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第二章 魯坊丸と楽しい仲間達
四十六夜 小豆坂の戦いのその後
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〔天文十七年 (一五四八年)八月一日〕
織田方から今川方へ寝返るフィーバーが一段落すると、今川の支配を嫌がる反発が広がり、三河の方が一気にきな臭くなっている。
秋の実りを楽しむだけでは駄目なのだろうか?
農耕期が終わり、戦の時期が近付いてきた。
今年の春、親父が『小豆坂の戦い』で大敗し、岡崎の松平-広忠は今川義元に臣従し、熱田の羽城で預かっていた竹千代は切腹になることが決まったが、竹千代が疱瘡を患って倒れたので延期され、病魔を克服して生き残った竹千代を再び切腹させるのもしのびないと保留された。
そこで竹千代を新たな岡崎の当主として担がないかと調略を仕掛ける方向に方針が変わったのだ。
不義理な広忠を見限り、織田家に服従せずとも出仕を拒むなどの造反が増え、広忠の孤立が露わになった。
まぁ、竹千代を見限り、自らの手で暗殺しようと企んだ報いだ。
三河武士はそういう不条理を嫌う。
そんな中で岡崎の東にある大平砦の松平家臣が織田方に寝返った。
否、表返りをした。
広忠が今川方へ寝返ったのは今川の軍が東三河に入ってからであり、強情な三河武士は広忠の命に従わず、織田方として大平砦を守っていた。
今川方が岡崎城へ続く鎌倉街道を使用しなかったのは、大平砦を守っていた武将が織田方だったからだ。
今川方は大平砦を避けて、正田原を通って小豆坂に兵を進めた。
織田家が大敗して、広忠が今川に臣従したことで、一度は今川方になっていたが、今川に媚びを売る広忠に愛想を尽かしたのか、今川方が兵を引き上げたところで織田方に寝返った。
そして、安城城の支城である岡城の松平-信孝に救援を求めた。
信孝は竹千代の処刑が消えたことで、広忠を廃して竹千代を岡崎に入れる画策をはじめていたのだ。
そして、自分は竹千代の後見人となって、竹千代を傀儡とする。
こうして岡崎に返り咲くことを狙い、大平砦への援軍に自らが赴いた。
岡崎譜代の家臣らが竹千代を担ぐことに同意して広忠を見限っており、大平砦へ向かう信孝の動向を知った広忠は兵を集めたが、ほとんどの家臣が出陣を拒絶した。
広忠は少ない兵の数で出陣したが、兵の士気は低かった。
広忠が岡崎城を出て出陣してきたことを知った信孝は、兵を北に向けて広忠を迎え打ち、こうべ塚で対峙したが、士気の違いで勝負にならない。
信孝の兵の方が勢いもあった。
広忠は兵を退くがかぶと山で追い付かれて再び対峙し、さらに広忠は山に逃れた。
信孝は広忠を追い越して明大寺に入ると、撤退してくる広忠を仕留める為に七十騎の手勢を翻した。
ここで明大寺の門前町に火を掛けて撤退すれば、『広忠頼り無し』と完全に見限られて、信孝は岡崎に戻れただろう。
勝っているので調子に乗った。
広忠を討ち取って終わらせようと欲をかいたのが運の尽きだった。
耳取縄手で広忠を見つけて襲い掛かったが、偶然に流れてきた矢は信孝を捉えた。
『蔵人殿、討死』
広忠は信孝を討ち取ったことで、岡崎崩壊は避けられた。
この戦いを『耳取縄手の戦い』という。
こうして岡崎城を奪回することに失敗したのだ。
今川方は春の終わり頃まで西三河に兵を駐留していたが、東三河を固める為に渥美半島の戸田-康光の田原城方面に兵を移動していた。
信孝が討死した為に岡崎奪還には失敗したが、秋が近付くと織田方へ寝返る武将が増えてきた。
信孝を討ち取っても広忠の求心力は戻っていない。
岡崎松平家と渥美戸田家は同盟関係だが、康光は今川家と敵対していた。
今橋城を争って、双方が引けないからだ。
親父は戸田家と同盟関係ではないが、食料などの援助だけは続けていた。
織田家の援助もあり、戦は膠着状態を続けている。
だが、稲刈りが終われば、今川方は兵を大動員して渥美半島へ押し寄せる。
果たして、戸田-康光は耐えられるのだろうか?
「魯坊丸様、戸田は大丈夫です。戦況が悪くなれば、城を捨てて海に逃れます。そして、手薄になった頃に戻ってきて、城を取り戻すのです」
「なるほど、それが海の民の戦い方か」
「海の民を屈服させるのは骨が折れます」
師匠の岡本-定季も海の男と戦ったことがあるのか、ちょっとうんざりした顔をする。
熱田衆は熱田神宮を背負って逃げることができない。
海の民とは一線を画する。
だが、敵対する海の民とは戦わなくてはいけない。
戸田家は純粋な海の民なので負け難いと、俺の疑問に答えを与えてくれた。
半島は米が取れず、人口が少ない。
大軍に対して、余りにも不利だ。
負けても、敵の消耗を待って叩く。
つまり、そんな痩せた土地だからこそ、そこに兵を駐留させることで敵の負担が増す。
悪くない策だ。
鶏肋で敵の負担を課すか。
何か閃きそうな気がしたが、答えが見つからない。
話を戻すが、今川義元は侵攻に慎重だ。
織田家に大勝したのに、今川方は矢作川を越えて安城城まで攻めてこなかった。
安城城を攻めている時に、岡崎松平家が裏切るのを恐れた。
その場合、今川方に壊滅的な被害がでる。
三国志の『赤壁の戦い』で、
曹操の魏軍に呉軍の黄蓋が偽装降伏をした。
この黄蓋の働きで魏軍は大敗を喫した。
これが『苦肉の計』と呼ばれる計略だ。
今川義元はそんな危険を冒さなかった。
要所を押さえると兵を退き、西三河は調略で落とす計略に切り替えた。
その代わりに、東三河を固める。
手堅い一手を打ってくる。
だが、今川義元も三河武士の気性を知らない。
唯我独尊、自分だけが優れていると自負する馬鹿ばかりだ。
強いていうならば、三河武士の皆が三国志の裏切る武将の代名詞である呂布なのだ。
喉元過ぎれば、「今川の支配など、何するものぞ」と反発してくる。
今川家の本家である吉良家も義元を嫌っているらしい。
「そう言えば、大殿は吉良家にも寝返りを唆しておられますな」
「岡崎だけではなく、吉良家もか」
「分家に過ぎぬ、今川家が本家の吉良家に命令するのを、快く思っていないようです」
「そうなのか?」
「吉良家は今川家に支援を求めるが、今川家が三河を支配するのは嫌なのです」
「難しい話だな」
「まったくです」
吉良家、承久の乱の戦功で足利-義氏は三河守護となった。
嫡子の長氏に西条城を与え、弟の義継に東条城を与えたことで、西条城と東条城で家督争いの火種を残した。
西条城主吉良-義堯 の次男であった義安は、東条の婿に入ったが、嫡子が死んだので西条に戻って家督を継いだ。
そして、養父であった東条の持広も死去したことで、西条と東条の両当主となった。
しかし、その決断に東条の家臣が反発した。
義安が西条にいるので、西条が上位となり、東条の下位となるのを嫌った。
故に、代官として送られた義安の弟の義昭を東条当主に持ち上げた。
こうして西条と東条は、今も争っている。
その義安は三河守護を自称しており、分家の今川義元に三河を実効支配されるのが面白くない。
三河守護は前三河守護の細川-成之が亡くなってから空白であり、誰もその席に付いていない。
「大殿は三河守護に義安様を推薦し、幕府への献金を肩代わりしようと唆しております」
「今川義元は、三河を支配する口実が欲しいので、自分が三河守護になりたいだろうな」
「駿河・遠江・三河の三カ国守護ですな」
「さらに、尾張と伊勢を加えたがっているがな」
「東海五カ国守護でございますか」
「させる気はないが、三河までならくれてやる」
中根家は岡崎の東側を支配していた家であり、養父は三河中根家の調略を行っているが、中々に難しい。
三河の武将は我が強く、脳筋馬鹿の上に意地っ張りでわがままだ。
そんな彼らを従わせるのは難しい。
今川家が支配すると、今度はそれを嫌がって、織田家に援助を求め出した。
もしも織田家が今川を追い出すと、今度は織田家に抵抗するのがわかっているからうんざりする。
恩とか、義理とか、感じないのかな?
面倒なので三河武士の調教は、今川義元に譲りたいというのが本音だ。
俺がうんざりしていると、定季が話を切り替えた。
「そう言えば、笠寺の山口本家の仕置きがはじまりました」
「何があった?」
「笠寺の土地を戸部-政直が横領したと訴えがありましたが、大殿が棄却しました」
「どういうことだ?」
「春の竹千代強奪に加担した山口家に対する懲罰です。『小豆坂の戦い』で活躍するか、殿を担うなどの忠義を示せば、それもなかったのでしょうが、寺部城の山口-重俊はまったく活躍しませんでした」
「政直も同じであろう」
「竹千代強奪を防ぐ為に協力してくれました。その褒美です」
笠寺が支配していた土地の一部を政直に横領する許可を与えた。
笠寺は激怒だ。
その笠寺の支配地を管理しているのは、寺部城の山口宗家である。
このまま黙っている訳にいかない。
山口重俊は親父に政直の蛮行を訴えたが、政直が偽の起請文を持ち出し、譲り受けたと主張した。
それが偽物であるのは明らかなのだが、親父がそれを本物と判断した。
重俊の面目が丸潰れだ。
「笠寺は山口の根拠だ。松巨島の全域を支配する山口家が総出を上げての大戦にならないか?」
「なりません。桜中村城の山口教房、鳴海城主の山口教継、市場城主の山口盛隆は大殿の差配に否を唱えませんでした。納得していないのは、宗家の山口家と星崎のみです」
「それでも戦になるのか?」
「それは重俊次第ですな」
そうか、稲刈りが終わると戦の季節になるのか。
政直は面目を失ったが、織田家の懲罰を受け入れる胆力を見せるか。
反発して周囲を巻き込んで大戦とするかだ。
千代女に言って、政直の動向を探らせるように命じておいた。
できれば、戦は止めて欲しい。
織田方から今川方へ寝返るフィーバーが一段落すると、今川の支配を嫌がる反発が広がり、三河の方が一気にきな臭くなっている。
秋の実りを楽しむだけでは駄目なのだろうか?
農耕期が終わり、戦の時期が近付いてきた。
今年の春、親父が『小豆坂の戦い』で大敗し、岡崎の松平-広忠は今川義元に臣従し、熱田の羽城で預かっていた竹千代は切腹になることが決まったが、竹千代が疱瘡を患って倒れたので延期され、病魔を克服して生き残った竹千代を再び切腹させるのもしのびないと保留された。
そこで竹千代を新たな岡崎の当主として担がないかと調略を仕掛ける方向に方針が変わったのだ。
不義理な広忠を見限り、織田家に服従せずとも出仕を拒むなどの造反が増え、広忠の孤立が露わになった。
まぁ、竹千代を見限り、自らの手で暗殺しようと企んだ報いだ。
三河武士はそういう不条理を嫌う。
そんな中で岡崎の東にある大平砦の松平家臣が織田方に寝返った。
否、表返りをした。
広忠が今川方へ寝返ったのは今川の軍が東三河に入ってからであり、強情な三河武士は広忠の命に従わず、織田方として大平砦を守っていた。
今川方が岡崎城へ続く鎌倉街道を使用しなかったのは、大平砦を守っていた武将が織田方だったからだ。
今川方は大平砦を避けて、正田原を通って小豆坂に兵を進めた。
織田家が大敗して、広忠が今川に臣従したことで、一度は今川方になっていたが、今川に媚びを売る広忠に愛想を尽かしたのか、今川方が兵を引き上げたところで織田方に寝返った。
そして、安城城の支城である岡城の松平-信孝に救援を求めた。
信孝は竹千代の処刑が消えたことで、広忠を廃して竹千代を岡崎に入れる画策をはじめていたのだ。
そして、自分は竹千代の後見人となって、竹千代を傀儡とする。
こうして岡崎に返り咲くことを狙い、大平砦への援軍に自らが赴いた。
岡崎譜代の家臣らが竹千代を担ぐことに同意して広忠を見限っており、大平砦へ向かう信孝の動向を知った広忠は兵を集めたが、ほとんどの家臣が出陣を拒絶した。
広忠は少ない兵の数で出陣したが、兵の士気は低かった。
広忠が岡崎城を出て出陣してきたことを知った信孝は、兵を北に向けて広忠を迎え打ち、こうべ塚で対峙したが、士気の違いで勝負にならない。
信孝の兵の方が勢いもあった。
広忠は兵を退くがかぶと山で追い付かれて再び対峙し、さらに広忠は山に逃れた。
信孝は広忠を追い越して明大寺に入ると、撤退してくる広忠を仕留める為に七十騎の手勢を翻した。
ここで明大寺の門前町に火を掛けて撤退すれば、『広忠頼り無し』と完全に見限られて、信孝は岡崎に戻れただろう。
勝っているので調子に乗った。
広忠を討ち取って終わらせようと欲をかいたのが運の尽きだった。
耳取縄手で広忠を見つけて襲い掛かったが、偶然に流れてきた矢は信孝を捉えた。
『蔵人殿、討死』
広忠は信孝を討ち取ったことで、岡崎崩壊は避けられた。
この戦いを『耳取縄手の戦い』という。
こうして岡崎城を奪回することに失敗したのだ。
今川方は春の終わり頃まで西三河に兵を駐留していたが、東三河を固める為に渥美半島の戸田-康光の田原城方面に兵を移動していた。
信孝が討死した為に岡崎奪還には失敗したが、秋が近付くと織田方へ寝返る武将が増えてきた。
信孝を討ち取っても広忠の求心力は戻っていない。
岡崎松平家と渥美戸田家は同盟関係だが、康光は今川家と敵対していた。
今橋城を争って、双方が引けないからだ。
親父は戸田家と同盟関係ではないが、食料などの援助だけは続けていた。
織田家の援助もあり、戦は膠着状態を続けている。
だが、稲刈りが終われば、今川方は兵を大動員して渥美半島へ押し寄せる。
果たして、戸田-康光は耐えられるのだろうか?
「魯坊丸様、戸田は大丈夫です。戦況が悪くなれば、城を捨てて海に逃れます。そして、手薄になった頃に戻ってきて、城を取り戻すのです」
「なるほど、それが海の民の戦い方か」
「海の民を屈服させるのは骨が折れます」
師匠の岡本-定季も海の男と戦ったことがあるのか、ちょっとうんざりした顔をする。
熱田衆は熱田神宮を背負って逃げることができない。
海の民とは一線を画する。
だが、敵対する海の民とは戦わなくてはいけない。
戸田家は純粋な海の民なので負け難いと、俺の疑問に答えを与えてくれた。
半島は米が取れず、人口が少ない。
大軍に対して、余りにも不利だ。
負けても、敵の消耗を待って叩く。
つまり、そんな痩せた土地だからこそ、そこに兵を駐留させることで敵の負担が増す。
悪くない策だ。
鶏肋で敵の負担を課すか。
何か閃きそうな気がしたが、答えが見つからない。
話を戻すが、今川義元は侵攻に慎重だ。
織田家に大勝したのに、今川方は矢作川を越えて安城城まで攻めてこなかった。
安城城を攻めている時に、岡崎松平家が裏切るのを恐れた。
その場合、今川方に壊滅的な被害がでる。
三国志の『赤壁の戦い』で、
曹操の魏軍に呉軍の黄蓋が偽装降伏をした。
この黄蓋の働きで魏軍は大敗を喫した。
これが『苦肉の計』と呼ばれる計略だ。
今川義元はそんな危険を冒さなかった。
要所を押さえると兵を退き、西三河は調略で落とす計略に切り替えた。
その代わりに、東三河を固める。
手堅い一手を打ってくる。
だが、今川義元も三河武士の気性を知らない。
唯我独尊、自分だけが優れていると自負する馬鹿ばかりだ。
強いていうならば、三河武士の皆が三国志の裏切る武将の代名詞である呂布なのだ。
喉元過ぎれば、「今川の支配など、何するものぞ」と反発してくる。
今川家の本家である吉良家も義元を嫌っているらしい。
「そう言えば、大殿は吉良家にも寝返りを唆しておられますな」
「岡崎だけではなく、吉良家もか」
「分家に過ぎぬ、今川家が本家の吉良家に命令するのを、快く思っていないようです」
「そうなのか?」
「吉良家は今川家に支援を求めるが、今川家が三河を支配するのは嫌なのです」
「難しい話だな」
「まったくです」
吉良家、承久の乱の戦功で足利-義氏は三河守護となった。
嫡子の長氏に西条城を与え、弟の義継に東条城を与えたことで、西条城と東条城で家督争いの火種を残した。
西条城主吉良-義堯 の次男であった義安は、東条の婿に入ったが、嫡子が死んだので西条に戻って家督を継いだ。
そして、養父であった東条の持広も死去したことで、西条と東条の両当主となった。
しかし、その決断に東条の家臣が反発した。
義安が西条にいるので、西条が上位となり、東条の下位となるのを嫌った。
故に、代官として送られた義安の弟の義昭を東条当主に持ち上げた。
こうして西条と東条は、今も争っている。
その義安は三河守護を自称しており、分家の今川義元に三河を実効支配されるのが面白くない。
三河守護は前三河守護の細川-成之が亡くなってから空白であり、誰もその席に付いていない。
「大殿は三河守護に義安様を推薦し、幕府への献金を肩代わりしようと唆しております」
「今川義元は、三河を支配する口実が欲しいので、自分が三河守護になりたいだろうな」
「駿河・遠江・三河の三カ国守護ですな」
「さらに、尾張と伊勢を加えたがっているがな」
「東海五カ国守護でございますか」
「させる気はないが、三河までならくれてやる」
中根家は岡崎の東側を支配していた家であり、養父は三河中根家の調略を行っているが、中々に難しい。
三河の武将は我が強く、脳筋馬鹿の上に意地っ張りでわがままだ。
そんな彼らを従わせるのは難しい。
今川家が支配すると、今度はそれを嫌がって、織田家に援助を求め出した。
もしも織田家が今川を追い出すと、今度は織田家に抵抗するのがわかっているからうんざりする。
恩とか、義理とか、感じないのかな?
面倒なので三河武士の調教は、今川義元に譲りたいというのが本音だ。
俺がうんざりしていると、定季が話を切り替えた。
「そう言えば、笠寺の山口本家の仕置きがはじまりました」
「何があった?」
「笠寺の土地を戸部-政直が横領したと訴えがありましたが、大殿が棄却しました」
「どういうことだ?」
「春の竹千代強奪に加担した山口家に対する懲罰です。『小豆坂の戦い』で活躍するか、殿を担うなどの忠義を示せば、それもなかったのでしょうが、寺部城の山口-重俊はまったく活躍しませんでした」
「政直も同じであろう」
「竹千代強奪を防ぐ為に協力してくれました。その褒美です」
笠寺が支配していた土地の一部を政直に横領する許可を与えた。
笠寺は激怒だ。
その笠寺の支配地を管理しているのは、寺部城の山口宗家である。
このまま黙っている訳にいかない。
山口重俊は親父に政直の蛮行を訴えたが、政直が偽の起請文を持ち出し、譲り受けたと主張した。
それが偽物であるのは明らかなのだが、親父がそれを本物と判断した。
重俊の面目が丸潰れだ。
「笠寺は山口の根拠だ。松巨島の全域を支配する山口家が総出を上げての大戦にならないか?」
「なりません。桜中村城の山口教房、鳴海城主の山口教継、市場城主の山口盛隆は大殿の差配に否を唱えませんでした。納得していないのは、宗家の山口家と星崎のみです」
「それでも戦になるのか?」
「それは重俊次第ですな」
そうか、稲刈りが終わると戦の季節になるのか。
政直は面目を失ったが、織田家の懲罰を受け入れる胆力を見せるか。
反発して周囲を巻き込んで大戦とするかだ。
千代女に言って、政直の動向を探らせるように命じておいた。
できれば、戦は止めて欲しい。
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