが、跨られている赤目の馬も魔物か【悪魔】か。
向こうからの突撃に備え魔力を編み、生成術で長槍を一本生成するが――その様子を見ると、馬と首無し騎士は踵を返し森の中へと走って行く。逃げるか。
「ヒヒィンッ!! オタスケェ~ッ!! 俺様はまだ馬肉になりたくねぇぜぇ~っ!?」
ワザとらしい、小物臭い言葉を吐きながら森の中へと消えていく一人と一頭。森じゃ馬の機動力は生かせねぇ。何か策があって誘ってるのは違いねぇが……乗ってやるしかねぇよなぁ。
舌打ちしながら馬と騎士の居た場所まで駆け付けると、森の中へと続く一本の獣道に蹄の跡がくっきりと残ってやがる。奴らの姿は見通せる範囲に無い。
「わざわざテメェの方から出てきてくれたんだ。ぜってぇ逃がさねぇぞ……っ!!」
***
森へ入って数分後。調子が悪くて奴らの魔力を手繰れないと思っていたが、どうも森全体が微量の魔力を帯びているせいで、方向感覚や魔力の痕跡が滅茶苦茶になりやがる。これも知っているぜ。大なり小なり魔力を放つ植物がそんじょそこらに自生していて、普段魔力を感じられない人間や動物の感覚にも悪さする奴だ。幸い蹄の跡で追えるが、獣道から外れて木々の中にでも潜まれたらわからねぇぞ。
「はぁ……面倒くせぇなぁ……」
馬を囮にして周囲の背が高い茂みに首無し騎士が潜んでないか、注意深く目視確認しながら進む。わざわざ誘ったんだ、この地形を利用しねぇ手はねぇだろ。
もっと進めと言わんばかりに蹄の跡は点々と続き、常に一定の間隔であることから、速度を落とすことなく走っている。のろのろ進んでたら離されちまうか? 森を抜け、俺を撒いて逃げた……ってのはねぇな。馬はともかく、上の首無し騎士は明らかに敵意を向けてた。やろうと思えば、その場で殺し合うことも出来ただろうに。
敵さんの狙いがわからず、左手で混乱する頭をがりがりと掻く。考えながら狩るのは嫌いじゃねぇが、こうもだらだらハマってやるのも怠いぜ。
「――――――」
「――あ?」
なんだ? 小さすぎて聞き逃しちまった。
直後、周囲の木々から紐のような細い物が伸び、前後の道を塞ぐように張り巡らされた。紐に見えたのは鉄線で、一本一本が淡く発光している。……濃い魔力の気配、こいつは素手で触らない方がよさそうだ。飛び越え……るのは無理か。頭上にまで鉄線が張られてやがる。
「見かけによらず、随分手が込んだことするんだなぁ。だが――」
槍の刀身部分へ少し魔力を込め、振りかぶり小さく跳ぶ。振り下ろした槍は魔力の尾ひれを引き、銀色の弧を描いて目の前の鉄線の束を断った。『ぱぁん』と軽快な音をたて、切られた鉄線は空中で霧散し、消えた。
「――こんなんじゃ足止めにもなんねぇよ。小賢しい罠はいいから、とっとと出て――」
――話している最中にも関わらず、金属の擦れる音と共に再び鉄線の束が張られる。完全に霧散したが、壊れた魔術の鉄線を再生成したのか? まさか……近くで俺を見ていて、ご丁寧に張り直しているんじゃねぇだろうなぁ。
「ちっ……意地でも閉じ込める気かぁ?」
左右の木々の隙間にも、更に鉄線が張り巡らされているのが見えた。回り込むのも無駄らしいな。だが――
「――そいつぁ少々、効率的とは言えねぇなぁ」
再び槍の刀身へ魔力を込め、跳躍せず【踏み込む力】と【振り下ろす力】のみで鉄線の束を再び断つ。鉄線が切れ、霧散すると同時に再び張られる。……やっぱそうくるよなぁ。下げた槍をそのまま振り上げ、斬り上げる形で鉄線を断つ。切れ、再び張られる。槍を振り下ろして断つ。張られる。断つ。張られる――
――【壊れた魔術を再生成する】のと【一度魔術で生成した武器で一方的に破壊し続ける】のじゃ、魔力の消費量は断然違う。【生成術】の便利なところは、一度生成しちまえば【継続的に魔力を維持する僅かな魔力を流せば消えない】点だ。魔力の流れを断った時点で初めて魔力が【消費】されるが、その流れを断たない限りその場へ留まり続ける。テメェの魔力で編んだ武器には、無駄なく魔力を上乗せできるのも利点だな。血脂や刃こぼれを気にすることなく、強度限界を迎えるまで無限に使える最高の武器。そこいらの鍛冶屋が打った剣や槍と物が違げぇ。
十回を超えたところで周囲の鉄線の本数が一気に増え、日差しや向こうの景色が見えない密度になった。最後の悪あがきか。
「めんどくせぇなぁっ!!」
強めに槍へ魔力を込める。槍は暗闇で銀色に発光し、周囲と地面を照らしだす。強度限界で崩壊寸前だが、全部吹き飛ばすには充分だ。まだ一本目。無駄使いはしたくねぇし、このまま使い潰してやる。
「せぇのぉっ!!」
瞼を閉じ、力強く槍の石突を地面へ打ち突ける。槍の形を保っていた魔力が爆発すると同時に、俺を中心にして魔力の渦が巻き起こった。耐え切れなかった鉄線は引き千切れると共に、一斉に吹き飛ぶ。爆発的な破壊力は鉄線を吹き飛ばすだけでは飽き足らず、周囲の木々も巻き込んだようでバリバリと倒れる音も聞こえた。
風が止んだ。瞼を開け、周囲の状況を確認する。木々は押し潰されるようにして強引に倒され、人間三人程の幅の獣道が広くなっていた。倒木の下に術者の姿は無い。前後の獣道にも痕跡はねぇし、破られるの察して逃げたか。
「なるほど……別に仲間がいるってところか」
「左様」
小さな影一つ。木々から飛び出し、太陽を背に頭上へと落ちてくる。その両手に握られてる得物は……鉈か。前方に飛び込んで回避しつつ、地面に鉈をぶっ刺しながら着地した対象を確認する。
「ふぉっふぉっふぉっふぉっ。……そんなに血に飢えとるのなら、ワシがお前さんの相手になろう」
鉈を引き抜き、振り返った顔は緑色で鼻が高い。白い髭を蓄え、泥が所々に付いた軽装ゴブリンが、愉快そうに笑いながら二振りの鉈を構える。
「人語を話すゴブリン……珍しいが、テメェも俺の【狩り】を邪魔すんのか。そんなにあいつらが大事なら、もっと大事にしまっておくべきだったなぁ」
両手へ魔力を集中させ、奴が持っているのと同じ鉈を二振り生成する。対峙したゴブリンは髭を撫で、ニヤニヤと笑みを浮かべてその様子を見ていた。
「【狩り】とな? そいつは違うのぉ。オヌシはもう【狩られる側】へ回っとるのじゃ。もう少し気を付けぇ、敵は目の前だけでないぞ?」
背後から風を切る音――左へ跳ぶ。間髪入れず俺のいた場所へ一本の矢が刺さり、飛んできた方を見て射手を確認する。だが木々の中に潜んでいるのか視認出来ず、大雑把な位置しか特定できない。
「はっ!! ゴブリンらしく小賢しい考え方だな、嫌いじゃないぜ?」
「だが……実に無益な争いじゃ。ここは大人しく諦めてはくれんかのぅ? ワシらは穏やかに暮らしたいだけなんじゃよ。この手を人の血で染めるのは気が引ける。来た道を戻るのであれば、ワシらも手出しせん」
とんとんと、腰の辺りを叩きながら俯き加減にゴブリンは語る。だが頭上へ飛んできた時、俺を見ていた奴の【目】を見逃さなかった。
「そいつは嘘だなぁ。あんたも今、自分と殺し合える相手を見つけて嬉しいんだろ? 臭い演技はともかく、テメェの目は嘘をつけねぇよ」
「……まぁ、【ワシ】はな?」
ニヤリと不敵に笑うゴブリンは、俺を【狩ろう】とゆったりと鉈を構え直す。そうだ、それでいい。正面と背後に肌がひりつくほどの殺気。
ああ、いいなぁ。今、最高に生きているって感じるぜ。
「簡単に狩られてくれるなよ」
「そちらこそ、引き返さなかったのを後悔するでないぞ?」
***
箒を操るベファーナの背後、力なく彼女へもたれかかるようにしがみつくペントラが、城の前へと帰還した。全身から汗を流し、荒く乱れた呼吸をしている。限界寸前まで魔力を行使したのか。表情も出ていった時と打って変わって苦しげだ。
ベファーナの足が地面へ着くと、箒から転げ落ちるようにしてペントラが地面へ落ちそうになり、シスターと僕は駆け寄り彼女を支える。
「はぁ……はぁ……いやぁ、悪りぃ。……一本しか持っていけんかった。……まだ全然、元気だわ、あのおっさん」
「あなたはよくやりましたわ。あとは私達に任せ、ゆっくり中で休んでいなさい」
「へへ……そうさせてもらうさね。……これ以上頑張ったら、本当に死にそうだ」
「ポラリス司祭。彼女を部屋まで運んでもらってもよろしいですか? 傍にいてあげたいのは山々ですが、私が今度は出番なので……」
「わかりました。シスターもお気をつけて」
ペントラの肩へ手を回し、シスターが支えていた手を離すが……足の力が入っていない、崩れ落ちそうになる彼女を支えて運ぶには僕一人では少々厳しい。
「……しょうがない【悪魔】ですね」
不機嫌そうな表情のアダムが、文句を言いつつも反対側の彼女の肩へ腕を回し、支えてくれた。二人でなら運べそうだ。
「おぉう……クソガキ。肺とあばら骨の調子はどうだい?」
「絶好調です。いいから、喋らないで黙って運ばれてください。舌噛みますよ」
「アッハ……両手にイケメンとは、アタシゃ幸せもんだ」
ペントラは出来る限りの笑顔を作り、僕らへ体重を預ける。周りやシスターからの心配そうな視線を感じながら、ティルレットが開けてくれた扉を抜け、彼女をシスターの部屋へゆっくりと運ぶ。
***
「ペントラちゃぁん、大丈夫かぁ?」
『魔力を限界まで行使したのであろう。だが、この森は微量ながら魔力に満ちている。しばし休めば、立って歩ける程度には回復する。心配は無用だ』
「ブルルルゥ……主殿の声を聴くのが久しぶり過ぎて変な感じだぜェ……」
城へ入って行く彼女らを見送りながら、ベファーナの傍らに立つザガムとエポナが話をしている。フフンと自信満々に鼻を鳴らし、ベファーナは彼らの周囲をくるくると箒で飛び回る。
「だって【声】が無きゃ会話に不便でショー? ウチほどになれば相手の思考を覗き見るのは簡単だけド、凡人にマネしろだなんて百年かかったって難しイ。だったら魔術で声を出させる方が百倍簡単サッ!! 流石ベファーナちゃンッ!! 賢いぞうベファーナちゃンッ!! イーヒッヒッヒッ!!」
ボクは、ボクを友と呼ぶ【魔女】があまり好きではない。一方的な取引や契約を持ちかけ、相手の弱みに付け込んで強引に懐柔しようとする態度。【悪女】という言葉が、彼女にはぴったりです。
「違うネ。天才という生き物ハ、誰にも理解しえないのだヨ? ウチの頭の中を覗き見たりなんかしたラ、みんな白目をひん剥いて倒れちゃウッ!!」
「お花畑過ぎて脳が腐るってことですかね?」
「モーウ、つれないナァッ!!」
【天使】は人間の思考を読み取る能力を持っているが、仕事として扱うだけあって個人情報の扱いにかなり慎重だ。以前のように相談される例もあるが、一般人へおいそれと他人の考えている事を話したりなんてしない。しかし、【魔女】にはそれがない。他人の定めた掟や決まり、常識的な概念にも一切縛られず、良くも悪くも自由に生きているのが彼女らだ。
自身の英知を持て余し、【地上界】の生き物をたぶらかす。ベファーナを見ていると少女の姿を除けば、伝記通りの種族であると再認識させられる。
「ソウ。だから神々に嫌われタ。悠々と過ごしていたウチらの家ヲ、奴らは海へ叩き落したのサ。自分達以上に賢くなり過ぎた故の嫉妬だネ」
スイスイと宙を飛んでいたベファーナが目の前へ降りてくる。その表情は笑ってはいるが、いつもよりもどこか悲しげにも見えた。
「チェス盤の上へ乗らず乗せれズ、玩具にならなかったから壊したのだヨ。怖かったのだろうネ。自分達が創った存在が知恵をつケ、自分達の理解できない存在へと昇華しようとしていル。いずれ自身らの住まう【天界】まで脅かす存在になりえるかもしれなイ。【恐怖】という感情ハ、神々も持ち合わせているんだネェ?」
「だから歴史上の敗者であるボクらへ近付いた。独自でこの場所を突き止め、ボクらの存在を対価に懐柔しようとした。……ボクはまだ君を友と認めたわけじゃないですよ。そのことを忘れないでくださいね?」
ベファーナは「イーヒヒヒッ!!」と高笑いを上げ、箒へ再び跨りシスターの元へと飛んで行く。
彼女はボクの領地に【蔦だらけの家】を構えて住んでいる。何日も引きこもって出てこない時もあれば数週間外出すると、ある日突然言葉では形容し難い【実験材料】を持ち込んでくるトラブルメーカー。五十回以上は自宅を実験で吹き飛ばし、建物の破片が周囲の家を破壊したり火事を起こすのも彼女だ。神々に嫌われたことは同情しますが、流石のボクも中身の方まで面倒見切れません。
『奇妙な縁もあったものだな。かつては敵として対峙した男の娘と、こうして協力関係になるとは』
ザガムの【声】がボクの耳へ入ってくる。原理はよくわからないが脳内に直接会話を叩きこんでいるのではなく、どこからか【音】を発してボクらの耳でも聴き取れるようにしたらしい。
「あなたは人として死ぬ最後の瞬間まで、クソったれ【狂王】の忠臣として振る舞っていました。ボクも急展開過ぎて混乱しています。というか、マジで何も考えていないあの【魔女】に呆れています。なんで契約しちゃったんですか? どうせ脅されたんでしょう?」
『ふむ。私一人ならば死を選ぶだろうな。しかし、エポナを残して死ぬわけにはいかぬ。あの場ではそうするしかなかったのだよ、スピカ嬢』
「お陰で滅茶苦茶な契約を突き付けられるハメになったけどなぁっ!?」
『すまん。君には本当に何と言ったらいいか』
「別に主殿が悪い訳じゃねぇしぃっ!! 全部悪いのはあの女だしぃっ!!」
ザガムは主人を庇う愛馬の首を、申し訳なさそうに撫でる。
ベファーナの一方的な契約によれば、彼らは【許可無しに戦うことも殺生も許されない】状態にあるらしく、ボクらに対して意図的に危害を加えるということは……今はないと考えましょう。逆に気まぐれな契約主の命令一つで、ボクらをこの場で殺す選択肢もあるんですがね。
「……あなたに聞きたいことは山ほどありますが、それは全部終わってからにしましょう。この場を切り抜ける為に、ボクはあなたというカードを使わせていただきます。よろしいですね?」
『無論だ。新たな主がそう望むのなら、争う理由もない。私的にも――子供へ手をかけるのは気乗りしない』
「へぇ、意外ですね。無慈悲なまでに戦場で虐殺を繰り広げたと語られるザガム大将が子供好きとは」
『娘がいた。生きていれば、スピカ嬢やベファーナ嬢と同じくらいの歳だろう。子供は我々の意志を未来へと繋ぐ大切な人材だ。軍人として、丁重に扱うのは当然だろう?』
「なるほど。実に軍人らしい、理論的で筋の通った考え方です。ボクは嫌いですが」
そこに愛情は無い。自分達の都合の良い、物のように子供を見る大人が嫌いだ。盲目的に大人へ従うような教育、子供の個性を認めようとしない古い理念……回れ右を力づくで実現させようとした結果がこの様なのですよ。根本的な考え方は生前と何も変わっていないようで、未だ【狂王】の妄想に囚われている。早く彼をクソったれの呪縛から解放してあげたいところではありますが――
「行くゾー、ザガムとお馬サン。さっきは逃げちゃったケド、今度は応戦してる四人と交代ダ。存分にランスを振るってくれ給エッ!! ナニナニ、魔力の供給源は【魔女・ベファーナ】ちゃんが肩代わりしてやるとモッ!! キリキリ働ケェッ!! イーヒッヒッヒッ!!」
アレが主人だと、そう簡単にはいかないでしょうねぇ……。
***
――ローグメルクが足の蹄で、奴から奪った銀の斧を踏み砕く。破壊時の爆発が起こらないのは、こ奴が魔力を同時に込めることで相殺しているからだそうで……武術しか知らんワシに、魔術は全く理解できん。ともかく、奴から奪った武器はローグメルクに破壊してもらえれば問題ない。鉈一本が吹き飛んだだけで済んだのじゃから、授業料としては儲けもんじゃろう。
破壊されたのを確認したアレウスは、再び両手へ銀の武器を生成する。今度は短剣と鉤の付いた鎖。
「マグさん下がってくだせぇっ!! 俺が行きやすっ!!」
「ハハハハハッ!! 来いよ【悪魔】共っ!! 俺の魔力はこの程度じゃ尽きねぇぞぉっ!?」
ローグメルクのダガーの振りに合わせ、アレウスも短剣を振り、攻撃を一切寄せ付けない。時折織り交ぜる蹴り攻撃に対してもギリギリで対応。下手に深く踏み込めば、反撃される。【悪魔】相手にも怯まず、素手で殴りかかってくると来たもんじゃ。しかも素手による攻撃にも魔力が乗っている。咄嗟に奴の拳を防いだローグメルクの右腕は折れ、使いもんにならなくなっとる。ワシらが援護してやらんと、そのまま殴り殺されかねん。
斬り合いの中、アレウスが空いた片手でローグメルクの足元へ鎖を絡ませる。鉤が左足へ食い込み、そのまま両足を取られたローグメルクの動きが止まった。
「なっ!? お――」
「もら――」
ワシらの背後から鉄の矢が風を切って飛び、短剣を振りかぶったアレウスの右肩を射抜く。いい腕じゃ若造。奴が怯んでいる隙を突き、ローグメルクは食い込んだ鉤を強引に引っこ抜いて、そのままダガーで鎖を破壊する。
「いってぇ……これで八本っす。いい加減、息切れしてきてもいいんじゃないっすかぁ……?」
「ハッ!! 馬鹿言っちゃいけねぇ。この程度で尽きるもんじゃないぜ。しかし……一人相手に四人がかりたぁ、ずいぶんな歓迎じゃねぇか?」
アレウスも右肩から鉄の矢を引き抜き、その場へ投げ捨てた。足にも腕にも矢を当てとるが、全然気にしとらんのぉ。ワシは屈んだ状態のローグメルクの背を飛び越し、鉈で追撃を仕掛ける。狙うのは肩の腱じゃな。迎撃してくる短剣の攻撃を蹴りで逸らし、左肩を狙って鉈を当ててやる。ぶつっと切れる僅かな手応え――そのまま奴の頭を飛び越え着地。更に両足の腱を狙い、振り向きざまに切り払うも、跳んで避けられてしまった。
背中へ鋭い痛みと重さ――反撃で短剣を刺されたか。引き――抜くよりも速く、ローグメルクがダガーの投擲を当て、爆発する前に破壊する。霧散したことで刺さっていた短剣が消え、傷口から一気に血が噴き出す。これは……ちとマズいのぅ。
「マグさんっ!! そのままでっ!!」
ワシの背後に向かって更にダガーを数本投擲し、若造の煙幕矢と婆さんの閃光玉が間髪入れずに頭上を越え、奴がいるであろう場所へと落ちる。地面が揺れるほどの爆発音がする中、ローグメルクの脇に抱えられて城の方へ退く。
「かはっ!? ごぶ……っ!! 足がまともに動かんのに……すまんのぅ」
「俺は気合でなんとかなるんで大丈夫っすっ!! あまり無理しないでくだせぇっ!! 背中の傷が深いっすから、このまま逃げるっすよっ!!」
「なっ!? この程度じゃ奴追ってくるぞっ!? オブオフォ……っ!!」
「シスターが壁張ってくれてるから、もう少し持つっすっ!! それに――」
――前方からどすどすと地面を力強く蹴る音を響かせ、馬に跨る首の無い騎士の姿が見えた。かつては敵同士だった間柄。しかし、味方となると禍々しい血濡れの鎧も頼もしく思えてしまう。
「おいおいダッセェなぁっ!? 二人共血塗れじゃねぇかぁっ!!」
『皆よく持ち堪えた。あとは任せるがいい』
通り過ぎ様に言葉を残しつつ、一人と一頭の【悪魔】は戦場へと向かう。
「――ってことっす。落ち着いたらシスターと合流して、ドグさんの背中の傷だけでも塞いでもらいやしょ。もう少しだけ我慢してくだせえ」
「……ワシが現役ならば、あ奴如きに遅れはとらんのにのぅ」
「無理っす。俺もちょっと舐めてかかったのはあったんすけど、途中から本気の蹴り織り交ぜても三度目以降は完全に反応して、全然当たらねぇし殴りかかってくるしで……色んな奴らと殺し合って、生き抜いてきただけはありやす。日頃から戦い続けた向こうと、十五年間お嬢の為に尽くしてきた俺らの差っすね」
悔しいが、ローグメルクの言う通りじゃなぁ。だが奴の左肩の腱は切っておいた、自力で治す術がない限りは重しになるじゃろうて。
***
しゃらくせぇ薄い壁を片手斧の爆発で破り、煙の中を突っ切るが連中の姿はない。くそ、逃げられたか。
「ん? いや……選手交代かっ!!」
黒い馬がランスを携えた首の無い騎士を乗せ、三十歩ほど手前で減速して止まる。間違いねぇ、森の入り口で見た馬とデュラハンだ。
「仲間がやられて、慌てて出てきたか大将さん。テメェが大人しくあの場で狩られてりゃ、こんな面倒なことにならずに済んだのになぁ? 芋づる式に次から次へと獲物が湧いてきやがるっ!! 最高の場所だなぁここはっ!!」
『そうか。それは良かったな』
「は? 喋れんのかテメェ。どっから声出してやがる」
『つい先程、話せるようになった。あそこで闘うには少々目立ち過ぎる故、場所を改めさせてもらった。仕切り直しといこう』
どういう原理で声帯無しに話せているかわからねぇが、今更驚かねぇ。それにまともに話ができる化け物相手は久し振りだ。知能が高くて実に厄介でもあるが、それさえも俺にとっては楽しみの一つさ。さっきのゴブリンと【悪魔】の会話を聞く限り、この森の先に連中の集落でもあるんだろ。異種族同士にも関わらず、仲間割れせず連携もできる。一朝一夕、付け焼刃の協力関係ってわけでもあるめぇ。
恐らくこいつらが本当に困るのは、俺がこのまま先へ進み集落を荒らすこと。どこで俺のことを知ったか知らんが用意周到な罠、待ち伏せ、あからさまな魔力を消費させるための武器破壊。命まで取らずとも、力づくで俺の【狩り】を止めようってこった。
首無し騎士は馬上から降り、地面へと脚をつける。そらそうよ、ここで騎馬戦しようとする方が馬鹿だ。
「あ、主殿ぉっ!? 俺様から降りちゃうのかよぉっ!?」
『もう少し道が広ければよかったのだが、相手が相手だけに騎馬戦は分が悪い。少し離れ、私と奴の戦いをよく見ていてくれ。君の目が頼りだ』
「ブルルルルゥ……わかったぜェ。でも本気で闘ってくれんだよなぁっ!?」
馬の首元を優しく叩き、無言で返答をする。化け物同士の友情たぁ泣かせるじゃねぇの。首無し騎士はランスを自分の正面に掲げ、軍隊式の敬礼をする。
『私の名はザガム・ランス・ラインハルト。元【狂王軍大将】にして、【不死身のザガム】と呼ばれた男の成れの果てだ。狩人殿、貴公の名は?』
「ふん、首無しザガムの亡霊の正体は本物か……俺はアレウス。趣味は【狩り】、好物は【甘露】。テメェをもう一度殺す男の名だ、馬に頼んで墓石にでも刻んどけ」
『必要ない』
奴の殺した獲物の返り血が滲み込んだ鎧とランスに、膨大な魔力が集まるのを感じる。ザガム自身のじゃない。魔力の供給源が別にあるのか? 目には見えない、森の中でもわかる濃い魔力の綱を追う。奴の頭上から宙へ伸び……空中にそいつがいた。箒へ跨り、ニヤニヤと俺らを見下ろす三角帽のガキ。アレがザガムの本体か?
バキバキと音をたてて、ザガムの鎧は棘の生えた鋭利な姿へ変容し、ランスも一回り大きくなる。すげぇな、鎧や得物自体が普通の代物じゃねぇ。学のねぇ俺でもわかる。ランスを構え直し、軽く振るい俺へ先端を向けた。対抗して重てぇ武器を出してぇところだが……あのゴブリンのジジイ、俺の左肩の腱を最後に切っていきやがった。鎧をぶっ通すには短剣じゃ無理か。……なら斧だ。
右手に魔力を集中させ、斧を生成する――と同時に破壊された。目の前にはランスを突き出した姿勢で静止する、鉄臭せぇ鎧の姿があった。
『どうした? 早く次の武器を出し給え。私は貴公を殺すことは命じられていないが、彼らのように生易しくはないぞ』
「お、おぉっ!?」
反応……できなかった。三十歩以上離れてたんだぜ? 突然現れた……いや、奴のいたところから地面に黒く焦げた足跡が、煙を上げてはっきり付いてやがる。これは……間違いなく本物だな。
――なら、俺も本気で相手してやるよ。
魔力を【身体の中】へ通し、【生成術】で切れた腱や傷口の組織を無理矢理再生させる。脳から全身へ広がる神経に魔力を通し、反射速度や筋力を肉体が引き出せる限界まで高めろ。理論上、俺の全身が【生成術】の武器みてぇな状態だ。当然、耐久限界を超えたらお陀仏だろうが……そんなこたぁ知ったこっちゃねぇ。
いつ死ぬかわらかねぇ人生。その時に全力を注がねぇで生き抜けるほど、世界は甘くねぇんだ。
瞬時に銀の籠手を生成、ザガムの懐に体重を乗せた突き上げを一撃入れた。奴の腹を覆う部分の鎧が悲鳴をあげ、接触面を中心に亀裂が広がる感触がする。握った拳の骨が砕けてバラバラになりそうなるのを、ギリギリのところで魔力で補強し続ける。ザガムの身体が僅かに持ち上がり、踏ん張ってそのまま拳を天へ向かって突き上げた。
奴が宙をゆっくりと飛ぶ姿が見える。神経の伝達速度や脳みその処理能力を引き上げた結果だ。音も遅れて聞こえる。地上ならともかく、空中じゃその速力も満足に生かせねぇだろ。耐久限界まで体感残り十秒。その間に上で高みの見物しているガキとザガムへ追撃を仕掛ける。
籠手を再生成、杭と……【アヴェリン】つったか? ぶっ殺したギルドのリーダーが王都から仕入れたと、自慢げに話していた遠距離武器に変化させる。左手の杭は吹き飛んだ姿勢で固まっているザガムの心臓部分へブチ込み、右手の【アヴェリン】の引き金を引き、ガキに向けてぶっ放す。装填された銀の矢が一斉に発射され、空中をゆっくりと飛んで行く。二、一……――解除だ。
ザガムはそのまま吹き飛び、放った銀の矢はガキの胸へ五本全部刺さった。小さな呻き声をあげたガキは浮遊力を失い、真っ逆さまに落下して地面へ叩きつけられる。派手に地面を転がったザガムは素早く起き上がろうとしたが、魔力供給元を断たれたからか変容した鎧が元に戻り、無言で崩れ落ちた。
「ああああ主殿ぉっ!? クソガキぃっ!? な、なにをしやがったっ!?」
血だまりの中で倒れる二人へ、離れて見ていた馬が駆け寄る。こいつは……どうすっかなぁ。あんま強そうじゃねぇし、無視して先へ行くか。ゴキゴキと、再生させた偽物の腱が馴染むよう左肩を回し、悠々と主人の傍で震えて睨みつける馬の横を通り過ぎる。何かぶつぶつ言ってやがったが、負け犬の遠吠えだ。反抗するんなら、そのままザガムと同じところへ送ってやる。
「イ……イ、ヒヒヒ……これハ、【魔女】のウチもちょ~っト、予想外だネェ」
びしゃびしゃと血液をまき散らしながら、矢が刺さったままの三角帽のガキがむくりと起き上がる。
「はあっ!? テメェ……まだ動けんのかっ!?」
「イーヒッヒッヒ、【魔女】の生命力なめんじゃないヨ。こんな矢の五、六本でくたばってたラ、とっくの昔に海の藻屑になって死んでるサ」
がくがくとした足取りは次第に滑らかになり、俺の前へ歩いて来て顔を上げる。口周りや鼻からは血の流れ出た痕跡があるが完全に止まっており、胸に矢が刺さったままなこと以外、ほぼ完全に治ってしまった。飛んでいた時と同じく、ニヤニヤとした顔で俺を見ている。首から下げた石の中に目玉の入ったペンダントが僅かに発光し、そこから魔力が溢れ出ているのを感じた。
「気持ち悪りぃなぁ。……黙って死んだふりでもしておけばよかっただろうが。【魔女】ってあれか。戦争に参加しないで高みの見物決め込んでたら、神に海へ叩き落とされたマヌケ共だろ。婆だけじゃなかったんだな」
「イーヒッヒッヒッ!! 間抜けは馬鹿な神様に従ッテ、自らチェス盤に乗っちまった奴らのことサッ!! 君だってそうだろうニ、アレウス・スロウス。イヤァ、それとも三番目って呼んであげた方がいいかナァ?」
「あん? 俺の昔ん事知ってんのか?」
「知りたいかイ? 教えてあげてもいいけドォ……条件がア゛ッ!?」
魔力の供給を断つ。ガキに刺さっていた矢と、背後で転がっているザガムに刺さったままの杭が弾ける。ガキは爆発力に耐え切れず全身が吹き飛んで霧散し、無事だった帽子だけが宙を舞って足元に落ちた。続いて重量感のある物が倒れる音に振り返ると、頭の無い馬が地面に横たわり、ザガムの上半身は完全に消失していた。馬鹿野郎が、顔を近付けすぎたな。
「……興味ねぇし、俺は俺にしか従わねぇ。弱肉強食。俺が勝ったのなら俺の道理が通る。負け犬との取引なんざ、応じるわけねぇだろ」
残ったガキの帽子を踏みつけ、前へと進む。弓や投擲による妨害もない。あの二人が引くのと同時に、射手も撤退したか。魔力は……だいぶ使っちまったが、四人程度問題あるめぇ。二十秒も本気を出せれば充分だ。
「まだ骨のある奴が残ってりゃいいんだけどなぁ。昼前には街へ帰りてぇし、どっちでもいいかぁ」
「周囲の草が禿げた感じからして爆発痕かぁ? 仲間割れってわけでも無いだろうし。……あーあー、こりゃひでぇ。首を一太刀でスパッと切られたんだなぁ。俺より先に、首無し騎士を狩りに行った奴がいたんかねぇ」
鳥に突かれている食い散らかされていない死骸は、鋭利な刃物で首や手足を落とされたものが多かった。骨まで綺麗に切れてやがる。それ以外は自分達の角で仲間を突き刺した死骸ばっかだ。煙幕か爆発音で混乱して、そのまま群れ同士で衝突。無理に狩ろうとせず、立ち塞がる魔物だけあしらってた感じか。人数は一人じゃねぇ。夜逃げや旅商人じゃねぇだろうし、そこそこ戦闘経験のある団体さんか?
周囲を見回す。生きた魔物の姿はねぇし、穏やかな風が吹く平原を野生の鹿や放し飼いの羊が、呑気に草を食んでる光景しか見えねぇ。
「先を越された……んにゃ、存外デュラハンの方が強くて、返り討ちにあってくれてるかもしれねぇ」
まだわからねぇ。他人が負傷させた手負いの獲物を狩るのはあんまり好きじゃねぇんだが、簡単にやられてないでくれよ。
爺さんに教えてもらった森が見えてくると同時に、死骸以外の痕跡も見つけた。
「乾いてねぇ血痕、それに地面が焦げてやがる。……こいつは落雷か?」
屈んで触れ、焦げた地面を確認する。昨晩は雲が出てたが雨や雷鳴は無かった。だがこいつは雷獣相手に嫌というほど見た痕跡、見間違う筈ねぇ。デュラハンが魔術で雷を落としたか、もしくは魔術へ長けた奴が落としたか。……そっち方面に明るくねぇが、【雷の魔術】は消耗が激しく手軽に扱えねぇって話だけは知っている。【高等魔術】だったか? ……とにかく、そんじょそこらの魔術師が扱える魔術じゃねぇってこった。
「……あん?」
前方からの視線を感じて顔を上げる。森のすぐ手前、真っ黒な体に赤い目を持った馬と――――黒い鎧を身に着けた首の無い騎士が、ランスを携え俺を見ていた。あれか、噂の【首無しザガムの亡霊】。
視線に気付くと馬が嘶き、首無し騎士はランスの先端を俺に向けて威嚇する。
「よぉおおおぉそこの髭ジジイっ!! 俺様達を狩りに来たのはお前かぁっ!?」
「あぁっ!? 黙れ馬野郎っ!! 俺はまだジジィ呼ばわりされるような歳じゃねぇっ!!」
馬が喋った。微かな魔力の気配が【二つ】。距離が離れているせいではっきりとはしねぇが、跨られている赤目の馬も魔物か【悪魔】か。
向こうからの突撃に備え魔力を編み、生成術で長槍を一本生成するが――その様子を見ると、馬と首無し騎士は踵を返し森の中へと走って行く。逃げるか。
「ヒヒィンッ!! オタスケェ~ッ!! 俺様はまだ馬肉になりたくねぇぜぇ~っ!?」
ワザとらしい、小物臭い言葉を吐きながら森の中へと消えていく一人と一頭。森じゃ馬の機動力は生かせねぇ。何か策があって誘ってるのは違いねぇが……乗ってやるしかねぇよなぁ。
舌打ちしながら馬と騎士の居た場所まで駆け付けると、森の中へと続く一本の獣道に蹄の跡がくっきりと残ってやがる。奴らの姿は見通せる範囲に無い。
「わざわざテメェの方から出てきてくれたんだ。ぜってぇ逃がさねぇぞ……っ!!」
***
森へ入って数分後。調子が悪くて奴らの魔力を手繰れないと思っていたが、どうも森全体が微量の魔力を帯びているせいで、方向感覚や魔力の痕跡が滅茶苦茶になりやがる。これも知っているぜ。大なり小なり魔力を放つ植物がそんじょそこらに自生していて、普段魔力を感じられない人間や動物の感覚にも悪さする奴だ。幸い蹄の跡で追えるが、獣道から外れて木々の中にでも潜まれたらわからねぇぞ。
「はぁ……面倒くせぇなぁ……」
馬を囮にして周囲の背が高い茂みに首無し騎士が潜んでないか、注意深く目視確認しながら進む。わざわざ誘ったんだ、この地形を利用しねぇ手はねぇだろ。
もっと進めと言わんばかりに蹄の跡は点々と続き、常に一定の間隔であることから、速度を落とすことなく走っている。のろのろ進んでたら離されちまうか? 森を抜け、俺を撒いて逃げた……ってのはねぇな。馬はともかく、上の首無し騎士は明らかに敵意を向けてた。やろうと思えば、その場で殺し合うことも出来ただろうに。
敵さんの狙いがわからず、左手で混乱する頭をがりがりと掻く。考えながら狩るのは嫌いじゃねぇが、こうもだらだらハマってやるのも怠いぜ。
「――――――」
「――あ?」
なんだ? 小さすぎて聞き逃しちまった。
直後、周囲の木々から紐のような細い物が伸び、前後の道を塞ぐように張り巡らされた。紐に見えたのは鉄線で、一本一本が淡く発光している。……濃い魔力の気配、こいつは素手で触らない方がよさそうだ。飛び越え……るのは無理か。頭上にまで鉄線が張られてやがる。
「見かけによらず、随分手が込んだことするんだなぁ。だが――」
槍の刀身部分へ少し魔力を込め、振りかぶり小さく跳ぶ。振り下ろした槍は魔力の尾ひれを引き、銀色の弧を描いて目の前の鉄線の束を断った。『ぱぁん』と軽快な音をたて、切られた鉄線は空中で霧散し、消えた。
「――こんなんじゃ足止めにもなんねぇよ。小賢しい罠はいいから、とっとと出て――」
――話している最中にも関わらず、金属の擦れる音と共に再び鉄線の束が張られる。完全に霧散したが、壊れた魔術の鉄線を再生成したのか? まさか……近くで俺を見ていて、ご丁寧に張り直しているんじゃねぇだろうなぁ。
「ちっ……意地でも閉じ込める気かぁ?」
左右の木々の隙間にも、更に鉄線が張り巡らされているのが見えた。回り込むのも無駄らしいな。だが――
「――そいつぁ少々、効率的とは言えねぇなぁ」
再び槍の刀身へ魔力を込め、跳躍せず【踏み込む力】と【振り下ろす力】のみで鉄線の束を再び断つ。鉄線が切れ、霧散すると同時に再び張られる。……やっぱそうくるよなぁ。下げた槍をそのまま振り上げ、斬り上げる形で鉄線を断つ。切れ、再び張られる。槍を振り下ろして断つ。張られる。断つ。張られる――
――【壊れた魔術を再生成する】のと【一度魔術で生成した武器で一方的に破壊し続ける】のじゃ、魔力の消費量は断然違う。【生成術】の便利なところは、一度生成しちまえば【継続的に魔力を維持する僅かな魔力を流せば消えない】点だ。魔力の流れを断った時点で初めて魔力が【消費】されるが、その流れを断たない限りその場へ留まり続ける。テメェの魔力で編んだ武器には、無駄なく魔力を上乗せできるのも利点だな。血脂や刃こぼれを気にすることなく、強度限界を迎えるまで無限に使える最高の武器。そこいらの鍛冶屋が打った剣や槍と物が違げぇ。
十回を超えたところで周囲の鉄線の本数が一気に増え、日差しや向こうの景色が見えない密度になった。最後の悪あがきか。
「めんどくせぇなぁっ!!」
強めに槍へ魔力を込める。槍は暗闇で銀色に発光し、周囲と地面を照らしだす。強度限界で崩壊寸前だが、全部吹き飛ばすには充分だ。まだ一本目。無駄使いはしたくねぇし、このまま使い潰してやる。
「せぇのぉっ!!」
瞼を閉じ、力強く槍の石突を地面へ打ち突ける。槍の形を保っていた魔力が爆発すると同時に、俺を中心にして魔力の渦が巻き起こった。耐え切れなかった鉄線は引き千切れると共に、一斉に吹き飛ぶ。爆発的な破壊力は鉄線を吹き飛ばすだけでは飽き足らず、周囲の木々も巻き込んだようでバリバリと倒れる音も聞こえた。
風が止んだ。瞼を開け、周囲の状況を確認する。木々は押し潰されるようにして強引に倒され、人間三人程の幅の獣道が広くなっていた。倒木の下に術者の姿は無い。前後の獣道にも痕跡はねぇし、破られるの察して逃げたか。
「なるほど……別に仲間がいるってところか」
「左様」
小さな影一つ。木々から飛び出し、太陽を背に頭上へと落ちてくる。その両手に握られてる得物は……鉈か。前方に飛び込んで回避しつつ、地面に鉈をぶっ刺しながら着地した対象を確認する。
「ふぉっふぉっふぉっふぉっ。……そんなに血に飢えとるのなら、ワシがお前さんの相手になろう」
鉈を引き抜き、振り返った顔は緑色で鼻が高い。白い髭を蓄え、泥が所々に付いた軽装ゴブリンが、愉快そうに笑いながら二振りの鉈を構える。
「人語を話すゴブリン……珍しいが、テメェも俺の【狩り】を邪魔すんのか。そんなにあいつらが大事なら、もっと大事にしまっておくべきだったなぁ」
両手へ魔力を集中させ、奴が持っているのと同じ鉈を二振り生成する。対峙したゴブリンは髭を撫で、ニヤニヤと笑みを浮かべてその様子を見ていた。
「【狩り】とな? そいつは違うのぉ。オヌシはもう【狩られる側】へ回っとるのじゃ。もう少し気を付けぇ、敵は目の前だけでないぞ?」
背後から風を切る音――左へ跳ぶ。間髪入れず俺のいた場所へ一本の矢が刺さり、飛んできた方を見て射手を確認する。だが木々の中に潜んでいるのか視認出来ず、大雑把な位置しか特定できない。
「はっ!! ゴブリンらしく小賢しい考え方だな、嫌いじゃないぜ?」
「だが……実に無益な争いじゃ。ここは大人しく諦めてはくれんかのぅ? ワシらは穏やかに暮らしたいだけなんじゃよ。この手を人の血で染めるのは気が引ける。来た道を戻るのであれば、ワシらも手出しせん」
とんとんと、腰の辺りを叩きながら俯き加減にゴブリンは語る。だが頭上へ飛んできた時、俺を見ていた奴の【目】を見逃さなかった。
「そいつは嘘だなぁ。あんたも今、自分と殺し合える相手を見つけて嬉しいんだろ? 臭い演技はともかく、テメェの目は嘘をつけねぇよ」
「……まぁ、【ワシ】はな?」
ニヤリと不敵に笑うゴブリンは、俺を【狩ろう】とゆったりと鉈を構え直す。そうだ、それでいい。正面と背後に肌がひりつくほどの殺気。
ああ、いいなぁ。今、最高に生きているって感じるぜ。
「簡単に狩られてくれるなよ」
「そちらこそ、引き返さなかったのを後悔するでないぞ?」
***
箒を操るベファーナの背後、力なく彼女へもたれかかるようにしがみつくペントラが、城の前へと帰還した。全身から汗を流し、荒く乱れた呼吸をしている。限界寸前まで魔力を行使したのか。表情も出ていった時と打って変わって苦しげだ。
ベファーナの足が地面へ着くと、箒から転げ落ちるようにしてペントラが地面へ落ちそうになり、シスターと僕は駆け寄り彼女を支える。
「はぁ……はぁ……いやぁ、悪りぃ。……一本しか持っていけんかった。……まだ全然、元気だわ、あのおっさん」
「あなたはよくやりましたわ。あとは私達に任せ、ゆっくり中で休んでいなさい」
「へへ……そうさせてもらうさね。……これ以上頑張ったら、本当に死にそうだ」
「ポラリス司祭。彼女を部屋まで運んでもらってもよろしいですか? 傍にいてあげたいのは山々ですが、私が今度は出番なので……」
「わかりました。シスターもお気をつけて」
ペントラの肩へ手を回し、シスターが支えていた手を離すが……足の力が入っていない、崩れ落ちそうになる彼女を支えて運ぶには僕一人では少々厳しい。
「……しょうがない【悪魔】ですね」
不機嫌そうな表情のアダムが、文句を言いつつも反対側の彼女の肩へ腕を回し、支えてくれた。二人でなら運べそうだ。
「おぉう……クソガキ。肺とあばら骨の調子はどうだい?」
「絶好調です。いいから、喋らないで黙って運ばれてください。舌噛みますよ」
「アッハ……両手にイケメンとは、アタシゃ幸せもんだ」
ペントラは出来る限りの笑顔を作り、僕らへ体重を預ける。周りやシスターからの心配そうな視線を感じながら、ティルレットが開けてくれた扉を抜け、彼女をシスターの部屋へゆっくりと運ぶ。
***
「ペントラちゃぁん、大丈夫かぁ?」
『魔力を限界まで行使したのであろう。だが、この森は微量ながら魔力に満ちている。しばし休めば、立って歩ける程度には回復する。心配は無用だ』
「ブルルルゥ……主殿の声を聴くのが久しぶり過ぎて変な感じだぜェ……」
城へ入って行く彼女らを見送りながら、ベファーナの傍らに立つザガムとエポナが話をしている。フフンと自信満々に鼻を鳴らし、ベファーナは彼らの周囲をくるくると箒で飛び回る。
「だって【声】が無きゃ会話に不便でショー? ウチほどになれば相手の思考を覗き見るのは簡単だけド、凡人にマネしろだなんて百年かかったって難しイ。だったら魔術で声を出させる方が百倍簡単サッ!! 流石ベファーナちゃンッ!! 賢いぞうベファーナちゃンッ!! イーヒッヒッヒッ!!」
ボクは、ボクを友と呼ぶ【魔女】があまり好きではない。一方的な取引や契約を持ちかけ、相手の弱みに付け込んで強引に懐柔しようとする態度。【悪女】という言葉が、彼女にはぴったりです。
「違うネ。天才という生き物ハ、誰にも理解しえないのだヨ? ウチの頭の中を覗き見たりなんかしたラ、みんな白目をひん剥いて倒れちゃウッ!!」
「お花畑過ぎて脳が腐るってことですかね?」
「モーウ、つれないナァッ!!」
【天使】は人間の思考を読み取る能力を持っているが、仕事として扱うだけあって個人情報の扱いにかなり慎重だ。以前のように相談される例もあるが、一般人へおいそれと他人の考えている事を話したりなんてしない。しかし、【魔女】にはそれがない。他人の定めた掟や決まり、常識的な概念にも一切縛られず、良くも悪くも自由に生きているのが彼女らだ。
自身の英知を持て余し、【地上界】の生き物をたぶらかす。ベファーナを見ていると少女の姿を除けば、伝記通りの種族であると再認識させられる。
「ソウ。だから神々に嫌われタ。悠々と過ごしていたウチらの家ヲ、奴らは海へ叩き落したのサ。自分達以上に賢くなり過ぎた故の嫉妬だネ」
スイスイと宙を飛んでいたベファーナが目の前へ降りてくる。その表情は笑ってはいるが、いつもよりもどこか悲しげにも見えた。
「チェス盤の上へ乗らず乗せれズ、玩具にならなかったから壊したのだヨ。怖かったのだろうネ。自分達が創った存在が知恵をつケ、自分達の理解できない存在へと昇華しようとしていル。いずれ自身らの住まう【天界】まで脅かす存在になりえるかもしれなイ。【恐怖】という感情ハ、神々も持ち合わせているんだネェ?」
「だから歴史上の敗者であるボクらへ近付いた。独自でこの場所を突き止め、ボクらの存在を対価に懐柔しようとした。……ボクはまだ君を友と認めたわけじゃないですよ。そのことを忘れないでくださいね?」
ベファーナは「イーヒヒヒッ!!」と高笑いを上げ、箒へ再び跨りシスターの元へと飛んで行く。
彼女はボクの領地に【蔦だらけの家】を構えて住んでいる。何日も引きこもって出てこない時もあれば数週間外出すると、ある日突然言葉では形容し難い【実験材料】を持ち込んでくるトラブルメーカー。五十回以上は自宅を実験で吹き飛ばし、建物の破片が周囲の家を破壊したり火事を起こすのも彼女だ。神々に嫌われたことは同情しますが、流石のボクも中身の方まで面倒見切れません。
『奇妙な縁もあったものだな。かつては敵として対峙した男の娘と、こうして協力関係になるとは』
ザガムの【声】がボクの耳へ入ってくる。原理はよくわからないが脳内に直接会話を叩きこんでいるのではなく、どこからか【音】を発してボクらの耳でも聴き取れるようにしたらしい。
「あなたは人として死ぬ最後の瞬間まで、クソったれ【狂王】の忠臣として振る舞っていました。ボクも急展開過ぎて混乱しています。というか、マジで何も考えていないあの【魔女】に呆れています。なんで契約しちゃったんですか? どうせ脅されたんでしょう?」
『ふむ。私一人ならば死を選ぶだろうな。しかし、エポナを残して死ぬわけにはいかぬ。あの場ではそうするしかなかったのだよ、スピカ嬢』
「お陰で滅茶苦茶な契約を突き付けられるハメになったけどなぁっ!?」
『すまん。君には本当に何と言ったらいいか』
「別に主殿が悪い訳じゃねぇしぃっ!! 全部悪いのはあの女だしぃっ!!」
ザガムは主人を庇う愛馬の首を、申し訳なさそうに撫でる。
ベファーナの一方的な契約によれば、彼らは【許可無しに戦うことも殺生も許されない】状態にあるらしく、ボクらに対して意図的に危害を加えるということは……今はないと考えましょう。逆に気まぐれな契約主の命令一つで、ボクらをこの場で殺す選択肢もあるんですがね。
「……あなたに聞きたいことは山ほどありますが、それは全部終わってからにしましょう。この場を切り抜ける為に、ボクはあなたというカードを使わせていただきます。よろしいですね?」
『無論だ。新たな主がそう望むのなら、争う理由もない。私的にも――子供へ手をかけるのは気乗りしない』
「へぇ、意外ですね。無慈悲なまでに戦場で虐殺を繰り広げたと語られるザガム大将が子供好きとは」
『娘がいた。生きていれば、スピカ嬢やベファーナ嬢と同じくらいの歳だろう。子供は我々の意志を未来へと繋ぐ大切な人材だ。軍人として、丁重に扱うのは当然だろう?』
「なるほど。実に軍人らしい、理論的で筋の通った考え方です。ボクは嫌いですが」
そこに愛情は無い。自分達の都合の良い、物のように子供を見る大人が嫌いだ。盲目的に大人へ従うような教育、子供の個性を認めようとしない古い理念……回れ右を力づくで実現させようとした結果がこの様なのですよ。根本的な考え方は生前と何も変わっていないようで、未だ【狂王】の妄想に囚われている。早く彼をクソったれの呪縛から解放してあげたいところではありますが――
「行くゾー、ザガムとお馬サン。さっきは逃げちゃったケド、今度は応戦してる四人と交代ダ。存分にランスを振るってくれ給エッ!! ナニナニ、魔力の供給源は【魔女・ベファーナ】ちゃんが肩代わりしてやるとモッ!! キリキリ働ケェッ!! イーヒッヒッヒッ!!」
アレが主人だと、そう簡単にはいかないでしょうねぇ……。
***
――ローグメルクが足の蹄で、奴から奪った銀の斧を踏み砕く。破壊時の爆発が起こらないのは、こ奴が魔力を同時に込めることで相殺しているからだそうで……武術しか知らんワシに、魔術は全く理解できん。ともかく、奴から奪った武器はローグメルクに破壊してもらえれば問題ない。鉈一本が吹き飛んだだけで済んだのじゃから、授業料としては儲けもんじゃろう。
破壊されたのを確認したアレウスは、再び両手へ銀の武器を生成する。今度は短剣と鉤の付いた鎖。
「マグさん下がってくだせぇっ!! 俺が行きやすっ!!」
「ハハハハハッ!! 来いよ【悪魔】共っ!! 俺の魔力はこの程度じゃ尽きねぇぞぉっ!?」
ローグメルクのダガーの振りに合わせ、アレウスも短剣を振り、攻撃を一切寄せ付けない。時折織り交ぜる蹴り攻撃に対してもギリギリで対応。下手に深く踏み込めば、反撃される。【悪魔】相手にも怯まず、素手で殴りかかってくると来たもんじゃ。しかも素手による攻撃にも魔力が乗っている。咄嗟に奴の拳を防いだローグメルクの右腕は折れ、使いもんにならなくなっとる。ワシらが援護してやらんと、そのまま殴り殺されかねん。
斬り合いの中、アレウスが空いた片手でローグメルクの足元へ鎖を絡ませる。鉤が左足へ食い込み、そのまま両足を取られたローグメルクの動きが止まった。
「なっ!? お――」
「もら――」
ワシらの背後から鉄の矢が風を切って飛び、短剣を振りかぶったアレウスの右肩を射抜く。いい腕じゃ若造。奴が怯んでいる隙を突き、ローグメルクは食い込んだ鉤を強引に引っこ抜いて、そのままダガーで鎖を破壊する。
「いってぇ……これで八本っす。いい加減、息切れしてきてもいいんじゃないっすかぁ……?」
「ハッ!! 馬鹿言っちゃいけねぇ。この程度で尽きるもんじゃないぜ。しかし……一人相手に四人がかりたぁ、ずいぶんな歓迎じゃねぇか?」
アレウスも右肩から鉄の矢を引き抜き、その場へ投げ捨てた。足にも腕にも矢を当てとるが、全然気にしとらんのぉ。ワシは屈んだ状態のローグメルクの背を飛び越し、鉈で追撃を仕掛ける。狙うのは肩の腱じゃな。迎撃してくる短剣の攻撃を蹴りで逸らし、左肩を狙って鉈を当ててやる。ぶつっと切れる僅かな手応え――そのまま奴の頭を飛び越え着地。更に両足の腱を狙い、振り向きざまに切り払うも、跳んで避けられてしまった。
背中へ鋭い痛みと重さ――反撃で短剣を刺されたか。引き――抜くよりも速く、ローグメルクがダガーの投擲を当て、爆発する前に破壊する。霧散したことで刺さっていた短剣が消え、傷口から一気に血が噴き出す。これは……ちとマズいのぅ。
「マグさんっ!! そのままでっ!!」
ワシの背後に向かって更にダガーを数本投擲し、若造の煙幕矢と婆さんの閃光玉が間髪入れずに頭上を越え、奴がいるであろう場所へと落ちる。地面が揺れるほどの爆発音がする中、ローグメルクの脇に抱えられて城の方へ退く。
「かはっ!? ごぶ……っ!! 足がまともに動かんのに……すまんのぅ」
「俺は気合でなんとかなるんで大丈夫っすっ!! あまり無理しないでくだせぇっ!! 背中の傷が深いっすから、このまま逃げるっすよっ!!」
「なっ!? この程度じゃ奴追ってくるぞっ!? オブオフォ……っ!!」
「シスターが壁張ってくれてるから、もう少し持つっすっ!! それに――」
――前方からどすどすと地面を力強く蹴る音を響かせ、馬に跨る首の無い騎士の姿が見えた。かつては敵同士だった間柄。しかし、味方となると禍々しい血濡れの鎧も頼もしく思えてしまう。
「おいおいダッセェなぁっ!? 二人共血塗れじゃねぇかぁっ!!」
『皆よく持ち堪えた。あとは任せるがいい』
通り過ぎ様に言葉を残しつつ、一人と一頭の【悪魔】は戦場へと向かう。
「――ってことっす。落ち着いたらシスターと合流して、ドグさんの背中の傷だけでも塞いでもらいやしょ。もう少しだけ我慢してくだせえ」
「……ワシが現役ならば、あ奴如きに遅れはとらんのにのぅ」
「無理っす。俺もちょっと舐めてかかったのはあったんすけど、途中から本気の蹴り織り交ぜても三度目以降は完全に反応して、全然当たらねぇし殴りかかってくるしで……色んな奴らと殺し合って、生き抜いてきただけはありやす。日頃から戦い続けた向こうと、十五年間お嬢の為に尽くしてきた俺らの差っすね」
悔しいが、ローグメルクの言う通りじゃなぁ。だが奴の左肩の腱は切っておいた、自力で治す術がない限りは重しになるじゃろうて。
***
しゃらくせぇ薄い壁を片手斧の爆発で破り、煙の中を突っ切るが連中の姿はない。くそ、逃げられたか。
「ん? いや……選手交代かっ!!」
黒い馬がランスを携えた首の無い騎士を乗せ、三十歩ほど手前で減速して止まる。間違いねぇ、森の入り口で見た馬とデュラハンだ。
「仲間がやられて、慌てて出てきたか大将さん。テメェが大人しくあの場で狩られてりゃ、こんな面倒なことにならずに済んだのになぁ? 芋づる式に次から次へと獲物が湧いてきやがるっ!! 最高の場所だなぁここはっ!!」
『そうか。それは良かったな』
「は? 喋れんのかテメェ。どっから声出してやがる」
『つい先程、話せるようになった。あそこで闘うには少々目立ち過ぎる故、場所を改めさせてもらった。仕切り直しといこう』
どういう原理で声帯無しに話せているかわからねぇが、今更驚かねぇ。それにまともに話ができる化け物相手は久し振りだ。知能が高くて実に厄介でもあるが、それさえも俺にとっては楽しみの一つさ。さっきのゴブリンと【悪魔】の会話を聞く限り、この森の先に連中の集落でもあるんだろ。異種族同士にも関わらず、仲間割れせず連携もできる。一朝一夕、付け焼刃の協力関係ってわけでもあるめぇ。
恐らくこいつらが本当に困るのは、俺がこのまま先へ進み集落を荒らすこと。どこで俺のことを知ったか知らんが用意周到な罠、待ち伏せ、あからさまな魔力を消費させるための武器破壊。命まで取らずとも、力づくで俺の【狩り】を止めようってこった。
首無し騎士は馬上から降り、地面へと脚をつける。そらそうよ、ここで騎馬戦しようとする方が馬鹿だ。
「あ、主殿ぉっ!? 俺様から降りちゃうのかよぉっ!?」
『もう少し道が広ければよかったのだが、相手が相手だけに騎馬戦は分が悪い。少し離れ、私と奴の戦いをよく見ていてくれ。君の目が頼りだ』
「ブルルルルゥ……わかったぜェ。でも本気で闘ってくれんだよなぁっ!?」
馬の首元を優しく叩き、無言で返答をする。化け物同士の友情たぁ泣かせるじゃねぇの。首無し騎士はランスを自分の正面に掲げ、軍隊式の敬礼をする。
『私の名はザガム・ランス・ラインハルト。元【狂王軍大将】にして、【不死身のザガム】と呼ばれた男の成れの果てだ。狩人殿、貴公の名は?』
「ふん、首無しザガムの亡霊の正体は本物か……俺はアレウス。趣味は【狩り】、好物は【甘露】。テメェをもう一度殺す男の名だ、馬に頼んで墓石にでも刻んどけ」
『必要ない』
奴の殺した獲物の返り血が滲み込んだ鎧とランスに、膨大な魔力が集まるのを感じる。ザガム自身のじゃない。魔力の供給源が別にあるのか? 目には見えない、森の中でもわかる濃い魔力の綱を追う。奴の頭上から宙へ伸び……空中にそいつがいた。箒へ跨り、ニヤニヤと俺らを見下ろす三角帽のガキ。アレがザガムの本体か?
バキバキと音をたてて、ザガムの鎧は棘の生えた鋭利な姿へ変容し、ランスも一回り大きくなる。すげぇな、鎧や得物自体が普通の代物じゃねぇ。学のねぇ俺でもわかる。ランスを構え直し、軽く振るい俺へ先端を向けた。対抗して重てぇ武器を出してぇところだが……あのゴブリンのジジイ、俺の左肩の腱を最後に切っていきやがった。鎧をぶっ通すには短剣じゃ無理か。……なら斧だ。
右手に魔力を集中させ、斧を生成する――と同時に破壊された。目の前にはランスを突き出した姿勢で静止する、鉄臭せぇ鎧の姿があった。
『どうした? 早く次の武器を出し給え。私は貴公を殺すことは命じられていないが、彼らのように生易しくはないぞ』
「お、おぉっ!?」
反応……できなかった。三十歩以上離れてたんだぜ? 突然現れた……いや、奴のいたところから地面に黒く焦げた足跡が、煙を上げてはっきり付いてやがる。これは……間違いなく本物だな。
――なら、俺も本気で相手してやるよ。
魔力を【身体の中】へ通し、【生成術】で切れた腱や傷口の組織を無理矢理再生させる。脳から全身へ広がる神経に魔力を通し、反射速度や筋力を肉体が引き出せる限界まで高めろ。理論上、俺の全身が【生成術】の武器みてぇな状態だ。当然、耐久限界を超えたらお陀仏だろうが……そんなこたぁ知ったこっちゃねぇ。
いつ死ぬかわらかねぇ人生。その時に全力を注がねぇで生き抜けるほど、世界は甘くねぇんだ。
瞬時に銀の籠手を生成、ザガムの懐に体重を乗せた突き上げを一撃入れた。奴の腹を覆う部分の鎧が悲鳴をあげ、接触面を中心に亀裂が広がる感触がする。握った拳の骨が砕けてバラバラになりそうなるのを、ギリギリのところで魔力で補強し続ける。ザガムの身体が僅かに持ち上がり、踏ん張ってそのまま拳を天へ向かって突き上げた。
奴が宙をゆっくりと飛ぶ姿が見える。神経の伝達速度や脳みその処理能力を引き上げた結果だ。音も遅れて聞こえる。地上ならともかく、空中じゃその速力も満足に生かせねぇだろ。耐久限界まで体感残り十秒。その間に上で高みの見物しているガキとザガムへ追撃を仕掛ける。
籠手を再生成、杭と……【アヴェリン】つったか? ぶっ殺したギルドのリーダーが王都から仕入れたと、自慢げに話していた遠距離武器に変化させる。左手の杭は吹き飛んだ姿勢で固まっているザガムの心臓部分へブチ込み、右手の【アヴェリン】の引き金を引き、ガキに向けてぶっ放す。装填された銀の矢が一斉に発射され、空中をゆっくりと飛んで行く。二、一……――解除だ。
ザガムはそのまま吹き飛び、放った銀の矢はガキの胸へ五本全部刺さった。小さな呻き声をあげたガキは浮遊力を失い、真っ逆さまに落下して地面へ叩きつけられる。派手に地面を転がったザガムは素早く起き上がろうとしたが、魔力供給元を断たれたからか変容した鎧が元に戻り、無言で崩れ落ちた。
「ああああ主殿ぉっ!? クソガキぃっ!? な、なにをしやがったっ!?」
血だまりの中で倒れる二人へ、離れて見ていた馬が駆け寄る。こいつは……どうすっかなぁ。あんま強そうじゃねぇし、無視して先へ行くか。ゴキゴキと、再生させた偽物の腱が馴染むよう左肩を回し、悠々と主人の傍で震えて睨みつける馬の横を通り過ぎる。何かぶつぶつ言ってやがったが、負け犬の遠吠えだ。反抗するんなら、そのままザガムと同じところへ送ってやる。
「イ……イ、ヒヒヒ……これハ、【魔女】のウチもちょ~っト、予想外だネェ」
びしゃびしゃと血液をまき散らしながら、矢が刺さったままの三角帽のガキがむくりと起き上がる。
「はあっ!? テメェ……まだ動けんのかっ!?」
「イーヒッヒッヒ、【魔女】の生命力なめんじゃないヨ。こんな矢の五、六本でくたばってたラ、とっくの昔に海の藻屑になって死んでるサ」
がくがくとした足取りは次第に滑らかになり、俺の前へ歩いて来て顔を上げる。口周りや鼻からは血の流れ出た痕跡があるが完全に止まっており、胸に矢が刺さったままなこと以外、ほぼ完全に治ってしまった。飛んでいた時と同じく、ニヤニヤとした顔で俺を見ている。首から下げた石の中に目玉の入ったペンダントが僅かに発光し、そこから魔力が溢れ出ているのを感じた。
「気持ち悪りぃなぁ。……黙って死んだふりでもしておけばよかっただろうが。【魔女】ってあれか。戦争に参加しないで高みの見物決め込んでたら、神に海へ叩き落とされたマヌケ共だろ。婆だけじゃなかったんだな」
「イーヒッヒッヒッ!! 間抜けは馬鹿な神様に従ッテ、自らチェス盤に乗っちまった奴らのことサッ!! 君だってそうだろうニ、アレウス・スロウス。イヤァ、それとも三番目って呼んであげた方がいいかナァ?」
「あん? 俺の昔ん事知ってんのか?」
「知りたいかイ? 教えてあげてもいいけドォ……条件がア゛ッ!?」
魔力の供給を断つ。ガキに刺さっていた矢と、背後で転がっているザガムに刺さったままの杭が弾ける。ガキは爆発力に耐え切れず全身が吹き飛んで霧散し、無事だった帽子だけが宙を舞って足元に落ちた。続いて重量感のある物が倒れる音に振り返ると、頭の無い馬が地面に横たわり、ザガムの上半身は完全に消失していた。馬鹿野郎が、顔を近付けすぎたな。
「……興味ねぇし、俺は俺にしか従わねぇ。弱肉強食。俺が勝ったのなら俺の道理が通る。負け犬との取引なんざ、応じるわけねぇだろ」
残ったガキの帽子を踏みつけ、前へと進む。弓や投擲による妨害もない。あの二人が引くのと同時に、射手も撤退したか。魔力は……だいぶ使っちまったが、四人程度問題あるめぇ。二十秒も本気を出せれば充分だ。
「まだ骨のある奴が残ってりゃいいんだけどなぁ。昼前には街へ帰りてぇし、どっちでもいいかぁ」
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