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第一章 お市ちゃんの関東あばれ旅

第一話.小田原の町(七)

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小心者の綱島つなしま-三郎さぶろうは百人の手下に囲まれて強きになった。
いい気になって脅していると、お市が出てきた。
しかも四人のみだ。
何故だ?
三郎の予想では、娘を庇って外郎-藤右衛門が話し合いに出てくると思っていたので焦った。
どうするべきかと悩んでいる内に、二人の手下が左右に分かれて襲い掛かる。
その強さは尋常ではない。
昨日は茶番を演じていたのかと思うほどの変貌ぶりに驚いた。
背の高い男が天秤棒を振る度に数人の手下が吹き飛ぶ。
もう一人は大柄ではないが、あれよあれよとすれ違い様に手下を転がしてゆく。
何が起こっているのかわからない。
綱島-三郎はどうすればよいのかわからなくなっていた。

犬千代と馬背が気持ちよく暴れ出すと敵が混乱した。
烏合の衆とはこんなものじゃ。
魯坊丸らから習った通りで余りにもつまらないとお市は思った。
つまらないから放棄する訳にもいかない。
お市がゆっくりと三郎の方へ足を奨める。
昨日の恐怖を思い出したのか、三郎が後ずさりする。
だが、それと入れ替わるように、地獄の鬼がもつ金砕棒かなさいぼうをもった男が前に出てきた。
名を三浦みうら-五郎左衛門ごろうざえもんという。

五郎左衛門の背中を見て三郎がほっとした。
同じ北条家の家臣の子供である五郎左衛門は豪の者であり、三郎の手下より強い。
三郎の手下ではないが、声を掛けてよかったと安堵した。

「五郎左衛門、その生意気な小娘をやってしまえ」
「お前らを打ちのめしたと聞いたから付き合ってやったが、こんな小さな子に何を言っておる」
「なりは小さいが小鬼だ。世を乱す者だ」
「つまらんことをいうな」

三郎の掛け声を五郎左衛門は聞き流す。
五郎左衛門は心の奥から北条に屈した訳ではない。
元々、相模の「八十五人力の勇士」の異名を持った三浦みうら-義意よしおきに憧れた少年であり、父がその三浦を滅ぼした北条家に仕えてので仕方なく従っているに過ぎない。
もし、北条が世を乱すならば、元相模守護の三浦家の者として、北条を相手に戦う気構えを持っていた。
五郎左衛門の獲物は金砕棒かなさいぼうだった。
最後まで北条と戦った憧れの義意と同じ武器であり、その武器を持つことが「北条、なんするものぞ」という五郎左衛門の気合いでもあった。
本当に、こんな小さな子を相手に三郎が刀を振り翳したならば、幼なじみといっても三郎の頭をかち割らねばならんと考えていた。
そんな五郎左衛門にお市が声を掛けた。

「其方がわらわの相手かや。昼飯前の運動に丁度よい。相手をしてたもれ」
「ははは、お嬢ちゃん。相手を間違っておるぞ」
「そうかもしれん。じゃが、わらわの肩慣らしなる相手が他におらんのじゃ」
「ははは、元気なことをいう」
「其方も口ほどでもないかもしれん。ちょっと不足じゃが相手をしてやるのじゃ」

五郎左衛門の額にびくっと青筋が立った。
まさか、年端もいかない娘に喧嘩を売られるとは思ってもいなかった。
少々、お灸を据えてやろうと考えを変えた。

「怪我をしても知らんぞ」
「ヤレるものならやってみるのじゃ」
「言うたな」

ぐおぉっと片手で振り回した金砕棒が風を裂くような大きな音をならしてお市の目前を走った。
しかし、お市は避ける素振りとなく、金砕棒が目の前を通過するのを見送った。
ズゴン!
地面が爆発したような大きな音を立てて、土煙をまき散らす。
周りの見物客が悲惨な状況を想像して目を閉じていたが、現実はまったく違った。
煙が晴れると、金砕棒の上に立ったお市が小太刀ような棒を五郎左衛門の首元に当てているのだ。
見物客には、お市が牛若丸のように見えた。

「もっと本気でやるのじゃ。また先手を取られたいかや」

五郎左衛門の額からポタリと一滴の汗が落ちた。
いつ金砕棒の上に飛んだか?
五郎左衛門はお市の動きが見えてなかった。
何が起こったのかすらわからないが、お市が真剣をもっていたなら死んでいたことは察せられた。
あり得ん。

「これで本気になれるであろう。本気で掛かってくるのじゃ」

あり得ん。あり得ん。あり得ん。
こんな小娘が俺より強いだと…………あってたまるか?
お市がひょいと降りて後に下がると、今度は五郎左衛門がお市に襲い掛かる。
手加減なしの本気だ。
金砕棒を両手に持って、あらん限りの力の儘に右、左、右、左、右と振り回す。
並の者なら、これで吹き飛ばされて一環の終わりだ。
だが、お市には何故か当たらない。
其れ処か、一瞬で懐に入られて、手の甲、肘、膝、足に棒が軽く当てられる。
負けたくない。負けたくない。負けたくない。俺は北条すら御する者になるのだ。
五郎左衛門が心の中で叫んだ。
そうなりたい一心でより速く、より鋭く、反動も利用して隙を無くす。
金砕棒の振りが細かく繊細になってゆく。

「ほぉ、動きに切れが出てきたのじゃ」

だが、お市はそれすら軽々と避けた。
そして、体力の限界が近づき、五郎左衛門は最後の渾身の一撃をお市の頭上から放った。

「これは速い。普通に躱すのは無理じゃのぉ」

お市が軽く呟くと、お市の動きが一瞬だけ速くなって半身で受け流すと、半歩前に出て棒と首筋に当てた。
五郎左衛門の完敗であった。

「負けました」
「わらわに絶技ぜつぎを使わせた最後の一撃は中々のものじゃった。褒めてつかわす」
「…………」
「師匠直伝の技じゃ。中々に見られるものではないのじゃ」
「…………」
「返事をせぬのか。つまらんのじゃ」

五郎左衛門はお市に返事をする余裕もなかった。
余り悔しさに五郎左衛門は泣き崩れたきたかったが、俯くに留めるのに精一杯だったからだ。
こんな小さな娘に負けたとあっては泣くに泣けない。
この二人の激しい戦いで手下らの手が止まり、戦いは収束して二人の戦いを見守っていた。
お市が勝利した瞬間、手下らは武器を捨てて逃げ出した。

「待て、どこへゆく」

三郎の声も虚しく、手下の逃亡は止まらない。
五郎左衛門が勝てない相手に、三郎が勝てる訳もなく、三郎がゆっくりと下がり、距離を十分に取ったところで最後に吠えた。

「覚えていろ。このままで済むと思うな」
「やるなら早くしてくれ。わらわは明日には出発するのじゃ」
「クソぉ、覚えていろ」
「あさってきやがれなのじゃ」

三郎が大手口門に消えると、大通りの見物客からやんややんやと拍手喝采が沸き起こった。
お市も調子にのって「大したことないのじゃ」と手を振った。
一部始終いちぶしじゅうを見守っていた外郎-藤右衛門が礼をのべて店に招き直した。
見物客には、「祝いだ」と言って店の蔵にある酒を振る舞った。
ういろう屋の前で宴会がはじまる。
その話題はお市の武芸に尽きぬ。
誰も彼もが小さな少女侍を褒め讃えた。
此にて一件落着…………?
気前がよくて2枚目で、ちょいとヤクザなお市様。
そんなお市様に惚れない奴は悪人わるだけさ。
と、小田原の町衆が騒いでいた。
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