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第二章 魯坊丸と楽しい仲間達

四十夜 伊賀からの補充員と千代女の焦り

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〔天文十七年 (一五四八年)夏六月十三日〕
伊賀、三重の西部にある山深い土地だ。
地図で見ると京都、滋賀、奈良、三重に接しており、畿内のへそのような位置にある。
小さな土地であり、服部川が流れる大山田村付近に古琵琶湖があったとして有名だ。
古琵琶湖があったのは三百八十万年前?
長い年月を得て地殻変動で北へ移り、近江の琵琶湖となったらしい。
琵琶湖と聞いて誰も知らず、近つ淡海ちかつおうみと呼ぶ。
うっかり「三重」と呟くと、さくらが突っ込む。

「魯坊丸様。“みえ”とはどこですか?」
「ヤマトヤケルの命が大和に帰ろうとしたが、戦いに疲れて足が三重になった場所、伊勢国で伊賀に近くだ」
「紅葉、ヤマトタケルって誰?」
「さくらは知らないのですか。大昔の帝の父で東征を為した偉大な英雄です。采女村辺りで杖をついて三重と呼ばれている所があります。魯坊丸様は博学です」
「それを知っている紅葉も一緒だろう」
「そんな事はありません」
「よくわかりませんが、伊勢が三重なのですね。わかりました」
「さくら、わかってないだろう」
「楓こそ、わかっていないんじゃないですか」
「私はさくらと違う」
「私もわかっています。ヤマトタケルが三重なのです。三重が伊勢なので、ヤマトタケルが伊勢なのです」
「…………」
 
さくら、楓、紅葉の掛け合い漫才が俺の日常だ。
さて、伊賀は山間の土地で田畑として利用できる土地が少ないが、大和と伊勢を結ぶ街道があり、河内や大和の民が伊勢参りに使われている。
古くは大海人王子おおあまのおうじと呼ばれた天武天皇が西国に逃れる時に通ったとか?
詳しくは知らないが古くから修験者の修行場として知られており、その修験者らが伊賀忍の祖先である。
室町幕府より守護に任じられた仁木家の力が弱体化すると豪族が群雄割拠し、今は豪族の共同体である惣国一揆そうこくいっきで国を動かしている。
豪族らはそれぞれ後ろ盾を求め、北部が六角家、中央が仁木家、南部が北畠家の勢力に分かれており、伊賀一国でも一枚岩ではない。
伊賀忍の勢力は、北の藤林家、中央の百田家、南部の千賀服部家が力を持っているらしい。
数珠屋が親しくしているのは守護仁木にっき-長政ながまさを中心としている中央勢であり、百田家の勢力下にあるそうだ。
先月二十八日に伊賀から百田家配下の田屋家から新しい忍びが送られてきた。
頭は田屋たや-宗時むねときという。
千代女が恒例の腕試しを行ったが、宗時は少しだけ千代女より強かった。
皆が息を飲む白熱した試合であったが、宗時が辛勝した。
悔しかったのか、千代女のしごきは下忍らが動けなるまで続けられた。
翌日から熱田の酒造所にある忍び村に移され、先にきた伊賀忍びの音羽おとは-仁平太にへいたにしごかれ、その特訓の成果を視察してきた。
今日はリベンジマッチだったが、結果は変わらず。
八つ当たりもありそうだが、千代女が下っ端を相手に無双していた。
俺は仁平太と宗時と一緒に観戦していた。
名目は、この二人が俺の護衛だ。

「千代女殿はやはりお強い」
「千代女殿ではなく、千代女様だ。同じ家臣になったが、千代女様は魯坊丸様の側近だ。言葉使いを間違うと部下らが勘違いをするぞ」
「仁平太様。それは気づきませんでした」
「丁度よいので言っておこう。儂は仁平太でよい」
「しかし、元十二人衆の仁平太様を呼び捨てにはできません」
「様は止めよ」
「わかりました。仁平太殿とお呼びさせて下さい」
「仕方ない」
「しかし、千代女様はお強いですな」
「あっさり勝った者がいうと嫌味に聞こえるぞ」
「千代女様は私より圧倒的な速さはありますが、力が拮抗する者に大技を決めようとすれば、隙が生まれます。そこを付けばたわいもない事です」
「まだお若いのよ。迷う事もあれば、焦る事もある」
「迷いですか」
「迷いだ」
「私は取り柄がございませんので、すぐに追いつかれますな」
「下手な指摘はするなよ。今は長所を伸ばすだけ伸ばす方が後々に大輪の花となる」
「わかりました」

先日、宗時は白熱した戦いを千代女としたが、今日はあっさりと勝った。
俺が見てもどう動いたかもわからないが、仁平太の目に千代女の迷いと焦りが見えるらしい。
千代女の迷いと焦りとは何なのだろうか?
考えてもわかる筈もない。

さて、俺は明日から津島に向かう。
津島大橋家のくら叔母上から『天王祭』への招待を受けたからだ。
津島に寄る前に勝幡城の織田おだ-信実《のぶざね》叔父上に、宗時を紹介しようと立ち寄った。
勝幡城は三宅川と萩原川 (日光川)が合流する箇所に建てられおり、この二川が堀の役目を為していた。
その北側の森に酒造所を建て、森ごと総堀で囲んでしまう予定だ。
この三宅川と萩原川が合流して天王川となり、津島まで伸びている。
この天王川の東に津島湊があり、天王川を挟んで津島神社が建っていた。
天王川と佐屋川に挟まれた中州という感じだ。
この辺りは中州だらけ。
勝幡の総堀と言っているが、森を越えた先にある湿地帯の前に塀を建てるので、中州を護岸壁で覆うようなイメージで縄張りをさせた。

「仁平太、田屋の者に『天王祭』での護衛を命じたいが問題ないか?」
「まだ土地勘がございません。しかし、非番の者を付ければ、可能だと思われます」
「では、そうしてくれ」
「畏まりました」
「宗時には叔父上を紹介する。酒造所の警邏がはじまれば、俺より多く指示を受けると思う。その顔見せだ」
「承知しました」
「俺の警護は実地訓練なので失敗を恐れる必要はない。問題点が洗い出せれば、十分だと思っている」

津島神社には津島を守る者がいる。
まだ、熱田ほど連携が取れるかもわからない。
すべて手探りだ。
慎重に事を運ぼう。
母上は『宵祭よいまつり』に間に合うように中根南城を出発すると言っていた。
母上の護衛も宗時らの仕事だと命じた。
千代女のしごきが終わると、新しく熱田の酒造所に完成した俺の宿舎で一泊する。
酒造所の本丸御殿だ。
金山衆に造らせた手動式の大型丸ノコ切断機で木材を加工し、組み合わせて建てるプレハブ工法を採用した御殿の試作品となる。
長屋も次々と完成しており、冬までにテント暮らしの住民を移動できそうで安心した。
俺は新しい御殿の寝室から庭を眺めた。
小さな池に満月に近い丸い月が映って揺らいでおり、その揺らぎを見て昼の話を思い出していた。

「魯坊丸様。お茶をお持ちしました」
「千代か、今日は疲れたであろう。ゆっくりすればよい」
「いいえ、私などまだまだです」
「そんな事はない」
「いいえ、私は仁平太殿のような広い視座を持っておりません。宗時殿のような確実性もございません。護衛として未熟です。それなのに侍女としての仕事も存分にできておりません。魯坊丸様がこれほど頑張っておられるのに、私は何の力になれておりません。それが悔しいのです」
「そんな事はない」
「そうなのです」
「千代はよくやってくれいる」
「まったく駄目です」
「・・・・・・・・・・・・そうか」
「そうです」

千代女は侍女の仕事というが、出来ないのは事務的な仕事のみであり、本来の侍女の職務は完璧だと、前侍女長も太鼓判を押した。
千代女のいう侍女の仕事は、日々の取引を管理する経理、記禄したお金の流れを管理する会計、事業計画における将来の収入と収支を割り当てる予算管理と、目標に必要な人材・物資・経費を把握する予実管理に加え、侍女長がやっていた手紙などによる人間関係の構築だ。
これを三ヶ月でマスターできる奴がいるか?
初めから無理なのだ。
だが、千代女はこれまで何でも出来た。
そんな才女だったので、出来ない事を悔やんでいる。
俺の言葉など聞こえない。
千代女が納得するまでやらせるしかないと、俺は月を見上げた。
千代女は生真面目過ぎるな。
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