28 / 35
五月:開戦
第27話:悪夢の始まり
しおりを挟む
声が喉に張り付いて、声が声にならない。快が今抱く感情は恐怖そのものだった。スタジアムという有限の空間をところ狭しと暴れまわる2匹の龍。それが無限の空間と化してしまうのも時間の問題だ。五神龍とは、本来このような存在だったのか。世界を、全てを壊す破壊の権化。仮にそうであれば、この状況、快達に全てが握られている。
「ゴガァァァァァァァァッッ!!」
轟く咆哮が空気を震撼させ、恐怖心を煽る。獰猛な鉤爪が地面を穿ち、綺麗な曲線美を描くように豪尾が空間を薙ぐ。放たれる稲妻と氷結は惨憺たる会場を作ろうと、世界を蹂躙する。
その狂乱怒涛の勢いで暴れまわる龍を前に、快は後退りをする。
「桧山君、気持ちは分かるが、まず落ち着こう。現時点では、あの2人は互いに攻撃し合っているだけだ。だが、2人が一般人を攻撃するような素振りを見せたら、あれはもう敵だ」
「先生…」
快とて臆病な性根を持ち合わせているわけではない。未曾有の生物を攻略する手立てが全く分からないから、戦いている。
とはいえ鳥束の言う通りだ。怖がってなんかはいられない。震える足を押さえ、恐怖を忘れる。眼前で吠える暴君を睨み、快は炎を点火する。
「──!快!!」
瞬間、快の意識を逸らしたのは怜奈の叫び声だった。脳に直接響くような金切り声で、反射的に怜奈をチラ見する。
──快の頬に生温かい液体が垂れたのは、その直後だった。
じっくりと焼かれるような灼熱、肉が爛れていくのが分かる。
「ハァァ!?」
液状化した頬の皮膚を押さえる。それでも指の隙間から異臭を放ってそれは流れ出てくる。酸、酸だ。あの龍の唾液には酸が含まれているのだ。
「気持ち悪ぃ…!」
心外だった。鳥束から龍と聞かされ、想像した気高きドラゴンの姿はもうそこにはない。雷龍と氷龍は、いわばそういった類の邪悪だ。
「快!!」
腐敗する頬を重んじる快の耳を、天真爛漫な声が貫く。声の方向へ振り返ると、声の主は怪訝そうな表情で快を見つめている。
「怜奈…」
「臭いしキモい」
「数秒の感動を返せよ!?」
鼻を摘まんで蠅を追い払うような仕草を見せる怜奈。汚物を見るような視線を弾き返し、快は怒鳴りながら溶けた頬をペタペタと触る。数秒の感動シーン、その間に頬の焼け跡は消えている。
「酸かぁ!?その汚ぇの!!」
安全を確保した快のすぐ横へ、咆哮級の大声をあげて降り立つのが伸代柔也だ。伸ばした腕を輪ゴムのように縮ませながら、怪物を睥睨する。
「あぁ、触れた瞬間溶ける。再生は間に合うけど気持ち悪すぎて集中力が欠ける」
「くそったれだなマジで。そういうこった!モブと疲れた奴は下がってろ!!」
あくまで理性的に振る舞う柔也。彼のキラーコード、『悪鬼』はまだ垣間見えない。
快は周囲の客を出口へ促し、怪物へ向き直る。今はまだ、その猛威の矛先が客に向いたわけではない。だが、炎を展開した瞬間、その一瞬だけ狙いが快へ定まったのだ。つまり、いずれかは──
「皆!2人はまだ一般客を敵と見てない!!さっきの見てたろ?快の炎に反応した!多分だけど2人は意思に反応している!最優先は客の避難だ!触れれば終わりだ、僕を近づけさせてくれ!」
高めの位置を陣取った祐希は、全員に声が届くように指示を出す。
「要するに道を切り開けと」
「ハッ!上等じゃねぇか!!ぶっ殺してやるよ」
眠そうな目を重々しく開く界都、その横で荒々しく柔也が拳の骨を鳴らす。そのまま柔也は拳を構え腰を落とす。
「一狩り行こうぜ!!」
狩りの名台詞を叫ぶと、全員が力強く地面を蹴った。近接が苦手な快は、遠く離れた距離から業火を射出する。味方への被害を最小限に抑え、炎を動かし器用に龍へ浴びせる。
「ゴガァァァァァァァァッッ!!」
灼熱のカーテンを全身に浴びた氷龍は、咆哮し、豪腕を振るう。炎の主をその鋭い眼光で察知し、頭部を向け、その方向へ咆哮する。
「来た来た来た来た来た来た!!こっちだノロマ!!」
快は拳に灯した微かな炎で大きな業火の輪を作り出す。
「ガァァァァァァァッッ!!」
煽る、という点に関しては酷評得るに値する演技だが、どうやら氷龍の逆鱗に触れられたようだ。翼を豪快に羽ばたかせ、発達した脚部で大地を抉る。獰猛な牙を鳴らし、奥の見えない口腔が快へ圧倒的なプレッシャーを感じさせる。快は振り返らない。感じる恐怖は音だけで十分だ。瓦礫を飛び越え、爪先を重心にし方向転換する。その動きに反応し、氷龍も旋回し再び快を追尾する。
「祐希!まだかよ!」
首を少し捻り、一向に攻撃へと転換しない祐希の名前を呼ぶ。だが──
「──ッッ!!おい!?」
氷龍の頭部越しに見えた快進撃、否、惨劇。派手に鳴り響く咀嚼音。響き渡る雷龍の咆哮。雷龍の猛攻に、彼らは倒れていた。赤い血だまりが流れ、駆けつけた快の靴の先を濡らした。
「キシャァァァァァッッ!!」
咆哮を目の前で感じ、気づけばやけに細く見える快の腕は鉤爪に掴まれていた。
「離せ」
快は腕を引く。が、爪先が食い込み、肉体の方が先に裂け、隙間から血が滲み出る。今度はその逆の腕に、熱した鉛を押しつけられたような痛みが走る。
「離せ」
氷龍の牙が、腕の筋肉を蹂躙している。怪物は牙を肉に擦りつける。
「離せよ」
声は届かない。五神龍という禁忌に近いそれを犯した2人への罰か、完全に野性に精神を支配されている。だから快の悲痛な、憤怒を込めた声は届かないのだ。
祐希は片腕を咀嚼され、怜奈は頭部を激しく打ちつけ意識がない。友を、皆を傷つけた。それは拭うことの出来ない紛れもない事実。幸い、戦線に立ったメンバーは龍の旋尾に凪払われ、ここからはかなり遠い。有都達は無事避難しただろうか。倒壊したスタジアムは静かだ。快と龍2匹の周囲は蟻1匹いない。
ならばもう、我慢などする必要はないはずだ。
「離せっつってんだろ!!」
血走った目で龍を睨みを快は声を張り上げた。身体中から、灼熱業火が溢れる。怒りが沸点を通り越し、赤色とは程遠い黒炎がスタジアムの中心を焼き尽くす。今までのがマッチの火ならば今は太陽のそれだ。快の限界温度、その高熱が足元のコンクリートを溶融するほどに猛々しく燃える。超高温の炎により快を周辺にクレーターが発生する。その圧倒的な熱量に氷龍と雷龍はたじろぐ。
牙と鉤爪が弛んだ。加え、快の発火限界が己の肌をも焼き、肉体がぬかるむ。痛みを食い縛り、無理矢理腕を抜く。
「燃え尽きろッッ!!」
狂気的とも言える笑みを浮かべ、快は全身から赫炎を放ち辺り一面を炎で埋め尽くす。唐紅に染まった舞台は、龍の皮膚を焦がす。砲炎を続け快の身体からも黒煙が立ち上る。あと数分間でもこれを続ければ異能力者にのみ与えられる『異能力酷使代償』による死だ。だが今を逃せば龍は世へ解き放たれる。それを止めない理由など、阻む壁など快の前には存在しない。
「シャァァァァァッッ!!」
「────────ッッ!!」
雷龍は苦しみを帯びた、氷龍は悶絶に近い咆哮をする。その熱が、皮膚を焦がし、溶かし、壊す。溶けた箇所から血が吹き出て、快の全身を濡らす。そして、厳つい甲殻は滑らかに整っていき、頭部は丸みを帯びて所々から頭髪が見える。快の炎が龍による支配を上回ったのだ。骨格と肉体が形を取り戻し、龍の要素が消えていく。
「あちぃ…」
人間へと回帰した2人。快はゆっくりと炎を静めた。炎に炙られた2人は力なく地面に倒れ、瞼が上がることはない。快は熱により朦朧と、混濁する意識に支配される。やがて思考が停止し、満身創痍の状態で、重度が過ぎる火傷を負いながら前へ倒れる。
「──ッッ!ハァ!!」
目を大きく見開き、声を上げ、朦朧とする意識を吹き飛ばした。腕は折れていないにしろ、牙と鉤爪による穿ち傷となにより火傷の影響が大きすぎる。このレベル、ましてや自身の異能力によって与えられた傷だ。瞬間的な自動治癒は臨めない。異能力による治療が必要だ。
「どこだ」
足元の電樹と冬真をそっちのけにし、快は瓦礫へと歩く。視界が霞み、上手く周囲を視認できない。だが、快は横目でその方向に倒れる少女を見つけた。
「怜奈!」
今だけは動く足で少女の元へ駆け出す。歪んだ腕で瓦礫を退かせ、怜奈の肩を掴み揺さぶる。
「頭…だけじゃない。致命傷は胸か…」
揺さぶったところで目を覚まさない怜奈。快はその名を何度も呼んだ。致命傷となった胸を破いたTシャツで抑え止血を試みる。
「か……い…?」
か細い声が快の神経を貫いた。身体を心配し、労ってやりたい状況だが今は、
「悪い。時間がないんだ。治癒の異能力、使えるか?」
無理をしなければならない。怜奈は小さく頷くと、掌からスタジアム中を包むような癒しの光を作り出す。朗らかな、温かく優しい光は傷に倒れる者達を活性化させる。これが怜奈の持つ異能力にして、彼女の実妹の異能力、『治癒』だ。
「ふぅ…なんとか一命は取り留めたみたいだな」
「もう!朧気に覚えてるけどあんな風に無理して!それに私達まで燃やすところだったよ!」
「あ、あぁ。それは…悪かった。ってか何で俺が責められてんの?」
何故か皆を助けたはずの快が責められている状況に快は意外そうな顔をする。
「だぁ~ッッ!!気づいたらやられてたッ!スピードまで引き継いでんのかよカスが!」
と、背後から野太い罵声を放つ柔也。悔しそうに地団駄を踏む姿を見て快は思わず吹き出しそうになる。そんな柔也を冷めた目で見つめる界都も、苛立っているのか人差し指を地面に何度も打ちつけている。
「……おい、皆お前らにボコられて苛ついてるぞ。少しくらい謝っといたらどうだ?」
そんな一同の様子を悟った快は居心地悪そうに立ち尽くす2人に声をかける。2人は後悔からか、一瞬口を開くこと躊躇する。
「──まずは、皆さんに見せた粗暴な行動に関して、謝ります」
先に口を開いたのは意外にも冬真だった。その場しのぎかもしれないが、声の重さがその可能性を切り捨てる。
「俺も、悪かった」
それに続くように電樹も頭を下げる。
「ハッ!当然だ!だから後で一発ぶん殴らせろ!!冬真ァ…てめぇもだぞォ」
謝罪を受け流しぶん殴り宣言をする柔也。殴る、とまではいかないがこの件に関してはゆっくりと償ってもらうしか他はない。
「んじゃ、避難所の様子を見に行こうぜ。一応、連鎖崩壊してないかどうかとか」
ゆっくりと立ち上がった快は避難所の方向を見る。つられ、皆も次々と立ち上がる。スタジアムと避難所はそこまで遠くないでしょう談笑しながら歩いてもお釣が出るくらいだ。倒壊し、原型を失ったスタジアムを背にする。恐らくもう、Bリーグを執り行うことは不可能に近いだろう。だが悔いはない。仲間と切磋琢磨するタイミングなんてこれからいくらでもあるだろう。だから快は敢えて清々しい笑みを貫いた。
「にしてもよ、なんだってあんな風になったんだ?」
静かな廊下を歩きながら斜め後ろを落ち込みながら歩く電樹に快は話題を振った。
「あぁ、俺も妙な感じだ。龍に支配された、は少し違う。別の何かが介入してきた感じだ」
「え」
その一言が瞬時にして空気を凍てつかせた。第三者の介入。それはこの状況で最も信じられないものだった。だがそれは本人が明言している。とはいえ、結果がこれなら花丸レベルにハッピーエンドだ。今はそれを煮詰める時ではない。
「まぁ、気にすんなよ。あんまし悩んでっと禿げるぞ……と、着いた」
「うるせぇよ」
「ハハハ」
電樹の悪態を苦笑いで返し、快は避難所の扉のドアノブを捻り、押し開ける。
「お、案外遅かったじゃん。まぁさすがに五神龍ってとこかな?初見で攻略出来たら努力は要らねぇよな。とはいえお前らは勝った訳だ。なにせ、炎のヤツ。俺の『支配』を上書きしてきた。来た甲斐があったよ」
数秒前の考えを今は後悔している。扉の向こうから聞こえた冷めた声は、快の神経を逆撫でするように言う。
「なん…だよ……お前……」
男がいる。喉に何かがひっついたように声が出ない。喉を掻こうとしても手が動かない。快は声の主に今まで以上の恐怖を感じていた。それは五神龍とは比にならないほどに、快の心臓、神経、脳を震撼させた。その男が放つ無言の威圧に、快は思わず後退りをする。
「──ッ!?」
靴の裏からでも感じられる、気持ち悪い液体を踏んだ。それは血だった。認識してようやく、状況に気づいた。だがもう遅い。避難所は文字通り血の海に。逃げおおせた客等は、身体中を破裂させ、死んでいた。この悪夢のような状況、快は視線を上げ、その死体の山に座る長い白髪の男を恐怖の色を滲ませた目で睨んだ。
「質問に答える。俺の名前はアイテール、アイテール・クラウドだ」
男は涼しげな笑みを浮かべ名を名乗る。それは途方もない悪意。どうしようもない悪夢の始まりだった。
「ゴガァァァァァァァァッッ!!」
轟く咆哮が空気を震撼させ、恐怖心を煽る。獰猛な鉤爪が地面を穿ち、綺麗な曲線美を描くように豪尾が空間を薙ぐ。放たれる稲妻と氷結は惨憺たる会場を作ろうと、世界を蹂躙する。
その狂乱怒涛の勢いで暴れまわる龍を前に、快は後退りをする。
「桧山君、気持ちは分かるが、まず落ち着こう。現時点では、あの2人は互いに攻撃し合っているだけだ。だが、2人が一般人を攻撃するような素振りを見せたら、あれはもう敵だ」
「先生…」
快とて臆病な性根を持ち合わせているわけではない。未曾有の生物を攻略する手立てが全く分からないから、戦いている。
とはいえ鳥束の言う通りだ。怖がってなんかはいられない。震える足を押さえ、恐怖を忘れる。眼前で吠える暴君を睨み、快は炎を点火する。
「──!快!!」
瞬間、快の意識を逸らしたのは怜奈の叫び声だった。脳に直接響くような金切り声で、反射的に怜奈をチラ見する。
──快の頬に生温かい液体が垂れたのは、その直後だった。
じっくりと焼かれるような灼熱、肉が爛れていくのが分かる。
「ハァァ!?」
液状化した頬の皮膚を押さえる。それでも指の隙間から異臭を放ってそれは流れ出てくる。酸、酸だ。あの龍の唾液には酸が含まれているのだ。
「気持ち悪ぃ…!」
心外だった。鳥束から龍と聞かされ、想像した気高きドラゴンの姿はもうそこにはない。雷龍と氷龍は、いわばそういった類の邪悪だ。
「快!!」
腐敗する頬を重んじる快の耳を、天真爛漫な声が貫く。声の方向へ振り返ると、声の主は怪訝そうな表情で快を見つめている。
「怜奈…」
「臭いしキモい」
「数秒の感動を返せよ!?」
鼻を摘まんで蠅を追い払うような仕草を見せる怜奈。汚物を見るような視線を弾き返し、快は怒鳴りながら溶けた頬をペタペタと触る。数秒の感動シーン、その間に頬の焼け跡は消えている。
「酸かぁ!?その汚ぇの!!」
安全を確保した快のすぐ横へ、咆哮級の大声をあげて降り立つのが伸代柔也だ。伸ばした腕を輪ゴムのように縮ませながら、怪物を睥睨する。
「あぁ、触れた瞬間溶ける。再生は間に合うけど気持ち悪すぎて集中力が欠ける」
「くそったれだなマジで。そういうこった!モブと疲れた奴は下がってろ!!」
あくまで理性的に振る舞う柔也。彼のキラーコード、『悪鬼』はまだ垣間見えない。
快は周囲の客を出口へ促し、怪物へ向き直る。今はまだ、その猛威の矛先が客に向いたわけではない。だが、炎を展開した瞬間、その一瞬だけ狙いが快へ定まったのだ。つまり、いずれかは──
「皆!2人はまだ一般客を敵と見てない!!さっきの見てたろ?快の炎に反応した!多分だけど2人は意思に反応している!最優先は客の避難だ!触れれば終わりだ、僕を近づけさせてくれ!」
高めの位置を陣取った祐希は、全員に声が届くように指示を出す。
「要するに道を切り開けと」
「ハッ!上等じゃねぇか!!ぶっ殺してやるよ」
眠そうな目を重々しく開く界都、その横で荒々しく柔也が拳の骨を鳴らす。そのまま柔也は拳を構え腰を落とす。
「一狩り行こうぜ!!」
狩りの名台詞を叫ぶと、全員が力強く地面を蹴った。近接が苦手な快は、遠く離れた距離から業火を射出する。味方への被害を最小限に抑え、炎を動かし器用に龍へ浴びせる。
「ゴガァァァァァァァァッッ!!」
灼熱のカーテンを全身に浴びた氷龍は、咆哮し、豪腕を振るう。炎の主をその鋭い眼光で察知し、頭部を向け、その方向へ咆哮する。
「来た来た来た来た来た来た!!こっちだノロマ!!」
快は拳に灯した微かな炎で大きな業火の輪を作り出す。
「ガァァァァァァァッッ!!」
煽る、という点に関しては酷評得るに値する演技だが、どうやら氷龍の逆鱗に触れられたようだ。翼を豪快に羽ばたかせ、発達した脚部で大地を抉る。獰猛な牙を鳴らし、奥の見えない口腔が快へ圧倒的なプレッシャーを感じさせる。快は振り返らない。感じる恐怖は音だけで十分だ。瓦礫を飛び越え、爪先を重心にし方向転換する。その動きに反応し、氷龍も旋回し再び快を追尾する。
「祐希!まだかよ!」
首を少し捻り、一向に攻撃へと転換しない祐希の名前を呼ぶ。だが──
「──ッッ!!おい!?」
氷龍の頭部越しに見えた快進撃、否、惨劇。派手に鳴り響く咀嚼音。響き渡る雷龍の咆哮。雷龍の猛攻に、彼らは倒れていた。赤い血だまりが流れ、駆けつけた快の靴の先を濡らした。
「キシャァァァァァッッ!!」
咆哮を目の前で感じ、気づけばやけに細く見える快の腕は鉤爪に掴まれていた。
「離せ」
快は腕を引く。が、爪先が食い込み、肉体の方が先に裂け、隙間から血が滲み出る。今度はその逆の腕に、熱した鉛を押しつけられたような痛みが走る。
「離せ」
氷龍の牙が、腕の筋肉を蹂躙している。怪物は牙を肉に擦りつける。
「離せよ」
声は届かない。五神龍という禁忌に近いそれを犯した2人への罰か、完全に野性に精神を支配されている。だから快の悲痛な、憤怒を込めた声は届かないのだ。
祐希は片腕を咀嚼され、怜奈は頭部を激しく打ちつけ意識がない。友を、皆を傷つけた。それは拭うことの出来ない紛れもない事実。幸い、戦線に立ったメンバーは龍の旋尾に凪払われ、ここからはかなり遠い。有都達は無事避難しただろうか。倒壊したスタジアムは静かだ。快と龍2匹の周囲は蟻1匹いない。
ならばもう、我慢などする必要はないはずだ。
「離せっつってんだろ!!」
血走った目で龍を睨みを快は声を張り上げた。身体中から、灼熱業火が溢れる。怒りが沸点を通り越し、赤色とは程遠い黒炎がスタジアムの中心を焼き尽くす。今までのがマッチの火ならば今は太陽のそれだ。快の限界温度、その高熱が足元のコンクリートを溶融するほどに猛々しく燃える。超高温の炎により快を周辺にクレーターが発生する。その圧倒的な熱量に氷龍と雷龍はたじろぐ。
牙と鉤爪が弛んだ。加え、快の発火限界が己の肌をも焼き、肉体がぬかるむ。痛みを食い縛り、無理矢理腕を抜く。
「燃え尽きろッッ!!」
狂気的とも言える笑みを浮かべ、快は全身から赫炎を放ち辺り一面を炎で埋め尽くす。唐紅に染まった舞台は、龍の皮膚を焦がす。砲炎を続け快の身体からも黒煙が立ち上る。あと数分間でもこれを続ければ異能力者にのみ与えられる『異能力酷使代償』による死だ。だが今を逃せば龍は世へ解き放たれる。それを止めない理由など、阻む壁など快の前には存在しない。
「シャァァァァァッッ!!」
「────────ッッ!!」
雷龍は苦しみを帯びた、氷龍は悶絶に近い咆哮をする。その熱が、皮膚を焦がし、溶かし、壊す。溶けた箇所から血が吹き出て、快の全身を濡らす。そして、厳つい甲殻は滑らかに整っていき、頭部は丸みを帯びて所々から頭髪が見える。快の炎が龍による支配を上回ったのだ。骨格と肉体が形を取り戻し、龍の要素が消えていく。
「あちぃ…」
人間へと回帰した2人。快はゆっくりと炎を静めた。炎に炙られた2人は力なく地面に倒れ、瞼が上がることはない。快は熱により朦朧と、混濁する意識に支配される。やがて思考が停止し、満身創痍の状態で、重度が過ぎる火傷を負いながら前へ倒れる。
「──ッッ!ハァ!!」
目を大きく見開き、声を上げ、朦朧とする意識を吹き飛ばした。腕は折れていないにしろ、牙と鉤爪による穿ち傷となにより火傷の影響が大きすぎる。このレベル、ましてや自身の異能力によって与えられた傷だ。瞬間的な自動治癒は臨めない。異能力による治療が必要だ。
「どこだ」
足元の電樹と冬真をそっちのけにし、快は瓦礫へと歩く。視界が霞み、上手く周囲を視認できない。だが、快は横目でその方向に倒れる少女を見つけた。
「怜奈!」
今だけは動く足で少女の元へ駆け出す。歪んだ腕で瓦礫を退かせ、怜奈の肩を掴み揺さぶる。
「頭…だけじゃない。致命傷は胸か…」
揺さぶったところで目を覚まさない怜奈。快はその名を何度も呼んだ。致命傷となった胸を破いたTシャツで抑え止血を試みる。
「か……い…?」
か細い声が快の神経を貫いた。身体を心配し、労ってやりたい状況だが今は、
「悪い。時間がないんだ。治癒の異能力、使えるか?」
無理をしなければならない。怜奈は小さく頷くと、掌からスタジアム中を包むような癒しの光を作り出す。朗らかな、温かく優しい光は傷に倒れる者達を活性化させる。これが怜奈の持つ異能力にして、彼女の実妹の異能力、『治癒』だ。
「ふぅ…なんとか一命は取り留めたみたいだな」
「もう!朧気に覚えてるけどあんな風に無理して!それに私達まで燃やすところだったよ!」
「あ、あぁ。それは…悪かった。ってか何で俺が責められてんの?」
何故か皆を助けたはずの快が責められている状況に快は意外そうな顔をする。
「だぁ~ッッ!!気づいたらやられてたッ!スピードまで引き継いでんのかよカスが!」
と、背後から野太い罵声を放つ柔也。悔しそうに地団駄を踏む姿を見て快は思わず吹き出しそうになる。そんな柔也を冷めた目で見つめる界都も、苛立っているのか人差し指を地面に何度も打ちつけている。
「……おい、皆お前らにボコられて苛ついてるぞ。少しくらい謝っといたらどうだ?」
そんな一同の様子を悟った快は居心地悪そうに立ち尽くす2人に声をかける。2人は後悔からか、一瞬口を開くこと躊躇する。
「──まずは、皆さんに見せた粗暴な行動に関して、謝ります」
先に口を開いたのは意外にも冬真だった。その場しのぎかもしれないが、声の重さがその可能性を切り捨てる。
「俺も、悪かった」
それに続くように電樹も頭を下げる。
「ハッ!当然だ!だから後で一発ぶん殴らせろ!!冬真ァ…てめぇもだぞォ」
謝罪を受け流しぶん殴り宣言をする柔也。殴る、とまではいかないがこの件に関してはゆっくりと償ってもらうしか他はない。
「んじゃ、避難所の様子を見に行こうぜ。一応、連鎖崩壊してないかどうかとか」
ゆっくりと立ち上がった快は避難所の方向を見る。つられ、皆も次々と立ち上がる。スタジアムと避難所はそこまで遠くないでしょう談笑しながら歩いてもお釣が出るくらいだ。倒壊し、原型を失ったスタジアムを背にする。恐らくもう、Bリーグを執り行うことは不可能に近いだろう。だが悔いはない。仲間と切磋琢磨するタイミングなんてこれからいくらでもあるだろう。だから快は敢えて清々しい笑みを貫いた。
「にしてもよ、なんだってあんな風になったんだ?」
静かな廊下を歩きながら斜め後ろを落ち込みながら歩く電樹に快は話題を振った。
「あぁ、俺も妙な感じだ。龍に支配された、は少し違う。別の何かが介入してきた感じだ」
「え」
その一言が瞬時にして空気を凍てつかせた。第三者の介入。それはこの状況で最も信じられないものだった。だがそれは本人が明言している。とはいえ、結果がこれなら花丸レベルにハッピーエンドだ。今はそれを煮詰める時ではない。
「まぁ、気にすんなよ。あんまし悩んでっと禿げるぞ……と、着いた」
「うるせぇよ」
「ハハハ」
電樹の悪態を苦笑いで返し、快は避難所の扉のドアノブを捻り、押し開ける。
「お、案外遅かったじゃん。まぁさすがに五神龍ってとこかな?初見で攻略出来たら努力は要らねぇよな。とはいえお前らは勝った訳だ。なにせ、炎のヤツ。俺の『支配』を上書きしてきた。来た甲斐があったよ」
数秒前の考えを今は後悔している。扉の向こうから聞こえた冷めた声は、快の神経を逆撫でするように言う。
「なん…だよ……お前……」
男がいる。喉に何かがひっついたように声が出ない。喉を掻こうとしても手が動かない。快は声の主に今まで以上の恐怖を感じていた。それは五神龍とは比にならないほどに、快の心臓、神経、脳を震撼させた。その男が放つ無言の威圧に、快は思わず後退りをする。
「──ッ!?」
靴の裏からでも感じられる、気持ち悪い液体を踏んだ。それは血だった。認識してようやく、状況に気づいた。だがもう遅い。避難所は文字通り血の海に。逃げおおせた客等は、身体中を破裂させ、死んでいた。この悪夢のような状況、快は視線を上げ、その死体の山に座る長い白髪の男を恐怖の色を滲ませた目で睨んだ。
「質問に答える。俺の名前はアイテール、アイテール・クラウドだ」
男は涼しげな笑みを浮かべ名を名乗る。それは途方もない悪意。どうしようもない悪夢の始まりだった。
0
お気に入りに追加
12
あなたにおすすめの小説
スキルが【アイテムボックス】だけってどうなのよ?
山ノ内虎之助
ファンタジー
高校生宮原幸也は転生者である。
2度目の人生を目立たぬよう生きてきた幸也だが、ある日クラスメイト15人と一緒に異世界に転移されてしまう。
異世界で与えられたスキルは【アイテムボックス】のみ。
唯一のスキルを創意工夫しながら異世界を生き抜いていく。

三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る
マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息
三歳で婚約破棄され
そのショックで前世の記憶が蘇る
前世でも貧乏だったのなんの問題なし
なによりも魔法の世界
ワクワクが止まらない三歳児の
波瀾万丈

もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。

私のお父様とパパ様
棗
ファンタジー
非常に過保護で愛情深い二人の父親から愛される娘メアリー。
婚約者の皇太子と毎月あるお茶会で顔を合わせるも、彼の隣には幼馴染の女性がいて。
大好きなお父様とパパ様がいれば、皇太子との婚約は白紙になっても何も問題はない。
※箱入り娘な主人公と娘溺愛過保護な父親コンビのとある日のお話。
追記(2021/10/7)
お茶会の後を追加します。
更に追記(2022/3/9)
連載として再開します。
おっさん、異世界でスローライフはじめます 〜猫耳少女とふしぎな毎日〜
桃源 華
ファンタジー
50代のサラリーマンおっさんが異世界に転生し、少年の姿で新たな人生を歩む。転生先で、猫耳の獣人・ミュリと共にスパイス商人として活躍。マーケティングスキルと過去の経験を駆使して、王宮での料理対決や街の発展に挑み、仲間たちとの絆を深めながら成長していくファンタジー冒険譚。

【完結】初級魔法しか使えない低ランク冒険者の少年は、今日も依頼を達成して家に帰る。
アノマロカリス
ファンタジー
少年テッドには、両親がいない。
両親は低ランク冒険者で、依頼の途中で魔物に殺されたのだ。
両親の少ない保険でやり繰りしていたが、もう金が尽きかけようとしていた。
テッドには、妹が3人いる。
両親から「妹達を頼む!」…と出掛ける前からいつも約束していた。
このままでは家族が離れ離れになると思ったテッドは、冒険者になって金を稼ぐ道を選んだ。
そんな少年テッドだが、パーティーには加入せずにソロ活動していた。
その理由は、パーティーに参加するとその日に家に帰れなくなるからだ。
両親は、小さいながらも持ち家を持っていてそこに住んでいる。
両親が生きている頃は、父親の部屋と母親の部屋、子供部屋には兄妹4人で暮らしていたが…
両親が死んでからは、父親の部屋はテッドが…
母親の部屋は、長女のリットが、子供部屋には、次女のルットと三女のロットになっている。
今日も依頼をこなして、家に帰るんだ!
この少年テッドは…いや、この先は本編で語ろう。
お楽しみくださいね!
HOTランキング20位になりました。
皆さん、有り難う御座います。

愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる