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第一章・角の生えた聖母

【第六節・鏡】

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「今すぐ賭け事を絶ち、借金を少しずつ返済した方がよいでしょう」

「でもよぉ司祭様……もう働き口なんてどこにもねぇ……借金まみれの俺のいうことなんぞ、誰も信用してくれねぇ……俺に何にもねぇんだ」

 みすぼらしい格好の髭を生やした男が嘆く。
 最初賭博を娯楽としてみていたが、借金がかさむうちに誰からも信用されなくなり、いつしか賭博で借金を返すということ以外選択肢が無くなったそうだ。働こうにも信用を失った今では受け口がない。
 首でもくくろうかと教会の裏の木を見ながら考えていたという。僕が話しかけなければ危なかったかもしれない。

「……わかりました。お仕事は僕の方で紹介しましょう。仮に賭け事で借金を返せたとしても、それまでに失った信用を取り戻すことは難しい。本当にやり直したいと思うのなら、また明日教会へ訪れてください」

「……ああ、やり直してえよ……だが俺なんかを信じてくれるのかい?」

「ええ、そのために僕らがいるのですから」

 男はその場に泣き崩れて何度も頭を下げる。
 口からは嗚咽しか聞き取ることができなかったが、彼の思考は私へ感謝で溢れていた。

***

「――でイイ男の彼に惚れたはいいんだけど、彼って博打癖や借金抱えてるって話じゃない?それだけがどうしても不安で……」

 頬に右手を添え、難しい表情をしながら酒場で働く若い女は話す。
 彼女は以前吟遊詩人に遊ばれ、彼に天罰を下すよう教会で神に祈っていた女性だ。どうやらペントラの下で真面目に働く彼に好意を寄せているようだ。あれ以来賭博は一切絶ったようで、少しずつ借金を返済できていると聞いた。
 恋愛関連の相談を受けるのは初めてだが、今の彼なら問題はないだろう。

「彼も自身の賭け事や借金の事で悩んでおりました。働き口は僕の方から紹介したものですが、今真面目に働いているのは、彼自身の強い意思です。借金に関しても今すぐには難しいと思いますが……あなたが協力することで、少しは彼の為になれることもあるかもしれません」

「うーん……司祭さんがそう言うなら間違いないんだろうけど……」

「それと、神々は常に皆さんを天から見守っております。日々の行いが悪ければ、誰が求めずともそれ相応の罰が自ずと下るでしょう」

 その言葉を聞いた女性は吟遊詩人の事を考えた後、小さく笑いながら席を立つ。

「神様って案外いい加減なのかしら? それとも忙しいのかも? どちらにしても、このことに関しては私自身で何とかするわ。彼については……もう少し考えてみるわね。もうすぐお昼だし、ウチの店で食べていって司祭さん。私が奢るわよ?」

***

 残りの仕事を交代で入った【下級天使】に引き継ぎ、僕は司祭服から普段着に着替え、いつもの酒場のカウンター席にいる。
 流石に注文する料理は変わったが、他の店よりも安いここへどうしても来てしまう。今日のメニューは卵と根菜のスープと、鶏肉モドキのステーキだ。メニューには鶏肉と書いているが、値段が安いことと肉のサイズが大きいことが気になり、酒場で働く女性に聞いてみたところ、食用の魔獣を養殖し、鶏肉という名で提供しているとのことだった。
 虚偽記載は本来なら許されないところだが……味は確かで安い……どうしたものか。

「すいませーんっ!! 麦芽酒と串焼き肉と……あとこいつが食ってる奴お願いしまーすっ!!」

 仕事を終えたペントラが、自称イカすコートをはためかせながら僕の隣に座る。そんなに食うのかこの女は。

「アッハッハッハッ!! 最近になっていい物食うようになってきたじゃないか司祭様っ!?」

「ペントラさんこそ、そんなに食べて大丈夫なんですか?」

「全然足りないくらいさっ!! この後も仕事ガッツリ入ってるし、きっちり食っておかないとね? さぁて、次の依頼は水車の修理と服の修繕、あとは買い出しと――」

 ペントラは仕事の依頼の書かれた手帳をぺらぺらとめくり、指でなぞりながら確認していく。
 彼女の元には相変わらず大量の仕事が舞い込むが、最近では働き口のない人々を弟子として雇っている。日雇い労働のようなものだが、彼女の名前を通してなら信用が薄い人々にも仕事が貰える。本人の指導もあってか、真面目に働き信用を得た結果、日雇い労働先を本業とした弟子も多い。僕も新たな働き口の一つとして注目している。

「あん? あの野郎は?」

「先日発ちました。周辺の街や教会を見て回った後、現在の体制についてもう一度考え直す必要があると。それと、スピカさんやペントラさんによろしくと伝言も預かっています」

「はぁあっ!? あいつアタシに挨拶も無しで行ったのかいっ!?」

 スピカの連絡を受けたルシは僕を教会の地下から助けた後、ニーズヘルグによって攫われた子供達を丁寧に弔い、新たな教会を建てた。昇級した僕は【中級天使】としてその教会の司祭を務めることとなり、一週間ほどの間はルシ本人から直接引継ぎや司祭としての指導を受けていた。
 人々の話や書物でしか知らなかった本物の彼と過ごす時間は、僕にとって大変貴重な体験だった。授けられたものは【階級】だけではなく、神々の代理として【性別】と【名】まで戴いた。少しでもこの名に恥じることないよう、努めていきたいものだ。

 運ばれてきた料理と麦芽酒をペントラが受け取る。
 味覚と嗅覚がわかるようになってから昼間の飲酒はよくないと自覚するようになった。以前と同じ感覚で飲むと、思考がぼやけて翌日頭が痛くなり仕事にならない。最近では調味料や風味といった細かいものも勉強しているが、あまりに情報量が膨大過ぎるので手帳へ特徴などを書き込むようにまでなった。

「ペントラさんはお昼からお酒飲んで平気なんですか?」

「ん。前はそんなに好きじゃなかったんだけどねぇ……毎日あんたと飲んでたら癖になっちゃってさ。逆にあんたは飲まなくなったねぇ?」

「匂いや味は慣れたんですが、飲んだあと思考がぼやけて……頭も痛くなりますし」

「飲み過ぎじゃないかい。アタシは平気だけど」

 なるほど、飲み過ぎか。自分に見合った適量を探す必要があるな。
 僕は鶏肉モドキステーキをナイフとフォークで裂き、香辛料と肉の旨味を舌で楽しむ。美味い。最初のころは刺激が強すぎて脳が受け付けず、吐きそうになったものだが。
 ペントラが横でニヤニヤしなら麦芽酒を飲んでいるのが見えた。

「本当にうまそうに食うよねぇ」

「……そうですか?」

「顔のいい男がうまそうに食ってるの見るだけでも、アタシにとってはいい酒のつまみさっ!! アッハッハッハッ!!」

「僕、たまにペントラさんの言うことわからないんですが」

 あー……と呟いたペントラは少し顔が赤くなり、俯く。麦芽酒を飲み過ぎると顔が赤くなる、これも手帳に書き留めておこう。

「……それより、今日はあの娘のところに行くのかい?」

 器用にサクサクと肉を切り分けながら彼女が尋ねてくる。
 ここ二、三日は慣れない報告書の確認作業に忙しく、スピカ達の顔を見ていない。街から森までの移動に費やす時間や森の獣道で、簡単に往復できる距離でないのが悔やまれる。今日は【天界】への報告書の提出のみで、五日ぶりにまともな時間を取れたのだ。

「食べ終わったら向かうつもりです。何か彼女たちに頼み事でもありますか?」

「頼み事っていうほどじゃないんだけど……やっぱいいわ、今度自分で直接聞きに行くよ」

***

「……お兄さんが来ない。今日で五日目です」

「忙しいんじゃないっすか? 偉くなると引継ぎとか色々ありやすし」

「あー、ヤベーです。一緒にお祈りするのが習慣になったせいで、急にいなくなると変な気分です」

 遠いと言ってましたが、来なくなるとそれはそれで寂しく感じます。ローグメルクのお祈りが終わった後ボクに出す焼き菓子を作る音を聴きながら、ボクは食堂のテーブルに頭をつけている。
 獣人達の死体を埋葬したり城内の壊れた部分を修繕したりと、お兄さんが初めて来た日から数日はバタバタしていたが、彼の事はルシにほぼ任せっきりになってしまっていた。といっても本職中の本職ですし、【天使】の社会制度とか詳しく知らないので、ボクらができることなんてほぼないんですが。
 昨日ルシが【天界】へ帰ると挨拶をしに訪ねてきた時聞けばよかった。やることが山積みとも言っていたことから、周辺の街や教会も視察したんだろう。お兄さんのクソったれ上司は見事に【堕天】し、お兄さんは【中級天使】に昇級。彼は新しく建てた教会の司祭として頑張るそうです。

「あ、お嬢っ!! そろそろお祈りの時間っすよっ!!」

 エプロン姿のローグメルクが厨房から顔を覗かせる。
 時間だ。聖書と十字架とローブは手元に準備してある……行きますかぁ。

***

 瞼を閉じて椅子に静かに座り、祈る。過去の戦争で犠牲になった皆の為に、今日まで生きれたことを感謝し、この平和が未来まで続くように。
 ただどうしても考えてしまうのです。狂王やニーズヘルグのような人間や【天使】もいれば、勇者やルシ、お兄さんのような人間や【天使】もいる。世界を築いたと言われている神々は、なぜ世界をこんな歪な形で築いたのか。退屈だったからだろうか?
 ならばボクは神々を崇拝しない。信仰心はあれど、それは死んでしまった者たちが死して尚苦しむことがないようにと、皆の死は無駄ではないようにと切なる願いからくるものだ。神々は所詮そんなものだ、この世界を本気で愛していない。
 【地上界】で最も歪な存在があるとしたら、矛盾だらけのボク自身ではないだろうか。生まれながらにして愛され、憎まれ、疎まれ、人間とまともに関わることも許されず、この領地から外の世界にボクの存在は認められていないのだ。

 切られた右角の付け根が痛む。ああ神よ、どうしてボクらをそんなに憎まれるのですか?

「お隣、座ってもいいですか?」

 瞼を開くと、隣にはお兄さんが教会のローブを着て立っていた。
 白い髪、以前より少し黒くなった澄んだ瞳、男だが女性のようにも見える整った綺麗な顔立ち。てっきり司祭の格好で来るかと思っていたけれど、あの格好では森を通るのはやはり大変なんでしょう。それでも遠い街からここまで来てくれている。
 ボクは無言で隣の席に座るよう促す。

「ありがとうございます」

 彼は隣へ静かに座る。だが祈りの姿勢はとらない、ボクが祈るまで待っているのだろう。
 お兄さんは……初めて見た時から綺麗だった。純粋だから、無垢だから、ボクの話を信じ、自分が死ぬかもしれないと思っていても、それ以上に救えないことを嘆いた。あの時、城を飛び出して血を吐きながらも立つ姿を見て、ボクのせいで汚れてしまったのではと、ボクの言葉で揺らいでしまったのではと思ってしまった。何もない白へ赤や青を加えるように、濁ってしまったと、彼の世界を穢してしまったと考えると怖かった。
 あれから何度も会ってはいるけれど変わらず綺麗で純粋で、でも瞳が少し黒くなったからか温かくなったようにも見える。

「ずっと気になっていたんですが……切られた方の角、痛むのですか?」

「……角に痛覚や触覚はないんですけど、不快だったり不安になると痛むような気がして、つい擦ってしまいます」

 無意識に触ってしまう。生まれながらにして恨まれる自分を慰めるように。
 彼は人の癖や性格をよく見ていて、好奇心や知識欲が強いのだ。それでいて濁らない。ニーズヘルグのように堕落せず、自分の存在を認識したうえで受け入れ、世界を知ろうとしている。

「……ボクからも……聞いても、いいですか?」

「なんでしょう」

「えっと……お兄さんは、この【地上界】についてどう思っているんですか? 混沌の時代よりもはるか昔、神々が創造したといわれるこの世界を。ボクは酷く歪で、不平等で……とても厳しい過酷な世界に見えます。例え戦争の戦火が上がらなくても、未だ森の外には過去の戦火が残り続けて、ボクらを拒んでいるのです。【天使】や人間そのものを憎んでいるわけではありません。ただ生まれながらにして許されないボクは、神々を崇拝できません。それでも平和や犠牲になった人々、未来のために祈るボクは世界で最も歪んでいます……お兄さんから見ても、ボクと同じような光景が映って見えるのでしょうか……?」

 暫しの沈黙。彼は少し驚いているようにも見えたが、真剣に考えている。ボクを傷つけまいと言葉を選んでいるのかもしれない。
 不安にさせてしまったら、このボクの言葉で濁ってしまったら、そう思うと怖くて仕方がないはずなのに。
 彼とは見ている世界が違うことなんて、わかっているのに。

「……僕は……そうですね。……とても難しいことですし、【天使】の僕が言うのも恐れ多いのですが、スピカさんの見る光景と同じように、【地上界】そのものが酷く歪で、世界を創造したと言われている神々が、今も愛しているとは思ってはいません。そんな世界から生まれた僕らは、もともと歪んでいる。神々が完璧だとしても、世界を完璧にしようとはしなかった」

「……初めて会った時、お兄さんはとても純粋で綺麗で、無垢な白色に見えました。ボクが歪んでいるから……」

「僕とは逆ですね。スピカさんは過去を受け入れ、未来のために祈っている。歪んでいる理不尽な世界に生まれながら、強い少女だと。過去を知り、受け入れ、理不尽な世界を抗って生きようとするあなた達を、僕はとても美しく正しいと感じます。最初は歪だとしても、そうやって自分達の力で乗り越えて、美しくなるのかなと。人間も【天使】も【悪魔】も……皆同じなのです。いつだって世界を変えようともがいているのは、僕らなんです。それはおかしいことではなく、とても自然なことですよ」

「で、でも……」

 言葉を続けようとすると、彼は立ち上がりボクの両肩に手を置き、屈んで目線を合わせる。
 綺麗? こんなにも歪なのに、この【天使】はどうしてそんな目でボクを見られる? ルシでさえ可哀想な、哀れみのような目で最初ボクを見ていた。
 目を逸らしたくなる。嫌悪感からでは無い。そんな目で見られるに値しない存在だから。

「……僕はあなたの言葉で世界が広がった。あなたの存在があったからこそ、今の僕がある。世界や神々が赦さなくとも、僕は赦します。あなたは一人じゃない。父を誇りに思い、堂々と生きてよいのです。迷ってもいいのです。間違ったとしても、やり直せばいいのです。世界が理不尽だと、不平等だと何度泣いてもいいのです。迷える時は僕が導きます。ルシが人々から【導きの天使】と称されたように、僕があなたの【導きの天使】となりましょう……あなたが僕が美しいと思うのなら、それはあなたの本当の美しさだ」


 その日初めて、ボクは大泣きした。みっともないくらい大きな声で。
 涙など流せないのだとさえ思っていた。


 偉大なる父と母よ、見ておられますか。
 世界も神々も、未だボクらに優しく無く、無慈悲で残酷です。
 それでも――
 あなた達が世界に残したボクは、美しく、真っ直ぐに育ちました。
 ボクを生んでくれて、ありがとうございます。
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