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第二章 魯坊丸と楽しい仲間達

三十八夜 魯坊丸、信光を説得す

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 〔天文十七年 (一五四八年)夏五月二十四日〕
平手政秀の名代としてきた堀田正貞が帰ると、俺は信光叔父上に手紙を書いた。
外交は苦手なので堀田正貞と岡本定季を頼りに進める事を承認してもらい、交渉の材料として肥料を斉藤家に売る許可を願った。
交渉材料として売買権を預けてもらえない場合は、信光叔父上が要望する量の確保を諦めてもらうと続けた。
俺の手紙を横から見ていた定季が「本気ですか?」という顔をする。
敵に塩を送る行為なので無理もない。

「考えてみよ。肥料の材料は主に糞尿だ。大々的に集めて小屋に運ぶ。その小屋から肥料ができる。知恵者なら肥料の材料と気づくだろう」
「そうなりますな」
「次に、大量の白石を購入すれば、余程の馬鹿でなければ、どこに持ってゆくか調べる。肥料の材料になっている事も知れる。遅かれ早かれ、誰かが真似て同じような物を作り出す」
「バレるくらいなら恩を売ろうというのですな」
「残念ながら違う」
「違いましたか?」

俺が知恵の出し惜しみはしないのは、千秋季忠や五郎丸だからだ。
信用は一日にならず。
資金を提供してくれる二人を騙すのは、信用を失う事が損失と考えているからだ。
信用を買いたい者には誠意を尽くす。
それが俺のやり方だ。
天王寺屋の熱意を信じて熱田商人に良心的な提案をしたのも、堺の会合衆の信用を買う為だった。
結果は見事に裏切られた。
商人は利に聡いので儲け話なら乗ってくると思ったが、俺が思っている以上にこの時代の商人らの心は荒んでいた。
信用を失うと取引ができなくなるという契約社会に達していない。
契約が通じるのは先進国のみであり、中東やアジアでは通用しない国も多い。
商人は損をする事が多い。
得に、借金を帳消しにする『徳政令』を連発されるとすべてを失う。
徳政が無くとも、武士や僧は借金を踏み倒すのが当たり前なので、取れる時に取れるだけ取ろうと必死なる。
織田も武士であり、まだまだ信用に足りない。
次の交渉相手は下剋上の覇者である『美濃の蝮』である。
信用の『し』の字もない。
騙される奴が悪い。
平気な顔をして笑顔で騙してくるに違いない。
外交下手な俺が正面から戦って勝てる相手ではない。

「美濃の蝮に恩を売って、何の価値がある?」
「まったくないでしょう」
「だろ。肥料という撒き餌を撒いて、それに食い付いている間に織田家のみ太ればよい」
「肥料を売るのが、撒き餌ですか?」
「美濃に肥料小屋を建てさせてもらい、材料の糞尿を蝮に用意させる。但し、作り方は秘匿する」
「バレませんか?」
「バレる予定だ。秘密を知ろうと躍起になるのに一年、効果を実感するのに三年、本格的に肥料小屋を増やし、収穫が伸びるのに十年は掛かる。その間に、織田家は国内の石高を増やしておく」
「それは面白ろうございますな」
「この交渉の肝はどれだけ多くの白石を確保できるかだ」
「こちらから人を派遣して採掘量を増やす必要がございます」
「それを認めさせれば、我らの勝ちだ。量を確保できれば、織田弾正忠家の支持する領主の土地に肥料を行き渡らせ、石高を一気に引き上げる。具体的には、那古野城の北にある土岐川 (庄内川)の河川を改修して、巨大な湿地地帯を新田として利用する。那古野の西に水路を引けば、那古野の西側に広大な田が作れる。収穫は二倍から四倍に伸びるだろう」
「天白川に続き、土岐川も新田開発ですか?」
「人手が足りないが、基礎工事のみ領民に銭を払って動員すれば、時間を短縮できる」
「銭が足りませんな」
「そこは信光叔父上がどれだけ酒を売ってきてくれるかだ。小細工だが、現場で酒と肴を売って払った銭を回収する手もある」
「回収ですか?」
「支給する飯と酒は最低の量に抑え、周囲で屋台を出させて、酒と肴を用意する。動員する民に日当五文を払い、一文か、二文で買えるうどん屋や酒を提供するのだ」
「渡した銭を回収する気ですか?」
「そうだ。だが、支払う銭が足りなくなるので熱田神宮が発行する銭札も造らせる」

そうだ、銭札だ。
江戸時代の藩札を模した熱田限定の紙幣を造ろう。
熱田神宮や商家に持ってゆくと銭と交換できるとすれば、流通通貨を増やす事になる。
もちろん、信用を得るまで交換が増え、銭が一気に減る。
対策が必要だ。
単純な対策として、銅銭を鋳造して銅貨を用意するか。
古くなりボロボロになった粗悪な銅貨を鐚銭びたせんと呼ぶが、使える店と使えない店が存在する。
使える店でも、鐚銭二文、鐚銭五文、鐚銭十文で一文並の価値とする店もある。
俺が統一して鐚銭五文を新銅銭一文と交換すると宣言すれば、レートは安定する。
五枚もあれば、一文半は確実にできるので問題ない。
念の為に粗悪品は10対1としておく。
皆が安心して紙幣を使いだせば、流通も安定して通貨不足が緩和される。
他国の者には銅銭が必要だ。
銅銭不足の解決とはならないが、やらないよりマシだろう。
中根南城の支払いも銅貨から紙幣に変更できれば、政務方の負担も減る。
一石二鳥だ。
そんな事を考えながら、夕食を食べ、湯船に浸かった。
綺麗な星空を眺めながら部屋に戻ってきた頃に、表屋敷の使いが慌てて廊下を駆けてきた。

「魯坊丸様。豊前守が・・・・・・・・・・・・」

使いが信光叔父上の名を挙げた瞬間に、廊下の向こうから『魯坊丸』と呼ぶ声が聞こえた。
俺の手紙を読んだ信光叔父上が、明日出発を控えているのにやってきた。

「魯坊丸、この手紙はどういう事だ」
「茶でも飲んで落ち着いて下さい」
「慌てさせたのは其方の手紙だ」
「とにかく、落ち着いてください」
「まったく」

信光叔父上が出されたお茶を飲んでいると、少し慌てて定季も部屋に入ってきた。

「定季、お前がいながら、こんな馬鹿げた事を許したのか」
「魯坊丸様はいつも通り、我々の斜め上を行かれるお方でございます」
「斜め上だと」
「まず、お聞き下さい」

定季が昼の話を信光叔父上に説明した。
信光叔父上が何度も「なるほど」と頷いている。
定季は簡単な土岐川の地図を用意し、夕食を終えてから新田開拓できる箇所をざっくりと調べており、増える石高の予想数の表を聞くと、信光叔父上がにんまりと笑みを浮かべた。

「今、出せる数字はこの程度でございます。後は測量をしなければ、はっきりとした数字は
言えません」
「悪くない。悪くないが、美濃斉藤家に肥料を盗まれるのかと思うと、やはり悔しいな」
「信光叔父上、先行逃げ切りです」
「先行逃げ切りだと? また、訳のわからない事をいう」
「今の採掘量ではこの計画は実現しません。信光叔父上がいうすべての土地に肥料を配るには、こちらから人を調達して、白石を掘り進める必要があります。派手な事になります。斉藤家に知れるのは時間の問題です。ならば、こちらから差し出した方が向こうも油断してくれるでしょう」
「だが、織田家の開拓が進まず、美濃の方が石高を上げてきた場合はどうする」

信光叔父上が勘のよい所を付いてきた。
実際、大洪水などが発生して、工事の終了まで時間がかかると美濃の方が先行する可能性がある。
大洪水が2度も起これば、マジで追い付かれる。
絶対にないとは言えない。
ほとんど無いが・・・・・・・・・・・・ないと断言はできない。

「肥料の作り方はどうでもよいのです」
「良くはないであろう」
「どうせ、真似てきます。しかし、とある物ができれば、織田家の国力が一気に引き上げられます」
「とある物だと」
「硝石と申します。鉄砲の弾を撃ち出す火薬の材料です」
「真か⁉」

信光叔父上が驚いた様子で定季を見た。
定季も頷いた。
定季は一年半後に完成を見届けてから、信光叔父上に報告するつもりだったという。
硝石を造るだけなら、今の状況でも問題ない。
だが、大量の白石が手に入るならば、ローマンコンクリートに使う量に制限を掛ける必要もなくなり、護岸工事などにも大量に投下できる。
肥料作りと河川工事はセットなのだ。

「で、勝算の見込みはあるのか?」
「白石の購入に拘り、渋々ながら肥料の作り方を教えるという態度で臨みます」
「利政は手強いぞ」
「こちらが主導で白石の採掘できれば、勝利と考えております」
「すぐに狙いがバレねばよいな」
「ですから、堀田正貞には何も教えません。知らない事は答えられませんから。最初は採掘権を書かず、山を持つ領主と交渉を許してもらうと記述しておきます」
「バレるのはないか?」
「いいえ、バラすのです。そして、利政が採掘権を言い出したら、斉藤家に銭が足りない所を攻めてゆきます」
「銭がないのか?」
「商人に調べさせましたが、国の規模の割に取引が少なく、斉藤家は銭が枯渇しております」
「で、どうするつもりだ」
「こちらが要求する量を用意してくれれば、『いい値で買う』と言います。しかし、銭のない斉藤家は採掘する人が雇えないので掘る事は叶いません」
「利政が折れるか?」
「ですから、正貞には何も教えず、駄目ならば他の土地から買うと告げておきます」
「他の土地にもあるのか?」
「土佐にあります」
「土佐だと?」
「土佐は山奥なので採掘に手間が掛かりますが、美濃より巨大な白石の採掘場がございます。敢えて手間の掛かる事は言わず、船で土佐から買えると告げておきます」
「なるほど何も知らぬ正貞は、強気で断わる事ができるのだな」
「同時に、熱田商人に土佐で白石の買い付けを五郎丸に命じたという噂を流させ、五郎丸には船代が高く付くと呟かせます」
「船代が高く付くが、白石を土佐から買えると思わせるのか」
「利政が土佐から白石が買えるかどうかを確認する術はございません。少なくとも半年程度では無理です。利政がどれほど銭を欲するかで決まりますが、ずっと戦続きだった美濃では、銭は貴重でしょう」
「銭欲しさに折れてくるか」
「交渉もできない馬鹿に美濃が取れると思えません」
「がははは、その通りだ」

信光叔父上が面白がって、肥料を利政に売る事を許可してくれた。
利政が断れば、同盟は破綻する。
両面に敵を持つ織田弾正忠家も苦しいが、朝倉・六角・織田の三方を敵にしている美濃斉藤家も苦しい。
絶対に妥協してくると信じるしかなかった。
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