魯坊人外伝~魯坊丸日記~

牛一/冬星明

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第二章 魯坊丸と楽しい仲間達

三十四夜 望月兵大夫の報告

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〔天文十七年 (一五四八年)夏五月二十三日昼過ぎ〕
加藤与三郎の報告が終わると熱田衆の皆が大広間から出て行き、定季の説教と含みのある笑みを零した。
大広間には千秋季忠や加藤順盛などの俺を支える者と大店の店主のみが残っており、俺を中心に集まり直すと、与三郎の横に座り直した望月兵大夫の報告がはじまった。
兵大夫は与三郎の手代として話を聞き、天王寺屋が説得に回った商人の動向を仲間に探らせた。

「はじめての任務、ご苦労であった」
「いいえ、商人の裏を取るという仕事も中々に楽しい仕事でございました」
「楽しかったのか?」
「天王寺屋が仲間を説得するときは話は興味深く、商人も侮れないと再確認致しました。京の商人の護衛を引き受けたこともございますが、堺の商人は別格でございます」
「それほど違うか」
「某も魯坊丸様の意図に気づいておりませんでした。この横に控える与三郎殿もまったく理解しておりませんでした」

与三郎殿も改めて口を開き、天王寺屋は会合衆の有力商人を回った時の話をした。
天王寺屋は俺の狙いを理解していた。
京の比叡山、大和の興福寺、摂津の石山御坊に酒を卸すことで三大宗派に恩を売る。
桶売りとは、熱田の酒を売るのではない。
桶を買った相手が、自らの僧坊酒と混ぜて比叡山の酒、興福寺の酒、石山御坊の酒として売ってもよい。
様々な酒が生まれてもよいとは言ったのは、相手の尊厳を潰さない配慮だ。
熱田の酒は分業化と効率化でかなり経費を抑えられる。
新しい物を造らせるので最初は高く付いたが、一度出来てしまえば安く酒を造ることができる。
江戸300年を掛けて効率化していった技術を使っているアドバンテージだ。
三十石(5400ℓ)の大桶もその一つ。
安価に酒を造れるが帝の呑まれる酒が安物では困ると、俺は天王寺屋に言った。
堺に安く卸すが、末端で安く売られたら納品を止める。
これが契約の大前提だ。
そこまでしか言っていないのに、新しい僧坊酒の販売先を拡大させて、比叡山、興福寺、石山御坊に競わせて三竦さんすくみの状況へ持ってゆく構想を把握していた。
千秋季忠や加藤順盛、そして、大店の店主らにも話したが、理解できないようなので説明を省くことにした。
天王寺屋は俺が譲った『特選酒』と『普通酒』を相手の商人に呑ませてから説きはじめたらしい。
兵大夫が天王寺屋の口真似でその場の雰囲気を語った。

「どうです。帝に献上した酒の味は?」
「美味い。僧坊酒とはまったく別物だ。帝が気に入ったのもわかる気がする」
「そうでしょう。では、こちらを」
「これも美味い。最初に及ばぬが良い酒だ」
「帝に献上する酒は二十の樽を仕込み、一つできるかどうかだそうです。残り十九樽は川に捨てるしかないとか」
「それを捨てるだと?」
「帝がお呑みなる酒が安値で売られると困るそうです…………ですが、高値で売る分、あるいは、桶売りで別の酒にして売る分はその限りではないとか」
「前置きはよい。何がしたい」

 相手が焦れた所で、天王寺屋は比叡山、興福寺、石山御坊に『桶売り』を堺の会合衆で進めたいと本題を語った。
 横暴な僧侶を巧みな話術で抑えるのは会合衆しかできない。
 武家の勢力拡大によって酒の需要が上がっており、僧坊酒は常に足りない状況が続いていた。
 そこに桶ごと酒を買って、僧坊酒を水増しならぬ酒増しをする。

「品不足であった僧坊酒が一気に出回るのです。熱田は捨てる酒が売れ、我らは大量の酒を運び、寺は酒が売れる。三者が儲かる話です」
「熱田はそれで納得するのか?」
「そこが桶を売るということです。僧坊酒を一割、熱田の酒を九割に混ぜて、新しい僧坊酒として売れば、十倍の売り上げとなります。仕入れる酒代は高く付きますが、新たに酒藏で造る苦労を思えば、安いものです」
「寺がそれで大人しく良い値で買うと思うか?」
「一度、売れてしまえば、もう後に引けません。京の比叡山、大和の興福寺、摂津の石山御坊の三者で三竦さんすくみになるのが理想的でございます。苦情を言えば、卸を止める。すると、他の寺の酒が売れて損をするのは、駄々を捏ねた寺のみ、それを判らせるのが会合衆の役目です」
「三竦だと。厄介な仕事を増やすつもりか?」
「酒で儲ける額が大きくなれば、寺は会合衆の話を無下にできません。我らと対立することは儲けを大きく削り、寺の運営を危うくします。額が大きくなるほど、効果も大きくなります」
「面白いが、面倒な話だな」
「やりがいがありましょう。熱田の『桶売り』で会合衆の力を増す機会が巡ってきたのです。賛同して頂けますか」
「面白いが、即断は避けよう。だが、考えておこう」

そんな感じで天王寺屋が好印象の商人が多かったという。
俺はちょっと驚いた。
物量が盛んになるほど戦争を起こし難くなるという経済論を堺の商人が理解していた。
論理的というより、経験則から得た勘のようなものだろう。
一軒の商家の取引先が一極に集中するほど、卸である堺の商人の影響力が増す。
それを三大宗教にあてはめた。
念の為に言っておくが、戦争が起き難くなるだけだ。
共同体グローバルリズムで戦争が起こらないと断言する者もいるが、人間はそれほど理性的な動物ではない。
損だから戦争をしないという訳ではない。
人間が感情の動物なのだ。
戦争をすると損だから戦争をしたくないバイアスが掛かるが絶対ではない。
戦争のリスクが下がるだけだ。
それを天王寺屋ら堺の商人らが何となく察しているのに驚いた。
だが、そこまで理解しておきながら断ってきた。
何故だ?

「流れが変わったのは、『魚屋ととや』田中与四郎と会ってからです」
「田中?」
「茶人として、僧名でせん-宗易そうえきを名乗っております」

千利休か⁉
宗易は天王寺屋にかなり厳しい言葉を投げかけた。
商人の王道は『儲けるときに儲ける』である。
熱田、否、織田家が弱みを出しているならば、叩き伏せて安値で買い叩くのが定石だと説いた。
儂なら売値は六十文のままで買値三十文でなく、十文に買い叩いてきたと豪語した。

「某も宗易の態度が気になったので探りましたが、宗易は今川家によって織田家が蹂躙される可能性を危惧されたようです」
「今川か」
「天王寺屋の宗及殿は魯坊丸様が今川に負けると考えておりませんが、堺衆の大半は織田が負けると考えておりました」
「実際、『小豆坂の戦い』で負けているからな」
「宗易は会合の前日まで主だった数人の豪商の店に赴き、織田家が負けるまでに儲けるだけ儲けた方が得だと触れ回りました」
「数人の豪商が意見を覆したことで流れが変わったのか?」
「酒を取り扱っている僧の多くは頭が回らず、問題を起こします。高僧でも手が付けられぬ者が多くいると、会合衆の商人らに説きました」
「なるほど。『桶売り』の意味を理解しているのは、一部の豪商のみか」
「今川の件と僧の横暴を知る商人らは、責任を織田家が持つと約定で交わしていないことに不満を持ち、結論は先送りとなったのです」
「先送りとは?」
「来月でも、堺の代表が熱田に来ると思われます。煽った魚屋を筆頭に」
「なるほど、値引き交渉か」
「五年か、十年。織田家が今川家に屈する日まで儲けるだけ儲けるつもりです」

定季の言った通りで、親父の威光が利かない所では舐められているらしい。
比叡山、興福寺、石山御坊を恐れない会合衆が親父を恐れるとも思えないが、親父が俺の後ろ盾であるとはっきりさせないと交渉もできないのか。
この時代が戦国の世ということを忘れていた。
力が正義。
ここは日本ではなく、中東だと考えよう。
中東に赴いたビジネスマンの話に、とある国で自然災害が起き、その国に大量の鳥肉が援助物資として送られた事があった。
しかし、鳥肉を売りにきていた他国の商人は援助物資で売り先を失った。
そんな商人らが取った行動は、なんと発電所で事故を起こさせて冷蔵庫を止めることで支援物資の鳥肉を腐らせることだった。
炎天下の中東で数日も冷蔵庫が止まれば、鳥肉はすべて腐る。
こうして、鳥肉が駄目になった所に鳥肉を売りに行ったそうだ。
儲ける為ならば、ヤリたい放題だ。
今は戦国時代だ。
油断した方がガブリと噛まれる。
勉強になった。

「兵大夫、金に糸目は付けぬ。堺と京に拠点となる商家を乗っ取れ」
「乗っ取るのですか」
「商売に失敗し、財政が厳しい商家があるだろう。そこに熱田商人から養子縁組で送り込む。必要なら望月の者を入れてもよい」
「畏まりました」
「他にも抑えておく町はあるか?」

大喜屋や亀屋の主人が伊勢の津(安濃津)と大湊、土佐の中村湊、島津の棒津を希望し、津島の川口宗定が近江に大津と勝野と塩津と朝妻津、越前の敦賀と三国津、若狭の小浜を望んだ。
これからは情報が命だ。
可能ならば、織田家と取引する表の商家と情報を引き出す裏の商家があると助かる。
そう言って、具体敵な案は兵大夫に丸投げした。
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